渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

東京のイワナ

2022年08月21日 | open









あまり知られていないのではなく、
知られているが広めない支流だっ
たのではないかな。
東京都ではそれは貴重だが、実
は広島県にも広められていな
支流がいくつもある。
当然、フライマン同士では超懇
意の間柄というごく狭い範囲で
は情報を共有している。
私が先輩の地場で河川管理にも
携わるフライマンから頼まれて
高知から来たゲストたち
密か
にガイドとして案内し
たのも、まさにそんな支流
だった。
四国定番のアマゴではなくヤマ
メを釣りたいとの事で案内し
た。
天然記念物の地場岩魚のゴギと
天然ヤマメのいる一般には知
れざる支流。
私はその時はダイワでもシマノ
でもバンブーでもなく、ウエダ
を使った。案内するメソッド
叩きだ。渓一郎流のロング
ティ
ペットは使わない。
遠方からの来客は満足して土佐
に戻って
行った。
そうした場所は、情報氾濫のこ
時代にあっても広めない。
勿論、私も言わない。
岩魚でなくイワナである。
 
組織を作ってから社会的アプロ
ーチとムーブメントを形成しな
いと広めるのはとても危険だ。
そうして多くの河川原流域が侵
されて来た。
特にエサマンに知れ渡ると、
イナゴの来襲のように食い荒ら
される。
希望的観測だけで場所を開示する
のはとても危険で、環境保全の
役には立たない。
広島県には、そうした環境保全
狙いを定めて地道に活動を続
けて
いるフライマン組織が存在
する。
 

撞球フォーム

2022年08月21日 | open

初心者に贈るポケットビリヤードの世界 
(基本テクニック編 #1) 
Billiards for Beginners 
Mezz Cues


ポケットビリヤードのフォーム。
トッププロの綺麗なフォーム。


でも、これ、アメリカン・サイド・
オープン・
スタイルです。
これは初心者の女性に説明した
フォームとはちがーう(笑
違いの判る人で動画観た人は、
アレ?と思うでしょう。ちゃう
やんけ、と。
栗プロの絵は
スタンスは前足45度
位置取りではない典型的なアメリ
カン・サイド・オープン・スタン
ス。
そして、
手玉とレストの距離は
20cm
ではなくキュー切れ師の
距離だし、エルボーアングル

90度ではなく、キュー切れマン
独特のアングルだ。ウイリー・
モスコーニのよう
に(笑
まあ、これは分かりやすくいうと
キレ者プロのフォー
ムです。
「基本的なフォーム」と
いうのは
「初心者向け」ではなく、
この
切れ味のキュー冴えのプロ、栗
プロにとっての基本フォーム(笑

これ、よくある私がよく言う

「基本解説と実践との違い」と
いうやつです。
私も経験あります。
構えからアプローチに入る時に
初心者の人が教えてというので
説明している時とか。
「足は肩幅くらいに開いて、
前足は45度くらい前に出して」
と。
そして、こうやります、とやる
私のフォームを見た女性などは
真似してサイド・オープンで
両足が揃う程に横向きにする。
「そうではなく45度くらいに」
とか言うと「だって貴方こう
やって
るよ~」とか逆に私の
フォーム
を指摘されたり(笑)。
同級生の女友だちたちや親族
一族
旅行での旅行先ホテルで
母や
叔母に教えた時も逆指摘
された
し。
自分のスタンス見て「あ、説明
と違ってました。さーせん」て
なもんで(笑)。
つい最近もかわいい若い女性グ
ループ5人からビリヤード一緒に
やって教えてくださいと逆ナン
みたいに頼まれて解説した時、
以前の逆指摘の自分の解説と
現実に整合性の欠落がない事を
念頭に入れて修正解説をした。

たぶん、こうした「古くから
云われて来た基本」というのと
実戦的実践実態はかなり乖離
している類例が結構多い。
「肘から下を振り子のように
振ってキューは水平に」という
物理的に不可能な説明も、そう
した現実と固定概念的な「基本」
を教えようとする整合性の不在
が招いているのだと思う。

イメージボールの説明も大切だが、

ラインで俯瞰して見る事の大切さ
も同時に教えたほうがいいと思う。
昔はほんと苦労したぜ。

だ~れもこのように教えてくれた
りしないから。「見てろ」だけで
さ(笑)。
なので座学の自習と、上級者の撞き
を一つも逃さず見抜く稽古よ(笑)。
まるで古武術だぜ、そいつぁ。

初心者に贈るポケットビリヤードの世界
(基本テクニック編 #2)
| Billiards for Beginners | Mezz Cues


チョークの着け方

2022年08月21日 | open



私は上級者ではない。
上級者とは隔絶した域の練達の士
の事を指す。

プロ、SA、A、B、Cなどのクラス
分けも本質的には全く意味がない。
極言すれば、アメリカ合衆国のよ

うに、クラス分けなど一切存在せ
ず、「力のある者が勝つ」または
「実力者こそが奥義の深みを知悉
している」というのが本当の健全
なビリヤードプレーヤーの姿だ。
日本のように特定玉入れ個人種目
での得点が高得点だった
り、試合
で上位に行く者が必ずし
も「上級
者」ではないからだ。

タイトル獲得数やその面での来歴
ではなく、それらと無縁であって
も、内実として名人、達人の
域に
ある人たちが真の「上級者」
だろ
う。
モーターサイクルロードレースで
いうならば、1980年代のレーシン
グライダーの米国人ランディ・マ
モラなどは、一度も世界チャンピ
オンを取った事はないが、彼こそ
はオートバイの乗り方の奥の奥ま
で知り尽くした名人、世界一の
巧者だったといえる。2スト500cc
GPレーサーというとんでもない
モンスターマシンをとんでもない
職人技で、しかも裏の裏まで読み
切って完璧に乗りこなしていた。
ただ、レース運びのみがタイミン
グが悪かったりうまくかみ合わず、
世界チャンピオンだけは一度も
取れなかった。
だが、1980年代。マモラが世界で
一番のオートバイ乗りだ。
これは間違いない。ランキング
など関係ない。ランキングはレー
スという競争競技での順位であり、
オートバイの事を理解しているか
どうかとは連動していない。
日本人ならば元ヤマハワークスで
開発ライダーを務めた本間利彦だ。
彼こそが乗り屋としては、当時は
世界一オートバイを知っている。
今も一番核心部分のコアを知悉
している。

ビリヤードも全く同じだ。
日本にはプールの世界に「プロ」
は多い。300名ほど登録している。
だがプロ
フェッショナルは多くは
ない。
またアマも然り。
下手こいたら、日本独自のくだら

ぬランク分けによりドカンチ大量
生産状態かも知れない。
ランク分けによるマウント取りた

がりさんが跋扈しているのも、
そのあたりだろう。
くだらぬ学歴社会日本の歪んだ縮図
のようなものがそこに見える。
大切なのは、入試難易度や大学の
ブランドではなく、その人物が
真の実力を備えているかどうか
であるのに。

面白い実話を話そう。

ある地方オープンに出場してプロ
2名を下して勝ち進んだ時の事。
私が尊敬する(滅多に無い)大阪
の重鎮プロ二人が私の試合での
撞球をずっと私の席の後ろに陣
取って見ていて、試合後にお二人
に向こうから声をかけられた。
その時の、エピソードとして、その
試合には一緒には参加しなかったが
ある年配のアマチュアの撞球者の
方と普段一緒に撞いている事を
私と参加仲間はそのプロ二人に
告げた。
すると、狭い世界ですね。
その大阪のプロお二方はその年配
のアマプレーヤーをよく知ってい
てこう言った。
「昔から撞いてはる方で、ほんま
に玉をよう知ってる。ああいう玉
を知っている方と撞いてもらわん
とあかんでぇ。よう玉を見て教え
てもらい」と
口を揃えて。
お二人は1980-90年代のトップ
プロで
あるのだが、明らかにアマ
チュ
アの経験豊富な撞球者に敬意
を表
してまじもんで言っていた。
一つ、くだらぬ虚構のピラミッド
の中には生きていない真の撞球者
の心の在り方というものをお二人
の大阪の重鎮プロに教えられた
気がした。
無論、「プロだから」としてくだ
らないマウントを取って上から
目線で人を評する事などはお二人
のプロはしない。
そんなものは意味が無い事を知り
尽くしてもいるのだろう。
撞球師、撞キュー士とはそういう
ものか、と教えられた。
プロフェッショナルを見た。

アマチュアで上位クラスだとして
人を見下す連中の如何に中身の
無い事か。

だが、埒も無い虚偽の作為的ヒエ
ラルヒーの「上の者」の有様等々
とは別問題として、撞球シーンで
「さばき」がこ慣れると、この

私の動画のようにクイックリーに
かつ効果的
に素早くチョークを着
ける事を多く
の撞球人がやっている。
試合ではないので、練習や研究や

相撞きでは少しでも限られた時間
で多く玉を撞きたいので、自然と
このような素早い動きになる。
だが、出鱈目にはチョークは着け

ない。きちんと要点は押さえて
多くの手慣れた撞球者はやって
いる。
本来は目視しながら下アングルから
上にこすりつけるように着けたほう
がよい。これはもう定理みたいに
そう。
私も、ロングドローをする時や、
絶対にミスできない玉回りの時に
は、
キューを立てて、目視しなが
ら丁寧にチョークをこす
り着ける。
チョークは塗り過ぎても駄目だし、
まだらに塗布面が薄くなっても駄目。
まだら塗りは塗り過ぎよりも駄目。
チョークは塗布したチョーク粉が
一定になるように塗る。

動画のようなこうした片手塗りは、
こ慣れた人間がよくやる方法だ。
私の場合は、一定のリズムを取り、
しかも、最後の一塗りで、全体を
均すようにキュッと一なでする。
だが、キューを立てて目視でチョ
ークを塗るにしても、最近は天辺
だけをチョッチョと2回ほどなでる
だけの動きも動画サイト等では
よく見る。
それはタップ全面に新チョークが
塗布されたとは思えない。
だが、タップのトップだけ使う
チョン突きが多いので、それでも
ミスキューさえも無いのかも知れ
ない。
しかし、キューを切れ味鋭く利かせ
て行く撞き方では、チョークはでき
る事なら毎回満遍なくタップに塗る
のが理想的だろう。
これは、俺はこう思うとか私的思念
など関係なく、物理的な事から。
道理として。


ビリヤードのチョーク

2022年08月21日 | open


各キューケースには必ず数個の
チョークを入れている。
ビリヤード場のハウスチョーク
を使う事は、今はほぼない。
これは東京横浜撞球時代、岡山
撞球時代にはそうでもなかった。
店の備えけのハウスチョーク
もよく使った。問題無いから。
広島県内のビリヤード場によく
行くようになってから、確実に
自分のチョークのみを使うよう
になった。
理由は、広島県内はビリヤード
専門店でもハウスチョークは深
い穴ぽこだらけだからだ。軒並み。
まるで裏寂れた温泉宿か場末の
ボウリング場だ。
店長や店員は業界人なのだから、
手入れ方法を知らない訳ないのに、
面倒がってか仕事を全くしない。
そういう土地柄である。
きちんとチョークの平面出しの
手入れを客の退出後にやる店は
数える程しかない。右手の5指に
も余る。
そういう土地柄である。
タップ交換一つまともにできない
店主や店員の店だらけだし、チョ
ークなどはカッターの刃の背でこ
すればよいだけなのに、それをし
ない。
何をしているか。
客が撞いている空き時間時は、
銭湯の番台のおばちゃんみたいに
テレビを観てる。あるいは漫画
読むかスマホをいじってるか、
の客と麻雀やってるような具合。
そんなもんだ。そういう土地。
現実がそうなのだから、そう。
嘘なく、そう。

大阪京都の本場はよく知らないが、
東京横浜の撞球場でボーイがそん
な事してたら、即クビです。

チョークはグリグリやらず、平行
に着ける正しい使い方をすれば
かなり小さくなるまで使える。
慣れれば片手でもスライドこすり
着けができるようになるし、また
上級者はそうやっても着ける。

この使い減ったチョークも・・・

新聞紙あたりを敷いてその上で
錆びた使い古した切れない広刃
のカッターなどでこすればすぐ
にこのように平面が出せる。
ビリヤード界の常識だ。


チョークはこうなるまで使
える。割れたらご用済みで
ご苦労さま。


自作チョークケースまで作ったり
するのは、何もチョークマニアで
もチョーク愛好家でもチョークが
可愛くて仕方なくて愛でているの
でもない。
武具万全が武士の慣いであるよう
に、自分の武器は隙なく万全にし
ておきたいからだ。
ただ、それだけ。何て事ない当た
り前の事だ。
だが、当たり前の事が当たり前で
はない非常識が常識であるかのよ
うに大きな顔をして今の日本は罷
り通っている。
国難を憂慮する。








人類の歴史がひっくり返るかも知れない遺跡

2022年08月21日 | open


こりゃすげえ。
日本の縄文土器が人類最古の土器
である、なんて言ってられなくなる
かも。
トルコ東部で発掘がすすむ「130世紀前の遺跡」が人類史の常識を覆すかもしれない | 世界で最も重要な考古学的遺跡をめぐる旅

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クーリエ・ジャポン

 




キューケース

2022年08月21日 | open


背負えるキューケースてのは、何
かと便利そう。

でも、こういう1バットタイプで
脇挟みも渋い。
今の時代殆ど見なくなったけど。


ビリヤードという競技種目

2022年08月21日 | open




スポーツは楽しむのが一番良いが、
競技種目の楽しみは技能を駆使し
て「対戦」の中で自分の持てる力
を最大限に発揮して、正々堂々と
戦う事の中にある。
そこがスポーツとレジャーの決定
的な違いだと思う。

ビリヤードはビリヤード自体が楽
しい。私の場合。
ただし、オートバイと同じで、
「楽しいよぉ~」という感覚で
人には勧められない。
なぜならば、どんどん高度な領域
を得ようと突き詰めてやって行く
と、「対戦競技」である以上、
かなりの心理的重圧もものとも
しない元来の資質があるかないか
が自分につきつけられて来るから
だ。

社会的に疲れが多い現代、心身症
に悩む人々も多い。
そうした人たちに息抜きとして
ビリヤードなどは絶対におすすめ
できない。
持って生まれた向こうっ気の強さ
と芯の強さと心の不動性を備えて
いないと、対戦競技の中でのプレッ
シャーに社会的に疲れた人たちは
すぐに潰されるからだ。
症状は悪化する。確実に。

これはビビリのチキンであるとか
そういう事とも異なる。
多くの人を数十年に亘り、撞球
シーンの中で観てきて、確実な
事が判明している。
普段、向こうっ気が強い風でいて
も、対戦局面でシビアになって
自分が不利になると、ある行動を
無意識のうちに取ったり等のパタ
ーン化された態様を見せる人が
多くいる。不必要に欠伸を異様に
多発させたり(意図的)、ソワ
ソワしたり、落ち着きが無くなっ
たり等々、人によって多様な形態
がある。
これは別にチキンではなく、無意
識下の動物的な自己防衛本能が
働いているのだろうと察知できる。
本当の事を言うと、そういう人は
ビリヤードには向いていない。
そして大切な事は、自分が負けた
事、負けそうな局面である事を
自分できちんと認識して受け容れ
る事だ。玉の入れ数やゲームの
勝敗などではない。何に負けそう
なのか、という事を識別する事だ。
受け容れる事ができない心が弱い
人間だと、防衛本能が働いてパタ
ーン化された仕草をし始める。
そしてそれは「言い訳」を無意識
下に探す心理状態と行動となる。
それは「ルーザー」であるのだ。
だが、負けを受け容れる事ができ
る心強き者は、さらに次回は
そうではない自分を目指す事が
できる。
受け容れずに防衛本能のままに
本質を視ずに「目を逸らそう」と
する人間は、いつまで経っても
絶対に「ルーザー」からは抜本的
に抜け出す事はできない。
それでいながら、自分は強いの
だと勘違いして自分を納得させ
て「ある精神位置」からは脱却
できない。
この例、撞球界ではかなり多い。
一般社会でも実に多いのであるが。

何がどうあろうと、徹底的に強固
強烈強靭な独立した自己を確立し
ていて、泰然として状況を突破で
きる心を持っていないと、本当の
ところでは撞球者としてはやって
いけない。
凡庸なそこらのお楽しみレジャー
でビリヤードが終わるのがオチだ。

蛙の面に小便、屁の河童、くらい
の我関せずの者のほうがビリヤー
ドプレーヤーには根源的には向い
ている。
どんなに玉撞きが巧くとも、どん
なに見かけ上のランキングが上位
であろうとも、対戦者が撞く時に
わざと目を逸らしていたり、相手
がまだ台前から退いていないのに
せかすように出て行って自分が撞
こうとしたり、異様な態度でおど
けて見せたりする「トップ」プロ
もいるが、基本的に根幹部分では
ビリヤードには向いていない人的
質性である事は確実だ。
玉撞きがどれほどお上手でも、
そうした資質持ちは撞球師として
は番外の論外なのである。
その種族は撞球界では「ルーザー」
と呼ばれる。試合で勝った負けた
ではない。もっと深い人間性の
部分の問題。

ただ、ビリヤードは、極めようと
せずとも、お楽しみ程度でも玉を
撞く事は可能だが、撞球の中心幹
は「対戦競技」である。
人と人との真剣勝負だ。
撞球に手を染めようとする人は、
人一倍勝気である事だけでなく、
不動心を根っから備えていないと
継続や斯道の深化は無理だろう。
そして、危険だ。
やり始めるのは簡単だが、本質に
触れ始める時、心の病がある場合
には悪化すると思われるし、現実
に多くのそうした事例を見て来た。
数えきれない程の実例を見て来た。

隣りで人が銃で殺されようが、
爆弾が落ちようが、「うるさい。
今この一球は外せないんだ」と
いう程、悪魔に魂を売り渡した
ような者でないと奥義を掴めない、
というような部分が確実にある。
まるで仏法の本質である「親に
逢うては親を殺し、子に逢うて
は子を殺す」というような境地
が、撞球の奥の奥の奥に進めば
進む程要求されてくるのである。
それはあたかも、敵に包囲されて
通常ならば「もはやこれまで」
の状況であるのに、極上の竹を
その時に見つけたから、敵や己
の命の行方などお構いなしで茶
杓を一心不乱に削り始めた戦国
武将で後に広島藩の重臣となっ
た上田宗箇のような、そういう
人的質性が問われてくるのだ。
これ、ほんと。
撞球は人の時間を止める。
だから悪魔の競技と私が言うの
である。

そこまでの深淵領域を洞察する
までもなく、お手軽にビリヤード
をやるのはやめたほうがよい。
しつこいようだが、「対戦競技」
だからだ。
しかも、本当の勝負の中心は
試合というもので勝った負けた
ではないところでの勝負となる。
一人で玉入れだけをやっていて
それがビリヤードだと思ってい
る人たちもいるようだが、そう
したあたりでは、何か自分が気に
入らない事が環境や業界や周囲の
人間に見えたりすると、すぐに
ビリヤードそのものをやめてしま
う人が時々いる。
そのくせ、ビリヤードについて
蘊蓄を語りたがる。
それらは私からすると外(と)の
者であると思える。
そして、精神的に弱すぎる。
そうした人たちは、撞球はやら
ないほうが健康のためにはよい。


キョンたま

2022年08月21日 | open
 


かわいい。