渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

猛禽類

2022年08月25日 | open
 















bard of prey をキューにイン
レイで描きたい。
しかもよくある鷹や鷲ではなく、
シーホークだ。
別名オスプレイ。
気高いハンターだ。



ピースメーカーと表現世界についての雑感

2022年08月25日 | open
コルト・シングル・アクション・
アーミー。通称SAA。
俗称ピースメーカー。
これは手持ちのごくほんの一部。
ピースメーカーは数十丁持って
いるが、ランパントクラシックの
ような超高級品は持っていない。
 
これは、貴重な国本圭一さん本人
のステージガン。
ウエスタン・アームズ製。
よくABS樹脂が割れた頃の製品。


今の時代、明らかに半世紀以上
前の亜鉛合金黒色モデルよりも
プラスティックのほうが金属感
を出せる。


ブルーイングが成功すると、プ
ラスティックなのにまるで鋼鉄
だ。実銃みたい(笑
 
でも、実銃の画像と見比べると、
やはり金属とプラは違うんだよ
なあ。質感が。
かといって、可動式の金属性の
玩具銃を黒色に染めたりメッキ
したりすると銃刀法違反にな
る。
また、非鉄金属製以外の可動式
玩具銃の
ハンドガン本体は違法。
つまり鉄や鋼では作れない(長物
は別)。
そして、亜鉛合金と鋼鉄の色は、
どんなに上手くブルーイングし
ても亜鉛合金は全く鉄色とは厳
密には異なるので、違法である
以前に黒染めの意味が無い。
1971年10月以降の日本国内では、
金属製は黄色(金OK)か白(シルバ
ーメッキ✖️)でないと違法である
し、視覚上の質感を楽しむ
あるならば、プラスティック
現在は圧倒的に視覚的には
優れ
ている。
私などはてんで下手っぺだが、
巧い
人のブルーイングや時代付
けは
どう見ても実銃、という程
に仕上げて来る。匠の技だ。
プラモデルのモデラーもそうだ
が、加工技法に長けた人の作品
は、故鑑賞を主とする目的である
に、ピシャリと鑑賞賞玩に応える。
 
ビリヤードのキューも、ファンシー
キューはそうした美的鑑賞要素が
強くなるが、鑑賞目的だけが主軸
となると、それは本末転倒であり、
そのキューはキューとして死んで
いる。
トイガンの場合は、アクション用
と純観賞用に二分されるのだが、
それは鑑賞目的で仕上げられた
物は純観賞用であるので本末転倒
にはなっていない。非発火モデル
のモデルガンなどはそれにあたる。
だが、ビリヤードのキューは道具
であるので、いくら超絶技巧の
インレイや加工を施そうと作者の
勝手で
はあるが、実用性よりも
鑑賞性
が先立つならば、それは
もはやキュー
とは呼べない。
ここらあたりは、日本刀の在り方
に非常に似通っている。
研いで刃を付けると刃こぼれし
て研げないから、刃先をモノサシ
のように刃引きにしている現代
刀鍛冶もいる。
心得違いも甚だしい。
それは、日本刀の刀鍛冶ではない。
脆い鋼の延べ棒のオブジェを作っ
て鍛冶屋になったつもりの、勘違
い「作家」さんだ。刀工でも刀匠
でもない。
また、その延べ棒は、いくら高額
でも、それは日本刀ではない。
 
作品や製品の中に芸術性を付与さ
せるのは、職人としても才が問わ
れる挑戦的試みになる。
だが、どんなに芸術的な家具を
作ろうとも、座れない椅子、
開かない箪笥、物を置けないテー
ブル等々は、それは単なる作者の
個人的偏愛具現物でしかない。
「使う人」の事など念頭に無い
からだ。人間不在の人間疎外。
それはもはや芸術性をも帯びな
い事にもなる。
それは私的脳内妄想の産物の域を
出ない身勝手な創造物でしかない。
芸術性を帯びる産物の中で、道具
の中にアーティスティックなもの
を表現する場合と、絵画や彫刻と
は大きな違い、存在性の別次元さ
が厳然と実存する。
それを弁えていない作者は、刀剣
に刀剣の命を奪い、キューなどの
道具に対しキューの命を奪う。
そして私的存念のみを発現させて
設えて、それが芸術性を持つとし
たがる。
根本的にお門違いだ。心得違い。
だが、その闇に落ちている人間は
結構多い。
音の鳴らないバイオリンを作る者
がどうしてバイオリン製作の名師
となど呼べようか。
日本刀やキューも全く同じ事だ。
 

第一回全日本チョンマゲ選手権

2022年08月25日 | open



日本を代表するトップ選手による
全日本選手権。素晴らしい(笑



オークション

2022年08月25日 | open

これは私のTAD

オークションで注目しているキュー
があった。
メープルのストレート=プレーン
のキューだ。
メーカーの明記は無かったが、見
てすぐにどこのメーカーのキュー
か判った。
私は似たようなプレーンキューを
何本か持っているので、入札はせ
ずに見守っていた。
そのオークション出品キューは、
フォアとスリーブにびっしりと
バーズアイが出ていた。

注目されなかったようで、入札者
は2名。
しかも競り合った様子もなく、
2名のうち3件の入札で落札され
た。ほんの数千円で。
もし曲がりが無かったならば、
これはとても良い買い物をされ
たと思う。木材がかなり良いか
らだ。
バットさえ曲がっていなければ、
シャフト曲がりはどうにかなる。
ほんとに良い買い物だと思う。

こうした現象は時代により時々
ある。
例えば、今世紀初頭にハイテク
シャフトが大流行した時には、
優れたノーマルソリッドシャフト
が投げ売りのように手に入った。
良質なソリッドシャフトを捨て
てハイテクシャフトに交換する
人が膨大な数に上ったからだ。
店舗などは、交換したソリッド
シャフトを廃棄する訳にもいか
ず、投げ売りのように処分した。
私のようなソリッドシャフト
愛好者にとっては、妙なブーム
のおかげでウハウハだった。
ソリッドシャフトは店舗に行け
ば選びたい放題で、20数本の
在庫シャフトから選んだ最優秀
の1本が1500円という信じ難い
事態が起きていた。

その後、ハイテク化したシャフト
に対する懐疑がプレーヤー全体
に発生し、ソリッドシャフトの
良さが見直されるようにもなっ
てきた。
すると、優秀なソリッドシャフト
一気に10倍〜40倍あたりに
高騰した。中古でも。
物販世界の適正価格とは一体何
あるのかと思う。

よくお宝鑑定番組等で、玩具の
鑑定プロが言う事がある。
それは「人気」だ。
人気があるなしで値段が乱高下
する。
虚構の価格設定の世界が見える。

中古キューの場合、昔の良い物
で時々掘り出し物が出てくる。
そして、その個体の質性ではなく
現行人気に捉われている人たちは
入札をしない。不人気=悪質と
大衆は勘違いしているからだ。
逆を言えば、人気商品=良質と
大きな誤謬に基づいて行動して
いる。

だが、そうした世相状況は是正
などされなくてよい。
物が見える人たちにとっては、
廉価に良質な作品や製品が入手
できる可能性が広がるからだ。
質の良否を見分けられる人たち
は流行商品などには興味がない
し、むしろ好都合なのだ。質性
如何に価値基準を持っており、
人の噂話や物が見えない人たち
の評判とは無関係に自分の鑑識
眼を頼りに物を買うから。

今回の当該オークション出品物
を落札された方は、実に良い買
い物をされたと思う。
曲がっていなければ、戦闘力高
いと思いますよ。

似たケースで、最近吉村さんの
キューが出ているのを見た。
最近といっても、数ヶ月前から
落札されずにずっと出ていた。
TADと作りが全く一緒。
TADコハラさん本人が認めてい
た唯一の日本人ビルダーが吉村
さんだ。
でも、知ってる人しか吉村キュー
の事を知らない。
TADコハラさんも、スペアシャ
フトをコハラさんに頼もうとし
たら、「吉村さんに頼んでね」と
言って来たりした位で。これ、
現実に(笑
で、吉村さんの作ったTADスペ
アシャフトが、「これ、どう考
えてもTADシャフトでしょ?」
というような出来だったりする。
撞き味そのものが。
そんな吉村さんのキューがオー
クションに出ていた。見てすぐ
判る。
でも、TADの紛い物とか、贋物
とか、似せ物と思う人が多かった
のか、理由は分からないが、事実
としては半年近く入札されない。
あ〜あ、とか思って眺めていた。
そうしたら先頃、ようやく落札
された。
競り合わずに(笑
落札した人は超ラッキーだと思う。
TADではないが、パパTADコハラ
さんが唯一認めたキュー職人さん
の作なのだから。
吉村のおっちゃんのキューはです
ね、とても良いです。
撞けば判る。お、なんやこれ?
ええやんけ、と。
ただ、完全にTADと同一ではなく、
シュレーガーの手法を採り入れて
いる一部分もある。

斬釘截鉄(ざんていせってつ)

2022年08月25日 | open



斬釘截鉄(ざんていせってつ)は

禅語である。
二代目小林康宏復活刀(游雲会
プロジェクト)の第一号刀では、
なかごの銘にこの語を切った。
登録銘を見て
「康宏でなくとも
釘くらいは切
れるのに何だこの
銘」と言って
揶揄した者もいる。
無知とは恐ろしいものである。
禅語である斬釘截鉄は、鉄をも
断つ強い意志で困難を克服する、
その信念を曲げずに貫く、とい
う意味だ。
第一号刀の注文主から相談を受
け、私が復活の証にふさわしい
語として提案し、それが採用さ
れた。
だが、禅語も古流剣術の新陰流
も知らない者は、斬釘截鉄の語
自体を揶揄する。
的外しも甚だしい。

さて、「きる」には斬と切という
漢字がある。
漢字辞典を引いて原意を知って
欲しいのだが、斬とは斬り割く
ことで、切とは二つに切り離す
ことを意味する。
切断することを切という。
切腹と斬首では漢字の原意が逆
転してしまっているが、こうし
たことは時々起こる。甲冑も甲
がヨロイで冑がカブトであった
ところ、いつの間にか逆転して
しまった。

では、斬釘截鉄で使われている
「截(せつ)」とはどういう意味
か。
この截(せつ)は、「ズバリと断
ち切る」という意味がある。
未練なくスパッと切り離す事を
意味している。

截(せつ)は禅語であり、仏教用
語なのだが、仏語といっても
フランス語ではない(笑)。
しかし、フランス人に説明する
ならば、さしずめ、フランス語
では、coupe(クゥペ)=切(せつ)、
couper(クゥピィ)=截(せつ)と
なるかも知れない。

浮世の未練を断ち切る時には
「截(せつ)」だろうが、間違っ
て「裁(さい)」としてしまうと、
うまくより分けるという意味に
なるので、世の中を上手に泳ぐ
事のようにも思える。
なんだか、「截(せつ)」とは
違って俗っぽい(笑
 
なお、新陰流の上掲の伝書は
実は日本語の漢字使用法として
一級の史料ともなる事を認識し
ていない人たちも多いのではな
かろうか。
それは「鉄」の文字を既に江戸
初期には用いていた、という事
実をこの伝書は示しているから
だ。
原字の「鐡」ではなく「鉄」。
なぜ「金+失」になったのか。
これは単に日本の和製漢字とい
うだけでなく、鐡そのものの
歴史的な質性変化と連動してい
るのではなかろうか。
なぜ、「かねは王なり」から
鉄(てつ)という「かね(てつの事)
を失う」という文字が充てられ
たのか。
 
日本の製鉄では、日本刀が慶長
以前と以降で古刀と新刀と分け
られて識別されるように、鉄自
体の質性がある時点から全く
異なる現実がある。
これは江戸幕藩体制に入ってから
暫く経ってからも、その鉄の質
の低下に悩んだ刀鍛冶たちは、
なんとかかつての良質な鋼を
作ろうといろいろ試みている事
実がある。
長曾祢三之丞(別字で「みのすけ」
か)などは、甲冑師から刀工に齢
五十にして転じてから、虎徹と
銘して古刀再現に残りの半生を
傾注した。
最初は古鐡と名乗っていた。
古い時代の鐡を再現する事を
求めたのだった。
理由は一つ。高殿たたらで量産
された新鋼は脆いからだ。
この事は、荒木又右衛門が決闘
の際に大刀が欠損した事を指し
て、当時の武士たちが皆「新刃
(あらみ)など持つからだ」と批
判した事にも見て取れる。
いわゆる新刀は脆いというのは
当時常識として定着していたの
である。
戦国時代の戦場刀とはまるで
質性が異なる、折れ欠け易い
鉄しか材料として入手できな
い世の中に変質してしまって
いた事を示している。
試行錯誤した虎徹興里は、かな
り強靭な利刀を作る事に成功し
た。努力の人だ。
研究者であるゆえ、一作一作が
全て実験刀のような様相を呈し
ていたのが興里の刀だった。
なので、出来不出来が激しい。
だが、虎徹の刀は当時の当代で
随一どころか、何百年後までも
歴史に名を止める利剣となった。
 
この新陰流の「鉄」という文字
の使用の件について言及してい
る日本刀研究者や古代製鉄研究
者を見た事がない。
また、武術研究者も言及せる人
は経眼した事は無い。
かなりの有力な歴史史料となると
思えるのだが。
言語学的な国語史からも。

見抜き

2022年08月25日 | open


全くこの通りでしょうね。
というか、100%全てにおいて私と
同じ見解。
刀友の医師が紹介してくれた動画。
初めて知った。

被弾状況見れば、判る奴には即
かる。
そして、この先もまず絶対に銃弾
は出てこない。
出て来ないのには理由があるから。
最初から言ってるこってす。
岸田に関しても、マスコミの変転
についても、全て私と同意見。

「意見」ではないんですよね。
事実から見た所見なんです。
厳密には所見ですらない。
真実の指摘そのものでしょうね。