渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

兵庫県警の失態

2022年08月17日 | open





こりゃ困ったもんだ。
でも、3年前の女性警察官のように
トイレに拳銃忘れて来たとかじゃ
ないからまだいいよ。
よくもないけど。
でも、拳銃はやばいでしょ。
「ポールマッカートニー特別捜査
係長の菊池」のアキヤマ先輩じゃ
ないんだからさあ。頼むよ。
アキヤマ先輩は居酒屋に拳銃忘れ
て来た。
時々、拳銃どこかに忘れて来る警
官がホントにリアル世界でいる。
三原警察署員みたいに交番で拳銃
自殺というのも困りものだけどさ。

盗まれた捜査資料は、重要案件で
はない事を祈るが、400名の氏名
てのは、ちとあれだね、少なくは
ないね。
犯罪に使われなければよいが。
無許可で警察捜査資料持ち出しと
いうのは、まあ、まず懲戒かな。
下手すりゃ懲戒免職で、出る前に
依願退職扱いかも。
ただでは済まないだろうと思われ。
そんな警部の処分はどうでもいい
が、盗まれた資料が悪用されて
犯罪に使われない事だけを祈る。

なんてのか、兵庫県警さんは何か
といろいろ多い。
なぜざましょ。
しっかり、お願いしまぁ〜す。

入れて出す

2022年08月17日 | open



「配置がやばいですね」
「これぁ良くないねぇ」
「良くないです」

配置が良くない時も的玉を入れて

手玉を出す。それのみ。

ただし、このマスは割れなかった。
2番(3個目)、3番(4個目)、
5番(5個目)と落としたが、5番
からの6番への出しを失敗し、9
ごと裏から6を蹴ってしまった。

結果、6番を次に外して飛ばし。
9番は私が入れたが、ここは難球
配置でもマスワリは普通
出し
たかったところ。

ブレイクから5個落としたのみで
6球目でミス。
6球目の玉飛ばしは、その前の
玉を入れての次へのアプローチ
が悪いから。

ただ、このラックの最重要ポイント
の取り出しの2番はうまくいった
シュート&手玉出しなので、出だし
の端緒は良かった。
なぜ6番を失敗したかというと、

5番でクッション長・長とバタバタ
で出せばよいのにコントロール
ドローをしようとしたため。
動かしミスというよりも、構想の
ミス。

5番を左下コーナーに入れた後に
この画像で今2番が写っている
位置に手玉を持って行けばマス
ワリだった。


おかめ納豆

2022年08月17日 | open


おかめ納豆はなぜかくもうまい
のか。
謎。


ドラマ『ウエストワールド』

2022年08月17日 | open


結構、面白い。
話はエンドレスでめちゃくちゃ
長いけど。


西部劇の定番 ~銃の仕様の表現~

2022年08月17日 | open



銃のフロントサイトカットは
それを持つ者の質性の表現だ。
それは『シェーン』(1953)が
初見かも知れない。
ハリウッドウエスタンでもマカ
ロニでも多くの西部劇でサイト
削り落としの銃が出て来る。
また、現代劇でも。
質性表現としては「ならず者」
「拳銃遣い」等の意味を持つ。
「練達者」の意味もある。
銃の場合は、クイックドロウで
サイトなど使わずに高速度で
抜き撃つ為にフロントサイトを
除去する。抜いて構えてゆっくり
狙い定めてオリンピック競技の
ように撃つのではなく、抜きざま
に撃つのだ。
これは抜刀術の抜刀斬撃と全く
同じ。抜いて構えて止まって、
それからエイ!やズドンではない。

実際の使用法の中身としては、
サイトや目盛りは使わない方法。
ビリヤードでの玉撞きや日本
弓術での狙い方、手裏剣打ち、
印地打ち、抜刀斬撃等と同じだ。
また、野球の投球とも同じ。
何かの器械的な目印などは使わ
ない。身体能力を高める事で
「命中」を実現させる。
目盛りや目印に頼らず、ピシャリ
と的を射貫くように持って行く。




教育支援活動 ~ビリヤード用品ニューアート~

2022年08月17日 | open



千葉県のビリヤード用品業者の
ニューアートさんが実行している
この教育支援活動は、とても素晴
らしいと思います。
日本全国の中学高校に撞球部が

誕生すれば最高。

教育機関様向け 無償ビリヤード台導入支援 |
ビリヤードの専門店【ニューアート Billiards】

 


初めて買ったキューがTAD ~土方隼斗プロ~

2022年08月17日 | open

トッププロは今までどんな
ビリヤードキューを使って

きたのか⁉︎【初公開】


土方隼斗プロが初めて自分で
買ったキュー
がTADとは、なか
なかイケてる。

小6の時のエフレンさんのサイン
入り(笑)。
いいね~。少年大志を抱いた。


ただ、TADには世間では誤解され

ている真実がある。誤解というか
知られていないような案件。

それは完成時のTADは結構シャフト
思ったより太いんだよ~ん。シュ
レーガーと
全く同じで。
要するに日本の和式刃物が出荷時
には刃付けをしていなかったよう
に、「自分で自分のセッティング
を出してちょ」という仕様なの。
そんでもって、日本人なんてのは、
これでもかって程に削りまくった。
その結果、中古のTADはシャフト
が「ええっ?」という程細すぎる
個体が多い訳。特に日本に数ある
TADの個体の場合。

初期出荷からスペアシャフト側
に手を加えていないTADだと、
その歴史事実がよく判る。
テーパーはAテーパーとプロテー
パーがあるが、日本人の場合は
プロテーパーのほうがキューが
切れると勘違いしていたフシが
強くあって、とにかく削りまく
っていた。
私が80年代に知り合いから買い
受けたプレーンステインのTAD
なんて、シャフト細すぎでしょ
これ、という程に細くされてい
た。
「ん。売るよ」と私に言ってる
その時そのものでも前の持ち主
はスポンジタワシでシャフト
シャリシャリ上下に削りながら
言ってたし。
私から言わせたら削り過ぎだっ
つーの。
オリジナルのTADのシャフトは
結構しっかりしている。
これはその8年後にTADさんに
個人発注したTADカップの主催者
の方の
TADを縁あって製作1年後
あたりで巡り巡って4人目のオー
ナーとして買い受けた時に
も確認
できた。元世界チャンピオンの
ジョー・バルシスがチャンピオン
取った時に使っていたTADの復活
モデルのパパTADのキュー。


面白かったのがアダムのGBシリー
ズで、これはバラブシュカの遺族
にアダムが名称使用の許可を取っ
てロイヤリティ契約して製作した
短期シリーズで、バラブシュカの
デザインをそのまま再現したモデ
ルだった。(現在廃番)
バラブシュカ本物は何十年も撞き
込まれてこなれた最適材料のブラ
ンクとシャフトを使ったコンバー
ジョンだったから、他の新品キュー
などは全く足元にも寄せ付けない
性能を有していた。
だからハギやデザインだけを真似
しても全くバラブシュカとは中身
は似て
も似つかない。これはガス・
ザン
ボであろうと、誰であろうと。
で、アダムのGB(ジョージ・バラ
ブシュカ)シリーズが面白いと
言うのは、私が買った個体の
シャフトがびっしりと虎目が
出たハードメイプルで、しかも
「これ、このままではプレーに
使えません」という程に太かった
のです。TADの出荷時よりも遥か
に。シュレーガーなみに太かった。
ようするにマスプロ会社の製品
なのに「自分で好きなテーパー
に削ってちょ」シリーズだった
訳。

これはとても所有し甲斐があり
ました。
シャフト自分で削って狙った
テーパーにしたもの。日本玉台
中国産業の作業室で。
先角もLBM(リネンベースメラ
ミン)に交換し
たらもう大変。
撞球音がキーン!キーン!と
甲子園の夏の大会の打球音だ。
これ、ハウストーナメントでも
周りの人たち笑ってた。
「なに?そのキュー」と。
で、さらに初期削りから後は
時間をかけて締る見越しも入れ
て予測値でテーパーを出して
行った。
それが一つの私の中でのテスト
ピースになったけど、撞球性能
は頗る良かった。
とにかくズレずに玉が入って、
自在に手玉を出せる。
キューとはこうあるべし、みた
いな性能になった。
アダムさんありがとう、という
感慨深いものがあった。
アダムのシャフトは時々アタリ
木材がある。時々どころか結構
ある。
これは三木さんよりも確実に
ある。不思議なもので。
ハイテクシャフトは三木さんが

一歩リードしているかな。
ノーマルソリッドスタンダード
シャフトではアダムの材料は
結構良かった。20年程前までは。

マスプロ製品は金太郎飴が多い
中、あの21世紀初頭にアダムが
実行したまるでブランクのよう
な極太シャフトでの出荷は、
とてもよい企画だったと思う。
もしかすると日玉専用の箱出し
卸品だったかも知れないが。
私の個体だけが特別ラインの。
テーパーつけたら撞球性能抜群
だったのでホント良い買い物
でした。

天然木で出来た製品はとても
面白い。
なにより、夢がある。
木には夢がある。
未来を感じさせる希望が広がる。
なぜなら、製品化されたあとで

あっても、木というのは「育つ」
から。ぐずったり、素直になった
りしながらも生きている。死んだ

物体ではない。
一緒に年月を過ごすと、ああ、

こいつも俺も、共に「生きている」
のだなぁと感じさせる。
そこが無機質な化学製品物体とは
全く質性が異なる。根本から異なる。
木製品がやはり良い。


TAD紹介の時、土方選手は小学校
6年生の時の顔に戻っている。
いいね、やっぱり、こういうの。



枇杷(びわ)の木

2022年08月17日 | open
 


明治・大正・昭和の戦後直後
あたりまで。
日本ではビリヤードのキューは
枇杷の木で作られた。黒檀も
たま
に使われた。
戦後高度経済成長時代以降は、
アメリカの影響で、メープルが
主要材料となった。
時々国内でまれに見かける黒
ずん
だダンボール色のビン
テージキュー
は、あれは多分
枇杷製だろう。


 

商業主義に流される事

2022年08月17日 | open
 
 
好みは人それぞれだ。
だが、私は資本の量販計画にまんま
と乗せられて、こんな物を使う
のは
まっぴら御免なのだ。
こんな物を使うくらいなら、玉撞き
などやめる。
この物体は、全てのカスタムキュー
ビルダーを死滅に追いやる存在だ。
 
仮にこれがハイテクシャフトが
そうだったように飽和状態になっ
たら、次なる物を出して来て、ま
た「大衆」を洗脳しての販売戦略
を大展開するだろう。
予想するに、次はグラファイト製
あたりか。
さらには、新開発!ビリヤード
シューズ!とかパンツとかシャツ
とか専用下着とか発売されるの
ではなかろうか。
 
馬鹿馬鹿しくて話にならない。
すべて商業資本の洗脳による作為
的作出ブームなのに。
ビリヤードは、アメリカンプール
の場合、1980年代末期で一応究極
の完成形をみた。
その後の大革新はジャンプキュー
が認可された程度だ。
ジャンプキュー認可まではシャフト
のみで手玉単独ジャンプや、ノー
マルキューのままグランドマッセ
スタイルで玉1個幅を手玉単独で
ポンポン飛び越えさせていた。
私もマッセスタイルでのジャンプ
はよく使った。シャフトとバット
繋いだ状態では、アダムより
ダーチのキューが手玉がよく
飛んだ。
ショーンやTADはシャフトがしな
り過ぎて全く飛ばなかった。
(私の80年代に所有のTAD)
シャフトだけでのジャンプがあまり
に飛ぶので試合では禁止された。
そして、キューの長さ制限が導入
された。何インチ以上ないとダメ、
というように。
 
プールは1980年代末期に技法の
完成形を成していた。
それは確たる不朽性と普遍性を有
している。
これは、シャフトがどうであると
は関係ない。
現代の最新シャフトだから玉が入
る訳ではない。
だが、ゴルフクラブの毎年の新型
発売で「さらに飛ぶ」とかと同じ
販売戦略に騙されている人間が
あまりにも多すぎ。
特に日本人。
世界を支配する国際ダイヤモンド
コングロマリットにやすやすと
洗脳される筈だ。
 

バラブシュカ

2022年08月17日 | open




20年ほど前の事だ。
そこそこ玉が撞ける人から尋ねら
れた。
「キューは何が一番好きですか」
と。
バラブシュカ、と答えた。
すると「何すか?それ」と言う。
バラブシュカ知らないんだ、と
思ったが、だったら何を訊き
ったのだろうと思った。
そして続けて次弾が来た。
「それ、ハイテクシャフトより
いいんすか?」
面倒なので「さあ」と答えて
おいた。

次に会った時、言われた。
「調べましたよ~。バラブシュカ
ってアダムで売ってるやつですね。
6万位で買えるじゃないですか」

悪いけど、返事はしなかった。
一切。
どうせ、フライマンに対して本当
にやってる本物
ならミチイトと
ハリス
の結び方の動画をアップ
してみろよ
言ってるよう
助からない根本的トンチキ

同種同類同族だからだ。
論外。
トンチキは頓珍漢より始末悪い。
放置が最適。


「バラブシュカ」として使われたJossキュー

2022年08月17日 | open













1985年に撮影された『ハスラー2』
(原題:the Color of Money)
の中でバラブシュカとして使われた
のは、ダン・ジェーンズが作った
Jossキューだ。
製品ナンバーはModel 18。日本国
内販売価格は古い雑誌を確認した
ら、1988年時点で237,000円だった。
87年に目黒自由が丘のアルファさん

に買いに行ったら、同型番は人気
過ぎて在庫切れ、との事だった。
他のJossを何本も握らせてもらっ
たが、どうもシックリこなかった
ので別型番はその時は買わなかっ
た。
ちなみに、リチャード・ブラック
のブシュカモデルは日本国内定価
が570,000円だった。
私の3本目のプール用のキューが
ブシュカだ
った。
1988年のアトランタシティでの
大きな大会でマイク・シーゲルが
使っていたJossは3,000ドルで、
アナウンサーがとても高額だという
ような事を言っていた。米国内で
も3,000ドルは高いほうだったの
だろう。
シーゲルのそのモデルの日本国内
価格は70万円程だった。何かと
日本国内販売では乗せられていた。

ちなみに、ブシュカモデルは米国
内でリチャードに直に製作依頼し
たら、当時は18万円台で製作可能
だった。ツテがあれば。

バラブシュカ(Joss)をトム・ク
ルーズ演じるビンセントにあげた
エディ(ポール・ニューマン)だ
ったが、映画では物語の後半に
25年ぶりに勝負玉を撞きたくなっ
たエディが、黒人ハスラーにカモ
られてしまう。
そこでビンセントと恋人のカーメン
たちとはお別れになる。
エディが落胆して、一方的に弟子
の修行旅の打ち切りを宣告したか
らだ。




ビンセントはエディに何度もすがる
が、
エディは冷たく突き放す。
ビンセントは最後には金もいらない
と突っ返し、バラブシュカにキスを
してからヒステリックに蹴っ飛ばし
て捨てる。


ぞっこんだったエディから貰った
宝物のようにしていたバラブシュ
だったのに。






しかし、それにしても物語の流れ
変えたのはこの一人の黒人デブ
ハス
ラーだった。


実はエディが亀仙人のような旧友
と酒を飲んで懐かしがりながら
玉撞きに興じている時から、この
デブハスラーはエディ
に目を着け
て後ろのほうの台で
一人撞きして
いた。

そして、エディがショックだった
のは、10数万円の賭け玉で負けた
事ではなく、この黒人デブが最初
から「1960年にNYでミネソタファ
ッツとの世紀の大勝負をした伝説
のエディ・フェルソン」である事
を見抜いていながらハッスルをし
かけられた事を知ったからだった。
それはこのデブハスラーの一言で
最後のトドメをエディは刺された
のである。
原語では「俺はもっと痩せたほう
いいと思うかい?」と言ってい
る。

ファッツ=デブと対戦したエディ
だと知ってて勝負してハッスルの
騙しでお前をハメで勝ったんだぞ、
と暗に
言っているのである。

これによってエディ・フェルソンは
計り知れないショックを受ける。
かつて25年前にキューを置いた
己が、弟子が塩梅よく裏筋勝負の
駆け引きを覚えて来たからと我を
忘れてキューを握り、そして、あ
ろうことか自分の過去を知ってい
るハスラーにまんまと騙されて
カモ
られてしまった。
「撞球師として大切な事は見抜
目だ」と弟子に教えていたの
に、
そう言っていた自分が見抜け
かった。
真実の姿が見られない見抜けない
ボンクラは世の中にはゴマンと
いるが、撞球者はそうではいけ
ない、とエディは指導していた。
だが、自分自身が真実を見抜け
なかった事に愕然となった。


それゆえ、弟子との旅を即中止に
し、自分自身がプレーヤーとして
復活する自己修行を重ねる事を
決意するのだった。


だが、エディは最終目標の全米
オープンのアトランタシティで
のナインボールクラシックで、
弟子のビンセントとの準々決勝
試合で、公式戦なのに騙しのハッ
スルをやられてしまう。
優勝候補のエディは、準決勝で
試合途中に棄権する。
自分にわざと負けたビンセント
の行為が赦せないからだ。
ビンセントはそれで外馬の賭けを
密かに張っていて、それで儲けた
8000ドルをエディに届けた。
あんたに教わった通りにやって
儲けたよ、と。次は俺に賭けろ
よ、負けないから、と。
ビンセントは大切な事は学ばず、
ハッスルのカスぶりだけを学ん
でいたのだった。最後の最後まで。

50,000ドルの優勝賞金のかかった
大きな大会をエディは準決勝で
棄権した。ビンセントと本当の
勝負をするためだ。






そしてエディは、ゼニカネでは
ない
真の復活をかけて勝負を挑
むのだ
った。
ビンセントとの勝負は金ではない。

金が欲しければ、大会で優勝し
て5万ドル(11,926,500円)を
目指す。
だが、そんなもんは放棄した。
ビンセントの勝負でも「何を
賭ける」とビンセントから
問われて「これでも賭けよう」
とビンセントが持ってきた8千
ドル(190万円)を投げるよう
に示す。
もはや銭金は額面がいくらだ
ろうと関係ない。
金を賭ける事に意味は無い。
そういう勝負をしようとして
いたエディは、すでに25年前
に大切な事に目覚めたエディ
に復活していたのだ。
だからこそラストシーンの
「俺は戻っている」という台詞
で繰り出すワンショット(撞球
の撞き出しという意味とカメラ
のショットの両方の意味で)が
最高に活きてくるし、それが
この映画のテーマの根幹だった。
日本語字幕では「カムバックだ」
などという頓珍漢な翻訳字幕に
なっている。
何度うちのめされても何度も
立ち上がって挑戦する、と
ラスト前にエディは口にして
いる。
そして "I'm back!" なのだ。
”I'll be back” でも、”I came back”
でもないのである。私は戻って
きた、なのである。
何に?
それは、真実を見つめる事を
サラに教えられた時のエディ
に。
映画『the Color of Money』は
映画『THE USTLER』の正統な
続編なのである。
ポール・ニューマンの『ハス

ラー2』での演技は素晴らしく、
確かにアカデミー
賞に輝く演技
だった。

この『ハスラー2』は25年前の
前作と比べると陽気で軽快な
面が多いが、実はかなり真剣
なテーマの作品で味わい深い。 

ちなみに、この映画作品の撮影で
使われたバラブシュカ(Joss)の
入ったエディのキューケースの
個体実物が
日本のネットオーク
ションで出品され
ていた事があっ
た。


贋物じゃないのかなぁと思って

革部分のしわや染みを精査したが、
どう見ても正真本物に見えた。
ポール・ニューマンとトム・クル
ーズのサインが外に書かれていた。
落札価格は10万円にも満たなかっ
た。
今、日本国内で誰かが所有してい
るのだろう。

こういうことって時々あるようだ。
エディ・ローソンがAMAで乗って
いたレーシングマシンのカワサキ
そのものの個体を購入した女の子
がそれに乗って新宿の我が家に
遊びに来た事もあった。95年時点
で350万円程だったようだ。Tマシ
ン含めて4台ほどチームでは持っ
ていたようだ。日本仕様の公道用
改造費やシッピング等なんだかん
だでそれにさらにプラスでかなり
の費用がかかったようだったが。
大手家電製品販売店の社長の御令
嬢だった。国内のレースも主宰す
る筋の関係者
だったので入手でき
たのかも知れ
ない。普段四輪は
GTRに乗っていた。一緒に池袋の
ロサに玉撞きに行った
事もあった。
モデル級美人だったが、私とは

ガチ喧嘩をよくしたので、私の
妻と向こうの亭主がいつも止めに
入ったりしていた。難関大学の
法学部出のインテリだった。
自分に真っすぐな人でした。東北
某大藩の家老の直系。モデル体型
と顔なのに人の中身は男の武士み

たいだった。じゃじゃ馬姫だな、
あれは(笑)。

エディつながりの実話エピソード
として。エディ違いだが。

私は『ハスラー2』撮影時のポール・
ニューマンの歳を二つも超えてし
まった。
映画の中ではファッツとの勝負の
時にエディ25歳の役なので1985年
の『ハスラー2』ではエディは50歳
の役。50歳にしてはポールの演出
は老け過ぎだ。実際のポール自身
は1985年撮影時で60歳である。