
と言った。
昔、品川・目黒エリア限定の
ローカルゲームで「プール・
キャロム」というのを時々
やった。
手玉は白手玉と黄色1番を対戦
者それぞれの手玉とする。
的玉は赤3番、赤白11番、そし
て相手の手玉が自分の回の的玉
となる。
これはポケット台を使った
四ツ玉ゲームだ。
我々は「プール・キャロム」と
呼んでいた。
ごくごく東京山手線外側7時~
8時のエリアでのローカルな
ゲーム。
今存在する台湾式カイルンの
ような複雑なものではなく、
どの玉に当てても1点とする。
的玉がポケットされてしまった
らフットスポットにアップす
る。フットを別な玉が塞いで
いる時にはセンターに。
手玉がスクラッチした場合は
手玉をヘッドスポットに置く。
3個あるいは4個同時にポケット
してしまった場合には最初の
配置に戻してオープニング・
ブレイクとなる。
ポケットインはファールとは
ならない。
これで持ち点100点とか75点、
あるいは50点のショート戦を
何セットかのセットマッチで
対戦する。
滅茶苦茶おもしろいゲームだ。
スリークッション30点持ち点の
先輩とかは50点などは撞き抜い
てしまっていた。サイドポケット
をまるでボークラインのように
かわしたりしてレールナースの
セリー玉をやりながら。
このゲーム、四つ玉的にも、
またポケット・ビリヤードの
手玉動かしの練習としても大変
面白い。
このゲームを杉並の某店でも
四ツ玉撞球師のマスターとや
ろうと持ち掛けたら、すごい
の出して来た。
ポケット台のポケットにはめ
込んでキャロム台にしてしま
うジグを出して来たのだ。
手製ではなく、何だかメーカー
で売られている物らしい。
木枠とゴムクッションにラシャ
が巻き張られていて、大きな
ネジを締めてテーブルのポケ
ットにぴったりと合わせて隅角
もきっちり出るスグレモノの
アタッチメントだった。
そして、その店ではポケット用
ボールで代用ではなく、四ツ玉
ボールを使った。
まあ、いうなれば、本物の四ツ
玉になっちゃった訳。
参った。マスター250点撞き抜
いちゃう(笑)。
私はずっとカウントしている
だけ(笑)。
四ツ玉上級者と相撞きすると
そんなもんだ。
ポケット・ビリヤードが1987年
から大流行したのは、キャロム
の四ツ玉よりも自分が撞く番
が回って来るターンが多いから
というものあると思いますよ(笑)。
スリークッションでは回って
来るけれど、四ツ玉だきゃあ、
上級者と撞くとほんと回って
来ないから。ポケットならば、
20連続マスワリみたいなのを
キャロム上級者はワンキュー
撞き抜きでやってしまう。
こちらはず~っと椅子に座って
カウントを声出して読んであげ
るだけ。
それなのに1時間いくらの料金
がかかる。
こりはですね、はやりません(笑)。
おかげさんで、私なんてカウ
ントの声出し読みが上手くなっ
ちゃったよ(笑)。
あれ、高い声で響くように
明瞭に大きな声でカウント
読みするのよね。強弱付けて。
10点20点等の区切りの時は殊
更にはっきりと大きな高い通
る声でコールする。低い声は
駄目。アジテーションや営業
での声掛けと同じで、低い声
は駄目。これ声出し呼びかけ
の人間界の鉄則。
そして「スリーモア・・・」
となってゲーム(=終了)の
コール。
もうね、ぜ~んぶ最後のコール
を読むのはわたくしでした(笑)。
節回しもあるのよ。
例えば、2点の時は通常は「ふ
たつ」と言うのだけど、平坦
に静かな声で「ふたつ」とは
言わない。「ふたーっつ!」
というような節回し。
あるいは2点を「ふたつ」では
なく「にてん」と言う時もあ
るけど、それも平坦には言わ
ない。「ぬぃーてんっ!」
というような言い方で言う。
これ、日本のキャロム界の
セオリーです。
引っ込み思案や引きこもりの
人はキャロムビリヤードは
できない。
相手が撞く時には大きなはっ
きりした通る声でカウント
するのが礼儀なのだから。
あれに似てます。剣道とか
抜刀術での道場で正座して
並んで最後の「礼」の時に。
号令を出す人(大抵は師範代)
は「れい」と平坦には言わず
「ぅれいっっ!」と響く通る
声でまるで打ち込みの時の
発声のような歯切れの良い声
の調子で号令をかける。それ
と同じ。
独特の言い回しの節が日本の
キャロムのカウントコールに
はある。ピリッとしている声。
ほげほげとして「にてーん」
「さんてーん」とか空気が抜け
たように言ってたら多分叱ら
れる。ビシッとカウントしろ、
と。
キャロムビリヤードの基本は
まず声出しから(笑)。
営業トークのロープレ訓練み
たいなもんだ(笑)。
ポケット・ビリヤードの標準
穴幅は玉2.2個(かつては2.4個)
なのだそうだ。
そして、トーナメント・エディ
ションと呼ばれる穴を絞った
台が玉2個分の穴幅。
それで大会が行なわれる。
温泉ピンポンのような素人観光
地ビリヤードではないのだから、
選手が向かう台は最低でも1.7~
1.8幅にしたほうが真の実力対決
が見られてエキサイティングだ。
US公式メジャー大会がとても
シビアな台のように。
シュートの帝王マイク・シーゲル
は1988年に日本の大会に来日した
時に、「穴が広すぎる。私はUS
の渋い台で5連続6連続ランナウト
を出すが、この日本の台では広
すぎて実力差が現れない」と苦言
を呈していた。
日本はその頃は公式戦もノーマル
の2.4~2.2玉幅台で開催していた
からだ。いわゆるガバガバ。
レール際は玉が2ポイントクッシ
ョンに入ってもポケットしてし
まう素人向けのようなポケット
テーブルだった。
公式戦でも、プロ試験も、何も
かもそんな台だった。
1.6~1.7あたりに穴を絞った台は、
裏筋玉界の人向けの玉屋の華台
に限られていた。ごっついモノ
が動く勝負用だ。
ポケット・ビリヤードを1.6玉
幅穴台で覚えた私は思う。
ポッケの幅は狭い方が良い、と。
それは種目としての実力が向上
するから。
1.8穴幅台が「標準」となれば
いいのにと思う。
スヌーカーやチャイニーズエイト
のような厳しい設定にプールも
したほうがスッキリする、と。
私のかつてのホームの1.6穴台は、
あれはとても厳しい台だった。
スレートの穴奥も深いし。
ポケット・ビリヤードを始めて
毎日撞いて、その台でナインボ
ールのマスワリが出るまで一ヶ月
かかった。
集中し過ぎていて、ブレイク&
ランナウトした時に自分で気づ
かず、プレーを凝視していたSA
の先輩と店主から「おめでとう!」
と言われた。そこで「え?」と
なった。
上級者でも難しい台なので、そ
の台で初マスワリが出たら瓶の
コーラ1本を店がマスワリ達成
者にその場でプレゼントしてく
れるという店ルールだった。
私はキリンの大瓶が店に常に
売るほど(笑)置いてあるのが
嬉しかった。
飲むときは麒麟麦酒を大瓶6本
位一晩でそこで飲んでた。
ポケット台は1台のみ。
マスターはスリークッション
選手。店にはもう1台、スリー
の台があった。スリーもポッケ
も台は手入れ抜群だ。
バラックのような古びた建物
の2階だったが、落ち着ける店
だった。通いは毎日だよ、毎
日(笑)。
品川区武蔵小山の店。そこが
ホームだった。
1980年代中期の事だ。
東京の老舗なので、当時のミニ
コミ専門雑誌『ピカソ』(のち
に『ポケット・ハウス』)にも
広告が載っていた店。
「ピカソ」は国内専門誌『ビリ
ヤードマガジン』より以前に創
刊されていた国内初のビリヤー
ド(ポケット)専門誌だった。
私は毎号取っていた。
掲載記事は非常に内容が濃かった。
特に1987年のビリヤードブーム
到来以前の号では。
今まで食べたありとあらゆる
ラーメンの中で一番うまかった
のは、1980年5月初旬に某所で
食べた屋台ラーメンだった。
大学の後輩と二人で食べた。
私も後輩も感動しまくりで、
「なんだこれ?」となった。
あまりにウマイうまいと言い
ながら食べていたら、オヤジ
さんが「そうかえ。そんなに
うまいかい。タマゴ食えよ、
タマゴ」と言いながらゆで
たまごをごちそうしてくれた。
「もっと食いな」と言って
2個目もすすめてくれた。
まじもんでとてつもなくうま
かった。
東京の屋台ラーメンはどこも
一様に一定以上のウマさを持
っていたのだが、あの屋台は
とびきりだった。
(新橋駅前SL横に毎晩出る
おばちゃんの屋台ラーメンも
結構いけた。ちょい有名な屋台)
その後、何度もあのオヤジさん
のその屋台が出ている時には
そこで食べた。
屋台のラーメンの味が美味く
は無いという人の言は、どぎ
つい系の新店(1980年代後半
から登場して~系と称して
増殖)の味がウマイとか感じる
舌になったから言うのだろう。
尾道ラーメンなどは東京屋台
ラーメンに非常に近いが、今
の時代でも人気がある。
屋台ラーメンも本当に美味い
店はうまい。
屋台といえば、屋台のおでん
屋で、こちらも学生の時から
社会人になっても愛用した。
だが、今の時代、屋台は激減
だ。
なぜならば、「疑似民主主義
的法治国家という緩いファシ
ズム国家」に日本がなりつつ
あるからだ。