
横浜の戸塚区に横浜ドリーム
ランドという大人気の遊園地
があった。
日本にディズニーランドができ
る前で、ディズニーランドをイ
メージした大遊園地だった。
人気も高く、アクションテレビ
ドラマのロケ地としても多く使
われた。
横浜の小学校時代によく遊びに
行った。
生まれて初めてのボウリングは
ここのドリームボウルでだ。
大ドーナツプールは冬場はスケ
ートリンクになったので、冬の
間ずっと滑りっぱなしだった。
毎日のように。

で、ドリームランドには東洋一
の観覧車があった。

これはとんでもなく大きかった。

これはとんでもなく大きかった。
国内一=東洋一だ。

誰がこんな構造考えやがった!

誰がこんな構造考えやがった!
てな構造。
ゴンドラは外周ゴンドラと中の
ゴンドラがある。
中のゴンドラはひょうたん形の
レールに吊られている。


それがですね、観覧車が回転する
と角度が変わって、中ゴンドラは
「ギッ、ギッ、グゴ、ゴ、ゴゴゴ、
ゴワーッ!」という音と共に大滑
走するんです。
これね、かなり恐ろしい。
ひょうたんレールの中をブランコ
のように左右に揺れ回るのだから。
今でいう絶叫マシンで、観覧車の
そばに行くと中ゴンドラに乗った
客の絶叫が聞こえた。
何度か乗ったけど、何度乗っても
恐ろしい。
部品破損したらどうすんだろう、
と(笑
幸い観覧車事故は無かったよう
だが、あのドリームランド観覧
車の中ゴンドラは、設計した人、
発想が奇抜過ぎる。
他の絶叫マシンはその後多く乗
ったけど、今までで一番怖いの
がドリームランド観覧車の中ゴ
ンドラだ。
崖から車落ちるような感じ。
しかも、レールを滑り出す時に
音がする。ゴ、ゴゴ、ギィー、
ゴゴゴゴと。
ありゃあかんやつ(笑
横浜ドリームランドは、現在は
横浜薬科大学のキャンパスにな
っています。
東京ディズニーランドができて
から来場者が毎年激減して、つ
いに閉鎖。
国電大船駅から最新モノレール
で直通便があったけど、モノレ
ールは開業して即ブレーキ不具
合で廃線になった。
一度、ランドの外運動場の端っ
こで基地作って友だちと遊んで
たら、ランドから逃げ出した馬
が2頭爆走した事があって、あ
れは我々は焦って避難して逃げ
た。
こで基地作って友だちと遊んで
たら、ランドから逃げ出した馬
が2頭爆走した事があって、あ
れは我々は焦って避難して逃げ
た。
でっかい電線巻きの木製ボビン
の上に乗って避難。
の上に乗って避難。
運動場をオーバルに何周も競馬
馬のように2頭で走り回ってた。
暫く走ったら気が済んだのか、
ゆっくりと厩舎に帰って行った。
あれは焦ったぜー。
すぐ横を疾走したのだから。
1970年の秋の事ですね、それ。
肥後守でロープ切ったりして何
かやってた。
かやってた。
肥後守持ってない奴は、コーラ
の瓶を上手いこと割ってガラス
ナイフを作って使ってた。
『二十世紀少年』は私の1-2学年
上の子どもたちが主人公たちだ
が、あの作品でも出て来たよう
に「基地」を作るのは当時の小
学生たちの定番だった。
学生たちの定番だった。
特に郊外の新興住宅地あたりの
子どもたちは。
肥後守は禁止されつつあった時
代だったが、私の学校では完全
禁止にはなっていなかった。
代だったが、私の学校では完全
禁止にはなっていなかった。
文具としてはカッター優勢だっ
たが。
しかし、野遊びする連中はほぼ
全員肥後守を装備していた。
肥後守は文房具屋や駄菓子屋で
100円前後だった。
それを自分で研いで刃を鋭利に
する。ガキンチョはみんなやっ
ていた。
ベーゴマをぺったんこにして
強化カスタムするのはコンクリ
路面でやってたが、刃物はさす
がに砥石で研いでいた。
まあ、ガキンチョなので研ぎは
下手っぺなのだが。
あれこれ、工夫したり、上手い
奴のをよく見て覚えたりだった。
昭和少年たちの特徴は、年齢
学年に関係なく、できる奴が
一目置かれた、という子どもの
社会があった。
そして、面白いのが、ジャンル
によって各人得意技を持ってい
た事だった。
そうした連中が集まって基地を
作る。
作る。
「基地」とは関係ないUコン
が上手い奴とか、独楽が上手
い奴とかメンコが名人の奴と
か。
が上手い奴とか、独楽が上手
い奴とかメンコが名人の奴と
か。
で、当時良かったのは、できな
い奴でも仲間外れにしたり、
排斥などしなかった事だ。当時
の子どもたちは。
そこは戦後民主主義教育とは
別な「子どもたち同士の社会
性」があった。
性」があった。
まるで江戸古典落語で与太郎
を仲間外れにはしないで仲間
として共にいる、みたいな。
を仲間外れにはしないで仲間
として共にいる、みたいな。
なので、トロいやつも切れの
いい冴えた奴も同列で共に友
だちとして遊んでいた。
だちとして遊んでいた。
そこが昭和高度経済成長期の
子どもとその後の子どもたち
の決定的に異なる点だ。
イジメは存在しなかった。
いじめっ子というのはいたが、
それは社会制裁を受けていた。
子どもたちの自治により。
集団で特定人物をいじめたり
するネトカスのウジムシみた
いなのが蔓延るのは、これは
もう高度経済成長期以降の腐
れ人間たちがやっているのは
明白だ。
いなのが蔓延るのは、これは
もう高度経済成長期以降の腐
れ人間たちがやっているのは
明白だ。
昭和は健全だった。
子どもの心が健全なのは、それ
は大人たちに健全な心の人たち
が多くいたからだ。
今は見る影もないすね、日本。
だって、在住外国人に言われ
ちゃってるんだもの。
「日本に住んで30年になるけ
ど、ここ20年ほどで日本とい
うか、日本人がまるで別物に
なった」
ど、ここ20年ほどで日本とい
うか、日本人がまるで別物に
なった」
と。
それ、現実として、ある。
ネット愚民なんてのは典型ね。