











Hey Joe - Acoustic Hendrix Cover - Joscho Stephan Trio
ジャズにもいろいろある。
このジプシージャズは独特の
グルーブ感が持ち味。
ドイツのヨショ・ステファン。
こちらライブ。
たっぷり堪能できる。
JOSCHO STEPHAN TRIO
東京は夜景が綺麗だ。
渋谷ピンクドラゴンの店長の
高橋誠一郎さんと話をしていた
時、彼が言った。
「東京って・・・東京の人間は
東京がとか東京はとかって言わ
ないんだよね」と。
言い得て妙。正鵠を射る。
東京人は東京を他の場所とは執拗
に比較しないし、東京ではどうだ
とか言わない。
その感覚はよく解る。東京が日常
であり、「東京」などを意識した
事が無いからだ。
私も「東京は」とか意識するよう
になったのは、都内から西日本に
転勤転住してからだ。
嘘のようなホントの話、西日本に
引っ越してびっくりした事がある。
富士山が見えないのだ。
考えたら当たり前の事で馬鹿な話
なのだが、生まれはもとよりどっ
ぷりと東京人になっていた私は、
無意識に富士はどこにいても見え
る、かのような錯覚で生きていた
のだった。
朝、「あれ?富士山が無いぞ」と
妙な感覚があった。
東京から見る富士山。
当たり前が当たり前ではないと
いうのが当たり前の感覚を強いら
れた感があった。
富士山などは日本どこでも見られ
るものではないのに、一瞬あれ?
という感覚に襲われた。
これは東京人が「東京」という
ものを日常的に意識しない意識性
の根幹を成す。
ところが地方は異なる。
例えば広島県では、やたらと殊更
にこれでもかという程にしつこく
「広島がぁ」「広島では」「広島
の」「きょうのカープは」等々を
延々と繰り返して続ける。公共
放送でも。
何かの洗脳キャンペーンかのよう
に。
それはよそから転住した人間に
とっては、異様な光景、異様な
「空気」を感じ取るに余りある。
だが、地元広島に生まれ育った
人たちはそれを異様とは感じない。
これは東京人が東京を意識しない、
東京では「きょうの東京は」と
いったプロパガンダ的な公共放送
を一切しない、東京人は東京を
殊更に特別視して取り上げない、
という事の対極にありながら同質
のものを有する事が理解できる。
おしなべて言うと、それは「その
土地の質性」という点で同じで
あり、内実的には対極にあるが
属性は同じというものとして存在
している。
要するに、地元意識性という点は
同じなのだが、中身の質性が全く
異なるのだ。
東京と広島は別の国、別の種族が
棲んでいる。これは確実だ。
同じ日本人なのに同じ日本人では
ないのである。
どこの国でも同じですよ、と言い
つつアメリカとアフリカが同じ
かどうかというような問題。
同じなのはアとリカだけだ。
ならば違いはメとフだけだろう、
とはならない。それを言うのは屁
理屈だ。中身はまるで異なるので
ある。
同じなのは人類というだけで、質
や文化や習慣や価値観は全く異なる。
この根本的な質性の違いが日本国内
でがっちりと存在している事などは
東京から離れたことがない東京人は
知らない。
それは広島県から出てよそを見た
ことがない広島県人の有様とある
意味全く同じで、日本国内どこで
も人間が東京と同じ感覚かと思った
ら大間違いになる。
日本国内でも地方により土地柄が
非常に強く残っているし、文化も
発想も異なる。
例えば、広島県の広島市などは
日本国憲法を無視して、特定服装
を着用したら犯罪者とする条例を
可決させている。日本国憲法の
表現の自由と基本的人権の尊重を
完全に無視するファシズムのよう
な違憲条例なのだが、広島市は
日本の中で特別かと思っているの
か、そうした条例が可決されて
現在も存続している。
広島市民は誰も異議を唱えないど
ころか、「なんが悪いん?」と
なる。
東京の人間にそれを話すと「そんな
のあり得ないだろ」と俄かに措信し
難いという反応を一様に示す。
日本国憲法を無視する市は日本国
の市ではない。
だが、俺様ルールを通用させている
土地が日本国内に存在しているのは
事実だ。
広島県は富士山とは無縁なのだ。
日本は日本という国として見かけの
制度上一国の体裁を取っているだけ
で、日本という国は統一されていな
い。
日本の象徴でもある富士山はどこに
行っても見える訳ではないのだ。
閑話休題。東京の夜景について。
空撮で見る東京の夜景よりも、「目
の高さ」で見る東京の夜景のほうが
実感的に美しく見える。
これは空撮での絵が現実性から
乖離する感覚を持つからかも
しれない。
都内都心部は、夜、車や二輪で
ゆっくり走るのが楽しい。
光の波の中を走るからだ。
映画『三丁目の夕日』の舞台の
大通りも、あの時代1958年から
時が過ぎて現在になると、こんな
景色になった。
私が生まれる2年前に完成した
東京タワーは今も健在だ。
今年完成65周年になる。
岡山の仕事仲間と一緒に出張で
都内に出た時、その人の希望で
東京タワーに昇った。
ちょうど夕日が落ちて都内の街
に明かりが灯り始めた時間だった。
その刻々と表情を変えるトワイラ
イトの東京の街があまりにも幻想
的で、私も著しく感動した。
同行者の岡山の人も感激して、
「こんなの毎日見てたんですか」
と言う。
「んなわきゃないよ。東京の人間
って、東京タワーなど昇らない人
のほうが多いから」と答えた。
私も夕焼けに染まり、ビル街が
まるで宝石のように明りを灯す
時間帯に東京タワーから街を一望
したのは生まれて初めてだった。
これは皆様におすすめです。
トワイライトゾーンの東京タワー。
同行者は言った。
「これは一生の思い出になる」と。
私も初めてだったが、本当に絵に
も描けない美しさとはこれか、と
思った。
第二次大戦中に米軍が.45ACPの
拳銃弾薬と共通のサブマシンガン
であるトンプソンを軍用運用した
のはかなりの効果があった。
弾薬を一つに絞れると同時に、
トンプソンに突撃小銃のような
役目を果たさせたからだ。
サブマシンガンは拳銃弾を使用
するフルオート射撃可能の軽機
関銃だが、第二次大戦で多く使
われた。ドイツのシュマイザー、
英国のステンなども有名だ。
日本軍は最悪の軍用銃状況で、
口径が多数あり、かつ国力から
してフルオートの小火器は普及
させられず、一発必中精神主義
のボルトアクション小銃を兵士
に持たせた。
火力に於いて圧倒的に連合軍に
劣り、戦闘局面での敗北は見え
ていた。
トンプソンはトミーガンと愛称で
呼ばれて、その作動の信頼性から
1960年代のベトナム戦争でも使用
された。
トンプソンはベトナム戦争以降
軍事的な現役は引退したが、.45
弾を使用するM1911A1は、その後
も米軍制式拳銃として運用が続い
た。
その後イタリア製拳銃に変更され
たが、米軍内の一部では改良版に
よる運用が続行され、現在でも
使用されている。
基本ベースは100年以上前の銃だ。
コルト・ナインティーンイレブン
は最初から完成されている銃器構
造だったといえる。
ブローニングの銃器に関する発想
は、いかに歴史上天才的であった
かが窺い知れる。