渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「走り」の表現の地域差と思想性

2024年12月24日 | open




言語表現の地域性について。
東日本首都圏の場合、二輪の
良質走行内容の走りを実際に
見たり、映像で観たりした場
合、それを評して「乗れてい
る」と表現する。二輪の業界
用語だ。
一方、西日本中国地区広島エ
リアでは独特の言い方をする。
それは「走っとる」と言う。
首都圏でいう「よく乗れてる」
の場合は「よう走っとる」と
表現する。
それを首都圏語で「よく走っ
てる」と訳すとニュアンスを
外す。「よう走る」は「よく
走る」ではなく、「とても上
手に走らせている」という意
味が広島エリア方言での表現
においては主軸となるからだ。
首都圏語の「乗れてる」と同
義語が「走っとる」
なのであ
る。
つまり、両者は同義であると
同時に、それは内実としては
can とdo と execution
が極
めて色濃く反映されている状
態を指す表現なのだ。


そもそも「乗れてる」という
表現自体は二輪業界の専門的
な表現なので、二輪に接しな
い人たちにはピンと来ないだ
ろうが(笑

最近、首都圏人以外の西日本
出身者たちが非常に動画配信
者には多いゆえ
普及?蔓延し
始めた二輪界の
表現が一つあ
る。

それは「散る」という表現。
現行で動画配信などで多用さ
れるその表現は東日本には存
在しなかった。
二輪業界用語では「飛ぶ」と
表現した。
これはレース界から発生した
転倒を表す表現だが、かつて
は東日本だけでなく西日本で
も二輪走行時の転倒は「飛ぶ」
と表現していた。
この現象は、ロードレースが
全国的に隆盛をみた1980年代
には顕著で、関西人も広島人
も転倒の事を「飛ぶ」と表現
していた。(1970年代に私が
高校時代に在籍した都内のレ
ーシングチームには広島方言
しか話さない広島県出身者が
いたが、やはり「飛ぶ」表現
を使用していた)
スピードを出す事の「飛ばす」

とは別な意味の独自表現だ。
だが、いつの間にか二輪での
転倒の事を「散る」と呼ぶ人
たち(とりわけレースに関与
しない人たち)から表現が発
生しはじめ、西日本側からそ
の表現が燎原の炎のように広
まっている。
最近ではサーキット走行での
転倒の事さえも「散る」と表
現する傾向がみられる。主と
してやはり西日本勢力側がそ
の表現を使う。
ただ、古くからロードレース
に関わって来た人たちは、今
も転倒の事は「飛ぶ」と呼ぶ。

二輪業界の最先鋒ロードレー
ス界が表現をも発信して斯界
を牽引して来たのがこれまで
の日本国内の二輪界における
趨勢だったが、ここ何年かで
レースとは無縁の一般走行者
の側から新たな二輪限定表現
が登場した事は社会学的に非
常に面白い。

ただ、私自身は古い人間なの
で「散る」は使わない。
「飛ぶ」は再起可能だが「散
る」は神風特攻隊のように片
道切符のような印象があり、
二輪走行の思想性として不撓
不屈
の性根とはマッチしない
ように強く思えるからだ。
二輪とは「立て。立つんだ!
ジョー!」のような不滅の

立ち上がる根性が無いと乗っ
てはいけない乗り物だと私は
思っている。
なので、私自身は、言葉の流
行などに流されて「散る」は
二輪の走行時転倒表現として
は使わない。
散ったらサヨウナラなのだ。

地雷を踏んだらサヨウナラで
あるように。
(地雷は遅延性起爆は殆ど
在せず、踏んだ瞬間に爆
発す
る。よく映画やドラマ
で地雷
を踏んで足を離した
ら爆発、
というのは大嘘。
現実世界で
は地雷は踏んだら
助からない。
戦地で歩兵に
とって一番の恐
怖は狙撃手
であり、それと同
列に地雷
と空爆・砲撃がある)

表現は人間の思想性を代弁す
る。

てめえのかかあの事を他人様
対して「奥さん」とか言っ
てる
間抜けにはその真実が解
るまい。

君よ、漢ならば表現者たれ。
「どっちでもええやん」では
い。
巻藁と畳表巻は別物なのだ。

 









 

 


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