いる所から20億年先=宇宙の始
まりを目視で捉える事だろう。
隠蔽?函館MiG-25 空自のファントムと空戦した説
実話レポート。
これは面白い。
田中角栄や小佐野たちのピーナッツ
組が日本の国防の進化を売国奴的に
遅らせていたのもよく分かる。
KTMとapriliaの速さの秘密
毎年どんどんモノは良くなる、
というのは正統な進化だが、
実はモーターサイクルの世界
ではモノがどんどん悪くなる
という現象が確実に存在する
事がある。
大抵は、その後改善されて以前
のモノよりも良くなる事で解決
できていたのだが、現代はある
時点からその循環の流れが根底
からひっくり返った。
現代の実相はひどいものがある
が、こうしたことはフレームを
含めた総合バランスの問題で
過去にも発生した。
例えば鉄フレーム時代のヤマハ
TZ250では1983年製が完成度の
頂点だった。タイプ84、タイプ
85などはバランスがバラバラで
不出来なマシンだった。
たぶん、Aタイヤの登場による
シャシを固める方向性の模索
過渡期段階に出た迷走が84年と
85年に表れていたのではと思う。
86年TZからはアルミフレームの
導入で別理論になったので、それ
はマスやよじれ抵抗等々全域に
おいて鉄とは別な解析が必要だ
ろう。
旧TZ250は1983年製が至高の出来。
これは実はYUZOさんの受け売り
なのだが、実例を示して理路整然
と私にしてくれたその説明は実に
納得できるものだった。
最初はそれこそ「味の素だな」と
しか言わないと本間氏が言って
いるのと同じ感じの発言だった。
「〇〇だな」と(笑)
そこを「どうなんですか」「ここは
どうなんですか」「それはなんなの
ですか」と訊きまくった。
そして、時間をかけて(割いて)、
教えてくれた。
今、具体例は異なるが、二輪のモノ
ヅクリにおいて、80年代過渡期と
同じような事、否、抜本的に取返し
がつかないような事が始まってし
まっている事を本間氏は鋭く指摘
していると感じた。
世界グランプリ時代の世界チャン
ピオンの乗り方。
現代の味の素乗り。
バンク角はほぼ同じ。
角度だけ見るのは木を見て
森を見ずの視点。
現在抱える問題は角度云々
が惹起させているのではない。
今の車だとみんながみんなこう
なるのは本間さんの言う通り。
事実、実際に1980年代には想像
もできない程に全員が「転ぶ車」
に乗らされている。
こりゃすげー。
セリーグでは、ヤクルトの粘りが
鉄都営浅草線(都営1号)馬込駅
の上に松原橋交差点という場
所があります。
ここは国道1号第二京浜と環七
が立体交差しています。
第二京浜下り線側。左折して
ループを下って環七に合流。
ループを下って右折(環七外
回り)と左折(環七内回り)
に合流できます。
環七内回り。左車線のバンは
第二京浜(国道1号)下り車線か
らの合流です。
第二京浜上り線。横浜方面か
ら来たら、ここでループラン
プに入る。
ループ。右折はできません。
左折のみ。
環七とぶつかると右折大森方
面も左折上馬方面も進行可能
です。
松原橋交差点北、環七から見
る。国道上り線横浜方面から
来たらループ後は左折のみで、
環七外回り線に合流します。
環七内回りでは松原橋交差点
北を右折してから第二京浜上
りに合流可能。また、立体交
差を過ぎてからループを上っ
て国道1号第二京浜下り線に
合流も可能です。
環七外回り。
さてお気づきでしょうか。
環七外回りで大森方面から北
上して国道1号第二京浜に合流
して横浜方面に行きたいとき
はどうすればいいの?
ということになります。
環七松原橋交差点南。右折禁
止。
第二京浜を都心部へ向かうに
は立体交差をくぐって、北側
ループを上がって第二京浜に
合流します。
環七外回りを大森方面から北
上して走って来て、松原橋立
体交差では横浜方面に合流で
きないんです。
そして答えはこれ。環七外回
り立体交差南側の車線から北
を見る。
信号のかなり手前から左折路地
に入るのが正解。
交差点手前の通りを左折して
坂を上って国道1号第二京浜下
り横浜方面に合流します。
非常に巻き込み等多い場所な
ので、四輪車は歩行者や二輪
車巻き込み注意。二輪車はす
り抜け厳禁の場所です。なん
せ大型貨物も狭い路地を曲が
るのだから。
この立体交差地区は道路拡幅
がほぼ不能状態で、大昔から
この形状のままです。
旧道の松原橋交差点南にある
路地(たぶん環七登場前から
存在した旧道)を西に左折し
てもよいのですが、幅員が狭
すぎて、対向車が来たら立往
生で完全アウトです。
環七の通行を止める事になる。
これをやる人多くて、環七地
獄渋滞の一原因になってます。
でも、建物立ち退きによって
道を拡幅する事ももう何十年
(50年以上?)も不能状態。
このあたりの地価半端ないし。
田園調布は少し離れてますが、
田園調布もある交通至便の大
田区なので。ニコクと環七近
辺は空気も悪いのですが、少
し入ると閑静な住宅街がびっ
しりです。そこに住む人たち
はまず土地を売らない。
この第二京浜と環七の松原陸
橋は交通量も多く、都内渋滞
のトップ10に入る地点です。
そして、南から環七を北上し
て横浜方面に行くには、知っ
ていないと立体交差まで進ん
でから、「あ、横浜方面に行
けない」となります。都内の
有名な難所。
ちなみに環状七号はカンナナ
と呼ばれ、環状八号はカンパ
チと呼ばれ、山手通り(新)
は環六と呼ばれています。
ではそのほかの一号から五号
は?
ストリート名で呼ばれること
が多いので号名ではあまり呼
ばれなくなりましたが、きち
んと規定の号がつけられてい
ます。
環状一号。
通称内掘通りと日比谷通り。
日比谷通りは40キロ毎時規制
なのに、どの車も巡行速度は
70キロ超です(笑)。真昼間
から。夜間は二輪車通行禁止。
私も仕事等でなじみ深い道で
す。
新宿区西早稲田から車両通勤
の時はここを通っていた。桜
田門外の警視庁前を右折して
虎ノ門へ。
環状二号。通称外堀通り。
これも私はなじみ深い道路で、
皇居周辺で一番多く通った道
路ではなかろうか。虎ノ門か
ら新宿御苑方面(新宿駅方面)
に向かうには、外堀通りで四
谷まで出るか、内堀通りで半
蔵門から甲州街道=ルート20
の新宿通りを使うかがメイン
です。(渋滞裏道抜け道路あ
り。江戸期の旗本街を抜ける)
環状二号は全線開通しておら
ず、もう数十年に亘り計画中
です(笑)。
環状三号。新宿区文京区で未
開通。
これも計画倒れの数十年。
外苑東通りは非常に感じの良
い通りです。なんだか外国み
たいな。
外国っていっても西欧系ね。
アジアではなく。
これは先の1964年の東京オリ
ンピックで神宮外苑エリアが
大整備されたためかと思いま
す。
環状四号。
外苑西通りもこれまたよい感
じ。
明治通りは一部環状五号とな
りますが、下町のほうでは環
四になります。
環状五号。
いわゆる港区から代々木、渋
谷と原宿、新宿を貫く明治通
り。
環状六号。
いわゆる山手通り(新山手通
り)。この道路の下に高速道
路を通すことに沿線住民は大
反対をしていました。しかし
裁判で敗訴で強制的に地下高
速と地下鉄が敷設された。平
成初期の事です。
環状七号、同八号。
環七が一番環状線として整っ
ていて、首都圏物流の動脈と
なっています。交通量半端な
い。
カンパチは半円のみ開通です。
1980年代初期には羽田までは
通じておらず、途中で道路ぶ
った切り。そのカンパチぶっ
た切りあたりで有名レーシン
グショップのもにょもにょも
にょおのライダーはTZ250の
走行セッティングとかしてい
た・・・という。
皆様も安全運転で。