二輪は自転車も動力付二輪車も、
転倒を経験したことが無い人は
いないのではなかろうかと思う。
また、転倒の体験なくばどうやった
ら転ばないかを学べない。
転倒は幼少の頃にどんどんやって
覚えていたほうがよいと思われる。
安全な場所で練習して。
私はオートバイでの立ちごけという
車体を倒してしまった「転倒」(?)
は経験がないが、走りゴケは嫌と
いう程に経験した。
もう「お前は馬鹿なのか?」という
程に。前輪からも後輪からも、いろ
んなパターンで。
やがて、ある事に気づいてから(某
レーシングコンダクターに車の根本
原理と接し方を厳しく教えられて
から)は公道では一切転ばなく
なった。コースではその後何度か
転倒したが、やがて極度に転倒が
少なくなった。公道では一切転ば
ない。全く転ばなくなった。
メカニズムというか、車の事と接地
感というものの折り合いをトラク
ションとの関係で体で理解したら
転ばなくなった。
遅く走れば転ばないというのでは
ない。道理はそうなってはいない。
立ちごけなどは超遅いのに転んで
いる。
二輪車の転倒(含む:倒し)という
ものは原理と道理がある。
それについて深く考察して、転ば
ない方法を選択すれば、転倒は回避
できる。
確実に回避できる。
クルマがまともならば。
それと、私が転ばないのは、私が
旧車という古いオートバイにしか
乗らないからというのもあるか
もしれない。
20世紀の日本のオートバイは実に
よくできていて、車体自体がセンサー
のような作り込みになっている。
まったく「ぼやかし」や「ごまかし」
が無いのだ。ダイレクトに乗り手
に路面とマシンの状態が今どのよう
な領域なのか、どうなっているのか、
どこまでが大丈夫でどこからが危険
であるのかを車が知らせてくれる
のである。これまじ。
なので20世紀に生産されたオートバイ
は、乗り手がすべて己の意思の下に
車を制御操縦することが可能だった。
極端な話、スロットル開度にしても
「今シリンダーはどれ位混合気を
欲しているか」とか、他にも「キャブ
はどれ程の意見を訴えているか」
「タイヤはどんな事を知らせている
か」「サスは」「フォークは」
「ステムは」「スイングアームは」
等々、すべて車体が語りかけてくる
のだ。
いや、これ本当に。
そのような車作りを有能な開発ライ
ダーたちがやっていた。
これは競技車両だけでなく一般公道
車両にもまったく同レベルの車作り
が実行されていた。
それが20世紀の末期20年の実相
だった。
なので、往時の二輪車というクルマ
は乗り物として最高の出来だったと
断言できる。
「ぼやかし」が一切無い事。
これを現実に車両で実現させるのは
並大抵の事ではない。人の英知が
詰まっている。
21世紀が20年過ぎた現代は、ぼやかし
もぼやかし、もはや誤魔化しとさえ
いえる程の「輪っかが二つ着いた
乗り物」になってしまっている。
オートマより始末が悪い物体に。
正直なところ、私は新型現行二輪には
真剣には興味が湧かない。
あの20世紀のテイストを内実共に
再現復元しているマシンでない限り。
「真新しい物がすべて最良だ」という
ことは世の中存在しないという真理
をもっと多くの人たちが思い出した
ほうがいいと思う。
ほら、PCにしてもOSではウインドウズ
のMeなんて歴史的に不出来な物だった
でしょ?
最新物だから当時はあれを搭載した
PCに変えざるを得なかったけど。
あれ、二つの開発チームで別方向で
開発したからWin2000との性能差と
信頼性が大きく乖離したんだよ。
「最新物は常に最良」
これは技術を以てする産業進歩の
過程においては存在しないのよ。
内実は行ったり来たりで少しずつ
進歩するのよね。
今は、二輪に関しては、操安性に
おいては、極度に退化している
時代と断言できる。
今は今の新型オートバイがどんどん
「危険な乗り物」になっている。
それは、「人間不在」だから。
人の事を考えて安全に配慮している
つもりでいても、実態は全く逆で、
人をないがしろにするクルマを作ろ
うとしているし、それをやっている。
でも、運転するのは人間だから。
人間不在の開発思想で、よりよい車
ができるわけないじゃん。そんな道理
は世の中ありっこない。
そゆこと。
お為ごかしのぼやかした誤魔化しの
車には僕ぁ乗りたくないなぁ。
「幸せだなぁ。僕ぁ君といる時が
一番幸せなんだ」(by 加山雄三)
というようなのが一番幸せだと
思いますよ。オートバイとのつきあい
は。
道路が無いので行くことが困難。
全く役に立たないただの山。
道路が一切存在しないから恵下谷の
道なき道の谷底から垂直登山する
しかない山だ。
大昔は生活燃料補給の為に木々を
伐採し城下の家屋まで運搬したが、
今は道さえなく、何の役にも立た
ない。
山頂の稜線には獣道のような県の
遊歩道が通っている。
平成7年-1995-正月にうちのこの
山に登頂経験あり。
非常に厳しい場所だった。
この峠のワインディングロードを
仕事やプライベートで通るたびに
思うところあり。
昔はまだ谷底に道があったが、三原
城下から北部高原地区への抜け道は
その恵下谷の谷沿い通行しか無かっ
た。大八車が昭和戦後まで往来して
いたと聞く。
山肌にある新道の峠道は、海沿い
に昭和30年代初期に国道が初めて
開通した頃に整備が進んだと思わ
れる。それ以前から裏道としては
あったかもしれないが不知。
幅員狭く、離合不能で、1960年代
にはバスが来ると、退避エリア
まで狭い峠道をバックしなければ
ならなかった。子ども時分に車に
乗っていてその状況に出くわしたが、
谷底に転落するのでは、と冷や汗
ものだった。
三原城下は戦国期には要塞海上都市
であり、その地形は江戸幕府終焉
まで続き、昭和30年代まで、三原
に行くにも三原から出るのも手段
は鉄道もしくは海路しかないよう
な陸の孤島だった。
港湾工業都市化されたが、輸送は
すべて海上輸送か鉄道だった。
戦国武将はそういう地形の場所に
あえて450年前に城郭都市を作った。
天然の地形を要塞に利用した軍都
として。
東の隣町の尾道との一般道が整備
されたのも平成時代の中期以降で
あり、それまでは獣道のような
離合不能な狭い峠(太郎谷)を
尾道までの区間バスが通っていた。
三原という片田舎の地方の城下町
は、地形的には限りなく周囲から
閉ざされている町だった。
道路が東西北の三方に開かれて
交通の便が良くなったのは、
ここ20年程の事なのである。
今は恵下谷下の道は廃道になって
いて一切通れない。
全く徒歩でも通行不能。空挺レン
ジャーのような装備と心構えでない
と踏破できない場所となっている。
ここは下を覗くと断崖絶壁。
大八車とは、江戸時代から昭和時代
まで日本で使用された貨物用の人力
車の事。私が子どもの頃の首都圏で
は、すでにリヤカーに代わっていた。
最近ではリヤカーさえ見ない。
萩原健一と水谷豊の『傷だらけの
天使』では、オサム(萩原)が風邪
で死んだアキラ(水谷)をドラム缶
に入れて、夢の島ごみ捨て埋め立て
地(現在のお台場フジテレビ付近)
にリヤカーに載せて捨てに行った。
日本における車は、牛車(ぎっしゃ)
と大八車しか実質運行としては存在
しなかった。
日本ではあえて馬車を作らなかった。
乗馬を許されたのは武士のみで、
庶民は「ゆっくり歩かなければなら
ない」と法規で厳格に決められた。
武士とて平時には走ってはならない。
それゆえ、江戸市民などは走り方と
泳ぎ方を習得することが禁じられた
ため、火事などの絵を見ると、全員
幽霊のように手を前に出して走って
いる様子が描かれている。水泳術
の修練も武士にしか都市部では許さ
れなかったので、入水(にゅうすい)
したら町人らは泳げず、身投げなど
の入水(じゅすい)自殺が可能成立
となった。誰でも海や川に入ったら
百姓町人たちは溺れ死んだ。漁師は別。
泳ぎは達者だったようだ。
なお、江戸期、大八車により江戸市中
で交通事故を起こした者は死罪だった。
リヤカー。
1970年代の青春ドラマなどでは、
このリヤカーに家財道具を積んで
引越しをする若者たちがよく描か
れていた。
1960年代の焼き芋屋さんやお豆腐
屋さんの行商人はリヤカーを多用
していた。便利なキャリーカーだ。
通行に関しては現法規でも大八車
とリヤカーについての道交法規定
が存在する。
【立ちごけ✕3】バイクで1日3回コケた日の動画
袋小路のモトブログ【CB250R】
ぶひゃ~。
これが国道か。
すんげーとこだ。
道走るだけで探検・冒険だすな~、
こりゃ。
国道の半径で言ったら、0.5Rくらい?
冒険道行きは面白いけど、こういう
とこでエンジントラブルとか起きたら
しゃれこうべになりそう・・・。
こちらもどうぞ。おもろい。
【険道どうでしょう】ガードレールが奈落の底へ。険道の素掘りトンネルに挑む。:奈良県道48号 洞川下市線 袋小路のモトブログ【CB250R】【酷道・険道・腐道・死道シリーズ】
峰不二子ちゃんの愛銃M1910。
この実銃を間近で見た事がある。
超間近(笑)。舐められる程に。
警視庁管内。法執行官の違法行為
によって間近で見る事ができた。
【ルパン三世】全オープニング&
エンディング&アイキャッチ大公開!
【TVアニメ化50周年】
"LUPIN THE 3RD" FULL OPENING & ENDING & EYECATCH
『ルパン三世』が登場して今年で
50年になる。
半世紀前の1971年にこのアニメが
始まった時には衝撃的だったが、
最初は全く視聴率が良くなかった。
マニアックなファンしか知らず、
世間の認知度は極めて低かった。
77年の「ルパン三世」のセカンド
シーズンから人気爆発となった。
50周年記念としてまとめられた
オープニングの各種類の映像。
これ、かなり貴重かも。
不二子ちゃん、かなり後ろ乗り(笑)
城下町三原は、町の西方から日が
山の木々がすっかり秋色に装いを
そろそろ海が光り始める頃だ。