ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




今年も、今日、広島で平和記念式典が営まれましたね。被爆者の方、体験者の方々の生々しい声に、思わず眉間に皺がよりました。なんで、一体どうして、この人が苦しまなくちゃいけないんだよ、という悔しい思いと共に。

 

日本が、1994年から毎年国連に提出している「核廃絶決議案」というものがあります(骨子)。

「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」として、核兵器の廃絶、そして核実験の停止、大量破壊兵器の拡散の懸念などを、広く世界中に呼びかけるものです。つまり「核兵器、やめましょう。皆で、核兵器から手を引きましょう」というものです。

主導国は日本ですが、共同提案国として49ヵ国が名乗りをあげています(下記※に記載)。

 

そして、昨年10月の採択では、賛成165ヵ国、反対3ヵ国、そして棄権が9ヵ国でした。

 

この決議案に「断る」と反対した国は、・・・北朝鮮、インド、そして、アメリカ。

「何とも言えない」として、決議を棄権した国は、中国、フランス、イラン、イスラエル、ミャンマー、パキスタン、キューバ、ブータン、ニカラグアです(フランスはサルコジ政権になって、今までの賛成から棄権に、立場を転じました)。

ちなみに核保有国(表立った、と言ってもいいですが)で、この決議に賛成した国はイギリスとロシアです。

核廃絶へ向ける動きが、こんなにも圧倒的多数の国々から支持を受けている、と評価されてもいますが、僕は、特にアメリカが反対していることに、強い悲しみと憤りを感じます。アメリカは、核を、他国へ向けて実際に使った唯一の国です。まだ、わからないのでしょうか。

 

※共同提案国

日本、アフガニスタン、豪、オーストリア、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、カメルーン、カナダ、チリ、コスタリカ、キプロス、チェコ、ドミニカ共和国、エルサルバドル、赤道ギニア、エリトリア、フィンランド、ガボン、独、グアテマラ、ギニア、ハイチ、アイスランド、イラク、イタリア、レバノン、リヒテンシュタイン、リトアニア、ルクセンブルク、マダガスカル、モンテネグロ、ネパール、蘭、ノルウェー、パラグアイ、ペルー、サモア、セルビア、スロベニア、スペイン、スイス、タイ、マケドニア旧ユーゴスラビア、トーゴ、トリニダードトバゴ、ウクライナ、タンザニア、ウルグアイ。

 

・・・アメリカが「悪の枢軸」と名指しし、「奴らは大量破壊兵器を持っているに違いない」とほとんど一方的に戦争を仕掛け、壊滅状態に追い込んだイラクが、核廃絶のための決議の提案国に名を連ねていて、一方、その「世界の警察」を自認するアメリカが反対しているのです。・・・色々と考えさせられますね。

 

今のブッ○ュ.Jr米大統領なぞには一ミリも期待すべきではないので、秋葉市長と共に、僕も時期米大統領に是非とも、と期待したいのですが、・・・もしもいつか、日本の首相と米大統領が、広島の平和記念式典で肩を並べ、共に核の根絶と世界の恒久平和を祈る姿が見れたなら、きっと世界は今までにない強い平和の光を感じることが出来る事でしょう。いや、本来ならば、まずはそこからだろうとも思えるのですが。

明後日の北京には行くのにな・・・。隣なんだし、ちょっと前のめりして日本に立ち寄ってから、とは思わ・・・ないよね。残念ながら。「戦争中とはいえ、あれはやりすぎた。悪かった」などとは、まだ一言も言ってもらってないわけですし。・・・思ってもないかな。

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写真は、前回広島の資料館で撮った一枚です。

タイトルは「生ビール立ち飲み所」

キャプションには「広島駅前や横川駅前など、市内数箇所に設けられたビール立ち飲み所。午前と午後の約1時間ずつビールが販売された。一面焼け野原の中、どこからともなく人が集まってきて列を作った」とあります。

・・・飲みたかったんだろうな。美味しかったんだろうな。

人間って、たくましいですよね。なので、僕たちも粘り強くいきましょう。時に、一杯飲みながらでも

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ちょっと今日は、久しぶりの友人と会うことになりまして、いまからヒートアイランドバリバリの街中へ出かけてまいります。というわけで、少し早い更新でした。

ではー。

 

---追記。---

原爆の日、インドでも平和の祈り

このニュースを見ていただきたいです。

そして、祈っている学生さんたちの顔を、表情を、手を、指先を、見ていただけたら、と思います(出来たら、ログインして大きな画像で)。

遠く離れたインドの地で、若い学生さんたちが、今日8月6日に平和を祈ってくれたのです。

勿論、広島への原爆投下があった日だからです。

・・・涙が出る思いで写真に見入りました。

昼間の記事でインドは核廃絶決議案には反対の立場を取っていることを書きました。これは事実です。

 

しかし、いや、だからこそ、改めて、「国」とは、そして「国民」とは、ということ考えさせられます。

アメリカにだって勿論、そして北朝鮮にだってきっと・・・平和を求め、核兵器なんていらない、と考える人々は大勢いるのですよね。

国籍や国境、言葉や人種、宗教を超え、僕たちは手を結ぶことが大切だと思います。

そして逆に、悲しいことにこの日本にも、核の装備を推進する声が実際にあるんだ、という現実をも見ておいてほしいと思います。そして、そういう人たちを見張っておいてほしいと思います(現実的には、選挙でそういう人には投票しない、というね)。

 

これから、核の恐怖を、戦争の悲惨さを体験された方々が、どんどん亡くなっていかれます。今年で終戦から63年。つまり終戦の年に生まれた方、最初の戦後生まれの方が、もう63歳になられているということです。人はすべからく死ぬもの。ならば、もうそう遠くない未来には。

しかし、やがて時を経ても、僕たちには、ずっと変わらずに非核、非武装を訴え続ける義務があります。そして、その声を下の世代に、伝える義務があります。「耳にタコが出来るくらい言ってちょうどいいか、まだ足りないくらいだよ」、という言葉も聞きます。

でもその為には、僕たち世代が「知らない」「よくわかんない」では・・・。

まして、「昔の事だし」、「私の毎日の現実とは関係ないから」などと言ってしまったとしたら、そしてそのまま明日も、明後日も歳を重ねてしまったら・・・。それは将来にとって、子供たちの未来にとって、罪ですらあるのでは、と僕は思ってしまうのです。

 

絶対に繰り返してはならないことだと思うから。

あまりに、悲しいことだから、もう二度と。

 

では。



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