“不見長安見塵霧” <長安は見えず。塵霧を見る>
と、楊貴妃は悲しげに語らいます。そして、次に、楊貴妃と方仕の間にしばらく沈黙が続きます。やや置いて、楊貴妃が口を開きます。今までのような哀愁を帯びた啜り泣くような細々とした声とは違います。楊貴妃のお側に、常に、置いていたであろう物を取り上げて、再び、意を決した如くに、語り出します。その間の時間はほんのわずかな間、そうです、この間にはほんの一息ぐらいしかなかったと思えますが、詩人は、直ぐに、行間もなしに、次の言葉を平然と並べます。この辺りの巧さにも、もう何十回ともない驚きです。それがこの歌を読む楽しさなのです。
唯將舊物表深情 <唯<ヒタス>ら舊物を將(も)って深情を表し>
「旧物」とは、かって、長安の宮殿で、楊貴妃が玄宗から戴いた宝物です。「深情」は数々の玄宗からの温情です。唯だ、「ひたすら」に、この旧物を以って陛下との思い出に生きてまいりました。
鈿合金釵寄將去 <鈿合 金釵 寄せ將(も)ち去らしめん>
鈿合は螺鈿の箱、金釵は黄金で出来たかんざしです。
「これを、是非、陛下にお届けください」
と、楊貴妃は方士に頼むのです。
ただし、今、楊貴妃がこの天界での、たった一つの「表深情」、思い出は、此の陛下から戴いた旧物のみです。これがなかったなら、これからの楊貴妃の生活はないも同然です。そこで彼女は考えます。
”釵留一股合一扇”
の策です。それはまた明日に???