楊貴妃のその後も気になるのですが、今日は1月15日です。「一月十五日」と言っても、「それ何???」と、連れない返事しか返ってこない世の中になってしまいました。そこで、この日、[正月一五日]の日本古来からの伝統になっている行事について、すでに、死語化しつつあるのでが、「今、ここで言わなくては・・・」という気にもなりまして、少々説明していきたいと思います。
随って、楊貴妃は明日にでも。
さて、「一月十四日」(十四日年越し)ですが、この日に、門口や神棚などに飾り付けていたお正月のお飾りを下げておき、それを、今日15日に、野原などで、大勢の家から持ち寄ったあ飾りを焼きます。俗に言う「とんど」のことです。
正月には、天にあらせられる「歳神様」を自分の家に招くために門松を立て、神棚にお飾りと付けて、神様を迎えして、一年の我が家の安寧を祈願します。それが「お正月」なのです。その神様も、「十五日」には、再び、「とんど」の煙に乗られて、天へお帰りになります。その道しるべと成るのが「とんど」の煙なのです。何時ごろからこのような行事が行われてきたかはその起源は分からないのですが、あの「徒然草」の中で、「とんど」の起源ではないかと思われることについて、西行も書いております。
”さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へ出して、焼きあぐるなり・・・・・”と
文化年間の「徒連\ /草 絵入り」本より(第182段)
毬杖<ギチョウ>とは、今のゴルフのクラブと同じような槌で、それを使って木製の球を打って遊ぶ平安貴族の遊びした。1年間に使ったその槌を「正月十五日」に焼いたのが「さきちょう」だと、西行はこの「徒然草」で説明しています。その行事を「三毬打」、又は、「左義長」と書いて<サギテウ>と読ましておりました。
そんな宮中で行われていた行事が、何時の間にやら、民間にも広まって、あの「歳神様」信仰と一緒になって、今日に行われている「とんど焼き」になったのだそうです。
なお、十五日を、また、「小正月<コショウガツ>」とも呼んでおります。旧暦では十五日は満月です。その年の初めての満月もお祝いするという意味で、年の初めの「一月一日から三日」までの正月を「大正月」として祝い、それに続いての[十五日]1日だけの正月祝いですから、「小正月」と呼んだのだそうです。なお、所によりますと、この「小正月」の代わりに「二十日正月<ハツカショウガツ>」を祝った所もあるようです。
なお、この「とんど」も、七日に行う所もあるし、二十日に行う所もあり、必ず、十五日に決まっているわけではありませんが、でも、西行の「さぎちやう」から十五日に行う地方が多いのではないかと思われます。
念のため。余りその由来についての説明もありません。敢て、ここに書いておきますので、よかったらお読み下さい。ご意見をお寄せいただくと幸いです。