またまた。彼の人よりお便りを頂戴しました。
彼曰く、
「ほんとうにのう しりもせんくせえしやがって めえにち めえにち ごくろうなこっちゃ。もうおわるんかとおもようたら まだ、つづきょんか、ええかげんに しとけえのう・・・そりゃあそうと、おしえたらにゃあ おえんことがあったんで せえで けえとるんじゃが きのうの なけえ 「夜半無人私語時」があったろうが この「私語」をどうよんだらええんか、おめえは しとるんか?? 「しご」じゃあ ねえど こりょう 日本人がよむんならのう 「ささめきごと」(「ささめごと」とも)という ええ「やまとことば」があるんじゃが おめえは しりゃせんじゃろうが」
と。
まあ、それから、源氏物語がどうのこうのと、その博学ぶりを長たらしく書いておりました。毎度のことで有難く読ましていただきました。考えてみたら友達ってホントにいいもんですね。新年早々そんなことを思っております。彼が言う「知りもせん癖して毎日毎日ようも」という思いは、私自身もそう思いながら書いております。
まあ、この「私語」を、中国語では、どう読むのかは分かりませんが 、彼のご注告の通りに、日本人でしたら、「ささめきせし時」と読むのがいいのではないかと思いました。私の持っている「古文前集」にもルビがふってあるのですがよく分からなかったものですから、「夜半無人私語時」をそのまま書いておいたのです。今朝のご教示で、もう一度、見てみますと「ササメゴトセシ」と、どうにか読めるのではないかと思います???。それをどうぞ
周りには誰もいない幽寂な宮殿の奥の間で二人だけでちぎりあった言葉が「私語」なのです。誰も知らない二人だけの誠の心を通わせた言葉なのです。
なお、彼は続けて、「もうひとつ ちごおとるとこがあるんで おしえたる」と、書いて下っておりますが、それは明日にでも。