“寄将去”
「寄せ持ち去らしむ」と、普通なら読むのだと思いますが、あの幸次郎先生は、敢て、この部分を「寄<さず>け将<モ>ち去<ユ>かしむ」と読んでいます。それの方がよりその意味がはっきりすします。さすがです。
さて、楊貴妃が毎日のように側に於いて、かっての自分と玄宗との昭陽殿での甘い生活の思い出の糧にしていた「鈿合」と「金釵」を地上に持ち帰ってもらうのです。すると、その思い出の二人の深情を表す旧物です。全部というわけにはいきません。そこで、楊貴妃は臨卭の方士に言います。
”釵留一股合一扇” <釵は一股を留め 合は一扉>
私の持っている「釵」をどうぞ
「釵は二つに分けて、その一本を、また、螺鈿の箱はその扇(扉)を両方に分け、その一つをお互いに持っておりましょう」
と言って、
”釵擘黄金合分鈿” <釵は黄金を擘き、合は鈿を分つ>
「黄金の釵は2つに裂き 螺鈿の箱は二つに分けるのです」
と、片方を方士に渡し、もう一つを自分が持ちます。そうして、更に、言います。
この時言った言葉には、つい先程の弱々しい哀愁に満ちた言葉ではありません。むしろ、力強く、将来が待ちうけいれられるが如くに堂々と言い放ちます。その言葉とし、を白居易は
“但教心似金鈿堅” <但だ心をて 金と鈿の堅さに似せしめば>
もし二人の心がこの金や螺鈿のように堅いものであるならば、
”天上人間會相見”
天に居ろうと地に居ろうと、何時の日にか、必ず、お会いすることが出来るでしょう。
(「会」は、この場合、「必ず、きっと」という意味です)
この言葉が、後に出る「比翼の鳥や連理の枝」に繋がって行きますが、その伏線として、詩人は此処にそれを使っているのです。それはまた。