“在天願作比翼鳥<天に在りては願わくば比翼の鳥作らん>”
“在地願為連理枝≪地に在りては願わくば連理の枝為らん>”
と、玄宗と楊貴妃はお互いに“七月七日長生殿。夜半無人私語時”に『密相誓<密<コマ>やかに相誓う』
この「連理の枝」についても、中国では、次のような話が二つ残っています。
一つは、後漢の末頃の蔡晶<サイショウ>の親孝行の話です。もう一つの方は、宋の時代の韓憑<カンヒョウ>とその妻何<カ>氏の夫婦愛の話です。この長恨歌に出てくる“連理枝”は後の韓憑の話の方ではないかと思われます。
その話とは、
戦国時代、宋の国の大臣・韓凭(かんひょう)とその夫人の何氏は仲睦まじい夫婦であった。ところが、宋の国王・康王は、何氏の美貌が気に入り、自分のものにしようとして韓凭を捕え、監禁してしまい、その妻「何氏」を城に連れて来ます。城に連れて来られた何氏は、隙を見て、城の高台から飛び降りて自殺してしまします。一方、夫の韓凭も間もなく愛する妻のために自らの命を絶ちます。
その二人に激怒した康王は、二人を同じお墓には入れず、わざと、すぐそばに別々に埋葬します。お互いがすぐそばにいるにもかかわらず、いつまでも一緒になれない辛さを味わわせるためでした。
ところが、なんと、数日後には、二つのお墓から木が生え、枝と葉が抱き合うように絡み合い、王の思いをよそに、お互いに連なってしまいます。二人の愛の深さを物語るお話です。
なお、「理」とは、「木目」のことで、連理の枝とは、一つの木目になった枝、要するに、枝が一緒になった木のことです。私の「前集」にはその説明として
「樹一枝相向。連接脉理而生為連理枝<樹の一枝相向う 連なりて脉理を接ぎ 連理の枝と為る> 」と書かれております
そのように何時までもい互いに愛し合うことを誓った詞としての”在地願為連理枝”です