このように芭蕉は松嶋の「気色」を書いております。この写真だけで見ていただいて、次の「象潟の続き」を書こうと思ったのですが、よく見ると
“其気色窅然として”
の―の部分に張り紙をしてあります。これを見ると、又、私の悪心が突然に沸き上ります。「訂正以前にはどんな字が」と。 そこで、蓑笠庵の「奥の細道 菅菰抄」を開いてみました。しかし、そこにはそれについての説明は何もありませんが、そこに書かれている芭蕉の松嶋記について、私の興味を引くような説明がありました。これなどを読むと、又、ついついつ[知ったかぶりをしたい」何時もの癖が出てもう一筆、松嶋についての梨一の解説を付けくわえさせていただきます。
梨一は、まず、“ためる”について、之を漢字で書けば「揉」「扶」「矯」等と。また、「窅」とは(深遠の貌ち)であると解説して、訂正以前の事についてはなにも書き残してはいません。ここまで読んで、この“其気色窅然として”とか”美人の顔を粧ふ”等と云った文が、彼の云う「賦の体」であると、又、又、疑問が生まれます????そこで、又此の[賦}とやらは何だろうかと、「杜牧」の「阿房宮賦」を取り出してみました。それをどうぞ!!!
此の中に
「 廊腰縵迴,簷牙高啄。各抱地勢,鉤心鬥角。盤盤焉,囷囷焉,蜂房水渦,矗不知乎幾千萬落」
とあり
(建物の腰にある回廊は緩やかに迴り,軒先の簷牙は高くそびえ、鳥の嘴が空をついばむようだ。各々の建物は地勢に応じて地面を抱きかかえ、曲がった屋根は角を競っている。盤盤と周囲を取り巻き,囷囷と曲がりくねっている。蜂の巣のように隣り合い水の渦のように連なり垂直にそびえ,いったい幾千万の区画があるのか判らないほどだ)
と書かれております、これが「賦の体」ですので、まさしく芭蕉の松嶋の描写もそれと同じ体だと思われました。
なお、これも「言わずもがな」ですが。この「校本古文後集」の[蜂房水渦」の説明に(遠望天井如蜂巣焉如水之為渦也)と出ております。それが「窅」です。それを、この奥の細道を書き上げる時に、芭蕉は誰かに聞いて、最終的な書き直し文にするために張り紙をして訂正したのではないかと、私は思っております。(拙い推量ですが)