むやむやの関と云う所は、出羽の国に在り、昔は、草木が生い茂り、行く人はしおりしていくという「「笹屋越」という山路で、今も、木深く物すごき所であると説明されています。そして
“按ずるに、関の名を「むやむや」というは、もと木草のむやむやと生い茂りたる故なるべし。故に行人のしをりする也”
と。そして、
“音のあやまりより有無のひびきにかかはり”
と書いています。「うやむや」という、さも、さびしげな音が、その山路に実際にあるのではなく、それらしい音の響きが何だかそこに響いてくるような思いが「鬼神」と云う妄説を作り上げたのだと、説明しています。人の心の働きから生まれたのだと。