宋書の倭王の「讃」の項に
“使持節、都督倭百濟新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭國王”
と、あります。倭王が百済や新羅など六国を軍事的に支配しています。それを証明するかのように、391年の高句麗の「好太王碑文」にも
と、はっきりと刻まれています。 この
「倭以辛卯年海渡破百残〇〇〇羅以為臣民」
と云う碑文の言葉について、日本と韓国の学者の間に意見の、少々どころではない、大いなる食い違いがあるのです。それをご紹介します。
此の碑文について、1970年頃より、韓国の学者から、この文は日本の軍人が、元々、その碑にあった字を消して、日本の都合のいい様に書き直したものだ。だから、日本が、391年頃、現在の韓国を支配したということは歴史的事実ではなく、日本軍により意図的にでっちあげられた造り話だと言うのです。本当は
「後以辛卯年不貢因破百残倭冠新羅・・・」
であったのをだと言うのです。これだと、高句麗が百済倭新羅を臣民にしたという話になり、5世紀初めの東アジァの歴史に大きな変革をきたすような事件になるのですが。・・・・・・・
さて、この結論はと云うと、その間の経緯はいろいろと有りますが、今のところ、韓国の学者が言うような、日本軍がそれを自分の都合のいいように改竄したと言うのは誤りだとなってはおりますが???、