むやむやの関の説明に、ま「さ」か、夫木集を持ってくるなんて考えもしなかったのですが、でも、私のちっぽけな疑問が解決できて、やれやれと言った気分に、今朝の上天気が上乗せしてくれました。心配した大型、いや、記録にない台風だとかひやひやしてその襲来を恐れていたのですが、此の吉備津では、何らの被害すら出てはいない程度の「あ!!!これも台風か」という風が吹いただけです。
さてと、芭蕉の「むやむやの関」についてその謂れを、梨一はもう一つ書いております。それには「むやむや」の関ではなく、「うやむや」の関と呼ばれる事もあると言うのです。それの詳しい説明(民話)が書いてあります。
“此山に鬼神住て、おりおりに出て、道行人とる鳥あり。うやむやと啼て、其鬼神の有無をしらしむ。行人其声を聞キ鬼神の有無を知て、往来する。
故に、うやむやの関と云と・・・”
と。ここに云う
“道行人とる鳥”
とは、どのような鳥でしょうかね。これも興味の湧くお話ですね。
又、話がそれますが、我が町吉備津のシンボル吉備津神社の造りは「比翼入母屋作り」と云って、鳥の羽のような形をしている事で有名です。これ又、言わずもがなですが・・・・・・「うやむやの鳥」も、吉備津の比翼鳥と、何らか関係があってもよいのではないでしょうか???こじつけ話です。