昭和町立(現総社市立)昭和中学校の2年生の秋の、汽車と徒歩による、「作山古墳」への遠足です。細かいことは忘却のかなたにあるのですが、当時(昭和26年頃)作山古墳の上には「かわらけ」(茶色の土器のかけ)が散らばっており、それを拾っては投げて遊びました。中には、丸い大きな 土管のようなものが、古墳の上に、顔を覗かせており、それを足でつついて壊し投げてたりもしました。
まだ、古墳とは何か、ましてや、日本第9番目の大きさを誇る前方後円墳の歴史的価値も、また、古墳を取り囲んでいる埴輪についても、何も知らない中学時代です。生徒と一緒に投げて遊んだりもする先生も有りましたから、先生も、きっとその意義をなにも知らなかったのではと思います。まだ、それぐらいしか歴史認識の無かった時代の話です。
その時、投げて遊んだ瓦けの一つを、私はどうしてだかは分からないのですが、ポケットに入れて帰ておりました。それが、高校生の時だったと思いますが、貴重な日本歴史を語る資料の一部であることを知り、びっくりもし、また、それが契機になって、私の歴史に対する興味を抱かせる原因の一部になったのです。
マア 大げさに言うと 社会科の教師になって、生徒に「古墳とは何か」を教えてあげたいと思うきっかけを作ってくれたのが、この時の作山古墳への遠足だったのではないかと思うのですが????。この遠足がもとで、80歳になった今でも、郷土の歴史に大変興味を持って、時々ですが、住んでおります吉備津に詰まっている歴史的資料を探りだしたりもしております。