私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

雄略の倭国平定の図

2016-10-23 07:16:06 | 日記

 大王「武」は宋王に云います。

  「昔から我が父祖は自ら鎧を身に纏い戦いをして、

                     “東征毛人五十五国”               (東に行って上野・下野など五十五国を征し)

 や、

                     “西服衆夷六十六国”               (西に行って九州の熊襲・隼人など六十六国を服し)

 更に、

                     “渡平海北九十五国”               (海を渡って北方の国九十五国を平らげた)

 

  その結果、王道は、誠に、順調に国の隅々まで行き渡り、我が国から宋に

                     “不愆于歳<トシニアヤマラズ>”       (毎年、必ず、入朝して挨拶をしております) 

 こう書いております。倭の王「武」の時代は、内外ともに、安泰その物のようですが・・・・・・雄略帝の時代です。

、あの昭和53年(1978)、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれた115字の文字から、この宋書の“毛人五十五国”が明らかになったのです。

 その鉄剣に刻まれている「獲加多支鹵大王」と云う字は(雄略天皇です)、また、熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀の銘文にある「□□□□歯大王」も、<ワカタケル>と読まれ、雄略天皇を表すものと理解されるようになったのです。これらは、総て、宋書に書かれている「五十五国」や「六十六国」を証明する重大な手掛かりとなったのです。