私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「天子」と云う言葉に怒った煬帝だと・・・・・・

2016-10-26 07:08:31 | 日記

 今日は、久しぶりにあの筆敬さんからお便りをいただきました。

 「おめえはなあ、ようも しりもせんくせになあ、どこから しいれてくるんかしらんけえどなあ そげえなものを よう かくんじゃなあ。あきれて このごらあなあ よむきもせんのんじゃがなあ。・・・・たまたま きのうのをみてなあ てえげえおめえは しりゃあへんじゃろうなあと おもうてなあ おせえてやるけえなあ ようおぼえとけえようなあ」

 と、「なあなあ」と、ようそげえに「なあがなあが」とつづくもんかいなあと思いながら、ご丁寧なる御忠告書を読ませていただきました。それは、昨日書いた「小野妹子」が持って行った国書についてです。

 “『随書』「東夷傳俀國傳」に、倭王から「日出處天子致書日沒處天子無恙」と書かれた国書が来て、『こんな無礼な「蕃夷の書」は以後私には見せるな』と、煬帝が家来に云ったと伝えられているが、この時、煬帝が立腹したのは、それまでの俀王からの上表文には、いつも、昨日書いた宋書の「臣雖下愚」のような大変へりくだったものだったのですが、この時の聖徳太子からは、「臣」ではない、随と同等の「天子」を名乗ったことに対して怒ったと言うのであって、通説になっている「日出處」「日沒處」という記述に対してではない”

 と。
 
 「なるほど、そうか」と、改めて、筆敬さんの物知りに感服している次第です。少々、又、倭の五王から離れていますが・・・・