むやむやの関跡は、昔から「象潟の南汐越にある海辺の関村と出羽と陸奥の境の山路にある笹屋越の二ヶ所にある」と言い伝えられているが、蓑笠庵は、
”みちのくと、いではとの間、今の笹屋越なるものを、此関の正とすべし”
と、結論付けております。更に、ご丁寧に、
”汐こしはあら海より象潟へ、潮の往来する川の名にて、橋あり・・・・此南北の人家を汐越町と云て秋田への往還の駅宿なり”
と書いて、「むやむや」というのは何か淋しげな音をそのように表現したのだから、当然、山路でなくてはならない。そうだとすると、あの「歌林良材」にある
“武士の 出さ入さに しおりする とやとりどりの むやむやの関。
の歌にも見られる通りだ。だから、「笹屋越」こそが、「むやむやの関」の唯一の関跡だとしておるのです。
それに対して海辺にある「汐越」については、詳しくその所在地の説明までして、そんなにもの淋しげな所でないから「むやむやの関」ではないと結論付けています。
此の書きぶりなど、みな、後の柳田たちの民族学者に大きな影響を及ぼす手本になったのだと思います。
ご参考までに(奥の細道菅菰抄の象潟の一部)