色々な方面に飛び火しながら、なにやらかにやら書きなぐっておりますが、今日は、また折角ですら、枕草子にある「おれ」を書き写してみます。ご興味ある人はご覧ください。
“賀茂へまゐる道に、「田植う」とて、女の、新しき折敷(おりしき)のようなるものを笠に着て、いと多う立ちて、歌を唄う。折れ伏すやうに、また何ごとするとも見えで、うしろざまにゆく。「いかなるにかあるらむ。をかし」と見ゆるほどに、郭公をいとなめう唄ふきくにぞ、心憂き。
「郭公、 おれ かやつよ
おのれ鳴くきてこそ 我は田植うれ」
と唄ふをきくも、いかなる人か、「いたくな鳴きそ」とは、いひけむ。
仲忠ガ童生ひ、いひおとす人と、「郭公、鶯に劣る」といふ人こそ、いとつらう、情けれ。”
とあります。さすが清少納言と、今更のように思いを致しております。
さて、どうして平安の当時には「郭公」がそんなに憎々しげに見られたのでしょうか。それはまた明日にでも。乞!!ご期待でもないのですが??????