スサノヲからようやく認められたオホクニは黄泉から顕国「出雲」に「ヨミカエリ」して、宇迦能山の麓に宮殿を建てます。(ここは、現在の「出雲大社」ではありません。)そこを起点にしてオホクニは前々から焼けた石を投げ懸けられたりする数々の「いじめ」に合わせていた八十神を、スアノヲの所から持ち出した
“生大刀”と“生弓矢”
を使って出雲の国から追い払います。それを古事記には
“毎坂御尾追伏。毎河瀬追撥而。始作国也<サカノ ミヲゴトニ オイフセ。 カハノ セゴトニ オヒハラヒテ クニツクリ ハジメタマヒキ>”
と書いて、速やかに、今までいじめられていた兄弟たちを出雲の国境から追い払ったのです。
なお、この“毎坂御尾追伏。毎河瀬・・・・・・”と、古事記に書いていることについて、宣長は
“二つの「毎」は、処々にて戦ひ賜ふ度毎に、速(すみやか)に勝ち給ふと云うことを、如此(かく)、雅(みやびやか)に言ひなせるは、又古文の巧、後の世の及ばぬ所なり”
と、その書きっぷりを甚く賞嘆しております。