私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

また、オホクニに

2017-09-23 07:45:11 | 日記

 「オホクニ」は、「意禮<オレ>」と、黄泉比良坂から憎々しげに「スサノヲ」に呼びかけますが、それ以前の名前が

                        “大穴牟遅神<オホナムヂノカミ>”

 だったのです。「刺国若比売<サスクニワカヒメ」が生んだ子供です。
 でも、その時スサノウは「オホナムチナ」に向かって、

               ”為大国主神<オホクニヌシノカミと ナリ>為宇都志国玉神而<ウツシクニタマノカミ トナリテ>”

 と、で呼びかけます。この時から、所謂、「オホナムチ」が「オホクニ」という名前に変わるのです。天照大神の弟であらせられる「スサノヲ」から授けられた貴い名前だったのです。此の時に、スサノヲは、もう一つの名前、「宇都志国玉神」も授けらます。この「宇津志<ウツシ>」は「顕」で、出雲の国を言います。その出雲の国の「魂<タマ>」となって、主となっって、その地を治めよ、と言われたのです。その「魂」に「玉」という字をあてたのです、「主」と同じ意味なのです。

             「お前を出雲の国の主神にします。」

 と言うスサノウヲの詔だったのです。

 なお、言わずもがなですが、この「大穴牟遅神」は、日本何処にでにも見られる神様ですが、私の町の吉備津神社の末社「一童社」にも、どうしてかは分からないのですが、祀られております。