もう一度書きます。
“郭公、おれ、かやつよ
おれ鳴きてこそ、我は田植うれ”
とです。
「ほととぎすよ!!!おのれが、そうだおめえが、そんなに激しく鳴くから、私たちが田植えをしなくてはならないのだ。此の憎たらしい鳥めが」
という、ホトトギスにかこつけて当時の早乙女たちが唄ったじゃれ歌「労働歌」なのです。これを清少納言が賀茂神社に参る時に聞いて書いているのです。
でも、その歌は、「郭公」が大好きだった清少納言にはとても聞くに堪えないような歌に思えたのです。それが「憎けれ」です。では、どうして、郭公は田植えをする女性にこのように毛嫌いされたのでしょうか。それは藤原敏行の詠んだ歌に由来されます。
”いくばくの 田を作ればか 郭公 しでの田長(たおさ)を朝な朝な呼ぶ”
です。
田植えの時と郭公が鳴く時が一緒で、その鳴き声が、「はよういねうえねえ」と鳴いているように聞こえて、乙女たちの田植えを指揮する村長さが頻りに田植えを催促するようになるので、そのために、あの烈しい労働の田植えをしなくてはならなくなるのだ。その原因がひとえに郭公にあるのだと、憎々しく思って詠った歌です。
その「うれ」が古事記にある「意禮」なのです。寄り道をしておりますが、よければお読みください。