私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「オロチ」は吉備人では???」

2017-06-25 15:39:16 | 日記

  「高志之八俣遠呂智」と、オロチには名前がちゃんと付いています。この「高志<コシ>」とは一体何処にあったのでしょうかね。「傳」には出雲地方の地名だとしてありますが、私はそれを「吉備之国」ではないだろうかと思っているのです。何故、吉備が「コシ」かと云う由は屁理屈ですが説明も、敢て、付けることもできますが????
 
 まあ、それはそうとして、この「オロチ」には「頭が八つ尾が八本」もある巨大な生き物です。しかも、杉や檜の大木まで生え茂っているのです。そのような巨大な山や谷を背負った「オロチ」が、どうやって移動できるのでしょうか。それも、毎年、たった娘一人を食べに八年間もです。そのようなことは到底不可能です。
 それを説明できるのは、この出雲の国を、何処かの近隣の列強国が、毎年、毎年、大切に育てている娘を、一人一人食べ奪うかのように、侵略している姿を描いているのではと想像するよりほかに方法はありません。その侵略者が、当時日本の最強国であった「吉備の国」よりほかは考えられません。なお、これはこじつけですが???吉備には「高島<タカシマ>」と云う地名がありますから、まんざら「高志<コシ>」と縁がないようにも思われませんが????
 
 まあ、こんな下らんことを考えていますと、更に、次のような話も頭を横切ります。それは吉備人の全くの独断と偏見ですが、このオロチを退治する時に使われたのが「酒」ですが、縄文弥生の時代には「酒は黍」からの通り、吉備地方が日本における主生産地です。出雲では作られてはいません。更に、後に「スサノヲ」は刀をその尾から取り出しますが、将に、「真金吹く吉備」と歌われた吉備地方からしか鉄剣は作られてはいません。このように考えて行きますと、「オロチ」は吉備人の総称ではなかったかと思うのですが?????????

 これって、どこかおかしいぞ???????とお思いではありませんか???


目は“赤加賀智”の如し

2017-06-25 07:32:04 | 日記

 オロチの目は<アカカガチ>の様だと書いてあります。「ホホズキ」の事です。現在我々が目にする「ホホズキ」は、誠に、まん丸く可愛らしい形をして、色もそんなに毒々しいほどの赤ではなく「恐ろしい」という形容には全く当てはまらない色ですが????でも、此処に出てくる「ホホズキ」は、ものすごく、毒々しいほど怪しげな様相を呈しているような書き方です。だから、「酸醤<ホウズキ>」でなく「加賀智<カガチ>」と云う字を使ったのだと思われます。
 そして、その「体」はと言うと

                          ”身一有八頭八尾”

 所謂、「頭が八つ、尾が八つ」のお化けのような形をしているのです。それだけげはありません。その体には「蘿<ツタ>」や「檜、榲」が生えているとあります。「榲」は「杉」です。大きさが想像できます。そこ辺りにある山や谷のような大きさです。海抜数百mもあるような山や谷を背負った超巨大なオロチなのです。なお、書紀には「松や柏」とありますが。その大きさから比較すると、古事記の杉や檜のほうが遥かに巨木で、しかも、その丈も長大です。その大きさは

                         “其長度谿八谷峡八尾而<ソノナガサ タニ ヤタニヲ ヤオヲ ワタリ>”

 です、八つの谷や尾根がその体に有るのです。想像してみてください、そんな大きなオロチが小さな人間の娘子を食べたくらいでどうなることもないと思えるのですが、一滴の血にすらなりません。それを毎年一人ずつなんてどうしようもないはずですがね。他の土地の勢力が、この出雲へ頻りに侵略した事を、間接的に言い表しているのではないかと思います。 

 それに付いては、又。私の新説をご紹介しますのでご期待下さい。


少々不思議な事が。どうして老父は逃げないの????

2017-06-24 07:34:06 | 日記

 このオロチには、余り説明がなされてはいないのですが、「高志之八俣遠呂智<タカシノヤマタヲロチ>」と云う名前が付いているのです。どうして「高志」かよく分かってないのですが、「伝」には、これは地名だとありますが。どなたかお教え願えたらと思います。

 これだけ書いて、ふと思ったのですが、どうして、そのような恐ろしいオロチが、毎年毎年来て、可愛い“我雅女<オトメ>”を八人も食べてしまう(“毎年来喫<トシゴトニ キテクラフ>”)ような場所に老父はずっと住み続けていたのでしょうかね。母親も傍にいたのですから、そのような恐ろしいオロチが出る場所からは、とっくの昔に、おさらばして、他の何処か安全な場所に移住してしまうのが普通ではないでしょうかね。今、難民問題で頭を悩ましているいイギリスを始め多くのヨーロッパ諸国にシリアから続々と難民が押し寄せているように、特に、我がいとしの娘子の命が毎年一人ずつ食い殺されてしまうような危険な場所からはとっくの昔に逃げだしてしまうのが普通ではないのでしょうかね。それも、後一人しかいない娘を、もうすぐそこに危険が押し迫ってきているのに、「ただ泣いているばかり」とは、どうしたことでしょうか、何かその訳があったのでしょうかね。その辺りの事には古事記は何も触れていません。また、その周りにいた人々はどうなったのでしょうか。助けなかったのでしょうか???。
 「大山津見神」の子の娘だから、特別にオロチが狙い撃ちしたのでしょうかね。その村には他に娘たちもいたはずですが、その命はオロチは狙わなかったのでしょうかね。また、オロチは、どうして一年に一人ずつしか喫<クラフ>だけでよかったのでしょうかね。また、その時、この村にいた人々は、皆、避難して、この三人しかの残っていなかったのでしょうかね??????どうして三人だけしか?????その時、あのアトランプが、もしいたら、誰も越えられないような高い壁を作っていたのにね。でも、その代金はオロチには請求できないから、どうしたのでしょうかね・・・・・ まあ、こんな三球さんみたいな事ばかり、毎日毎日を考えています。こんなどうしょうもないことばかり思いながら書き綴っていますから、いくら時間が経つても、その先に進む事が出来ないのですが????でも、考えてみたら、八〇歳の何のすることのない老人には、誠に、有難い時間稼ぎになる本なのですから、ゆっくり、この後も書き綴っていきますのであしからず。こんなことを思いながらこの本を読んだことは未だかってないことなのですが・・・・・・・


「加計ナコトバア ケエテ・・・・

2017-06-23 05:47:08 | 日記

  ・・モチイタア ショウラシイコトヲ 加計ヨウ」

 と云うお叱りを頂戴しました。
 「ツイ エエキニナッテ ショウモネエ コトバア ケエテ」
 と、返事をしておきました。さて スアノヲは、続けて                             

                             “汝哭由者何<イマシノ ナクユエハ ナニゾ”

 と、老父に尋ねます。
 「自分には8人の娘がおりました」と云う例の話で、いよいよ

                             ”高志之八俣遠呂智<コシノ ヤマタオロチ>”

 の登場です。その八人の「“八雅女<ヤオトメ>がいました、しかし

                             “毎年来喫<トシゴトニキテ クラフルナリ>”

                             “今其可来時<イマソレ キヌベキトキナルガ>”

 故に泣いているのだと。
 この「オロチ」について「古事記伝」では、「蛇」は小さいのを「くちなわ」、やや大きいのを「へび}、その大なるのを「「うわばみ」、きわめて大きいのを「じゃ」という。だから、「オロチ」はこの「じゃ」ですが、その尾がおどろおどろしくなっているゆえに「オロチ」と命名されたのだと説明がなされております。

 


老夫老女が泣いておりました。

2017-06-22 08:13:25 | 日記

 一人のかわいい“童女<ヲトメ>を中に於いて老夫妻が泣いております。そこで、スサノヲは、先ず、当然のように尋ねます。

                           “汝等者誰<イマシタチハ タレソ>”

 と。するとその老夫は答えます。

                          “国神之子焉<クニツカミ ノ コナリ>”

 と、更に、そこにいた自分たち3人の名前まで申上げたのです。いわゆる、「足名椎<アシナヅチ>」「手名椎<テナヅチ>」そして「櫛名田比売<クシナダヒメ>」です。
 此の老夫は自分は国神<クニツカミ>。ここ出雲の国におる神様だと、それも「大山津見神の子」だと名乗ります。なお、この神様はイザナギ・イザナミが産んだ神様で、山の神様ですが、どうして、そんな山を支配する神のお子が、この出雲の国に住まわれたのかは分かりません。書紀にはその事に付いては何も書いてはありません。念のために・・・・

 なお、この「アシナヅチ、テナヅチ」と云う名前の由来に付いて、あの宣長は、次のような面白い説を書いておりますのでご紹介します。

    「櫛名田比売を撫愛<ナデツク>しみつる由の名にて、足撫豆知<アシナデツチ>手撫豆知の約<ツヅマ>りたるなり。」

 と。
 又、「これも、なるほどそう云うものか。なかなか面白い発想だな」と思われる説明もありますので、ついでの事に、ご紹介しておきます。彼曰く、「足を持って父としたのは、昔は、今のように「手足」とは言わないで「足手」と言っていた。例えば「足手纏」のように、足を手より優先させて使っていた」と。だから、父の名が“足名椎<アシナヅチ>で、母の名が手名椎<テナヅチ>だと。

 さてと、今日も又、余計な事をちょこっと!!!!!!此の度の医獣学部新設の問題、結局、誰かさん、これが足手纏になって、手も足も出ない安倍な??ことに森友かぎりませんな???