私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

再び、”神夜良比夜良比岐”

2017-06-12 14:11:32 | 日記

 スサノヲは、再び、「高天原」から“神夜良比夜良比岐<カミヤラヒニ ヤラヒキ>”されます。

 スサノヲは、かって、父「イザナミ」から
 「お前みたいに者は一刻も早くここを立ち去れ」
 と、追放されたことがありますが、此の度も、同じように神々から、服を始め身ぐるみ総てをはがされて、その上、頭の髪の毛も、手足の指の爪さへ抜かれてしまって、まる裸で、追い払われます。

 仕方ありません、高天原から出て、イザナギが「統治せよ」と指定した”海原<ウナハラ>”に行きます。途中で、書紀には霖<ナガアメ>が降りだしスサノヲは随分と困ります。神々の家が途中にあるも、総ての家から宿りを断られるのです。

 それからスサノヲは、いったい何時間ぐらい、どこをどのように辿って云ったのか、何もいてありません。でも、これだけ読むと、読者は、

 「かわいそうに!!雨も降るし、笠など、勿論、ありません。どのように歩いて行ったかな????腹がへっただろうになあ」

 と、同情さへ覚えます。
 すると、それを見透かしたように「古事記」では、次に、何処からどのようにその場に出てきたのかは分からないのですが、一人の女性が出て来ます。その人の名は

                      ”大気津比売<オオゲツヒメ>神”

 です。


“千位置戸”って

2017-06-11 07:33:16 | 日記

                   “八百萬神共議而<ヤオヨロズノカミ トモニハカッテ>”

 高天原全員の神様で、あの乱暴者の「速須佐之男命」の数々の悪行を“波良比<ハラヒ>、即ち、お祓いをしてその罪を払わせるか話し合ったのです。
 あのイザナギが阿波岐原で行った“禊袚<ミソギハライ>”の「お祓い」と同じように、この八百萬の神々が行った共議も「お祓い」なのですが、この場合は「解除」という字を使って、<ハラヒ>とよましております。スサノヲが犯した罪も穢れですから、それを

                           ”負千位置戸<チクラ オキドヲ オホセテ>”

 です。

 この「千位<チクラ>」ですが、「位」を、書紀では「座」と書いております。スサノヲが犯した数々の悪行ですが、それらを総てお祓いによって清めなければなりまっせんが、そのスサノヲの穢れた罪をお祓いをする物が、此の度は、極めて多っかったので、それを「千」という言葉で書き示したのです。そして、それを置く処が「置戸」なのです。それを作るようにスワノヲに命令します。自分が犯した罪を祓いによって清めてもらうのですから「置戸」はよほど立派なものだったのではないでしょうかね。どのような形で、何によって作られたのかは分かりませんが???
 なお、此の千もの置戸に置いた物にはどんなものがあったのかは詳し記述はありませんが、身に着けているものを始め、手に持っていた物など、総て、清められたのだと思います。それでも、まだ、その外にも、スサノヲの髪の毛も切りとり、手足の指の爪までも抜かして、この置戸に供えて「お祓い」をします。この仕組みが「神代社会」の裁判制度だったのです。その長官が

                         ”天児屋明<アマノコヤネノミコト>”

 です。すると、総理大臣は、当然、

                        ”思金神<オモイカネノカミ>”

 ですよね。
 それはそうとして、この神様、何処となく、今の安倍総理に似ている所はなかったのでしょうかね???総て自分の思いどうりに行くように考え、それとはなしに、他の人をして忖度させて実行に移させている点が類似しているのではないでしょうかね???


“共議”??

2017-06-10 07:19:15 | 日記

 “共議”。「キョウギ」と古事記では読んでおりません。

 ちょっと、その事に付いて又もや横道に・・・・・・・文科省だけではないと思われますが、この前からしきりに、何を「キョウギ」したのかは知りませんが、まさか総理官邸での「密室協議」ではなかったのではないでしょうかね。将に「狭義」ではなかったのかと疑いたくなるような杜撰な調査の仕方で、しかも、その言い様は
 「怪文章だ。」
 「そんなものは一切存在しておりません。」
 「出所が確かではありません。」
 「再調査の必要はありません。」
 とか。
 これは何だったのでしょうか????その場限りのいい加減な逃げ口上でしかなったのではと疑いたくなります。「都合の悪いことは知らしめべからず」と、官邸の御威光を振りかざして、国民を愚弄していたいたのとは違うのでしょうか。

 しかし、古事記にある「天石屋戸事件」の事後処理に付いて,八百萬神<ヤオヨロズノカミ>は、今回のように密室ではなく、堂々と

                    “共議”

 しております。これを<トモニハカル>とよましております。みんなして、何の隠し事もなく、正々堂々と諮っておるのです。決して「謀る」ではありません。今の政治は正に「謀る」ですがね!!!!!!!???????。


「ムリトモ・カケ」「そりゃあアベえ、もうスガ氏考えろ」と

2017-06-09 07:49:30 | 日記

 どうして「古事記」のアマテラスをこんない追いかけてきたのか、そのきっかけは何だったのかさへ忘れてしまいそうに長くなりました、ここで、「再び吉備の美女」と思ったのですが、折角、天石屋からアマテラスがお出ましになり、世の中が明るくなったのですから、その事後処理を「モリトモ」「カケイ」とおっしゃる人もおられるのじゃないかと思いますので、「そりゃあアベエ。もうスガ氏かんがえなきゃあ」と言う人もおられるようですが、敢て、書いてみますのでよろしく!!!!!!
 世の中が明るくなったのを古事記では

              “自得照明<オノズカラ テリアカリキ>”

 と書いてありますが、近頃の国会などの議論を見ておりますと、
 「どうして、そんなすぐできそうなことが事が“照明”にならないのか」
 と、不思議に思われますが???????


稍戸出而<ヤヤ トヨリイデテ>、その後・・・・・

2017-06-08 07:34:34 | 日記

 「自分より貴い神が????」と思われたアマテラスは、石屋戸の隙間から見えたピッカと光り輝くものが目に入ります。どのような姿・形をしているのかさえ分かりません。どうもおかしい、自分より「貴神」ですから。せめて、そのお姿だけでも見たいものと思われ、

               ”稍戸出而”

 石屋の戸をあけて外に少しばかりお出になられたのです。その時です、石屋戸の傍に隠れていた手力男神が

    「アマテラス様。御手をどうぞ」

 と、その御手をしっかりと取って、更に、数歩石屋戸より離れます。それを見ていた布刀玉命<フトタマノミコト>は、素早く、

                     “尻久米縄<シリクメナワ>”

 しめ縄(左縄です)をアマテラスの後ろにある石屋戸の前に張り巡らせ、アマテラスに云います。

                    ”従此以内不得還入<ココヨリウチニ ナカヘリ イリマシソ>’

 「もう二度と、ここから内にはお入りにならないようにお願いします。」 「不得還入」の[得]は、宣長は[復]だとしております。再び、お戻りになりませんようにとお願いしています。その手は、依然として、ヤサ男神である天手力男神<アマノタジカラオノカミ>がしっかりと握って離しはしません。昨日も書いたのですが、此の男神は、決して、石屋戸を引っ張り開けるような力強い男神ではありません。アマテラスの御手を優しく取って、決して、離しはしない柔らかで、しかも、力強い手だったのです。念のためにもう一度?????

 こうなったなら、もうアマテラスは、再び、天石屋の中には入ることはできません。大勢の神によって戸は閉ざされ、そして、その石屋戸の前には尻久米縄が張られております。

  それから以後は、再び、高天原と葦原中国には

                  “稍戸出而<オノズカラ テリアカリキ>”