「梅雨の服装は如何に」
と関心を示すだけの雨があればと思っている岡山の今日この頃です。それのつけても、沖縄ではこの長雨の影響はどうなっているのでしょうか???。この長雨でも辺野古の米軍基地造成のための埋め立ては進行しているのでしょうかね。
「今日は雨だから中止します。」
と、天からの有難い御助けでもあればと思っておりますが???
それにしても、此の頃の安倍さんの心は、今年の梅雨空と同じで、何がどうなっているのか、さっぱりわかりゃあせんのじゃかのう????
「梅雨の服装は如何に」
と関心を示すだけの雨があればと思っている岡山の今日この頃です。それのつけても、沖縄ではこの長雨の影響はどうなっているのでしょうか???。この長雨でも辺野古の米軍基地造成のための埋め立ては進行しているのでしょうかね。
「今日は雨だから中止します。」
と、天からの有難い御助けでもあればと思っておりますが???
それにしても、此の頃の安倍さんの心は、今年の梅雨空と同じで、何がどうなっているのか、さっぱりわかりゃあせんのじゃかのう????
「見てはいけません」と、オホゲツヒメから言われたのではありませんが、余りにも美味しそうな匂いでもしたのでしょうか、それとも「はやく、はやく」という心がそうさせたのかもしれませんが、スサノヲはオホゲツヒメが自分の為に“食物<オシモノ>”を作る所をこっそりと“立伺<タチウカガウ>「見てしまった」のです。
“大気都比売神自鼻口及尻種種味物取出而”と書いて
「オホゲツヒ クチ ハナ マタ シリヨリ クサグサノ タメツモノ(味物) トリイデテ」と読ましておりま。なお、この「味物」は神に捧げる大変美味な食べ物で、この中に、当然、お酒もあったのです。
オホゲツヒメの「鼻・口・尻」から取り出し味物<タツモノ>です。如何においしかろうと何であろうと、それを見ていたスサノヲは、このスサノヲ自身もイザマギの鼻からお生まれになったのですから、それほど、何が綺麗だ、何が汚ないなどと言えないのが普通だと思えるのですが??????、この時は
“穢汚而奉進<キタナキモノ タテマツルト オモホシテ>
です。特に、「尻」から取り出したものを膳に並べていたのを見て、「何。馬鹿にしている」と、随分と立腹され、その場で、オホゲツヒメを切り殺してしまいます。わざわざ自分のために用意してくれた食物<オシモノ>」です。出所は口や鼻や尻であったとしても、余りにも惨い仕打ちではないでしょうか???やはり、鼻から生まれた神様ですから真からの悪神だったのでしょうか???
なお、この場面は日本書紀には書いたありませんが、「月読神」と「保食神<ウケモチノカミ>」の関係の所に、これと同じような事が書いてあります。そのことは又の時にでも????
アジサイは、かのシーボルトも「日本の花」と紹介しておりますが、小ぬか雨と紫陽花をセットに、梅雨の鬱陶しさを紛らわす絶好の風景として古来より日本人の心に沁みついてきたのです。以来、雨を抜きにしては紫陽花を、決して、語れないほどこの二つがしっかりとタッヅを組んで日本人の情緒・心となっておるのです。
このアジサイは、「染井吉野」と同じような日本人が作り上げた日本人好みいっぱいの園芸種なのだそうです。今までに幾ほどの種類の紫陽花が日本で育ったかは知らないのですが、現在、普及しているアジサイの花を見るにつけて、かって芭蕉が詠んだ句で
“紫陽花や 藪を小庭の 別座敷”
のような趣のある紫陽花風景にはなかなかお目にかかりません。(なお、吉備津神社の紫陽花はそんな古い趣がいっぱいに残っております。雨の日にどうぞ!!!!)
「雨が紫陽花に合う。そんなこと、一体誰が言ったん???」
と、そこらじゅうから聞こえて来そうな現代です。その現代を将に語る新しい種類のアジサイが、近頃、しきりに花屋さんの店頭で目にすることがあります。その幾つかをお見せします。私の家の前の中田さんちのアジサイです。雨より太陽がよく似合うアジサイです。
そこで
アジサイの 雨待つ日にも 彩深み
太陽の 彩を映して 額の花
高天原からスサノヲは「神夜良比<カミヤラヒ>」追放されて”海原<ウナハラ>に落ち延びて行きます。腹がすいたので、<オホゲツヒメノカミ>に
“食物乞”
これを、<タベモノ>ではなく、特別に、<オシモノ ヲ コイタマイキ>>と読ましております。現代とは違っていて、上古の日本では天皇など貴人が何かものを食するを「食<オ>」と言っていたのです。
オホゲツヒメは訪ねて来てくれたスサノヲに対してどのような態度、感情を持って接したかは書かれておりません。しかし、進んで歓迎するような素振りで<オシモノ>を出して来たのではありません。スサノヲに出した<オシモノ>はオホゲツヒメの「鼻」・「口」・「尻」から取り出した食物<オシモノ>だったのです。
普通なら、「腹いっぱいになりました。ありがとうございました。」で済んでいたのでしょうが。そういかないのが、この物語の面白さです。余程、腹が空いていたのでしょうか、スサノヲは「早く早く」と催促をするかのように、オホゲツヒメが食べ物を用意する様子を見てしまったのです。それを次のように書いております。
“立伺其態<ソノシワザヲ タチウカガヒテ>”
宣長は「立伺」とは「隠立て、物の隙などより窺ひ観たまうなり」と説明していますが、どうしてスサノヲが、オホゲツヒメが作る物を、こっそり見る必要があったのでしょうか。「自分の台所は他人には絶対に見せない。自分だけの城だ」等と云う、強い「他人禁制」の思いが、上古から日本の主婦には強っかたのかもしれません。だから隠そうとしたのかもしれませんね。すると、余計に、スサノヲは、空腹ということもあって、「どんなご御馳走かな」と強い願望も手伝って、こっそりと見てしまったのでしょう???
<オホゲツヒメノカミ>
と読ましております。なお、この<ゲ>と<ツ>に宛てられた漢字ですが、これも、また、どうしてだかわからないのですが、同じ「古事記」の中で並べて
”大気津比売神”
”大気都比売神”
”大宜津比売神”
と、「津」と「都」、「気」と「宜」と、わざわざ、違う字を使って書き表わしているのです。
なお。この神様はイザナギ、イザナミ両神がお産みになられた沢山の神様の中の一神、
”大宜都比売神”
です。(古事記五にあります。)この「宜<ケ>」は『食<ケ>』です。、「都」は助辞で、食べ物を司る神様としてお生まれになったのです。その神様が此の度の神集に、天石屋戸の前にお集まりになられた神々の中に居られたのでしょう。それを知って、高天原から追放されて空腹のスサノヲがわざわざ尋ねて行って食を求めたのです?????