私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「都」・「鉤」をなんと読んだら・・・・・・

2019-01-15 09:27:00 | 日記
  さて、山幸彦は海幸彦と交換した釣り針を使って、海で漁をします。魚釣りを使うなんて彼には生まれて初めての経験です。素人ですからどのように使ったのかは分かりません。すると

            “都不得一魚<カツテ ヒトツモ エ タマハズ>”

 です。
 この「都」と言う字について、宣長は「加都弖<カッテ>と訓べし」としており、「いっこうに、全然、」と言うぐらいの意味になるのでしょうか、一匹も魚を取ることができなかったのです。それどころか、その上に

            “亦其鉤失海<マタ ソノ ツリバリ サヘ ウミニ ウシナヒタマヒキ>”

 「釣り針を海になくしてしまったのです」
 のです。

 更に、この「鉤」についても彼は、“都理婆理<ツリバリ>と訓べし”と言っております。更に、「其鉤」を読むにあたって、「そのツリバリを」でなく、「そのツリバリさへを」と「さへ}を添える読むのが、その意味を深く読者に訴えることができるからよいと言っております。
 
  此処らたりも、宣長の「真骨頂」と言うか、宣長の宣長たる所以ですよね!!!!!。何回も書いておりますが、此の書は、本当に日本の名著ですよね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
  

吉備津神社での新春の御祈祷が・・

2019-01-14 09:27:01 | 日記
 昨日13日8:30から、吉備津神社で、我が町向畑町内の新春の御祈祷がありました。まず、拝殿に登り、お祓いを済ました後、神殿に上がって、里人の今年一年の安全を祈願するのです。これまた吉備津にしかない独特の神事です。町内の老若男女が三々五々と吉備津神社に集まり集団で祈願して戴くのです。
 それから神殿で、今、祈願したことが、実際に、実現する否かを確かめていただく神事が、場所を移動して、境内にある御釜殿で行われます。「鳴る釜神事」です。
 此処では、阿曾女<アゾメ>と呼ばれる巫子が、大きな鉄製の御釜の上で、お米を入れた甑を揺り動かすと、その御釜がウオーン、ウオーンと、御釜殿内にだけではなく、辺りの吉備の野山にも鳴り響いて、今年の吉凶のお告げを頂くのです。その御釜の鳴り具合によって、その年の里は吉凶が分かるのです。今年はどのように鳴り響くか、里人がお釜からの不思議な唸り声に耳を澄まして聴きいっております。もし鳴らなかったならば、その年は凶年になるのです。身を慎んで生活します。鳴ったならばおおらかな年になるとお告げですから、深く吉備津さまに感謝をささげます。そんな独特な神事です。
 里人はそのお告げを頂い証拠となるお書き物「お札」を各自の家に持ち帰って玄関先に掲げておくのです。それを見た神々が、この家は吉の家かと、一年間の「幸」を一杯に降り注いでくれるのです。

 そのお告げをうける御釜殿

               

と、神事を行う神官と巫子
               

 です。

原始的職業の始まりです・・・・

2019-01-13 10:07:41 | 日記
 火照命<ホデリノミコト>と火遠理命<ホヲリノミコト>は、此の時、それぞれに猟師・漁師の仕事に専念していたのでしょう。それは海・山「佐知」と言う言葉からも、此の二人はそれぞれが自分専用の職に携わっていたと言う事が分かります。職業の専門化が日本で初めて生まれた時なのです。
 それまでにも、あのアマテラスが天岩戸にお隠れになった時、再び、そのお姿を高天原に引き出すための神祭りをするために、鍛人や鏡作りや勾玉作りの為の人々を集めたとありますから、高天原に於いて、当時も、専門的な職人神はいたと思うのですが、これ等の神々は、専らに、それで暮らしを立てていたということではなく、副業的にそれらの仕事を行っていたとする方がいいのではないかと私は考えております。
 猟師・漁師の仕事など専門的に一つの職を持って暮らしを立てるのは、この時が、初めてではないかと思うのです。「部」の誕生の時なのです。それまでの手工業的の職は、すべて、農業など何かの他の職と一緒に兼業的に行われていたのではないでしょうか???

 と言う事は・・・この時代は、まだ、日本歴史的に言うと「縄文時代」の出来事だったのです。

“三度雖乞不許”太安万侶の語彙の豊かさに!!!!

2019-01-12 16:43:56 | 日記
 「山彦」が、三度、兄「海彦」に、お互い使っている道具を取り換えっこしてくださいと願い出たのですが、どうしても兄は

          <ミタビ コハシシカドモ ユルサザリキ>

 です。兄は昨日も言ったように非常に保守的な男性だったのです。何で、今更、知りもしない道具を使って仕事をしなくてはならないのか分かりません。もし、うまくいかなかったらと云う考えが先に立って、なかなか賛成が得られません。山彦のように野山を駆け回って、やっと、獲物に遭遇出来たとしても、それがうまく捕まえられるかどうかも分かりません。又、危険度も魚を釣るよりものすごく大きいのです。難易度に大差がある交換なんていくら弟からの申し出だとしても出来っこありません。結局、三度も頑として拒絶して断ります。しかし、弟彦は、それでもまだまだ、あきらめきれずに、不服そうに、じっと兄の顔を眺めて、無言で、目には一杯涙さへ浮かべていたのでしょうか、それを見た兄彦は、「そんなに言うなら」とばかりに交換を承諾して、いやいやながら言います。
 そのような兄弟二人の会話が、目の中に飛び出してくるような生き生きした言葉を使って古事記はその場を説明しております。それも

          “然遂纔得相易”

 という、たった六字の言葉です・・・・・
      
       <シカレドモ ツイニ ワズカニ エカヘタマヒキ>

 「纔<ワズカニ>」と言う言葉が使ってあります。「僅か」ではありません。「かろうじて」「ほんの少し」という意味です。いやいやながら、仕方がない、可愛い弟の言う事を一度だけだが聞いたやってもいいかなと言うくらいの軽い承諾をするのです。
 それにしても、その場の雰囲気と言うかそこに流れ出ている二人の心情を、意味を十分に受け止めて言葉を慎重に選んで書き綴った太安万侶の苦悩一杯の凄さが分かるような気がするのでうがどうでしょうか???


「各相易佐知欲用」を

2019-01-10 10:08:04 | 日記
      “各相易佐知欲用”
 を、どう読めばいいのでしょうか??稗田阿礼が物語ったことを太安万侶が文にしたのです。夫々に読み手によって読み方が分かれてもおかしくはないのですが、これを宣長は

     “カタミニ サチ カヘテ モチヒナム ト イヒテ”

 と読んでおります。「各」は「カタミニ」です。所が中には<オノモオノモ>と読んでいる訳本もありましたが、要するに「それぞれ」「おのおの」と言う意味になるのですが・・・また、「佐知<サチ>」ですが、幸<サチ>です。「幸」は、自分にとって生きていく上でなくてはならない大変有難く良いことです。それが、その己の幸を引き寄せるための道具をも意味するようになります。ここでは兄の<サチ>は釣り針です。弟の海彦のは弓矢です。
 その<サチ>道具を取り易(か)へて使たらどうかなと海彦が思ったのです。海彦の方が何でもやってみたいと言う革新的・進歩的な若者志向の考えを持っており、何でも物事を執り行うのが慎重で保守的な兄の山彦に挑戦するように尋ねます。

 「兄さんと私は、今、大変幸福な生活をしております。所で話は違いますが、私たち兄弟は、これまで、夫々違った生活体験はしたことがありません。お兄さんがどのような幸福な暮らしをしているの分かりません。お兄さんも私の暮らしがどのようなものか味わったことが無いでしょう。そこで、な話は変わるのですが、私の持っている大変大切な道具である弓矢と兄さんの持っている、これ又、大変にありがたい道具である釣り針と、ちょっと交換してそれを使い、夫々の幸を味わってみてはいかがでしょうかね。」

 と、申し出たのです。

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 あの、是は、誠に、蛇足にもならないような私の雑音ですが、お聞きください。万葉集に

  “山辺には 猟夫(さつお)のねらひ 恐(かしこ)けど 男鹿鳴くなり 妻が目に欲り”


 の歌がありますが、この<サツ>も、この幸<サチ>がら生まれ言葉ではないでしょうかね???どうでしょうか。