私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

海佐知毘古と山佐知毘古

2019-01-09 10:03:37 | 日記
 木花之佐久夜毘売の生んだ第一子「火照命」と第三子「火遠理命」ですが、夫々役目が違い兄の火照命は

         “鰭広物鰭狭物<ハタヒロモノ ハタサモノ>”

 を大海原で大小の魚を獲って、また、弟の火遠理命は野山で

         “毛麤物毛柔物<ケノアラモノ ケノニコモノ>
 
 大小の獣を獲って暮らしておりました。だから、此の二人は、別名「海佐知毘古<ウミサチヒコ>」「山佐知毘古<ヤマサチヒコ>」と呼ばれていたのです。

 所がです。ある時、弟の火遠理命が兄の火照命の所にやってきて

            “各相易佐知欲用”

 と、云ったのです。これをどう読むと思われますか。「佐知<サチ>」は海佐知、山佐知の「サチ」です。さてなんと???

さて、また古事記を・・・「火須勢理命」は何処に???

2019-01-08 11:42:14 | 日記
 ニニギやサクヤヒメはその後どうなったか??古事記での報告はありません。どなたかご存知ですか???

 さて、その事はそれとして、古事記では、話がその御子達に飛んで行きます。それが「海彦山彦の話」になっております。ここでも、また、話の筋道が一体どうなっているのか?分からないに事が起こって来ます。それは「サクヤヒメ」がお生みになった第2子

        “火須勢理命<ホスセリノミコト>”

 のことです。この神様は、どうした訳ですか、その後の話の中には顔を覗けません。古事記などの日本神話の、その後の中心と言いましょうか、主役になるのが、サクヤヒメが生んだ第一子と第三子だけなのです。第二子は姿が見えません。何処へ行ってしまったのでしょうかね
 そこらあたりの事情も何も書いてありません。皆目見当すら立ちません。「宣長先生は、もしかして」と、目を通しますがありません。でも、先生も無言です。

 「書いてある通りの事だけろ読みなさい。それが古事記の読み方だ。どうして、どうして、などと読んではだめだよ。」

 と、教えてくれているような気分になりますが、でも、凡人である私には気になって仕方ありません。つい、不要なお節介を焼いてみたくなり、それを少々書いてみますので、無視してください。

 私見です。
 
 サクヤヒメの第一子は
           「火照命<ホデリノミコト>」
          最初に火が燃え始めて、辺りが、急に、照り明るくなった時にうまれた御子
       第三子は
           「火遠理命<ホヲリノミコト>」
          その火が次第に火の勢いが弱くなって生まれた御子
 それに対して第二子は
           「火須勢里命」
 火が一番<スサマシ>く燃え盛っている時に生まれた御子ですから、あの「スサノヲ」のように気が荒くは、早くから人々に迷惑ばかりかけており、この世から排除されていて、もうこの世の人ではなかったのではと思うのでが?????それに対して、ホデリとホエオリは火が燃え始めの時と終わりごろの火力が弱まった時に生まれたのですから、気分も弱々しく、第二子「スセリ」より随分と柔らかく、温和で温厚な御子だったのではないでしょうか。

  どうでしょうかね????

 

さばかりの才にはあらぬにやと・・・・

2019-01-07 10:31:21 | 日記
 新年に入り穏やかに日が続いており、正月気分もようやく薄らいで、又、元のわずらわしき浮世とやらに戻ってまいっております。私の生活には、全然、関係が無いのですが、「株価も、また2万円を回復した」とテレビで報道されております。「平成31年」も後5ヶ月です。そんな時に「論語だ。何だ」と、さも得意げに知りもしないのに知ったかぶりをして書いている私です。お笑いください・・・・
 「ええかげんにせえや」
 と、お叱りの声がそこら辺りから冬風に乗って飛んできそうです。まあ、それもいいのではないかと、今日も、またまた、その知ったかぶりをふり撒いてみます。無視してください。あの世からの迎えがすぐ側にやってきておりますので、腹の足しにもならない、よしなし事を書いてみます。
 
徒然草の中にも、

  ・・・・「今は忘れにけれ」と言ひてありなん。おほかたは、知りたりとも、すずろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え・・・

 と、ありますように、年寄りは、何事についても、「ああ、もうとっくの昔にそんなことは忘れてしまった。」と言うのがよい。知ったかぶりをして知りもしないことを「ああでもない。こうでもない。」などとやたらとまくしたてるのは愚の骨頂だと言っております。
  
     それこそ、チコちゃんにも叱られそうですが????
 

知ったかぶりして「論語」を少々・・・

2019-01-06 10:21:12 | 日記
 「論語読みの論語知らず」の通りですが、昨日の閑谷学校の「読初の儀」について、あまり分かりもしないのですがもう少しお話してみたいと思い書いております。お暇なら御読みください。
 
 昨日は、四日の閑谷学校の講堂の席で論語のどの部分が解説なされたか不明だと書きましたが、今朝の新聞によると、今年解説された論語は「泰伯第八」にある

                 

 という所だそうです。
  「士は心を弘く毅く以っていなくてはいけない。何事にも強く耐え忍ぶ心を持ってなくてはその責任を十分は果たすことはできない。此の事は、それぐらい重くて永遠の道でもあるのだ。己の持つ人としての道「仁」によって死ぬまでその責任を果たさなくてはならないのだ。」
 と、云うくらいな解釈になると思いますが???
 
 特に、この中の「仁以為己任」(仁を以って己の任を為す)ですが、この部分を読むと、近頃の社会情勢と相反するような響きが感じられ、何かしらどきりと心に響き入るような不思議な感覚に陥るのですが、私だけの感覚でしょうかね??????口先だけで総てをごまかして、それで「一件落着!!!」と、大見えを切っているような何処かの国の誰かさんに是非読ませたい言葉だと思うのですが???

新年早々????

2019-01-05 11:30:16 | 日記
 あまり興味がないかもしれませんが、またまた!!!!????私の自慢の品を・・・

 岡山県には、現在、国宝に指定されている建造物は、昨日ご紹介した、吉備津神社と閑谷学校がありますが、今日はその閑谷学校の講堂の写真をお見せします。
                

 そこでは、毎年、歳の初めに「論語」の素読をしているとのことです。私は、まだ、その会には一度も参加したことはないのですが、沢山の人が参加しているとテレビで報道されていました。今年は論語のどの部分が読まれたかは分からないのですが、これ又、岡山の大変珍しい新春の行事なのです。

 さて、論語とは何でしょうか???2500年前の孔子が説いた教えなのだそうですが、日本では奈良に都があった頃には多くの人が論語を読んでいたと言われています。古事記によると、百済の王が「千字文」と一緒に伝えられたとあります。
 私は、その論語の元禄時代に出た本を持っております。
                 
               

  その最後の文ですが、余り聞いたことが無いと思いますのでお見せします。
               
 
 難解の文ではないのではと思いますので、解釈してみてください。