時々 歩くのさえが 息切れ気味 の 疲れた カメ になっちゃいます。
母 が あと5日で 87 歳 の誕生日を迎えるという この日、
家族が集まって 米寿の祝い をすることになりました。
これは 2年前の 4月に 父 が 先に済ませたお祝いでした。
そんな 父 も 今年は 89 歳。
ちょうど 卒寿 にあたる というので
2ヶ月ほど早いながら 一緒に お祝いすることになりました。
母の 米寿祝い のお話は 新年会の時に出ていました。
父は今回も 「俺も今年は 卒寿 だ!」 と ひとり言。
<今回も> と云ったのは 米寿祝い の時も 父が自ら言い出したことだったからです。
(その時のお話は こちら で ご覧ください。)
「やっぱり みんなに祝ってもらいたいのね!」
そう思いながら、今年はちょっと切実感も漂います。
… というのも 昨年 父の健康に問題があり、家族が呼ばれる などしたことがあったから!
両親の健康を 以前より気にすることが多くなっているので
こういった <祝い事> ができるのは 嬉しいことだと思えます。
そんなことから、ここからは少し 病院のお話 になります。
昨年のクリスマス会の時、父は
「俺もいよいよ終わりだな!」 と 年内で消滅 してしまうが如く言っていました。
確かに、若い人なら もっと完璧な手術や治療が受けられたらしいのに
高齢のため そこまでの手術に体が耐えられないということで
年齢に応じた手術を し、
その後も 治療と経過観察が必要になっているので
今も安易には考えられない状況とはいえます。
初めて病院に呼ばれた時、
40代くらいの <主治医>の先生の 家族の質問に答える態度の横柄さに腹が立ち、
「先生はたくさんの患者さんを見ていらっしゃるから 当たり前のようなことかも
しれませんが、家族にとって父は たった独りの存在なんです。
知識も先生ほどに持っているわけではない 今聞いたばかりの家族が、
心から心配 して 不安いっぱいで聞いているんですから ちゃんとわかるように、
納得できるまで説明 してください!」 などと食い下がって、自分でもびっくり!
けれども、たとえ先生であろうと <慣れ>や<自分は偉いと思っているかのように
とられそうな上から目線での応対>は いいはずがない という思いがありました。
それでも 口調は 冷静に、穏やかに …!
するとその効果はすぐに出て、あとの会話は まともなものになりました。
今現在、実際に <治療> を担当 してくださっているのは女医さんです。
そして この方は 父がモタモタと質問を しても、私がいろいろ聞いても
しっかりと目を見据えて話 してくださるので 信頼に値すると思えています。
患者 と 家族 が 先生を信頼できる こと
それが基本にあってこそ の 病院 であり 治療 なのではないか!?
そんな風に思った出来事でした。
今は 少し気持ちが落ち着いてきている父です。
健康な人でも いつどうなるかわからない時代を生きてはいるけれど
両親が高齢であることに変わりはなく、
<一年> という周期の加速度が増 していることを痛感させられている 今、
そして だからこその この先、
ますます健康を維持 していく上での闘いは熾烈化 してゆくものと思われます。
家族での集まり。 家族の団結。 その中心にいる 両親 です。
絆 というものを考えながら、連れ出せるうちは 何だかんだと .....
出来るだけ一緒にいられる時間を作っていかなくちゃいけないな 再認識!
ここからはまた お祝いのお話 に戻ります。
(その時のお話は こちら で ご覧ください。)
2年前は 全員が出席できましたが、
今回は 姪っ子(R)のだんな様が
仕事の関係で この日の朝 中東に向けて出発 していて 欠席。
それでも 計14名 が集結 しました。
この時期、<中東> と聞いただけで心配 になります。 無事の帰国を祈ります。
前回は マー君パパに迎えに来てもらった 私と チッチ(次女)でしたが、
今回は 終わったらふたりで遊びに行くということで、UG君が送ってくれました。
両親は 姪っ子(Mの夫婦)に任せ、ひとり電車で行く予定だった妹も載せてもらう
ことにして、途中で拾って行きました。
我々が到着 した時、
姪っ子(R)以外は もうみんな着いていて
待機処で 甘酒 を飲んでいました。
「こんなの以前にもあった? 待っている時間への気配りがあるのって いいわよね~!」
ちょうど お雛様の時期 だったから ということなのでしょうか、
私達もいただくと、
子ども達にも配慮 したと思われる
甘さ控えめで ほんのりと生姜の香りが漂う 優しいお味。
何杯でも飲めてしまいそうで、寒い日には体が温まって、
嬉しい心遣いだと思えました。
待合所の片隅 には 『甘酒』 が置かれ、反対側 には お雛様 が飾られていました。
姪っ子(R)が到着すると ちょうど呼ばれてお部屋へ …。
今回は1階でしたが 前回と同様 堀ごたつタイプの和室 に通されました。
お料理やお酒が出揃うまでの間に
母 には 米寿祝い の 黄色いちゃんちゃんこ を、
父 には 卒寿祝い の 紫色のちゃんちゃんこ を着てもらい、
記念品を渡 して 撮影会。
お店の方にも集合写真を撮っていただきました。
ひとり欠席ながら、米寿の母 と 卒寿の父 を 囲んでの お祝い会
『春の彩り小鉢盛り合わせ』 ター君も美味しそうに食べていました。
マー君には 『お子様膳』 名物 『団欒炭火焼』 さつま揚げ
『団欒炭火焼』 油揚げ と はんぺん
『寄せたて吟醸とうふ』 『たらば蟹すき鍋』
『チラシ寿司』 『豆乳のブラマンジュ』
名物の 『竹酒』 は 鹿威 し(ししおどし) の風情。
日本酒 好きの父は これを 3回も おかわり していました。
お料理は美味しかったのだけれど …
ちょっと残念だったのは
1週間ほど前に コースメニュー が リニューアルされ、品数が減って 高くなったこと。
また、
前回はあった 一輪のバラの花 と メッセージが付いた集合写真 もなくなっていて、
とても嬉 しいと思っただけに 淋 しく思えてしまいました。
物価上昇の折 だから
仕方がないことなのかもしれないけれど …
2年前には家族の会話を聞いた中居さんが、ハーフバースデーのター君 や
この日 懐妊を発表した姪っ子(M) にまで用意 してくださって感動 した気遣い。
〔 このお店の あの おもてなし心 が 嬉 しかったのにな~! 〕
やってもらうことが 当たり前 とは思いたくない!
だけど、どこかで元はとっているのが 商売 というものなんじゃないか!?
特に、お祝い事で使用する方の多い こんなお店では たぶん 完全なるサービス
というのは不可能なのではないか という思いがあったので
〔 どうせ値上げするなら、あの気配りが継続できるようにしてほしかったわ! 〕
そう思ってしまった出来事でした。
(ただし、各家庭分の集合写真だけは 以前と変わらず いただきました。)
今回 は ター君も自力で上り下り! 私も上まで行って みんなの健康を祈ってきました。
梅が咲き、 陽射 しも 水車の水音さえもが 心なしか暖かみを感 じるようになってきたような …
マー君 ター君 サーちゃん J ちゃん
子どもたちに動物パンをプレゼント したら 大喜び!
大事そうに ビニール袋をぶら下げて歩いていて、可愛くて笑えました。
こんなに喜んで くれたら 買った甲斐が あった というものです。
動物パンのお値段は ちょっと高めのようにも思えますが、パンのサイズは大きめだし、
コアラの中にはクリーム、フグの中にはチョコがたっぷり入っていて、ボリュームたっぷり!
パパやママも ご相伴させてもらったらしいけど、マー君なんか これでクリームパンに
目覚めちゃったらしく、しばらくの間 ひとりで買いに行ってまで食べていたんだって!
確かに最近食べなくなってはいるけれど、久しぶりに食べると美味 しいもんね~!
2013(H.25)年 の厚生労働省の調査によると、
日本人の平均寿命 は 男性 80.21 歳 、女性 86.61 歳 で、
前年に比べて 男性は0.27年、女性は0.17年 更新 したそうです。
日本人男性 は 4位 ということになったそうです。
前回も記載 したけれど、
◇ 米寿 (べいじゅ) : 満 87 歳 (数え 88 歳) < 金色 ・ 黄色 >
「米」 という字を分解すると 「八」 「十」 「八」 になることから、88歳の別称となっています。
「米」 には日本人の特別な思いがあります。 「八」 という字は 末広がりで縁起が良いとされ、
それがふたつも使われていることや、「88」 という数字そのものが吉事であるとの考えかたも
あるようです。 [ 米(よね)の祝い ] などとも云う。
昔は、祝いの会を開催 し、招待者に <枡の斗掻き>や<火吹竹>を贈る風習があったようです
が、最近では金茶色の衣類や日用品を贈ったり、お米にまつわる商品を贈るなど工夫を凝ら
しているケースも多いようです。
男女共に平均寿命を超え、本格的長寿祝いとして、特に盛大に行われることが多いようです。
※ 枡(ます) の斗掻(とか) き = 枡で 穀類などを量る時に、盛り上がった部分を平らに
均(なら)すのに使う 短い棒。
火吹竹(ひふきだけ) = 火を吹きおこしたり たきつけたりするのに使う 道具。
◇ 卒寿 (そつじゅ) : 満 89 歳 (数え 90 歳) < 紫 >
「卒」 を略 した字の 「卆」 が、「九十」 に見えるところから、90歳の別称となっています。
次の お祝いごと は 満 98 歳 (数え 99 歳)の時の 白寿 (はくじゅ) ということになるようです。
でも これからは 1年1年が 勝負 みたいなもの!
今後は毎年、何かの形でお祝いすることになるんじゃないかな!?
まだまだ 楽しみは続きそうなんだもの、
「大じいちゃん と 大ばあちゃん、いつまでも元気でね~!」 ひ孫 より
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今までもこれからも、大切な家族、大事な宝もの … ということで
2005(平成17)年 6月22日発売 アルバム収録曲、
あさみちゆき さん の 『こころのうた』
「もう何年経つのでしょう? あなたと出逢って…
泣くことさえも忘れた私に 優しさを思い出させてくれた」
「いつの日か胸を張って あなたの前で笑いたい
人の心を見つめる心 何も言わず教えてくれた」
「ずっとこの場所で生きてゆく きっとこの場所で生きてゆく
一緒に過ごした瞬間(とき)は 生きる私の宝もの」
まだまだ ずっと元気でいてほしい 両親。
いてくれるだけで みんながまとまれる 大事な存在です。
(※ ブログ内容や 歌詞から、その時 感じたことを書いています。)
彼女の歌を知っている方なら きっと
「井の頭公園の歌姫」 と呼ばれていたこともご存知でしょうが
ラジカセとマイク1本を持って、ビールケースに乗って歌い始めた というのが 2001(H.13)年。
テイチクにスカウトされ 『紙ふうせん』 でメジャーデビューしたのが 2003(H.15)年4月。
初のアルバム 『あさみのうた-港のカラス-』 の発売は 翌年6月でした。
『こころのうた』 は 11曲収録の 2枚目のアルバム 『あさみのうたII 』 の
最後に収められている曲です。
今でも 月一回の開催が行われているという <井の頭公園ストリートライブ> を
初期の頃から応援して下さっているファンの方々に捧げる曲 として
ちゆきさん自身が作詞を手掛けた作品となっています。
大切な人 というのは 何も ひとりとは限らない。
お互いが ずっと大事 と思い続けられたら なお素敵ですよね。
歯切れのいい澄んだ歌声が魅力の彼女。
今年、自身の誕生日である 1月11日に 一般男性と入籍され、
2月には 21枚目のシングルも発売され、
良い雰囲気で時が流れている と云えるのではないでしょうか。
(あさみちゆきさん関連の記事や歌については
『紙ふうせん』、 『林檎をかじりながら』、 『新橋二丁目七番地』 で ご覧ください。)
親は宝! 子も孫も、破壊魔ちゃんたちも含めて、家族はみんな宝でしょう。
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