不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

まいど、日本機関紙出版です。

〒553-0006 大阪市福島区吉野3-2-35
 TEL06-6465-1254 FAX06-6465-1255 

新刊本が出来上がってきた。

2007年12月11日 | 編集・営業ふらふら雑記
 新刊本『やる気を引き出す子育て・教育』(田中敏夫著)が今日から順次出来上がってき始めた。今回は初版2000部。こもだ製本へ600部引き取りに行く。取り急ぎ著者へ550部送る。続けて新刊見本を取次7ヵ所へ送った。日販5部、トーハン4部、太洋社が2部、あとは各1部ずつで合計15部。昔は1部ずつだけでよかったのに、今はネット書店関係とか、図書館流通関係だとかいろいろと登録に必要らしくて15部である。まあ、仕方がない。委託希望部数合計1100部を各取次ごとに細分して書類を作成、見本と一緒に送った。モノによっていろいろだが、だいたい日販では減数されることが多い。何とか希望数を配本して欲しいものである。東京の版元ならば直接仕入れ窓口に出向いてあれこれ希望を伝えたり、いろいろ交渉ごともできるのだが、なにしろこっちは大阪なので電話1本でのやりとりになる。しかも大方は決定部数を受け入れるだけという感じで、なかなかなのだ。
 予定では金曜日に部数が確定、来週月曜日に取次に搬入、水曜日には書店店頭に並ぶことになるが、ごく一部の書店にしか配本されない。約400部が在庫として手元に残り、これは注文対応分である。少ないといえば少ないし、多いといえば多い。そこんとこがなかなか見えないのだ。1100部委託しても最終的には半分は返品されてくる。そこからいかにして販売していくか。それが大事なのだ。何とか早く重版に追い込みたいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『陸に上がった軍艦』、実は私もそこにいた~本屋の窓から①

2007年12月09日 | 本屋の窓から

 ■映画のことはすべて本当にあったこと
 8月に公開された映画『陸に上がった軍艦』は、原作・脚本・証言者として出演している新藤兼人監督(以下新藤)の海軍二等兵としての実体験にもとづいている。監督・山本保博。

 時は1944年。新藤は、脚本家として認められたときに妻を亡くした。その直後に呉海兵団に海軍二等水平として召集される。最後は宝塚海軍航空隊で敗戦を迎えるまでの過酷な軍隊の日常を、ドラマの部分で描いている。
 陸軍の内務班(居住区)の非人間的残酷さを描いたのが『真空地帯』(山本薩夫監督)なら『陸に上がった軍艦』はその海軍編といえます。映画で描かれた話は事実です。私も同時期、新藤と同じ宝塚海軍航空隊で、甲種飛行予科練習生として実体験したからです。

 新藤と呉海兵団に同期入隊した兵士は100名。全員が奈良天理市の航空隊に転属。海軍が接収した天理教本部を予科練の航空隊にした。入隊前の宿舎の掃除、整備が任務だった。任務が終わると100名の内60名が比島マニラ派遣途中、輸送船が攻撃され全員戦死。次に30名が潜水艦に乗船したが消息を絶った。残った10名が雑役班として、今度は海軍に接収された「宝塚少女歌劇団」の施設、宝塚海軍航空隊に異動。大量の予科練習生を迎えるため掃除、改修を行った。途中で4名が海防艦に移り(消息不明)、結局6名が残った。練習生が入隊後は、風呂焚き、肥え汲みなど裏方の仕事を敗戦まで続けた。

 『陸に上がった軍艦』とは、班長の訓示、「われわれは、軍艦に乗っているのである。陸に上がってもすべて軍艦にいるとおりにやる」に表れている。軍隊とは、暴力で人間を支配し、思想と理性を奪い、命令どおりに動く殺人兵器に鍛え上げていく所である。
 映画の中の「海軍精神注入棒」は、私たちの場合は樫ではなく青竹だった。ヘマをすれば、尻にバットを喰らい、ビンタが飛ぶ。海軍では1人のミスが艦の運命に関わるので、全体責任として班全員が注入棒の洗礼を受けた。1人の鈍くさい練習生のミスに全員が何度も何度も撲られ、飯抜きになる。それが耐え切れなくなって阪急電車に飛び込み自殺したものもいた。

 屋上には高射機関銃が据付られており、米機グラマンと銃撃戦が行われ、兆弾が怖かった。また、甲山までの演習行軍中襲われたこと、川西航空機工場の空襲で夜空を火が焦がしたこと、対戦車特攻の訓練など、いずれも練習生も体験した事実である。
 敗戦の2週間前、淡路島の旧要塞補強のため16期生が渡海中、米軍機の攻撃を受けて76名が戦死した。その遺骨が宝塚航空隊に還ってくるシーンがある。整列して迎える練習生の中に、酒井猛さん(元日本共産党吹田摂津地区委員長)の若き姿があった。(酒井さん、了解もとらずごめんなさい)。

 ■100人入隊し生き残ったのはわずか6人
 敗戦を告げる天皇のラジオ放送を、新藤は士官当直室前で、私は大劇場に集められて聴いた。下士官の中には徹底抗戦を叫んで軍刀を振り回すものもいた。私たちは、気持ちが落ち着くと「死ななくてすむ」という安堵と「これからどうなるのか」という不安の夜を過ごした。

 新藤は「100人招集されて生き残ったのは6人。94人は1人ひとり家庭を大事にしようと一生懸命働いていたわけです。それを引き裂くということが起こるのが戦争なんですよ」という。
 生前の兵士に届いた妻のハガキには「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないのでは、何の風情もありません」と。生きて再び夫に逢うことのなかった妻の哀しみ。国家は耐え忍ぶことを強要し、靖国の妻として名誉を与えた。何が嬉しかろぞ。
 映画を観ての帰り、余談でカミさんが「あなたの〝考える前に跳ぶ〟無鉄砲さは、予科練志願から始まっているのね。えらい人(トンデモイナイ人)と一緒になったもンです」と皮肉るが、今はもう跳ぶ力はありませんです。ご安心を。ハイ。(尾) 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月1連載、新たに始めます~本屋の親父エッセイ「本屋の窓から」

2007年12月09日 | 行事のご案内&報告
 私の近所のいつもお世話になっている書店さん、吹田市民書房の尾上さんが毎月の読者向けお便りにエッセイ「本屋の窓から」を連載されています。書店の話やご自身のこと、諸々の事柄について、非常にこだわりをもって書かれています。了解をいただいてこのエッセイを月1回、ここに紹介することになりました。では、では・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛ちゃんに脱帽~給食室から見た子どもたち③

2007年12月07日 | 給食室から見た子どもたち
 いつもゆっくり給食を食べる愛ちゃん。今日は特に遅い。「どうしたのかな」、先生と一緒に給食室に来た。泣きべそ顔だ。「自分のお口で言って」。心の中で応援。小さい小さい声でボソボソ。そして先生と一緒に「納豆がない!」と。今日のお汁の具は大根、人参、納豆だ。納豆が入ってなかったんだ。林先生、大なべの中に沈んでいる納豆を愛ちゃんのお椀にいっぱい入れた。「ヤッター」「ヨカッタ」「ちゃんと入れてね」。全部表現したような複雑な顔でテーブルについた。
 おかずは豚肉とい野菜の煮物。「手間やなー」といいながら「豚肉、大根、人参、こいも、こんにゃく、ごぼう」と言いながら、盛り付けていたのでホットした。適当にしていたら泣く子を出していたところだ。定年後、気楽に引き受けた給食室のアルバイト。本人はそれなりにガンバッテいるつもりだが、またまた背筋を伸ばさざるを得ない場面にでくわした。(ほづみ保育園・中尾和子)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あはよう朝日です」に瞬間的出演!!

2007年12月05日 | 編集・営業ふらふら雑記

 朝7時に起き上がりテレビの6チャンネル「おはよう朝日です」を映し、ビデオ録画を始める。先週、京橋・山葵で収録された番組に映っているかどうかをチェックするためだ。7時34分ごろになって、そのコーナーが始まった。要は最近立ち飲み屋が流行っているということらしくて、それならば京橋だろうということで、何軒かを取材した内の1ヵ所であったということのようである。期待を裏切らずバッチリ放送された。特に一緒に飲んでた内の1人、T夫人は吹き出し文字まで付いているほどで、あの場、確かにレポーターとうまく絡んでいたのは間違いない。まあ、だから何なんだということなのだが・・・、確かに何もない。お店の宣伝になって良かったではないか。

 8時45分、職場に到着。集会委託販売からの返品2個を整理し、読者ハガキの返事を5通書く。この読者ハガキが実にありがたいもので、何よりの励ましになっている。普通、本を読んだ後、感想をハガキに書いて送るというとても面倒な作業をやる人は極めて少ない。うちの場合は送料着払いなのでそのままポストに投函してもらえればいいだけだが、出版社によっては切手を貼らなくてはならないものもある。それでもこうして手間隙をかけてわざわざ書いて、送ってもらうのだ。そのことの意味をしっかりと受けとめねばと思う。以前新聞か何かで読んだことだが、集英社新書の一般的な初版は10000部。これに対して、余程話題になった場合を除けば、読者ハガキが送られてくるのは5部~10部程度だとのことである。それと比べるならばうちの場合、初版1500部~3000部ということで考えると、そんなに悪くはないという感じはするのだが・・・。

 午後、来週出来上がる新刊『やる気を引き出す子育て・教育』(田中敏夫著)の新聞広告原稿を作成、宣伝チラシも出来上がった。書店へのFAX案内も同時に送る。さっそくいくつかの書店さんから注文の返事が送られてきている。デスクの隣にFAXがあるのだが、ツッ、ツッ、ツッ、ツッという紙を送り出す音がなんとも心地よい。まずまずの反応ということか・・・。ありがたいことです。

 夕方、大生連本の原稿の催促で京都の弁護士さんに電話する。保守的立場にある国会議員から、生活保護利用者の実態について知りたいというような意見が出ているそうで、今度それに関する本を出す予定にしているという話をしてきたとのこと。ありがたいことである。そうなのだ。結局、そういう政治の中心にいる人はなかなか見えてはいないのだろう。ぜひこの本を見てもらって勉強して欲しいと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「1人はみんなのために、みんなは1人のために」。そんな国にしてください。

2007年12月04日 | ただ今、編集作業中の本

 生活保護利用者の実態を知ってもらうための本を現在編集中である。編著は全大阪生活と健康を守る会連合会(大生連)。毎年夏と冬に大阪府・市と交渉を持ち続けてきており、そこで会員さん自身の口から語られた生の発言を中心にまとめようというものだ。つい先日行われた交渉での発言も収める予定で、今、追加原稿を書いてもらっている。

 さて、厚生労働省の「生活保護基準に関する検討会」が、ワーキングプアや貧困層が増大していることを背景に、低所得世帯との比較で「生活保護の基準が高い」として、その引き下げを提案した。厚労省はその内容を来年度予算に反映させる姿勢を見せており、最後のセイフティネットとしての生活保護制度が重大な危機に直面している。生活保護基準は他のさまざまな制度の基準としての役割も持ち、それが切り下げられると、国民生活へのマイナスの影響は大きく厳しいものとなる。いったいどうしたらこのようなさかさまの発想が出てくるのだろうか。やるべきことは低所得世帯にこそ、生活保護の制度をどんどん知らせてその利用を促すことであって、逆に低いほうに合わせていくとは何を考えているのか。

 特に大阪府・市はこの間、保護基準の削減、老齢加算の廃止、母子加算の削減、夏季・歳末一時金の廃止などを行い、利用者の生活はまさに人間としての尊厳を賭けた日々であると言ってもいいぐらいで、その一方、自らの失政のツケを府民と市民にまわし、知らんフリを決め込む大阪府・市。そしてどこかの国に対しては財布然として、湯水のごとく言われるがままにお金を払い込み、史上空前の利益を上げている大企業や大銀行のために次々に優遇政策を打ち出す亡国政府・・・・。
 
 こうして書いていると段々と腹が立ってくるのでもうやめておきますが、以下に生活保護利用者が保護費削減で何を苦労しているか、その一部と、あるご婦人の方の発言を紹介しておきます。続きは本になってから読んでください。

●保護基準の削減、老齢加算の廃止、母子加算の削減、夏季・歳末一時金の廃止などで何を節約しているか。
 ▼入浴回数を減らした(6回から3回に)▼シャワーで身体を洗うようにしています。最近シャワーも2日に1度にしつつあります▼(仕事の通勤)JRの「イコカ」を使わず金券ショップでJスルーカードとカンサイカードを買っている▼食費を抑えている▼器具、家庭に必要なものも買えない▼経費のかかる趣味などには入会しない▼洗濯物を少なくするようにしている▼スーパーの袋は何度も使う▼子どもにお金がかかるので、自分の物は買わない▼必要なものは100円均一で買う▼水道代が高いので、実家で洗濯する▼スーパーのチラシに常に目を通し、安い所に買いに行く▼古着を買うようにする▼靴は自分で修理する▼外出しない、何もしない▼部屋の灯りは一ヵ所しか点けない▼配布しているティッシュや、化粧品のサンプルをもらう▼必要以外は飲食しない▼不要になった物は、例え50円でもリサイクルに持っていく▼おかずを3品から2品に減らした▼テレビは見ないでラジオを聴いている▼交際費・冠婚葬祭日を控える▼公共料金をおさえる▼スーパーに閉店間際に行き、半額になるのを待ってから買う▼冷暖房機はできるだけ我慢する▼外出を控える▼安売りのチラシをこまめにチェックする▼図書館ですごす▼洗濯はお風呂の残り水で洗っている。下着類は手で洗っている。電灯は、昼間は明るいので、夕方近くまで点けない。クーラーは熱い夜だけタイマーにして過ごす▼正月のおせちも生活保護に入って、5年が来ますが出来ない▼預金がないので、一度借金をすると、毎月返済することになるので、それをどう節約するかたいへんです▼交通費が高くて、どこにもいけない▼新聞代が高くて読むことができない▼お風呂がないのでベランダで行水をしている▼毎日チラシを見て、1円でも安いスーパーに行って、まとめ買いをします・・・・。

 ●夫の暴力から逃れても母子加算廃止で、やりくりに夜も眠れず

 私は小学校4年生と3年生の男の子2人をもつ母です。
 次男が入学する前に離婚をし、八尾市に引っ越してきました。離婚の原因は前夫の酒乱でした。言葉の暴力、家のものを壊すなど、最終的に、私は手の骨を複雑骨折するケガを負いました。お酒を飲まないときは優しいのですが、飲むと急変し、また繰り返す、その同じ繰り返しが続き、そんなことで生活はいい方向には戻りませんでした。
 収入面でも夫の勤務先が突然つぶれてしまい解雇となり、夫はますますお酒に溺れていくようになりました。働き先もなかなか見つからず、家計も苦しくなり、私は昼のパートだけでは暮らしていけないために夜のアルバイトにも行きました。それに離婚をする間近まで、なかなか眠れませんでした。そのツケがきたのか体調をこわしやすくなりました。
 夫と別れる直前は、その日のごはんを食べていくのが精いっぱい。所持金が少なく途方にくれていました。市役所(福祉事務所 注=大生連)に何度も相談の電話をしましたが、冷たく、人の話をまともに聞いてくれません。実家の母は入院していたこともあり相談ができず、私が離婚を決めてから母に報告しました。

 保護決定に涙が止まらず
 両親の紹介で生活と健康を守る会を知り、入会させていただきました。すぐに「会」のかたは動いてくださり、本当に心強くありがたい気持ちでいっぱいです。生活保護を受けられると決まったときは、本当に嬉しくて、嬉しくて、涙がとまりませんでした。私が生活保護を受けるようになってから、同じ立場の人の少しでも支えになれる仕事がしたいと思い、ヘルパーの資格をとりました。いまは在宅ヘルパーの仕事をし、がんばって働いています。
 仕事を始めてから半年経ったころ、ケースワーカーから、「8月に入ってくる児童扶養手当で生活をしてみて、ダメだったら申請にきてもいいよ」(児童扶養手当と就労収入があるから、ケースワーカーは生活保護を廃止すると言ったが、保護基準は下まわっていた。注=大生連)と言われ、まだ、その頃の私の収入は5万円にも満たなかったため、不安で、突然、目の前が真っ暗になりました。
 在宅ヘルパーの仕事は、お客さんの信用があってこそできる仕事で、働きはじめの私には、なかなかお客さんはつかず、この仕事を辞めなきゃいけないのかと思いつめていました。そのときも「会」の人に相談をし、抗議してもらいました。
 するとケースワーカーの方から電話があり、「追い詰める言い方をしたつもりはないけど、今の調子でがんばって下さい」と態度が急変しました。これにはとても驚き、私が言われたとき、理由を話してもちゃんと聞いてくれなかったのにと、悔しささえ覚えました。

 ストレスで髪の毛が抜け落ちた
 子どもたちが1年上に進級するころには、お客さんもふえて仕事も順調になりだしましたが、しかし、突然、思わぬ形で仕事を休むことになりました。
 5月になり髪の毛を洗うたびに髪が束のように抜けはじめ、仕事をしていても歩いていても、落ちるようになり、最終的には全部抜け落ちてしまいました。原因がわからず病院で血液の検査などをしても、「体の病気じゃない」といわれ、ストレスが原因と診断されました。いちばん悲しかったのは髪の毛が抜け、外に出るのも恐かったことです。ヘルパー1級の講義を受ける勇気ももてなくなりました。ヘルパー1級の資格をとれば、非常勤になれる話がでていたからです。
 そんなころ、なにより心の支えになっていたのは子どもたちでした。どんなときでも私を受け入れてくれて、普通に接してくれました。
 「こんな所で引きこもっていてはダメだ」と思い、3週間休んでいた仕事に復帰しました。髪の毛がまったく無いため、お客さんもびっくりされるので、バンダナを巻き仕事を再開しましたが、不審に思われる方も多く、断られることもありました。病院からも、元の髪に戻るのは最低3年かかると言われ、1年経った今もうまく生えてきません。
 そのこともあってか、よく体調をこわすようになりました。収入はいま10万円いけばいいところで、生活保護費も減額されるようになり、家計はどんどん苦しくなっています。節約できるところは、光熱費、食費代、衣類代なので、電気は1つの部屋でなるべく集まるようにし、台所でごはんを作る時は小さな電気だけつけるようにしています。ガス代も高いので、親子3人で一緒に入るようにし、お風呂の水はたくさん入れると水道代がかかるので、わかすことができる、ぎりぎりまでのお水しか使わないようにし、その残り湯も洗濯、掃除などに利用しています。

 子どもの将来のためにも納得できない
 小学4年生のお兄ちゃんは年頃なのか、お風呂には1人で入りたいと言うようになっていますが、休日だけという約束でいまだにガマンしてもらっています。食費も食べざかりの子どもたちなので、質より量で、安くなる夜に半額シールの商品を買いに行って、食費を削れるところまでけずっています。衣類も育ちざかりの子どもたちなので、去年、着られた服は、今年はもう着られない服が多く、年子なので着まわすこともできず、バザーなどに行き買うようにしています
 夜、眠りにつくころ、「まだ削れるところはないかな」と思い悩んでしまうと、眠れない夜もあります。これから子どもたちには、どんどんお金がかかっていくのに、母子加算の廃止になれば、本当に子どもの将来のためにも納得できません。最低限の人並みの生活をさせたいと思わない母親なんているでしょうか。少子化問題を抱えている今、存在しているこの子たちを守っていけない国に将来があるのでしょうか。どうか母子加算の減額、児童扶養手当の減額をやめてください。「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」、そんな国にして下さい。(八尾市・30歳代・女性・母子3人世帯)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故矢野周作を偲ぶ~一周忌追悼音楽祭

2007年12月02日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 大切な記録として記しておきたい。

 11月11日の日曜日、谷6の「ほっとすてんしょん」で〈故 矢野周作を偲ぶ1周忌追悼音楽祭〉が行なわれた。矢野周作さんは関西大学混声合唱団「葦」の3年上の先輩で、学生時代はもちろん、私の結婚式の立会人を引き受けてもらうなど、社会人になってからもたいへんお世話になった人である。団内はもちろん、学生のうたごえ仲間内では通称・ケッサクさんと呼ばれ、たくさんの仲間に親しまれた人であった。

 昨年の11月8日、53歳の若さで逝ってしまい1年が経過、夫人の純子さんの提案に応えてケッサクさんと親交の深かった人たちが賛同協力し、開催にこぎつけた。参加者は、合唱団「葦」の関係者、夫人の出身サークル旧大阪府立公衆衛生看護学院うたごえサークル「あざみ」の関係者、大阪学生うたごえ協議会つながりから大阪府立大学うたごえサークル「雑草」の関係者、大阪工業大学2部うたごえサークル「こぶし」関係者、旭区高殿学童保育関係者、旭区高殿キックベースボール関係者ほか、南は鹿児島から東は長野からも呼びかけに応えた80人あまりであった。

 12時半、純子夫人のあいさつで音楽祭が始まった。
「本日は、夫、矢野周作の追悼音楽祭にご出席いただきありがとうございます。11月8日で夫、矢野周作が亡くなって1年が経過しました。この1年、長い1年だったように思えますし、早い1年であったようにも思えたりの1年でした。
 今回の取り組みを計画し準備を進めていく中で新しい出会いがあり、懐かしい再会がありました。みなさんからたくさんのあたたかいお言葉や、優しいお気持ちをいただき嬉しくてたまりませんでした。歌が好きで、ギターが好きで、お酒が好きで、友達が好きで、にぎやかなことが好きなケッサクくんでした。今日は、お集まりいただいたみなさまとケッサクくんが好きだった歌をたっぷり歌ってにぎやかに思い出を語り合えればと思っております。
 この1年のいろんな思いを支えてくださったみなさんに、今日の日の実現にご協力くださったみなさんに、お忙しい中、駆けつけてくださったみなさんに、心から感謝しお礼申し上げます。
 この1年、同じ場所に立ち止まったままの私でしたが、みなさんに支えていただき見守っていただく中で、やっと次の1歩が踏み出せそうな、自分のためにも、子どもたちのためにも、そして夫、矢野周作のためにも、次の1歩を踏み出さなきゃいけないような、そんな気持ちで今日の日を迎えました。
 これからも、どうか末永くお付き合いいただきますようお願い申し上げます。
 本日は本当にありがとうございました」。 


追悼音楽祭プログラム


司会のGさん、実行委員長のTさん、そして純子夫人


ギッシリの人で埋まった会場のほっとすてんしょん


オープニングはGさんとYさんの「今はもう誰も」


ライブ活動もしている獣医のNさんはオリジナルを披露


全国から仲間が集まった旧あざみコーラスのみなさん
久々に聴いた「大阪の子守唄」は当時のままでした


岡山は蒜山から駆けつけたフリーダムのみなさん


フリーダムさん、「人生ありがとう」をありがとう


Sさん、心からのメッセージありがとう


純子夫人の仕事仲間のみなさん


大阪府庁うたごえのみなさん


飲食を忘れて聴き入る


英語で歌った長女のMさんはただ今、歌の修行中


Tさんはケッサクさんの同学年。いつ聴いても素敵な歌声です


次女のIさんはピアノ伴奏で参加


ケッサクさんの遺影とともに


アコーディオンソロのKさん


お礼の挨拶を述べる純子夫人


ケッサクさんの好きだった歌を家族で


なつかしの歌を次々にシングアウト


中締め後、最後に記念撮影

 入院の知らせを聞いてお見舞いに行った。再訪を約束し帰ってから、亡くなったとの連絡が来たのはそんなにまだ日が経っていない時だった。聞いていたことと違うじゃないか。まさに突然訪れた死であった。葬式に参列したものの、もっと何か出来なかったのかという悔しさのような思いを抱きながら、その後の時間は過ぎていった。そんな時、純子夫人からこの音楽祭の呼びかけがあった。
 音楽祭は成功した。一番に愛され、一番に身近な人たちが、その喪失感から前へ進んで行こうと思ってくれた。それが何よりではないだろうか。そして私を含む周りの人たちにとっては、この音楽祭に参加したことが故人への何よりの供養であり、またそれぞれにとっても納得のいくお別れ方となったのではないだろうか。

 純子さん、ありがとう。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『子どものやる気を引き出す 子育て・教育』教育「改革」3法への疑問から~田中敏雄 著

2007年12月01日 | 新刊案内

 中央教育審議会が「学習内容の3割削減」廃止、授業時間増加などを打ち出し「学力」向上対策をまとめました。しかし、授業時間の増加や学習指導要領の見直しで本当に「学力」が向上するのでしょうか。大事なことは、いかにして子どもたちの知的好奇心を旺盛にし、やる気を起こさせるかです。そこでこの本では、子どもたちにどのようにして「やる気を引き出す子育て・教育」をしていくのかを提案します。

 

『子どものやる気を引き出す子育て・教育』
教育「改革」3法への疑問から
田中 敏夫 著
四六判 216ページ 定価1500円(税込)
ISBN978-88900-848-7

●著者紹介
  田中 敏夫(たなかとしお)
 ・1931年兵庫県で生まれる。1952~1991年神戸市内の小学校に勤務。 1953年秋「神戸作文の会」の創立に加わり、現在に至る。1967年より「神戸子どもを守る会」の活動に加わり、現在副会長。1993年5月~8月国民平和行進 東京~広島間、通し行進者として90日間行進。2002年より「タンポポ親子クラブ」主宰。
・著書 記録集「私の平和行進」(自費出版)「作文どんどん書いたよ――表現意欲を育てる教室」「家族っていいな――お母さん お父さんは素晴らしい」「遊びは成長の糧――瞳が輝くとき、思考も行動も活性化する」(以上、兵庫問題研究所=現、兵庫人権問題研究所)、「子どもが夢中になる50の名場面――小さな子ども王国を地域・学校に」(清風堂書店)、「小学生と非行――指導の道筋と実践例」(共著、民衆社)。

 

●もくじ

 はじめに

 第1章  勉強にばかり気をとられていると子どもの真の力を伸ばせない

  1 書店にあふれる「学習書」
     学力低下はほんとうか?
     今も昔も「学ぶ」意欲は変わらない
     学習意欲を高めるには
     おもしろさと喜びが飛躍のカギ
  2 能動的に取り組むそのとき、力を発揮
     やらされる勉強は逆効果
     子どもの知的欲求が高まるとき
  3 世間の風潮に流されず、教育の「ありよう」を考える大切さ
     売れなくなった教育関係書
     競争させれば学力は伸びるのか
     学級内に育った思いやる気持ち
     見直すべき学校教育のあり方

  第2章  子どもは自分の力が発揮できる場を求めている

  1 学習の場に子どもの参加を
     「朝の学習」係りを子どもが率先
     学習への興味が自然に育つ
     希望者多い「当てる係」
     みるみる読む力がついた
  2 自由意志を発揮する場を 
     熱心さと根気強さに驚く
     遊びを忘れたように一心に
     「遊び心」を発揮し活かす場がある

 第3章  実体験が子どもの心を育てる

  1 子どもの暮らしとメディアの世界
     子どもの心の動きに目を向けて
     乏しくなる実体験
     自らの意思や行為を調整する力
     親子の触れ合いと遊びを
  2 子どもは自然に触れる機会を求めている
     植物観察で喜ぶ子どもたち
     よほど楽しかった1日
  3 文学作品と自然体験
     子どもの感性はみずみずしい


 第4章 〈勝ち組〉になる教育は〈競争主義的教育〉から引き継がれてきた

  1 曾祖父母・祖父母の世代は〈立身出世主義〉、父母の世代は〈進学〉、そして今、〈勝ち組になる〉教育
     教育に競争が必要か 
     1960年代、塾通いが増加へ
     子どもの内なる力と「学び」への欲求
  2 能力主義的教育で子どもたちが変わった1970年代
     習熟度別学級編成の導入
     寂しさ、イライラを綴る
     今ではさらに厳しく
  3 「勝つ」ための教育から、友達を「思いやる心」は育たない
     なぜ社会は荒んだのか
     競争に勝つことが目的に
     子どもの現実と徳育教育の矛盾

 第5章  深刻さ増す「いじめ」・「虐待」

  1 「いじめ」は体罰の見直しや出席停止では解決しない
     ゼロ・トレランスでは対処できない
     満たされぬうっ積した思い 
  2 なぜ起きる、子どもの虐待
     子どもは親の思い通りにはならない存在
     心が満たされないままに過ごす子ども期
     子どもに心豊かな原風景を
  3 競争社会も、親の考えや感情の押し付けも形を変えた虐待
     子どもがやる気を失う時
     「戦後」のありようを問うこと
     平和を大切にする心を育てるカギは
     勉強ぎらいになる社会的要因を除く
  4 「しつけ」には、子どもの理解が大事
     静かに話しか納得させること
     大人以上に約束を守る子どもたち
     子どもの論理で理解させること

 第6章 子どもの「やる気」を引き出すことの肝要さ

  1 「やる気」を起こしたとき心が活性化する
     脳の発達は、どう育てられたかで決まる
     自分が大切にされていることの実感を

 第7章 教育「改革」3法の成立で、今後いっそうの困難が予想され

  1 教育再生会議と教育再生機構、そして日本会議
     「教育の力で清め、再生めざす」
     『美しい国へ』と同じ内容
  2 『美しい国へ』で本音を述べる
     憲法前文は〝詫び証文〟だ
     「従軍慰慰安婦に狭義の強制はなかった」
     加害の事実から目をそらす歴史認識
     歴史の事実は覆い隠せない
  3 サッチャー(英国)の教育改革を褒め称える安倍首相
     学校査察機関が徹底チェック
     「子育て命令法」で親に罰則を
  4 授業時間数の増加は「学力向上」につながるか
     わかる喜びが大切
     特別な意味を持つ長期休業日
  5 「ゆとり教育」の狙いを率直に述べた三浦朱門氏
     できない子はできないままでよい
     「塾」を教育機関と認める
     「戦後教育は〝悪平等〟だった」
  6 学校教育法を「改正」し、学校評価規定と副校長・主幹・指導教諭を新設
     評価基準は上から示される
     指導案公開で競争あおる
     鍋蓋形の教員構成の崩壊へ
     まるで戦前の「視学制度」の復活に
  7 教育目標に「国を愛する態度」「公共の精神」など
     「徳育」を教科にする
     子どもには「毅然たる指導」で対応
     徳目の中心に「我が国と郷土を愛する態度」
  8 ジェンダーフリー教育禁止を主張する教育再生機構
     教育の現在を恣意的に解釈
     男女共同参画基本法の廃案をめざす
  9 教育職員免許法の「改正」は、物言わぬ教師作りが狙い
     大学運営にも新自由主義の波が
     教育への介入がねらい
     教育の国家管理が最大の目的


 第8章 教育基本法が「改正」された今こそ憲法を守る力を

  1 「戦後教育は悪平等だった」は憲法の精神に反する
     厳然たる格差のあった戦前教育
     「特色ある学校作り」でさらに格差拡大へ
  2 戦前、「生活綴方教育」は徹底的に弾圧された
     弾圧された生活綴方教育
     空気のように脈々と生きる憲法
  3 小さくても憲法を守る「九条の会」を地域や職場に
     近所の人たちが呼びかけ人になって

 おわりに

 資料編

お問い合わせ、お申し込みはこちらから

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする