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コジキジゲン

芥子、化、乱・・・くちなし・・・

2013-08-10 15:49:22 | 古事記字源
 くちをしきもの・・・「朽ちる」のが「モッタイナイ」であるかな・・・「くちなし(梔子・巵子・支子)の花」も「朽ちる」・・・「巵(シ)」は古代中国で使われた酒杯、酒盃の一。鉢形で、両側に環状の取っ手がある大杯であるらしいが、「卮」が源字で「四升が入る盃で一杯で傾き、空になると上向き、容量によってその傾きが変わる杯」である。「卮言(シゲン)」とは「バラバラ、辻褄が合わない、支離滅裂でトリトメが無い」であった。「酉(トリ)」は十番目の十二支である。トリで終わるのは「紅白歌合戦」・・・「口惜しきモノ」は「思うようにいかなかったり、辱められたりして、失望したり、腹立たしく思ったりするさま・(regrettable)」とあるが、「惜(を)しい」があるのに「口+惜しい」である・・・口で話せなくなったのか、口で食べられなくなったのか、呑めれなくなったのか、ザンネンである・・・古代史の文献で「生口」は「奴隷」とされているようだが・・・「生意気な口をキく奴」って・・・音声コトバは口から吐き出すモノだが、「息=呼吸」は吐いたり、吸ったりである・・・「鼾(いびき)」は煩い(うるさい・五月蝿い)である・・・ナガイキを留めて潜るのは「海女」さんである・・・
ーー↓

 「生」は訓で「なま・き・う・ふ・うぶ・いのち・い-きる)」で、更に調べれば、訓読みは、

 「ある(生→生存)・あい(生)・いかす(生かす)・いきる(生きる)・いける(生ける)・う(生→桃生)・うまれる(生まれる)・うむ(生む)・うぶ(生=産→産湯)・おう(生う)・き(生→生地)・なま(生)・なる(生る)・なす(生す)・はう(生う)・はえる(生える→発生)・はやす(生やす)・ふ(生)・さが(生→性)」、名のりには、「おき・すすむ・たか・ふゆ・よ」などがある・・・「生+口」・・・

 音は「セイ・ショウ」である・・・マルで「清少納言」・・・

 生口(セイコウ・いきくち)・・・なまこ=海鼠

                 生口(なまくち)

                 生口(うむくち)

                 生口(うくち)

                 生口(しょうくち)

                 生口(きくち)

 「なま(生)」で食べるよりも、「焼い」て、「煮」て食べた方が衛生上、安全だが・・・放射能汚染のモノは、焼いても、煮ても、叩いてもキケンであろう・・・貯蔵食品には「乾物・薫製・漬物」がある・・・

ーー↓生口

 倭における

 「捕虜」または「奴隷」・・・?

 107年(後漢・永初元年)

 倭国王

 帥升らが

 後漢の

 安帝へ

 生口

 160人を献じる(後漢書)

 倭王

 卑弥呼が

 239年(魏・景初二年)

 魏の

 明帝へ

 男の生口4人、

 女の生生口6人を、

 243年(魏・正始四年)

 魏の

 少帝へ

 生口を献じ、

 その後継者の

 台与(臺與?・壹與?・壱與)も

 248年

 魏へ

 生口30人を魏へ献じ(魏志倭人伝)

ーー↓248年

 干支=戊辰(ボシン・つちノえノたつ)

 倭

 神功皇后摂政48(四十八)年

 皇紀908(九百八)年

 中国

 魏=正始九年

 蜀=延熙十一年

 呉=赤烏十一年

 朝鮮

 高句麗=東川王=二十二年、

     中川王=元年

 新羅=沾解王=二年

 百済=古尓王=十五年

ーー↓

 生口

 捕虜を意味する語・・・奴隷になった捕虜

 異論は、

 単なる捕虜・奴隷ではなく、

 技術、技能者、あるいは

 中国への留学生とする説もある

 弥生時代後期には

 という奴隷階層がいた

 生口がと全く

 別の存在なのか、

 重複するのかの論がある・・・らしい・・・

 生口は倭国だけのものではなく、

 -↓-

 高句麗の

 第十九代の王

 広開土王・・・・諡号は「国岡上広開土境平安好太王」

         年号を採って「永楽大王」

         姓は「高」

         名は「安」

         始祖鄒牟王(朱蒙)の

         十七世の孫

         父は故国壌王

 碑文・・・・・「好太王碑文→交代王比文」 

ーー↓

 息子の長寿王が

 414年旧暦九月二十九日

 (碑文=甲寅年九月廿九日乙酉)に建てたモノ

 ー↓ー

 の刻文に

 396年

 百済が高句麗に大敗し

 「生口」を高句麗へ献じた

 高麗史・十六 世家・巻第二十八

 -↓-

 忠烈王元年(1274年)

 文永の役(1274年)

 高麗に帰還した

 金方慶らは、

 倭人の子女を捕虜とし、

 高麗王と妃に

 「生口」として献上

 (侍中

  金方慶等還師、

  忽敦以所

  俘童・・・これは「生口」の文字ではない・・・

  男女

  二百人

  献王及公主)

ー↓ー

 ・・・「惜字炉」と言うモノがあるらしい・・・

ーー

 惜しい・・・をしい・をしく

 大切なものを失いたくない

 むだにすることが忍びない

 もったいない

 心残り

 惜しい・くやしい

 「もう少しで・あと少しで・あとちょっとで 」おしい

 「(今一歩)及ばない・足りない・健闘する

  今ひとつ満足いかない」

 「惜=セキ・シャク

    おしい おしむ」

    思いきれず・心が残る・失いたくないと思う

 「惜」=忄(心)+昔

          昔=(廿・廾一・艸一)+日

            ?=共+日

     「忄」=「リッシンベン→立心偏→立身弁」

 「惜字炉(せきじろ)」は、「文字を敬って文字の書かれた不要となった紙を焼くための炉。

 「惜字亭、焚字炉(沖縄の方言でフンジルーとも言うらしい)」。別名は

 惜字塔

 惜字楼

 焚字庫

 字庫

 焚紙楼

 文風塔

 文峰塔

 敬敬亭

 台湾では多く

 聖蹟亭といい、

 客家地区では

 敬字亭と称する

ーー↓

 中国明代の科挙制度のもと、聖人、知識人が尊ばれ、字を敬う「敬惜字紙(中国語版)」という風習が生まれ、文字の書かれた不要な紙を集め梵焼する炉が作られた。

 「惜字炉は史料によれば

  宋代に建造が始まり、

  元明清代にはすでに相当普及していた。

  惜字炉は通常

  街角や、書院や寺院の中、道路や橋の傍らに建造した。

  また裕福な者は自分の家の庭に惜字塔を建てた。

 「『二刻拍案』一巻の開編詩に曰く“世間字紙蔵経同,見者須当付火中。或置長流清浄処,自然福禄永無窮”(仮訳:世間の字のある紙はお経と同じく、見たものは火で燃やすべきである。あるいは清らかな流れに置けば、自然と福は長く窮まることはない)とある」

 現在は、中国、台湾、韓国に残っており、

 日本では沖縄県、長崎県、大阪府の寺院などにみられる

 ・・・「文字の書かれた不要な紙を集め梵焼する炉」とは、支配者の「焚書坑儒」の「焚書」であろう・・・禁断の書を燃やしたのさッ・・・持っていれば殺されるから・・・

ーー

 「朽(くちる・キュウ・キウ)」

 くちる腐ってぼろぼろになる

 衰えてだめになる

 「朽木・不朽・腐朽・老朽」  

 腐る・朽ちる・こわれる・すたれる・衰える

ーー↓くちおしい

 残念だ・がっかりする

 口惜しい・・・もったいない

 くちを・し・シク

 思うようにいかない

 残念に思う

 いまいましく思う・・・忌々(いまいま)しい

            今々しい→近代、現代

 取るに足らない

ーーーーー

 枕草子

 (一〇三段)・・・百三段・壱百参段・壱佰参段

          1+0+3=4=四=肆

          1×0×3=零

 くちをしきもの

 節會、・・・説句改・接句解・設句回

 佛名に・・・分通名爾

 雪ふらで、

 雨の

 かき暮し

 降りたる。

 節會、さるべきをりの、

 御

 物

 忌に

 當りたる。

 いと

 なみ

 いつ

 しかと

 思ひ

 たる

 事の、

 さはる

 事

 出で

 來て

 俄に・・・にわかに

 とまり

 たる。

 いみじうする人の、

 子

 うまで

 年ごろ

 具したる。

 あそびをもし、

 見すべき事もあるに、

 かならず

 來なんと思ひて

 呼びに

 遣りつる人の、

 さはる

 事

 ありて

 など

 いひて

 來ぬ、

 くちをし。

 男も女も宮仕所などに、同じやうなる人、諸共に寺へまうで、物へも行くに、このもしうこぼれ出でて、用意はげしからず、あまり見苦しとも見つべくはあらぬに、さるべき人の、馬にても車にても行きあひ見ずなりぬる、いとくちをし。

 わびては、

 すきずき

 し

 か

 らん

 下衆など

 にても、

 人に

 語り

 つ

 べ

 か

 らん

 にて

 もがなと

 思ふも、

 けしからぬ

 なめり

 かし。

ーーーーー

 ・・・ケシカラン・・・ナ・メ・リ・・・カ・シ・・・

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