・・・「集鳥(あっとり)=あとり=臘觜(ロウシ)鳥=獦子(カツシ)鳥」・・・「あぢ(阿治)=集(アツ)ノ轉、群集ノ意」・・・「安治=安治とは地名?アワジ(awaji)所在は滋賀県野洲市」・・・「ア・あ=蛙(かえる)・鴉(からす)・Y(ア)・亜・吾・阿(おもねる)・娃・亞・当・閼・遖・氬・屙・呀・譆・誒・唉・朙・擭」の字・・・「あ(足・あし)→安能於登世受 由可牟古馬母我(あのおと乙せず ゆかむこ甲まもが・万葉集、下総国の歌)=足音もせずに行く駒が欲しい」・・・「吾・我→第一人称、われ・阿賀淤富久邇奴斯(あがおおくにぬし・古事記・上巻)= 我が大国主」・・・「阿字・阿治・阿路」・・・「阿字=梵語字母の第一字・および。それによって表される音・密教では阿字はすべての梵字に含まれて、すべての宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれている→阿字-本不生(アジ-ホンブショウ・あじ-ほんぷしよう)?」・・・「あぢ(阿遅・阿治)」=「阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神(古事記)・、阿遅鋤高日子根神、味耜高彦根命・亦の名を迦毛之大御神?」・・・
「あめなるや
おとたなばたの
うながせる
玉のみすまる
あな玉はや み・・・あな玉はや、み?・・・なのか?
「はや」=よもや、まさか
…ダよなぁ~
もはや、既に
or
あな玉は、やみ?・・・なのか?
「やみ=病・已・止・闇」+たに(だに)
谷?・・・・・・・・・・・だに=…でさえ…だ
…だけでも…である
せめて…だけでも
…だから…なのに
闇拿似・矢視拿似
ふたわたらす
あぢしき
高ひこねの神ぞ
(下照姫=したてるひめ)・ひなぶり(夷振り)」
・・・「ひな=夷・狄・蝦夷・毛人」・・・
原型の歌い、踊りの振り・・・
「ひな形=雛型・雛形・・・比名臥多」・・・
「ひな形=実物を小さくかたどって作ったもの
模型・形式・様式を示す見本
物の形式や様式を示す見本
手本
鋳型
金型・木型・造型・原型」
・・・「天にいる、若い織り姫が、首にかけている玉を連ねた首飾り、その連ねたあな玉は大変美しいが、それは深い谷を二つに渡って輝いている、味耜高彦根神と同じである)?」・・・こんな意味内容じゃぁ無いだろう・・・
「あとり」の意味探索のタメ・・・以下、ブログ検索で得たモノを参考、参照資料として抜粋添付・・・少々改作・・・
ーーーーー
「臘觜(ロウシ)鳥」・・・ロウシ=老子・漏示・浪士・労使
弄し→愚弄・弄ぶ?
「集鳥(あつとり)」
群れ集まる小鳥
日本書紀(720) 巻29
天武天皇紀七年(686)
十二月癸丑朔己卯
臘子鳥
弊
↓↑
「臘子鳥(あとり)が
天を覆って
西南より東北に飛んだ」
日本書紀
天武七年十二月(679年1月)
アトリ=スズメ目の冬鳥
日本で
地震の被害を伝える
最古の記録の書き出し
↓↑
臘=月+巤=⺼+巤
異体字=腊・臈・蟖
↓↑
和名「あとり=ア鳥」
漢字「集鳥=集まり来る鳥」
別名「臘觜(ロウシ)鳥」・・・「希臘・蝋燭(蠟燭)」の
「ロウ=臘」
又は「獦子(かつし)鳥」・・・
「獦=狼(おおかみ)・カツ・カチ・リョウ・ケツ」
「猲=獵=猟」
↓↑
「猲(ケツ・カツ)
大字源
口もとの短い犬
「獦(犭+葛)」+「犭喬」=猲驕(ケッキョウ)
おどす=「恐猲(恐喝)」
「喝・愒」
恐れあえぐさま=「恫疑虚猲」
「歇驕(カッキョウ)」=「口の短い犬」
大字源では
「歇(ケツ)」としておきながら、
「歇」の項では、
「歇驕(カッキョウ)」
「恫疑虚猲」
「恫疑虚喝」
「アトリが大群をつくることから、
その動きを
狩猟の勢子に見立てて
「獦(猟)子鳥」と当てられた
「猲=リョウ・狩り」の意味
「万葉集にもこの字が使われている・・・
藤原仲麻呂の三男の名前が
藤原朝獦(あさかり)」
↓↑
「猿子鳥」=「ましこ(猿子)とり」
「ましこ=猿子」
「ましこ」=「綿入れの袖なし羽織」
「ましこ(猿子)」=猿の異名
↓↑
「スズメ目アトリ科オオマシコ属の小鳥の総称
雄は赤色を帯びて、雌は赤褐色
ハギマシコ・ベニマシコなどが北海道で繁殖
アカマシコ・オオマシコなどが冬鳥として渡来
増子=猿子鳥
スズメ目アトリ科のマシコ属などの鳥の総称
スズメに似た大きさ・体形
一般に雄は赤色
日本では
ベニマシコ・ハギマシコ・ギンザンマシコが繁殖
アカマシコ・オオマシコが冬鳥として少数渡来
ましこどり
その「赤さ」は
ニホンザル(ましこ=猿子)の赤い顔の例え?
↓↑
「大言海(昭和7年の冨山房発刊)」
「臘觜(ロウシ)鳥・獦子(カツシ)鳥」
「集鳥ノ略ナルベシ
(泊瀬 [ハツセ]、はせ、速翔 [ハヤツバサ]、はやぶさ)
即チ、現今、
あッとり
ト云フ、
あぢ(阿治)語源ヲモ見ヨ、
漢字ハ
蝋觜ナルベシ、
觜ノ色、
黄白ニシテ蝋ノ如シ、
今名、あッとり。
雀ヨリ稍大キク、
觜、黄白、
腰ハ純白ニシテ、
喉ト胸トハ、
茶色ナリ、
頸背ハ、
雄ハ、黒クシテ、
雌は、暗褐色ニ、薄茶色ノ斑紋アリ、
秋,北地ヨリ群リ来ル」
と記述・・・
後段の出典欄に
「あッとり」の漢字名は
「臘觜(ロウシ)鳥」
古くは
欣明天皇期(西暦540年前後)の
欣明(きんめい)記、
また、
天武記(680)
万葉集(759年)
にも記述が有る・・・
「あぢ(阿治)」・・・
「集(アツ)ノ轉、群集ノ意」
「臘觜(ロウシ)鳥=集鳥(あつとり)」
とも解説・・・群れ集まることを意味・・・
↓↑
日本書紀(720)巻二十九
天武天皇紀七年十二月(686)
『十二月癸丑朔己卯、
臘子鳥弊天、自西南飛東北。
是月、
筑紫國大地動之。」
「アトリが天を覆って、西南から東北に向かって飛んだ
この月に
筑紫の国に大地震があった」
「天武天皇紀九年十一月
「十一月壬申朔、辛丑、臘子鳥蔽天、自東南飛、以度西北」
「アトリが天を覆って、東南から西北に飛び渡った」
「アトリ」の大群が地震の前兆・・・
「秋終から初冬にかけて
アトリは日本へ渡ってくる鳥・・・
↓↑
「2010年(平成22年)3月5日金曜日
岐阜新聞・・・アトリ、天を覆い黒い大群」
「倭名抄=倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)
930年代の日本最初の分類体の漢和辞典)」
「阿止里(あとり)」
「臘觜」の「臘(ロウ)」
「動物の群り、生えた頭上の毛の総称で、多く集まる意」
學名
『Fringilla montifringill
(フリンギルラ、モンチィフリンギルラ(Linne)』
第一學名は“小さな鳥”
第二學名は“山の小鳥』
本邦では
『冬鳥として大きな群れとなって
たくさん渡来し、
山ろくの低木林や山裾の畑で
群れなって生活すると』
↓↑
あとり=獦子鳥・花鶏
スズメ目アトリ科の小鳥
雀(スズメ)よりやや大形で
頭と背面は黒色
胸は橙褐色
腹は白色
ヨーロッパ・シベリアの北部で繁殖
日本へは秋に渡来し
全土で越冬する
「あっとり」
↓↑
ヒワ亜科(ヒワあか・学名 Carduelini)
鳥類スズメ目アトリ科の亜科
ヒワ(鶸)とも総称される
狭義にはその一部をヒワと呼ぶ
(ヒワという鳥の種類はいない)
・・・言語的に同音のコトバは
「鶸=ひわ=日羽・比和・秘話・悲話」・・・
「ひ・わ」、「ヒ・ハ」は多数・・・
↓↑
ヒワ亜科(ヒワあか、学名 Carduelini)
鳥類スズメ目アトリ科の亜科
「ヒワ(鶸)」とも総称
↓↑
「臘子鳥(あとり)が天を覆って、西南より東北に飛んだ」
日本書紀の
天武七年十二月(679年1月)
アトリとはスズメ目の冬鳥
これが日本で地震の被害を伝える最古の記録
「地面が
広さ二丈(1丈は約3メートル)
長さ三千余丈にわたって裂け、
どの村も多数の民家が崩壊した」
「筑紫(つくし)地震」
「福岡県
久留米市
東部を走る
水縄(みのう)断層帯が動いた・・・
寒川(さんがわ)旭(あきら)著
「歴史から探る21世紀の巨大地震」朝日新書
「そこから約60キロ南、
ちょうど布田川(ふたがわ)、
日奈久(ひなぐ)両断層帯が
交わるあたりで起きた今度の熊本地震だった。
熊本県で震度7を観測した
マグニチュード(M)6・5の本震だが、
それに近い震度のものも含む余震が頻発しているのは、
付近の複雑な地下の構造が原因らしい」・・・
↓↑
680年1月8日=九年 春正月(むつき)
丁丑(ひのとのうし)
朔(ついたち)
甲申(きのえさるのひ)
天渟中原瀛眞人天皇(下)
(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみことのしものまき )
天武天皇
(てんむてんわう)
九年春
正月(むつき)
丁丑(ひのとのうし)
朔(ついたち)
甲申(きのえさるのひ)
天皇(すめらみこと)
御(おはす)
于向小殿(むかひのこあんどの)
而宴(とよのあかりす)
王卿(おほきみまへつきみ)
於大殿(おほあんどの)
之庭(おほば) 是日
忌部首首(いみべのおびとこびと)
賜姓(かばね)
曰(いふ)
連(むらじ)
則與弟色弗(おととしこぶち)
共絓拜(きこゆ)
癸巳(みづのとのみのひ) 親王(みこ)
以下(しもつかた)
至于小建(せうこん)
射(いくふ)
南門(みなみのみかど)
丙申(ひのえさるのひ)
攝津國(つのくに)
言(まうす)
活田村(いくたのむら)
桃李(もも)
實(なる)也
「九年の春正月の丁丑の朔甲申(680.01.08)に
天皇、向小殿に御して、王卿に大殿の庭に宴したまふ。
是の日に、
忌部首首に姓を賜ひて連と曰ふ。
則ち弟色弗と共に絓び拝ゆ。
癸巳(01.17)に、
親王より以下、
小建に至るまでに、
南門に射ふ。
丙申(01.20)に、
攝津国言さく、
「活田村に桃李実れり」
とまうす。
↓↑
子孫の斎部広成が、
中臣氏の偏重任用と逸脱を非難
「天命開別天皇(天智天皇)八年十月条(書紀巻二十七)」
忌部首首→狛麻呂→虫名→浜成(斎部)→斎部広成
↓↑
二月(きさらぎ)
丙午(ひのえうま)
朔(ついたち)
癸亥(みづのとのゐのひ)
如鼓(つづみ)
音聞
于東方(ひむがしのかた)
辛未(かのとのひつじのひ)
有人云(いふ)
得鹿角(しかのつの)
於
葛城山(かづらきのやま)
其角、
本二枝(もとふたまた)
而
末(すゑ)合(あふ)有宍(しし)
宍上(うへ)
有毛
毛長一寸(ひとき)
則異(あやしぶ)
以
獻(たてまつる)
之
蓋(けだし)
邾角(りんのつの)
歟
壬申(みづのえさるのひ)
新羅(しらき)
仕丁(つかへのよほろ)
八人(やたり)
返于本土(もとつくに)
仍垂恩(めぐみ)
以
賜祿(もの)
有差(しな)
三月(やよひ)
丙子(ひのえね)
朔(ついたち)
乙酉(きのとのとりのひ)
攝津國(つのくに)
貢(たてまつる)
白巫鳥(しりしとと)
巫鳥、
此云、
芝苔々(しとと)
戊戌(つちのえいぬのひ)
幸(いでます)
于
菟田(うだ)
吾城(あき)
↓↑
「二月の丙午の朔癸亥(02.18)に、
鼓の音の如くして、東方に聞ゆ。
辛未(02.26)、人有りて云く、
「鹿角を葛城山に得たり。
其の角、本二枝にして末合ひて宍有り。
宍の上に毛有り。毛の長さ一寸。
則ち異びて献る」とまうす。蓋し邾角か。
壬申(02.27)に、
新羅の仕丁八人、
本土に返る。
仍りて恩を垂れて祿賜ふこと差有り。
三月の丙子の朔乙酉(03.10)に、
攝津国、
白巫鳥
巫鳥、此をば芝苔々と云ふ
を貢れり。
戊戌(03.23)に、
菟田の
吾城に幸す。
ーーーーー
金光明経
妙幢菩薩(みょうどうぼさつ)が
ある夜、夢に覚った教である。
大きな
金の鼓が太陽のごとく輝き、
ある婆羅門が打ち鳴らすと、
妙(たえ)なる韻文となって聞こへたそうである。
妙幢菩薩は、
六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)
の辻で人を
人間・天上界に導く、
いわゆる
地蔵菩薩。
釈尊が亡くなり、
五十六億七千万年後に
弥勒菩薩が現れるまでの間、
人々を救済するのが
妙幢菩薩(閻魔大王の化身)とされる。
聞こへたのが
懺悔の法、
慚(ザン)とは
自分がふたたび罪を作らぬこと、
愧(ギ)とは
人を教えて罪を造らせないこと。
また、
慚とは
みずから
かえりみて恥じること、 愧とは
人に向かって
告白すること。
また、
慚とは
人に対して羞じること、
愧とは
天に対して羞じること、
とされる。
「慚愧なき者は
人せず、
畜生となす」
とあり、
懺悔による滅罪を目指すもののようである。
人は
善行を修さめば、
天上にゆけるが、
悪業をすれば、
死して必ず
三塗に堕ちる。
懺悔により、
三塗に堕ちるを救ふ。
護国思想とされるのは、
王が国法の厳正・造悪遮止、
正法尊重の正しい王道を為し、
一切の人民に十善を行はせば、
国土昌平豊楽にして、
諸天善神は守護に参集する。
しかし
非法の悪政を行はば、
三十三天の
衆
(慾界、地居天、帝釈天をはじめ
三十三の神すべて)、
ことごとく
忿怒の心を生じ、
天地の災禍が起こり
国家の喪乱をみる、とする。
王の善政には
諸天の仏や菩薩が守護するが、
悪政をすれば
仏や菩薩が悲しみ怒り、
災禍を以て警告する、
諸悪を放置すれば
王位すら失ひ、
国が滅びる故に、
王の責務、懺悔怠ることなかれとする。
仁王経
我が国では
天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)六年五月条
に、
「一百の高座・
一百の納袈裟を造りて、
仁王般若の会に設く」
(書紀巻二十六)
国=王(天皇)であり
護国=護王(天皇)
↓↑
辛巳(かのとのみのひ)
雷(いかづちなる)
於
西方(にしのかた)
癸未(みづのとのひつじのひ)
皇后(きさき)
體
不豫(みやまひす)
則爲皇后 誓願(ちかふ)之
初興(たつ)
藥師寺(やくしじ)
仍度(いへでせしむ)
一百僧(ももたりのほふし)
由是
得安平(みやまひいゆる)
是日
赦罪(つみびと) 丁亥(ひのとのゐのひ)
月蝕(はえる)
遣(つかはす)
草壁皇子(くさかべのみこ)
訊(とふ)
惠妙僧(ゑめうほふし)
之病
明日(くるつひ)
惠妙僧
終(みうす)
乃遣
三皇子(みはしらのみこ)
而
弔(とぶらふ)之
乙未(きのとのひつじのひ)
新羅(しらき)
遣(まだす)
沙飡(ささん)
金若弼(こむにやくひつ)・
大奈末(だいなま)
金原升(こむぐあんせう)
進(たてまつる)
調(みつき)
則習言者(ことならひひと)
三人(みたり)
從若弼(にやくひつ)
至(まうく)
丁酉(ひのとのとりのひ)
天皇(すめらみこと)
病(みやまひす)
之
因以度一百僧、
俄(しばらくありて)
而愈之
辛丑(かのとのうしのひ)
臘子鳥(あとり)
蔽(かくす)
天(あめ)
自(より)
東南(たつみのかた)
飛以
度(わたる)
西北(いぬゐのかた)。
↓↑
辛巳(11.10)に、
西方に雷なる。
癸未(11.12)に、
皇后、体不予したまふ。
則ち皇后の爲に誓願ひて、
初めて薬師寺を興つ。
仍りて一百僧を度せしむ。
是に由りて、安平ゆること得たまへり。
是の日に、罪を赦す。
丁亥(11.16)に、月蝕えたり。
草壁皇子を遣して、
恵妙僧の病を訊はしめたまふ。
明日、恵妙僧終せぬ。
乃ち三の皇子を遣して弔はしめたまふ。
乙未(11.24)に、
新羅、
沙飡金若弼・
大奈末金原升を遣して、
調進る。
則ち
習言者三人、
若弼に従ひて至り。
丁酉(11.26)に、
天皇、病したまふ。
因りて
一百僧を度せしむ。
俄ありて愈えぬ。
辛丑(11.30)に、
臘子鳥、
天を蔽して、
東南より飛びて、
西北に度れり。
ーーーーー
・・・???・・・重複で貼り付けたが、「Yトリ」・・・
・・・ジブラルタル海峡(Strait of Gibraltar・Estrecho de Gibraltar)、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡。北はイベリア半島のスペインおよびイギリス領ジブラルタル、南はモロッコであり、西の大西洋と東の地中海をつなぐ・・・ジブラルタル(Gibraltar)は、イベリア半島の南東端に突き出した小半島を占める、「イギリスの海外領土」でイギリス軍が駐屯・・・
ーー↓↑ーー
ジブラルタル(Gibraltar)・・・・字部等留他留?
日巴拉太
治部良留多留
日巴拉爾太
直布罗陀・直布羅陀
及武刺児達児・厄貌刺児答児
↓↑
711年
西ゴート王国は
ウマイヤ朝の
ターリク・イブン・ズィヤード
に征服され滅亡
ムーア人の支配を受けた
↓↑
756年
後ウマイヤ朝が成立
1309年
ナスル朝
グラナダ王国
の一部となる
カスティーリャ王国に
一時占領
↓↑
1333年
マリーン朝が奪還
マリーン朝は
グラナダ王国に
ジブラルタルを割譲
↓↑
1333年
干支は癸酉
後醍醐天皇 元弘三年
光厳天皇 正慶二年
(五月二十五日まで)
中国
元王朝 至順四年、元統元年十月八日~
↓↑
4月9日(正慶二年=元弘三年閏二月二十四日)
後醍醐天皇が配流先の隠岐を脱出して京へ
7月16日(元弘三年六月四日)
後醍醐天皇、京都東寺に帰還
↓↑
カスティーリャ・スペイン領期
(1462年~1713年)
1462年
メディナ・シドニア公が
ジブラルタルを奪取し
750年間に渡るムーア人の支配を終焉させた
↓↑
メディナ・シドニアは
追放された
スペイン・ポルトガル系の
ユダヤ人に
ジブラルタルの土地を与え
コンベルソの
ペドロ・デ・エレアが
コルドバとセビリアから
ユダヤ人一団を移住させ
ユダヤ人コミュニティを建設
半島を守るための
駐屯軍を設立
セファルディム(離散したユダヤ人の
スペイン・ポルトガルに定住した人々
その子孫)
となった
↓↑
ユダヤ人は数年後に
コルドバか異端審問所に送還
↓↑
フェルナンド2世が
スペイン王国を打ちたて
1501年
ジブラルタルは
スペイン王国の下に戻った
同年に
イサベル1世から
ジブラルタルの紋章が贈られた
↓↑
八十年戦争中の
1607年
オランダ艦隊が
スペイン艦隊を奇襲
(ジブラルタルの海戦)
スペイン艦隊は打撃
↓↑
1701年
スペイン王位継承で候補者の1人
カール大公(神聖ローマ皇帝カール6世)
の即位を後押しする
オーストリア、イギリス、オランダ
が
フランス王ルイ14世
と
スペイン王フェリペ5世
に宣戦布告し
スペイン継承戦争勃発で
オーストリア、イギリス、オランダ
の同盟艦隊はスペイン南岸にある
港町の襲撃を繰り返した
1704年8月4日
ジョージ・ルーク提督率いる
イギリスとオランダの艦隊の支援の下
オーストリアの軍人
ゲオルク・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
(ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ6世の息子)
指揮下の海兵隊が
ジブラルタルに上陸
交渉の末
住民は自主退去を選択
海兵隊はジブラルタルを占領
↓↑
フランス・スペイン連合軍は
ジブラルタル奪回のため艦隊を
トゥーロンから派遣
それを阻止しようと
ルーク率いる
イギリス・オランダ海軍が迎撃に向かい
フランス・スペイン海軍は撤退した
ジブラルタルは
イギリスに確保された
(マラガの海戦)
↓↑
イギリス領期(1713年~)
1713年4月11日
ユトレヒト条約の締結
戦争が終結
条約で
ジブラルタルは
イギリス領
↓↑
アメリカ独立戦争中
スペインが独立軍の支援にまわり
1779年から
ジブラルタルを封鎖
(ジブラルタル包囲戦)
イギリス軍は
1782年
浮き砲台と包囲兵を撃破し
包囲網を破り
翌年にはパリ条約に先立ち
講和が行われ
ジブラルタルを解放
↓↑
1805年
トラファルガーの海戦で
イギリス海軍の拠点
ーーーーー
第二次世界大戦で
ドイツ海軍の「Uボート・潜水艦」が
このジブラルタル海峡の海中、海底で苦戦したが・・・
映画「Uボート」の音楽が恰好イイ・・・
↓↑
「ロサンゼルスの戦い
(Battle of Los Angeles)」・・・???
「日本帝国海軍」が「LA」を奇襲攻撃・・・???
ーー↓↑ーー
1942年2月25日
ロサンゼルスの戦い(Battle of Los Angeles)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
↓↑
第二次世界大戦中
アメリカ合衆国カリフォルニア州
ロサンゼルス市で起きた
アメリカ陸軍による軍事作戦
日本海軍の艦載機による空襲を誤認した
アメリカ陸軍が対空砲火を中心とした
「迎撃戦」を展開???
↓↑
1942年2月25日
ロサンゼルスの戦い(Battle of Los Angeles)?
第二次世界大戦中
アメリカ合衆国カリフォルニア州
ロサンゼルス市で起きた
アメリカ陸軍による軍事作戦
日本海軍の艦載機による空襲を誤認した
アメリカ陸軍が対空砲火を中心とした
「迎撃戦」を展開
↓↑
1942年5月27日
プラハで(エンスラポイド作戦)
ラインハルト・ハイドリヒ
がイギリス支援の
暗殺部隊の襲撃を受け
ハイドリヒが
6月4日に死亡
エンスラポイド作戦
(Operation Anthropoid)
大英帝国政府と
チェコスロバキア駐英亡命政府により計画され
ナチス・ドイツの
ベーメン・メーレン保護領(チェコ)の統治者
ラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦
日本語で
「類人猿作戦」と訳・・・「猿田比古作戦」?
ハイドリヒは
ナチスの秘密警察を束ねる
国家保安本部の長官
↓↑
1942年6月5日~6月7日
ミッドウェー海戦
日本海軍は機動部隊の
航空母艦4隻
艦載機多数を一挙に喪失
↓↑
8月7日
アメリカ軍、ガダルカナル島に上陸。
8月24日
第二次ソロモン海戦
↓↑
10月26日
南太平洋海戦
↓↑
11月8日
連合国軍が北アフリカ上陸作戦を開始(トーチ作戦)
11月9日
仏ヴィシー政権が北アフリカ上陸作戦に抗議し対米国交断絶
11月10日
フランソワ・ダルランヴィシーフランス軍総司令官が
フランス領アルジェリアのヴィシー政府軍と
連合軍の休戦協定を結ぶ
11月11日
独軍がヴィシー政権統治下のフランス本土を占領(アントン作戦)
11月12日
第三次ソロモン海戦(〜11月15日)
11月22日
独軍がスターリングラードでソ連軍に包囲さる
(スターリングラード攻防戦)
↓↑
12月7日
フランソワ・ダルラン大将がアフリカにおける
フランス国家元首兼北フランスにおける
陸海空軍部隊総司令官兼北アフリカ総督に就任
12月8日
ニューギニアのバサブア島で日本軍兵800人玉砕
12月18日
天龍型軽巡洋艦が
米潜水艦アルバコアの魚雷が天龍の左舷後部に命中
沈没
12月24日
第81議会召集
ダルラン大将が暗殺される。
帝国水産統制(後のニチレイ)設立(日本水産から独立)
12月31日
大本営がガダルカナル島撤退を決定
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・・・また、トンだ・・・
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カナリア諸島(Islas Canarias)
北緯28度06分00秒 西経15度25分00秒
1483年
グラン・カナリア島は
スペイン王国に統合
アフリカ大陸の
北西沿岸に近い大西洋上にあり
モロッコの
カサブランカの南西
タルファーヤの西の海上に存在する
7つの島からなるスペイン領の群島
カナリアス諸島とも
諸島全体で
カナリア諸島自治州を構成
州都は
ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア
(Las Palmas de Gran Canaria)
グラン・カナリア島のラテン語名
「Insula Canaria(犬の島)」・・・Canaria=犬・狗・戌
に由来
のち複数形
「Insulae Canariae」
として諸島全体をさす
「犬の島」の由来
かつて生息していた
アザラシ(海豹・ラテン語で「海の犬」)に由来
古代ローマの学者
大プリニウスが
島に多くの野犬がいることを伝えた・・・
↓↑
アトリ科の小鳥
カナリア(金糸雀・canaria・カナリヤ)
の原産地
語源は「犬(canaria)」
野生種は
「Island Canary・Wild Canary
Tame Canary・Atlantic Canary」
飼養種は
「Domestic Canary」
籠抜けした飼養種が
バミューダ諸島
ハワイのミッドウェイ環礁
プエルトリコ
で再野生化・・・
↓↑
カナリア
アトリ(花鶏・臘子鳥・獦子鳥)科ー雀目
フィンチ (finch)の一種
ヒワ族
黄色で染まった個体
メタンや一酸化炭素、
窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報として飼われた
野生種、飼養種のどちらも
セリン
ズアオアトリ
同様
澄んだ美しい声で囀(さえず)る
↓↑
囀=鳥が玉をころがすように続けて鳴く
さえずる・さえずる。鳥がしきりに鳴く
テン・セン
囀=異体字は啭(簡体字)
テン・さえず-る
口+車++叀+寸
専(セン)=ひとすじ・ひたすら
叀(釣り下げる紡錘)+寸(手の動作)
=専・專
何本もの糸を一つにまとめる
ひとすじ・専(もっぱ)ら)
鶯囀(オウテン)=鶯(うぐいす)が
囀(さえず)ること
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モロッコ
摩洛哥・馬羅哥・莫羅哥・茂禄子
↓↑
アラビア語の国名にある
「マグリブ」は、
「日の没する地・西方」を意味
「マグリブ」は地域名は
北アフリカ西部
モロッコはマグリブの中でも最も「西の果の国」
中世には
「アル=マグリブ・ル=アクサー(極西)」とも呼ばれた
古代には
沿岸部に
カルタゴのフェニキア人の港湾都市が築かれた
↓↑
「モロッコ」は、
以前の首都
「マラケシュ(ベルベル語で神の国)」に由来
大アトラス山脈の北に位置
マラケシュの南45kmには
北アフリカ最高峰の
トゥブカル山 (4165m) がそびえる
町の東側には
イシル川が流れ
大西洋に注ぐ
テンシフト川
につながる
↓↑
「アブドゥルマリク」
ウマイヤ朝を再統一
イスラームの教義で
ムスリムは十分の一税(ウシュル)のみを
租税として支払うものの
ジズヤとハラージュが免除され
異教徒は、重税の負担
そのため、異教徒は、次々と
イスラームへと改宗し、租税の負担を回避
都市へと流入
異教徒からイスラームへ改宗した人々を
マワーリーと呼ぶ
マワーリーの都市の流入は税の減少を意味した
第8代カリフ
ウマル2世(在位は717年~720年)
マワーリーの不満解消の改革を実施
↓↑
民族のいかんを問わず、
イスラームへの改宗を自由に認めた
ムスリムのミスル(都市)への自由を認めた
ムスリムには
一切租税が課されず
宗教的な義務としての
サダカを課した
ミスルに移住した
マワーリーを官庁に登録し
俸給(アター)を支給した
↓↑
農村にとどまった
マワーリーには従来通りの租税を徴収
ヒジュラ暦100年(718年8月3日~719年7月23日)以後
耕地の販売を禁止
ウマル2世の統治が短かったので
改革は、ほとんど効果が無かった・・・
マワーリーは都市への自由を獲得したが
生計は苦しかった
農民には、従来通りの租税を課した
「神の前での平等」ではなかった・・・
↓↑
トルコ語でのモロッコの国名は「Fas」
1925年までの首都
フェズに由来する
↓↑
回教徒の尖塔
↓↑
「ミナレット」
アラビア語で
「火、光を灯す場所」を意味
「マナーラ(manāra) ・マナール」
が英語に転訛
アラビア語で
「光(ヌール)・火(ナーラ)」
から派生
「アザーンを行う場所」
を意味する
「マアザナ」・・・マ-アザナ?・・・眞-字(あざな)?
と呼ばれることもある
トルコ語では
「ミナレ(Minare)」・・・見慣れ・観慣れ?
と呼ばれ
エジプトやシリアでは
「マダーナ(Ma'dhana)・ミダーナ(Mi'dhana)」
北アフリカでは
「サウマアー(Șawma'a)」・・・作馬鴉蛙?→鞍馬山?
差を得
万を蛙(かえる)
鴉(からす)?
左馬蛙(かえる)會(合)?
とも呼ばれる
南アジアでは
ミーナール (mīnār)・・・見意名阿留?
と呼ばれ
日本語では「光塔・尖塔」と訳
↓↑
カサブランカ=「達爾貝達(中国語・支那)」
「掛差振らん(腐乱)化」?
「かさ=傘・笠・暈・瘡」ふらんか?
=「卡薩布蘭卡(別名)」・・・仏蘭西の上下
上下は薩摩?
緯度(異土)はフランスと薩摩に挟まれている
「卡(ソウ・カ)」=押さえつける
上下から挟む
カード(券・御札・ふだ)
(阿爾及利亞=アルジェリア)
(リビア=利比亜・利未亜・利比亞・利比亞
トリポリ=的波里・特里波里)・・・
鳥堀・訳理補理?
「達爾貝達」・・・他通字掛意経椄?
「卡薩布蘭卡」・・・掛差通符藍藻(卵巣・乱相)?
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・・・???・・・落鳥=ラクチョウ=落潮・落丁・・・