「サイ」検討の「ㇱ・し」・・・
↓↑
「平群-広成(判官)」≠「多治比-広成(大使)」
「異姓・同名」・・・同時期・・・生還???
↓↑ ↓↑
天平四年(732年)・・・・・・・天=二+人
平=丅+八+十
四年=肆念
八月 八月=葉解通
「第十次」遣唐使の派遣決定・・・第十次=代拾字
遣=つかう
唐=問ふ
使=詞(史)
遣唐大使
前次の大使
「多治比 縣守」・・・縣=懸ける・・・遺書懸命
守=もり=杜=杜甫・杜撰
森=森林太郎(鴎外)
の弟
「多治比 広成」・・・多治比=丹墀=タンチ
=探知・鍛治
副使
「中臣 名代」・・・中=那賀・長・名嘉
臣=登美・富・冨
秦・晋・新・審
名=命
代=他意=碓・替・帯・戴
↓↑
「平群-広成(判官)」≠「多治比-広成(大使)」
「異姓・同名」・・・同時期・・・生還???
↓↑ ↓↑
天平四年(732年)・・・・・・・天=二+人
平=丅+八+十
四年=肆念
八月 八月=葉解通
「第十次」遣唐使の派遣決定・・・第十次=代拾字
遣=つかう
唐=問ふ
使=詞(史)
遣唐大使
前次の大使
「多治比 縣守」・・・縣=懸ける・・・遺書懸命
守=もり=杜=杜甫・杜撰
森=森林太郎(鴎外)
の弟
「多治比 広成」・・・多治比=丹墀=タンチ
=探知・鍛治
副使
「中臣 名代」・・・中=那賀・長・名嘉
臣=登美・富・冨
秦・晋・新・審
名=命
代=他意=碓・替・帯・戴
判官
「平群 広成」
を含む4名
録事(書記官)4名
任命
九月
近江・丹波・播磨・備中
などの諸国で
遣唐使船4隻の建造
天平五年(733年)
三月
使節団は聖武天皇に拝朝
四月
4隻の遣唐使船に分乗し
難波津を出帆
4隻が
蘇州・・・蘇=よみがえる=読み替える・・・蘇生・蘇我
の海岸に到着
渤海国は・・・・渤=氵+「勃興・勃起」
渤=氵+勃・・・「勃牙利(ブルガリア)」
氵+孛+力・・・「孛=箒星・彗星」
孛=突然怒る
鵓鴿(ボッコウ)=ハト・家鳩
どばと
氵+十+冖+子(一了)+力
海=うみ=瀛
国=國・圀=語句
「大武芸」の弟
「大門芸」の亡命をめぐって
唐と対立の戦端
732年
渤海水軍が
山東の・・・サン=篹・簒・纂・讃
トウ=当・等・登・問・答
登州・・・煙台(烟台・Yantai)=山東半島東部の港湾都市
を攻撃
開元二十一年(733年)
玄宗は
大門芸を
幽州に派遣し
新羅王にも
渤海攻撃を命じたが
・・・不調・・・
↓↑
多治比 広足(たじひ の ひろたり)
左大臣
「多治比 嶋」の六男
官位は従三位・中納言
↓↑
多治比広成
↓↑
丹墀 広成・・・丹墀(タンチ・たじひ)
宮殿の階上の庭
天子の宮殿
あかくぬりたる庭
天子の殿階の下
漢書、百官志
「以㆓丹朱㆒漆地
謂 之 丹墀」
張衡、西京賦
「靑瑣 丹墀」
とも記す
生年不詳~
天平十一年四月七日
739年5月22日
↓↑
732年(天平四)
遣唐大使
733年(天平五)出発
734年(天平六)
大隅国の
多褹(たね)島に帰着
735年(天平六)
吉備真備(きびの-まきび)
玄昉(げんぼう)
らとともに
春入朝
ーー↓↑ーーー
「平群広成」は
渤海国に至って
「阿部仲麻呂」
からの書状によって
僚船の消息を知る
大使
「多治比-真人-広成」の
第一船
「安芸」
は
越州(浙江省の中東部)に到着
↓↑
平群広成
遣唐使船
判官(三位高官)
使船四艘
無事に蘇州に到着
↓↑
留学中の
山上憶良
平城京で死亡
↓↑
阿倍 仲麻呂
下道(吉備) 真備
葛井 真成
↓↑
平群広成
18年前に留学生として入唐した
葛井真成を訪れた後
真成は病没
↓↑
真成の墓誌
「寂することは、乃ち天の常なるも
哀れなることは
茲(こ)れ遠方なることなり。
形(み)は既に異土に埋もれたりしも
魂は故郷に帰らむことを
庶(こひねが)ふなり」
が2004年に発見・・・
↓↑
平群広成
日本に帰還する
四艘の
第3船の指揮官
第1船に
真備や玄昉
阿部仲麻呂が
唐女との間に儲けた
息子二人が乗船
↓↑
第3船は
蘇州を出港後、漂流
漂着
6日目
漂着地が
崑崙(ヴェトナム)と
知る
↓↑
船匠は寒さで死
医師の
玄逸
日録
が悪疫の因を推察
平群広成
林邑国(ヴェトナム)都に上り
道中に
安仁、龍穴
に到り来歴を語る
林邑国王に謁見するが
幽閉
出港準備中の仲間と船が
海賊に襲われ
全滅
帰国支援の
安一族の
安東から叱咤激励
帰国決意
↓↑
「水手の
三麻呂
貨物の中に
遣唐使の財を発見」
長安で
第2船の指揮官
「中臣名代」から
玄宗皇帝が用意してくれた船で
一緒に帰国しようと誘われるが
平群広成は断ってしまう
「仲間を
捜索している
音麻呂
道麻呂
赤麻呂
の3人の上司」
↓↑
阿倍仲麻呂
玄宗皇帝への謁見を周旋
安岳
商賈
の理を説きて
全浅香を呈す
阿部仲麻呂、使節送還を策し
平群広成は
広成
三麻呂
ら4名と
長安出発
↓↑
広成
金貞宿に
名香を与へ
空船の計を案じて
登州を脱す
↓↑
渤海王城に到り
他の使の消息を知り
上奏文の文言を草す
↓↑
渤海国に至り
仲麻呂からの書状によって
僚船の消息を知る
大使である
「多治比-真人-広成」
の指揮する
第1船「安芸」は
越州(浙江省の中東部)まで吹き戻され
天平六年(734)十一月二十日
多褹嶋(種子島)漂着
天平七年(735)三月十日
平城京に戻った
天平八年(736)二月
明州出港し
副使
「中臣名代」の
新造第二船が
五月に
九州大宰府に辿り着き
八月二十三日
京に戻った
第4船は
杳・・・エウ・はるかに遠いさま
奥深く暗いさま
ハッキリしない様子
くらい・日が沈んで昏い
「一結杳然
(イッケツヨウゼン)」
文章の後に残っている風情
「一結」は文章に
一旦まとまりをつけること
「杳然」は悠然の意
杳⇔査・・・調査・査察・査定
として行方不明
↓↑
6年3ヶ月後帰国
平群広成は
第3船の
115名中
4名しか帰還しなかった責任を追及された
田村第=藤原仲麻呂邸
に幽閉
聖武天皇に
報告義務があると・・・
「天皇、広成を召し
全浅香を購ひ
渤熊
新虎
日鼠
の譬へを解す」
広成は
第3船と第4船の
240名の
遺族支援策を上奏
ーーーーー
・・・???・・・
↓↑ ↓↑
「平群-広成(廣成・判官)」≠「多治比-広成(廣成・大使)」
併訓-校正 他字(大字)比-構成・更生
↓↑ ↓↑ ↓↑
広=广+ム(私・ム=よこしま=横嶋・邪)
廣=广+黄(卄+一+由+八)
广+黄(龷+ 由+八)
广+黃(廿+一+由+ハ)
黄=光を放つ火矢の象形・・・?
寅=イン・慎む・いずまいを正す
矢+𦥑(キヨク=両手・・・?
両手で弓に矢をつがえ・・・?
ひきしぼる意・・・違うだろう?
漢字構成は
宀+一+由+ハ・・・宀=空・天空・屋根
廿+一+由+ハ・・・廿=二十=二拾・念
卄+一+由+八・・・卄+一=龷=共
昔・洪
一 由 八
始まりの由来を捌く
田から出た「╹(灯)=頭・主」
異体字「夤・𡓓・𡓵・㝙・𡩪・𡩟
𢁐・𥦕・𦦚・濥・𡖷・𤃚
𦟘」
演奏・演技・演劇・演説・演習
演=氵(水)+宀+丅+囗+十(乂)+ㇵ
演=氵+寅
氵+宀+一+由+八
エン
おこなう
のべる
説く・述べ広げる・押し広める
流れる・水が流れる・長い距離を流れる
人前で芸を行う
実習する・実地に行う
実戦や非常時を想定して行う訓練
シミュレーション(simulation)
何らかのシステムの挙動を
それとほぼ同じ法則に支配される
他のシステムやコンピュータなどによって
「模擬実験」や「模擬訓練」する
ラテン語
「similis シミリス(似ている)」
「simulare シミュラーレ(模倣する)」
「simulat(真似た、コピーした)」
といった用語から
ラテン語
inductio(インドゥクティオ)
隠 導 句綴 緒?
帰納=収まっているモノの帰結場所
induction(インダクション)
deductio(デドゥクティオ)
構成部分の分解、分析、
細分化された諸部分の諸関係
諸関係の機能性と
再構成された存在意義 規定
袋の中身の選別
↓↑ ↓↑
演繹=deduction(ディダクション)
一般原理、概念、既存知識からの
論理的 分類 系統の証明
生物⇔植物⇔果実⇔林檎⇔旭日林檎
一般概念⇔ 個別概念⇔特殊概念
糸で編まれた袋自体の分類と機能性
↓↑ ↓↑
「起源=接頭辞de(デ)」
「導く・引き出す=動詞duco(ドゥーコゥ)」
からの派生の
「ductio(ドゥクティオ)」
名詞が結びつき
「deductio(デドゥクティオ)」
出導 句綴 緒?
「何かから別の何かを導き出すこと」
「導出」
演=氵+寅
氵+宀+一+由+八
繹=糸+睪
糸+罒(網目)+幸(一立十)
エキ・・・釋・役・譯
たずねる
つらなる
つらねる
引く・ぬく
たずねる・きわめる・明らかにする
つらねる・つらなる・連続
絶えずにつらなり続くさま
三輪山の大物主の正体と糸巻きの糸の行先・・・
大物主神(事代主神)
別名
倭大物主櫛甕魂命
大国主神
三輪大神
三諸神
八戸挂須御諸命
大物主葦原志許
↓↑ ↓↑
古事記
御諸山上坐神
(みもろのやまのうえにますかみ)
美和之大物主神
(みわのおおものぬしのかみ)
『播磨国風土記』では
八戸挂須御諸命
(やとかけすみもろのみこと)
大物主葦原志許
(おおものぬしあしはらのしこ)
↓↑ ↓↑
日本書紀
大己貴神の和魂
(にきみたま)
別名
三輪明神
倭大物主櫛甕魂命
(やまとおおものぬしくしみかたま の みこと
『出雲国造神賀詞』では
倭大物主櫛瓺玉命
↓↑ ↓↑
国造りの神、蛇神=小さな黒蛇
↓↑ ↓↑
配偶者
倭 迹迹日 百襲 姫
↓↑ ↓↑
活玉依毘売
名前も知らない男が夜毎にやって来ることを告白し
父母はその男の正体を知りたいと思い
糸巻きに巻いた
麻糸を針に通し
針をその男の衣の裾に通すように教えた
翌朝、針につけた糸は
戸の鍵穴から抜け出て
糸をたどると
三輪山の社まで続いていた
糸巻きには
糸が3回りだけ残っていたので
「三輪」と呼ぶようになった
↓↑ ↓↑
子 比売 多多良 伊須気 余理 比売
五十鈴依姫
櫛御方命
↓↑ ↓↑
橫=木+黃(火を付けて射る矢の象形?)
横=木+黄
門に差し渡して門を閉(と)じる「横木」
↓↑ ↓↑
よこしま
↓↑
邪(新字体)=牙+阝(邑)
↓
ひねくれている
不公平な
悪人
歪んでいる
人を困惑させ、害をなす妖怪
疑問・反語の
助動詞の読み方は「ヤ」
呉音=ジャ・ヤ
漢音=シャ・ヤ
邪は耶と同じく、
歟は與と同じ、
乎の字、于の字の如く
句瑶に用ふる
咏嘆の意
邪・耶・歟・與は、
咏嘆の意・・・・・・まさに‥‥だなぁッ!
乎よりは疑の意・・・だろうかな?
疑問・反語の助字
↓
訓読み=よこしま=「よ-こ-し-ま」
↓
横島=横嶋・・・横縞・横揣摩
斜・耶・衺・𧘪・𨚌・爷・爺・𤕓
私・阿・犯・冒・曲・菅・迂・漢・・・漢(よこしま)
奸・嫉・妬・姦・淫・猥
↓
「ヨコシマ(横島)」と読まれる漢字は
「感冒」の「冒」をはじめに
よこしま=宄・横・邪・姦・干(カン=諌=甲)
佞・漢
よこしま=侘・差・左・ム・私
よこしま=宄・侈(シ)・佻(チョウ・ジョウ)
犯
よこしま=毎・曲・奸・淫・自・己
↓↑
「宄=宀+九=キ・よこしま」は
「邪悪・姦・悪者・盗人」と
諸橋轍次先生の
「大修館・新漢和辞典(改訂版)」にはあり、
「究」の「八」を欠字させた漢字である。
「菅原(すがわら)」の
「菅」も「よこしま」と訓れている・・・
漢和辞典を注意してみないと
「よこしま」とヨマ(訓読)れている
漢字を見落とす事になる・・・
もちろん、
太宰府に流刑された
「菅原道真」の「菅」である
・・・興味がアレば、ボクの「HP」
「古事記・漢字源の世界(2)」
↓↑
奸・佞・邪・侫・姦
違・辟・慝・䜛・讒
よこしま=奸・邪・侫・左・姦
辟・違・慝・䜛・讒
犯・冒・姦・菅
横嶌・ム(私)・己
横縞(よこしま)
↓↑
橫=木+黃(火を付けて射る矢の象形?)
横=木+黄
門に差し渡して門を閉める「横木」
↓↑
多分、人間組織の横の序列だろう・・・
↓↑
横=横縞×縦縞
身分序列
身分の横並び×身分の縦並び
↓↑
策謀の横列
合従連衡(ガッショウレンコウ)
↓↑
合従=「蘇秦」の合従(縦)策
対秦
「燕・趙・韓・魏・斉・楚」の
縦(従)の六国同盟
弟の
「蘇代」によって継承
食客の
「毛遂」が
趙の
平原君の使者とし
楚の
「頃襄王」と合従した
「六国(くに)」とは「州合」・・・?
↓↑
連衡=「張儀」の連衡策
秦の
対六国関係を個別分断
後に
「范雎」は遠交近攻を唱え
遠方の国と手を組み
近隣の国を攻撃し
秦の領土拡張
↓↑
「横(よこしま)の語源」は
「張儀=秦」の
「連衡策」・・・?
・・・ナゼか、「反秦」の提唱者の
名前が
「蘇秦」・・・?
ー↓↑ーー↓↑ーー
紀元前288年
燕・斉・趙・韓・魏
の
五ヶ国が合従し
秦を攻撃
紀元前284年
燕・趙・魏・韓・秦
の
五ヶ国が合従し
斉を攻撃
時代は
「秦・斉の二大強国」時代
「蘇秦」は
「燕」
のために「諸国糾合」し
「斉」を攻撃すべく活動した
外交官・間者・スパイ・・・
・・・by Wikipedia・・・
なるほど、「中国人の戦略」・・・
ー↓↑ーー↓↑ーー
横柄=オウヘイ=押柄
おしから(押柄)
いばって、人を無視した態度
無礼、無遠慮
大柄 (おおヘイ)
押柄=押しの強い人柄
「横車を押す」=強引に横から車を動かす
「押領+平懐=押+平」
↓↑
柄=木+丙(一人冂)
=棅=木+秉=ヘイ
秉=禾+⺕
千+肀+八
肀=push open・アイ
Kun=ひらく
肀=手の平・掌
稲束(いねたば)
え
とる
まもる
持つ・手に持つ・にぎる
守る・つかさどる
一握りの稲のたば
柄・権勢
穀物容量をはかる単位
十六斛(コク)
秉性=性格・気質・本性
↓↑
柄=木+丙
木+一+冂+人
異体字「𣏲・抦・㨀・𥝐・𦱮」
国秉・国家の統治権力・国権
ヘイ
え
がら
いきおい
つか
え・取っ手・手でにぎる部分
つか・刀剣や弓などのにぎる部分
斗柄(トヒョウ)
北斗七星(Big Dipper・Plough)
月建=建+十二支名・・・建寅月=二月
ミザール=北斗七星の柄の先端から
2番目の2等星
いきおい・強い力・権力
品位・品格・家柄
体格・体つき
模様
↓↑
柄杓
柄本
足柄山の金太郎
岩柄
年柄・手柄・朝柄
↓↑
賞罰之柄(ショウバツのヘイ)
褒めること
罰を与えることができる権力
「柄=権力」
『呂視春秋(義賞)』
↓↑
人品骨柄(ジンピンコツガラ)
人柄や品格、容姿や身なり
↓↑
尺寸之柄(セキスイのヘイ)
ほんの少しの権力
「尺・寸」はどちらも短い長さ
「柄」は権力
『史記(魏豹彭越伝・賛)』
↓↑
百年之柄(ヒャクネンのヘイ)
将来を考えた政治の行い
権力を長く保とうとすること
長期間の権力のこと
『後漢書(班彪伝)』
平らな(水平)=level・flat・
平坦な=even
凹凸のない=smooth
萍(うきくさ)の原字
平=干+八=于+八
干+丷
于=ウ・ク
ここに・ああ・ゆく
いはく(曰く・言はく・云はく・謂はく)
語調をととのえる語
…に・…において(於いて)・…より
場所・比較を表す
詠嘆の声
吁(ク)
いく・ゆく・・・迂回
于役・于帰
丂(息がつかえ曲がる)
+
一(息が出る)
つかえて息が曲がる
「迂・宇・汚・汙・吁・紆・竽」
于
(場所)~で
在
(方向)~に
向
(対象)~に
到・対・給
(由来)~から
自、从
(比較)~より
比
(受身に用い)~により
接尾辞
于=於
形容詞
善于・富于
動詞
等于・在于・位于・帰于
属于・處(処)于・至于(不至于)
便于・忠于
處(処)=虍+処
処=夂(足)+几(椅子)
足を止め腰掛で落ち着く
住まう・居住
穴居野處=洞穴や原野で暮らす
原始生活
人とつきあう
交わる・一緒にいる
↓↑ ↓↑
八=ハ・丷・捌
分かれる
平角(へいかく, ひらかく)
直径の角度
直角2つ分の角度=180度
↓↑ ↓↑
平滑流暢
平滑=平らでなめらかなさま
流暢=水などが滞ることなく流れるように
言葉がすらすら、よどみのないさま
平仮名
平らな(水平)=level・flat
平坦な=even
凹凸のない=smooth
平面・側面・正面
↓↑
平原=平源=源平
平野
平生
平成
平静
↓↑
平城京
平安京
↓↑
平=干+八・・・乾燥 した「八」乎?
干(ひ)からびた「捌」乎?
「捌(さば・裁)き」乎?
干+丷
一+十+丷
ビョウ
ヘイ
ヒョウ
ヘン
たいら
ひら
たいらか・高低やでこぼこがない
おやだや・平穏・やすらか
かたよっていない・平均・公平・等しい
たいらげる・たいらぐ
おさめる・しずめる
普通・普段・日ごろ
漢字四声(シセイ)の
平声(ヒョウショウ)
ととのう・治まる
ひら・普通・特別でない・平凡
ひらに・なにとぞ・どうか
↓↑
たいら・ヘイ・ヒョウ
たいらぐ(平らぐ・碓等愚)
石ウスを
等しくする愚挙
小碓等の愚行
ならす(均す・奈良州・平城主)
均衡・何ぞ良しなのか?
平群(へぐり)=奈良県西北部
生駒郡の町
竜田川が南流し
大和川に注ぐ
平群(へぐり)氏=武内宿禰の後裔
村主(すぐり)
主群?
応神朝から軍事氏族
履中朝
平群 木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)
国政に携わる
葛城氏没落後の
雄略朝以降
木菟の子の
真鳥(まとり)が
「大臣」を歴任
仁賢天皇の崩後
真鳥大臣は
日本国王になろうと専横
稚鷦鷯太子(武烈天皇)の命を受けた
大伴金村により
真鳥と
その子の
鮪(しび)は誅殺(498年)
用明天皇二年(587年)
物部討伐将軍
平群神手(かみて)
大夫選任氏族
用明天皇十三年(684年)十月
「八色の姓」施行
朝臣姓
奈良時代
「平群広成」≠「多治比広成」
↓↑ ↓↑
「平群広成」
・・・讃岐守・平群豊麻呂の子
官位は従四位上・武蔵守
天平四年(732年)八月
第十次遣唐使の派遣
遣唐大使に
前次の大使・多治比縣守の弟
「多治比広成」
副使に
中臣名代
判官
平群広成
を含む四名
録事(書記官)
四名が任命
九月
近江・丹波・播磨・備中
などの諸国に
遣唐使船四隻の建造の命
天平五年(733年)
三月
使節団は拝朝
四月
四隻の船で
難波津進発
蘇州の海岸に到着
↓↑ ↓↑
養老元年(717年)の
前次遣唐使で渡唐の
吉備真備
玄昉は帰国に応じ
阿倍仲麻呂は科挙に合格
唐の官職に就いていた
↓↑ ↓↑
天平四年(732年)
十月
四隻の船に分乗
蘇州港を出発し帰国に就いたが
東シナ海上で暴風雨に遭遇
大使
多治比広成
の乗る第一船のみが
種子島に漂着
副使
中臣名代
の第二船は
福建方面に漂着
長安に送り返された
↓↑ ↓↑
閏十一月
長安を発ち
副使一行は船を修理
天平八年(736年)八月
平城京に帰着
一行には
唐人の楽師
皇甫東朝
唐僧
道璿
音博士となる
袁晋卿
ペルシア人の
李密翳
を伴っていた
↓↑ ↓↑
平群広成の乗った第3船
遣唐使の判官として渡唐
帰国の途中難船
崑崙国(チャンパ王国・ベトナム)
唐の尚書右丞相・張九齢が起草した
「勅日本国王書
(『全唐文』巻287
『唐丞相曲江張先生文集』)
(朝臣-広成-等飄至林邑国)」
に漂流し
長安送還後
阿部仲麻呂は
平群広成らが
渤海経由で帰国できるよう
玄宗に上奏、裁可され
勃海国
将軍・己珎蒙
らと共に
天平十一年(739年)七月
出羽に到着
日本へ帰国
↓↑ ↓↑
「平群広成」
天平15年(743年)刑部大輔
天平16年(744年)東山道巡察使
天平18年(746年)式部大輔・摂津大夫
天平19年(747年)従四位下
孝謙朝
天平勝宝2年(750年)従四位上
天平勝宝4年(752年)武蔵守
天平勝宝5年(753年)正月28日卒去
最終官位は
武蔵守従四位上
後は一族が没落・・・?
ーーーーー
北京の名称変遷
↓↑
春秋戦国時代
燕の首都=「薊(ケイ)」
周の国都=洛陽
秦漢=「北平(ホクヘイ)」
↓↑
北京市に隣接する
河北省涿郡(たくぐん)は「劉備の故郷」
「隋の煬帝」が築いた大運河の北の起点
↓↑
唐末五代の騒乱期
内モンゴルから南下してきた
遼朝は
後晋に対し軍事支援を行った代償として
北京地方を含む
燕雲十六州を割譲
遼はこの都市を
副都の一つ「南京」と定めた
後
金朝が遼を滅ぼし
北京に都城を定め「中都」とした
モンゴル帝国(元朝)が金を滅ぼし
「大都」都城となり
「カラコルム」に代わって
モンゴル帝国の中心となった
↓↑
朱元璋
明朝が成立し「北平」に戻され
都城は「南京」に定められた
燕王に封じられ「北平」を拠点とした
「朱棣(永楽帝)」は
1402年
建文帝の政権を奪取
皇帝に即位
「北平」は遷都し
「北京」に改めた
辛亥革命後
中華民国北洋政府は「北京」を首都
蒋介石を中心とする
国民政府は「南京」を首都
「政府直轄地域」を意味する直隷省を
1928年6月15日
河北省へ
北の首都を意味する
「北京」を
「北平(ほくヘイ・ペイピン・Běiping)」
と改称
1937年~1945年
日本軍占領期は
「北京」の名称が使用(公式は1940年改名)
日本の敗戦によって「北平」に改称
↓↑
1949年10月1日
中華人民共和国成立
「北平」は「北京」と改称
中華民国(台湾)は公式名称として
「北平」の名称を使用
ーーーーー
・・・
一路平安(イチロヘイアン)
壹賂 経意案?
↓↑ ↓↑
依流平進(イリュウヘイシン)
遺留 並進?
経歴や年齢が多い順番の通りに出世すること
↓↑ ↓↑
怨親平等(オンシンビョウドウ)
音信 描同?
敵を憎まず、味方をひいきせず
両者を平等に扱うこと
「怨親」は敵対する者と親しい者のこと
↓↑ ↓↑
虚気平心(キョキヘイシン)
歔欷=すすり泣く・兵心?
心を空にして落ち着けること
「虚気」は感情をなくすこと
「平心」は心を落ち着けること
↓↑ ↓↑
虚心平気(?)
源平藤橘(?)
恒久平和(?)
公平無私(?)
三平二満(?)
三平二満(?)
十分とはいえないが
それに満足して平穏に生活すること
「三」と「二」は数が少ないことのたとえ
三でも安らかで
二でも満足する
「三」は額と鼻、下顎
「二」は左右の頬
「三」が平らで
「二」が膨らんでいるような顔
おかめ顔・おたふく顔
↓↑ ↓↑
四宇和平(?)
至公至平(シコウㇱヘイ)
思考 史(詞)併?
心平気和(?)
水平思考(?)
俗談平語(?)
俗談平話(?)
地平天成(?)
低頭平身(?)
天下太平(?)
天下泰平(?)
天下平泰(?)
内平外成(?)
不平煩悶(?)
不平不満(?)
無事平穏(?)
平安一路(?)
平穏無事(?)
平滑流暢(?)
平気虚心(?)
平衡感覚(?)
平沙万里(?)
平沙落雁(?)
平心定気(?)
平身低頭(?)
平談俗語(?)
↓↑ ↓↑
平地風波(?)
予想外の出来事や事件のたとえ
自ら争いを起こすことのたとえ
穏やかなところに波風が立つ
平伏膝行(?)
平々凡々(?)
平平凡凡(?)
平明之治(?)
平和共存(?)
平和共存(?)
平等平等(ヘラヘイト?)
平等平等(へラヘイトウ?)
ーーーーー
・・・???・・・ありえないモノ・・・
・・・平和共存・・・平等平等・・・
公和依存・・・法的均等・・・