コロナ感染予防=御手洗・マスク・嗽・接禁・・・接触禁止
コロナに手をコマネク・・・何もできかねて傍観・・・?
盥=たらい
湯水を入れて
顔や手足を洗う
丸くて平たい容器
洗面器より大きいく
洗濯や行水などに用いる
↓↑
たらい(盥・タライ・Washbasin・Washtub)
平たい桶の一種
丸い形で比較的浅い
洗濯機が無かった時代
主に洗濯の用途道具
嫁入り道具の一
「手洗い」が詰まって
「たらい」となった・・・?
「ておけ=手槽・手桶」で
「あしおけ=足槽・足桶」
「洗濯槽・洗濯槽」・・・
多分
「盥=たらい=タライ=槃」
の用途の最重要性は
妊婦が出産した
「嬰児の産湯・湯浴び・湯沐」
だろう・・・
「ておけ=手槽・手桶」は
「盥(たらい)」の語源ではないだろう・・・
「タライ≠手洗い」でなければ
「たらい=」である・・・「あしらい」?
「盥の漢字形象と音韻」から
「盥=𦥑(E+ヨ)+水+皿」=槃=般+木
平らな鉢
たらい・たのしむ・めぐる
般・般若
搬・運搬・搬出・搬入
盤・水盤・石盤・銅盤
磐・磐余・常磐
涅槃(ネハン)・考槃(コウハン)
=E+水+ヨ+皿
=E+ヨ=両手を水で洗って皿に落とす(貯める)
両手で水を掬い皿に落とす(貯める)
𦥑(E+ヨ)=臼の底が抜けた漢字
⇔円筒状のモノ=菅・管=くだ状のモノ
・・・字形に「足・脚・肢」を示唆するのは
昆虫類の「肢⇔E+ヨ」・・・?
「足」は「ソク=たる・たりる」である・・・
たらり=膤り
「膤割(ゆきわり)」
熊本県水俣市の地名
・・・平らな「たる=樽・多留・罇・弛」⇔たらい?
湯沐(トウモク・ゆあみ)
古代、皇太子、中宮に対する
「資養」のために諸国におかれた
令制で
臣下に対する
「名代・子代(なしろ・こしろ)」
等の延長制度
↓↑
湯沐邑(トウモクユウ・ゆのむら)
古代中国
飛鳥時代~平安時代の日本で
「一部の皇族に与えられた領地」
国と時代により実態が大きく異なる
『礼記』 王制篇
「方伯が・・・方伯(landgrave)=封建諸侯の称号の一
天子に朝するときには
みな天子の県内に・・・県内=行政督察区
「湯沐の邑」を持つ」・・・
どちらも
「斎戒沐浴」を名目とする
遠くから来る
諸侯と従者、使者の滞在に
必要なモノを報償として与えた
「領地=邑=村」と
そこの「領地民の使役・労役」・・・
↓↑
湯沐(トウモク)=湯を浴びて、髪を洗うこと
ゆあみ
「湯沐の風姿婀娜たるを窺い」
〈東海散士・佳人之奇遇〉
by goo国語辞書
↓↑
七世紀中葉
「名代・子代」
が廃止されるにしたがって設定された・・・
「名代・子代」の代替延長が「湯沐」・・・?
ーーーーー
湯沐邑
周の制度
『春秋公羊伝・(隠公三年三月条)』
「邴(ヘイ)は
鄭の湯沐邑」
「天子が泰山を祭るとき
諸侯もみな泰山の下に従う
そのとき諸侯はみな
湯沐のために邑を持つ」
『礼記・王制篇』
「方伯が天子に朝するときには
みな天子の県内に
湯沐の邑を持つ」
どちらも
「斎戒沐浴を名目」とするが
遠くから来る
諸侯と従者、使者の滞在に必要なものを
現地で満たすために与えられた・・・
↓↑
戦国時代と漢代の
湯沐邑
湯沐邑は
君主が臣下に与える領地を意味するものになった
魏無忌(信陵君)が
趙の王から
鄗(コウ)を湯沐邑として与えられた
『史記(信陵君伝)』
↓↑
前漢の高祖
劉邦は
「朕は
沛公からはじめて暴虐を誅し
ついに天下を得た」
として
挙兵の地である
「沛」を自分の「湯沐邑」
にして
「沛」の税や労役負担を軽減した
生地である
「豊」も同様にした
皇帝の「湯沐邑」はこの一例のみで
その後は
皇族が「湯沐邑」を与えられた。
↓↑
前・後の漢代
湯沐邑を与えられたのは
皇太子
皇后、皇太后
廃王、廃王女
公主
王女
皇后の生母
太子の湯沐は
『後漢書(班彪伝)』・・・班彪=チーター
に、旧制で10県とある
『漢旧儀』に
皇后・太子は各40県を食み、「湯沐邑」とある
漢代の皇族男子は通常
諸侯・王や列侯になって
与えられた領地を統治したが
それ以外の皇族には
「湯沐邑」が与えられた
「湯沐邑の主」は統治権を持たず
税収を手に入れるだけだった
「湯沐邑」を与えられるのが
皇族女子
廃王
に偏るのはこのため・・・
↓↑
by 出典
フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
ーー↓↑ーー
「湯沐邑」
平安時代の
『新撰姓氏録』
「諸国に
多治部を定めて
皇子の湯沐邑にした」
この皇子は後の
「反正天皇」にあたり
「多治部」・・・オホのオサの部?
太 安万(萬・曼・蔓)侶?
を宰領した者が
「丹比連」
を名乗ったのが
「丹比氏」のはじまり・・・単字・鍛治?
・・・タンを比べ得字・・・丹後・丹前・丹波
但馬・萱場(かやば・タンバ・ケンバ)?
「湯沐の邑」=湯を浴(沐浴・あ)びる=斎戒沐浴
皇子の養育を賄う養育地・養育人の封地
湯舟=たらい=盥
↓↑
産湯(うぶゆ)の湯舟(ゆぶね)
十二運の「沐浴」は「出産時の産湯(うぶゆ)」
胎→養→長生→「沐浴」→冠帯→建禄(臨官)→帝旺→
→衰→病→死→墓→絶→
胎(受精・妊娠・胎児)→養→長生→沐浴(出産時の産湯)
「名代・子代」=なしろ・こしろ
↓↑ ↓↑
皇子・皇女の「養育料を賄う領地」
皇子・皇女の「養育人・領民(部民)」
↓↑ ↓↑
部民=各地域の農民集団
地方の国造(くにのみやつこ)の配下の民
名代=国造の一族から
舎人(とねり)
采女(うねめ)
などを
天皇・后妃の近侍者として奉納
↓↑ ↓↑
を平安時代の制度に呼び替えたもの・・・
↓↑
『日本書紀・巻二十八・壬申紀』
天武天皇元年(672年)
「湯沐令」への言及が2箇所
「湯沐」への言及が1箇所
「湯沐」や「湯沐令」は
「湯沐邑」から派生した語・・・
中国
「唐王朝」に「湯沐邑」はなかった・・・
日本の「湯沐邑」は
「漢代の制度」の踏襲・・・
↓↑
壬申の乱(天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
(ユリウス暦672年7月24日~8月21日)
壬生(みぶ)
水辺、水生(みぶ)の意で泉や低湿地を意味
後に「 壬生」の字を当てた地名・一族や集団
皇子の世話や養育を行う
「子代」である
「乳部(壬生部、みぶべ)」からの転化を含む
大海人皇子は
自ら行動を起こす2日前
6月22日
に使者を出し
「安八磨郡(安八郡)」
の
「湯沐令(ゆのうながし)」
の
「多品治」に兵を挙げ
「不破道」を塞ぐよう命じた
25日までに
美濃の兵3000が
「大海人皇子」のために
「不破道」を塞いだ
この兵
「湯沐邑の兵力」
「美濃国全体の兵力」
とする説・・・
「安八磨郡の湯沐邑」
が真っ先に
軍事行動を起こした
24日
大海人皇子は
伊勢に向かう途中で
「菟田郡家」のそばで
「湯沐の米」
を運ぶ伊勢国の駄50匹に会った
25日
伊勢の
「鈴鹿郡家」で
国司守の
「三宅石床」
介の
「三輪子首」
「湯沐令」の
「田中 足麻呂
高田 新家」
が出迎えた
↓↑
「湯沐邑」は
「安八磨」郡の一部ではなく
郡全体にあたる・・・
その郡の範囲は後の
「池田」郡を含み、さらに広かった・・・
「田中足麻呂」
は
「多品治」
と同じく
安八磨郡の「湯沐邑の令」
伊勢国の「別の湯沐邑」
の説・・・
↓↑
律令制の「湯沐邑」は収入源でしかないが
「湯沐邑」と
「皇子」との関係・・・出生地だろう・・・?
↓↑
律令制の湯沐邑
東宮(皇太子)
と
中宮(皇后)
のために「湯沐邑」が置かれた
「壬申の乱」のように
「東宮が湯沐邑を経済的基盤として
国家に対抗することを防ぐため
大宝令、養老令制定時には
中宮のみ2000戸の
中宮湯沐が置かれ
東宮には湯沐邑の代替として
毎年
東宮雑用料
絁300疋
綿500屯
糸500絇
調布1000端
鍬1000口
鉄500廷
が支給(禄令封戸条)
↓↑
光仁天皇の時代
山部親王(桓武天皇)
のために特に
東宮 湯沐1000戸
が与えられ
延喜式の段階で
東宮 湯沐として
中宮と同様の2000戸が支給
(『延喜式』春宮坊、なお東宮雑用料も併給)
令制では別に
封戸があり
他の皇族と臣下に与えられた
封戸と湯沐は
呼び方の違いであり、実質は同じ・・・?
ーー↓↑ーー
「足利(あしかが)=今川」家・・・足の利
たりり・ソクリ 足利尊氏(あしかが たかうじ)
たルり
「た」+「ら・り・る・れ・ろ」+「り」
↓↑
カガと=踵=カカと
足の裏の最も後(背中側)の部分
きびす
下腿の骨と関節によって繋がっている
「踵骨(ショウコツ)」
「ヤコブ(かがと)」
↓↑
「足利」=葦や葦が生い茂っている土地
足利氏は河内源氏が祖
平安時代
源義家の三男の
義国が
下野国
足利郡
足利荘(栃木県足利市)に領地を持ち
「足利」を名乗った
藤原姓の「足利」氏の末裔・・・
「アシ」は中国東北部(満州)方面の言葉・金属
「カガ」は「利息の利」のこと・・・
・・・金の利子・・・?
・・・利=禾+刂(刃)
ノ+十+八+刂
=穂先の尖った(禾)刃(やいば)
剣=つるぎ・ケン
金の効果・効き目・効力・効能
戦功・・・戦争の戦果、褒賞・報償
甲斐?・・・遣った見返り・・・?
「かが」+「ま・み・む・め・も」
甲賀・鑑・鏡・香我美・加賀美・僂・各務
↓↑
たらい・・・「多良・多羅・太良・鱈・楤・膤・桵」+イ
盥=⺽+水+皿=泴
カン
すすぐ(漱・濯・雪・洗)
そそぐ(注・灌・潅)
たらい
あらう・手を洗う
手を洗うのに用いる器
↓↑
盥ぐ(すすぐ)
盥ぐ(そそぐ)
盥(たらい)
洗面器より大型のもの
↓↑
盥(たらい)
洗濯、行水などに用いる
「円筒形」の平たい容器
「手洗い(てあらい)」
↓↑
「たらい回し」
「傘回し・皿回し」と同じ曲芸の一
曲芸師があおむけに寝て
「足(たり・たれ・たる・あし・ソク)」・・・足=王
で
「盥(たらい・カン)」
を回す
「曲芸」・・・よこしま(キョク)な「芸・藝」
↓↑
盥=⺽+水+皿=泴
𦥑=キョク
両手を
「こまねく」こと
・・・廾=廿足(にじゅうあし・卄)
キョウ
こまぬき
両手で
モノを持ちあげたり
持ったり
抱きかかえたり
拱(こまぬく・こまねく)
腕組みをしたり
両手の動作
「高麗ねく」・・・
手出しをせずに傍観する
「ドウショウモない」
「如何ともしがたい」
「手立てがない」
「方法がない」
「是非もない」・・・?
↓↑
「こま=駒・独楽・狛・巨摩」
「こま~くま」
「くま―ねく」
・・・音口・根句・寝句
「句真似口・熊の襲の音求」?
・・・「子を招く
オイデ、おいで」?
異体字
「臼・匊・舉・裒・⺽・挙」
↓↑
「盥(たらい)」
平たい桶の一種
「たらひ」=「た(手)」+「あらひ(洗ひ)」.
ーー↓↑ーーー
・・・???・・・桶狭間(おけはざま)・・・
「桶狭間(おけはざま)」神明社の鎮座する谷地
『天保十二年丑年五月
知多郡
桶廻間村
圖面』では
「神明宮」を中心に
南北の本田
神明廻間池(二ツ池)
市右衛門池(位置)
それら後背地の御林山付近に相当・・・
「豊明市内には
大狭間
小廻間
の地名が多い
狭間(廻間)」
「桶(おけ)は奧(おく)の転」・・・?
やっぱ、「桶の形象」・・・谷底の「洞・窪み」
それとも「尾家・尾下・織家・呉家・槽」の当て字・・・?
「泉に浮かぶ桶が廻る様子=おけはざま」の地名
↓↑
「洞迫間(くけばさま・ほけばさま)」
と呼ばれていたのが変化
江戸期
「桶狭間・桶廻間・桶迫間」等の表記
明治時代以降
「桶狭間」に統一
ーーーーー
・・・???・・・
↓↑
「古事記字源のページの表紙・音楽・動画」
https://haa98940.wixsite.com/mysite
↓↑ ↓↑
「古事記字源のページ・2016/12~」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
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