瀧=たき=多岐・多紀・多喜・他記・田記・多伎・・・おたきさん
壷=つぼ=壺・坪・坩・臺・・・
に
磐=いわ
鳴=なき・・・な+(か・き・く・け・こ)
なる・・・な+(ら・り・る・れ・ろ)
に
落下
する
湖沼(ダム・dam・堰堤=エンテイ)
の
水・・・ダメ(駄目・打目・試)・・・?
↓↑
磐の割目・・・違和感があるけれど・・・そんなカンジ・・・
磐=般+石
舟+殳+丆+口
舟+几+又+一+丿+口
ハン
バン
いわ
わだかまる(蟠る)・蜷局を巻く
入り組んで複雑に絡み合う
いわお・大きく厚い岩・平たく大きな岩
とどこおる(滞る)・渋滞
↓↑
いわき(岩城・岩木・磐城・石城・井脇)
↓↑
岩木町(いわきまち)
青森県中津軽郡にあった町
弘前市・相馬村と合併し
名前消滅
↓↑
磐城国(いわきのくに)
戊辰戦争終結直後
1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)
陸奥国が分割設立
東山道に位置
別称は
「磐州(バンシュウ)」・・・播州赤穂・・・
↓↑
磐余(いわれ・いわよ・バンヨ)・磐盤
謂我・謂和例・石村・石寸
↓↑
神武天皇=磐余彦
日本の初代天皇
諱 彦火火出見(ひこほほでみ)
・・・彦=びこ=毘処なら臍(綣)
・・・火口からの噴火の見物・観察?
狭野(さの・さぬ)・・・狭間・溪(渓)谷
神 日本 磐余彦 天皇
(かみ やまと
いはあれびこ の
すめらみこと)
神 倭 伊波礼毘古 命
若 御毛 沼 命
(わか みけ ぬ のみこと)古事記
話 髪 毛 濡 之見事(いのち・メイ)
意廼知 姪=女+至
女の壹は横嶌の拾位地
豊 御毛沼 命
(とよ みけぬのみこと)古事記
始 馭 天下之 天皇
(はつくにしらす すめらみこと)日本書紀
馭者(ギョシャ)=御者
統べる・治める・馬をあやつる
↓↑
磐保村(いわほむら)
福島県
耶麻郡・・・?邪魔こおり?
に存在した村
猪苗代湖=天鏡湖
・・・磐梯山や猫魔火山の
大規模な噴火活動によってできたカルデラ
瓜の苗場?・・・稲苗平生?
湖北部の沖に縄文土器などの出土
の北岸に面し
東西北の三方を
会津
磐梯山
などの山々に囲まれる
↓↑
秋元湖(あきもとこ)
福島県
耶麻郡
北塩原村
猪苗代町
にまたがる湖
桧原(ひばら・檜ゲン)湖
小野川湖
とともに
裏磐梯三湖を形成
五色沼(ごしきぬま)
磐梯山の北側
裏磐梯地域にある
大小30余りの小湖沼群
緑・赤・青
などの色の沼が点在
↓↑
磐(いわ・いわお・バン)・磐石
磐城国(いわきのくに・福島県)の略字
磐梯山・・・野口英世(てんぼう)の出生地
磐越=福島県と新潟県の総称
常磐=茨城県と福島県の総称
↓↑
磐=舟+殳+石
舟+𠘨+又+石
磐之姫命
磐之媛
磐之媛命
・・・お岩・・・四谷怪談 お岩
四谷左門町に「田宮伊右衛門(31歳)」
と妻の「お岩(21歳)」
↓↑
磐井の乱
527年(継体二十一年)
朝鮮半島南部へ出兵しようとした
近江毛野率いる
ヤマト王権軍の進軍を
筑紫君
磐井(『日本書紀』は筑紫国造)
が
阻(はば)み
528年(継体二十二年)十一月
物部麁鹿火に鎮圧
ー↓↑ーーー
磐井 彦太郎(いわい ひこたろう)・・・ダレ?
明治時代の東京の工業家で
磐井燈(蛍光灯)の発明者
安政六年一月(1859年2月)
「萬代 萬衛門」・・・萬の代 萬を衛る門
の長男
後に姓を
「磐井」に改名
號 望岳・桂嬢
13、4歳頃
に
大阪外国学校に入学、退学
明治12、3年(1879・80年)頃
工部省に出仕
横浜電信局勤務
明治18年(1885年)
欧米に渡航
点灯器の調査
明治22年(1889年)
帰国後
「蛍光灯を発明」・・・?
して特許
「磐井燈」と名付け
製造販売
「狂歌園噪々子」を名乗った
↓↑
以上も以下も「原文」は『ウィキペディア(Wikipedia)』・・・
改行と「・・・」、「?」だけが
ボクの思惟、思考の「自問自答?」です
ー↓↑ーーー
1926年
ドイツの発明家
エトムント・ゲルマー
のグループ
管内の圧力を上げ、蛍光粉末で覆うことで
放たれ~た紫外線を
均一な白い光に変換することを提案
ゲルマーは一般に「蛍光灯の発明者」・・・
↓↑
盤=舟+殳+皿
↓↑
自然界では人間も含め生存競争が激しい・・・
↓↑
常布の滝(群馬県草津町草津)
笛吹川の源流部
広瀬湖(広瀬ダム)
上流にある渓谷
↓↑
建久四年五月二十八日
(1193年6月28日)
癸巳(年)
丁巳(月)
癸巳(日)
丁巳(時刻・9~11時)・戊午~
↓↑
・・・観たよナぁ~ッ・・・
「蘇我兄弟 富士の夜襲」・・・
東映映画・本編 111分
音楽
万城目 正(まんじょうめ ただし)=萬城目 侃
北海道
十勝支庁
中川郡
幕別村
(幕別町)
出身
映画『そよかぜ』の音楽を担当
主題歌
「リンゴ🍎の唄」が
「並木路子」で大ヒット
↓↑
曾我祐成(そが すけなり)=曽我十郎
東千代之介・・・雪之丞変化・「三上 於菟吉」の時代小説
↓↑
曾我時致(そが ときむね)=曽我五郎・曽我時宗
中村錦之助 (萬屋錦之介)・・・萬屋の由来?
1971年(昭和46年)
小川家一門が播磨屋から独立して名乗った
・・・萬屋の由来?・・・「なんでも屋」
三代目中村歌六の妻
小川かめの実家が
市村座の芝居茶屋の
小川吉右衛門の「萬屋」だった・・・
何でも一通りは知っている人
何事も広く浅くこなす人
↓↑
兄弟が
父の仇
工藤祐経
月形龍之介・・・水戸黄門・梅園・大日本史
偕楽園・常陸「太田」市
新宿町不老沢
↓↑
を討とうと
密議をしていたが
滝の轟音
で話が聞き取れない
そこで神に念じて
滝の音が止んだ
曾我兄弟は本懐を遂げた
音止めの滝(おとどめのたき)・・・「音留のタキ」
静岡県
富士宮市にある滝
近くに白糸の滝
↓↑
曾我兄弟が隠れていた
「曾我の隠れ岩(磐・岩・巌・いわ)」
・・・違和・伊波・異話
↓↑
曾我祐成・時致
兄弟が
父の仇
工藤祐経
を討とうと
密議をしていたが
滝の轟音で話が聞き取れない
そこで神に念じて
滝の音が止んで
曾我兄弟は本懐を遂げた
音止めの滝(おとどめのたき)
静岡県
富士宮市にある滝
近くに「白糸の滝」
↓↑
曾我兄弟が隠れていた
「曾我の隠れ岩」
↓↑
工藤祐経
は親族(義理の叔父かつ元義父)の
伊東祐親
に恨みを抱き
一族の先代当主
工藤祐隆
による
所領分割相続の措置・・・領土問題はムカシから
に不満の
祐親が
祐経の所領を奪った上
祐経に嫁いだ祐親の娘
「万劫御前」
とも離縁させたため
↓↑
安元二年(1176年)十月
工藤祐経
は郎党の
大見 小藤太
八幡 三郎
に狩に出た
祐親を待ち伏せさせ殺した
2人が放った矢は一緒にいた
祐親の嫡男
「河津祐泰」
に当たり死亡
2人は暗殺実行後
伊東方の追討により殺された
↓↑
祐泰の妻の
満江御前(満行)・・・満の江の御の前?
その子
「一萬丸」・・・・壱の萬の丸
「箱王丸(筥王丸)」・・・ハコオウのマル?
が遺され
「満江御前」は
「曾我祐信」と再婚
↓↑
「治承・寿永の乱」で
平家方についた
伊東氏は没落し
祐親は捕らえられ自害
一方
祐経は
源頼朝に従って
御家人となり
寵臣となった
↓↑
「一萬丸」は
曽我の家督を継ぎ
「曾我 十郎祐成」
と名乗った
弟の
「箱王丸」は
父の菩提を弔うべく
箱根権現社に
稚児として預けられた
↓↑
文治三年(1187年)
源頼朝
箱根権現に参拝した際
箱王丸は随参した
敵の
工藤祐経
を見つけ
復讐しようと付け狙うが
逆に
祐経に諭されて
「赤木柄の短刀」
を授けられた
五郎時致
は後にこの
「赤木柄の短刀」で
工藤祐経
に止めをさした
↓↑
箱王丸は箱根を逃げ出し
縁者の
北条時政
を頼り(時政の前妻が祐親の娘)
烏帽子親となってもらって元服
「曾我五郎時致」と名乗った
↓↑
仇討ち成就を願い
箱根権現社に赴き祈請
↓↑
「ちはやぶる 神の誓ひの 違はずは
親の敵に 逢ふ瀬 結ばん
曾我十郎祐成」
↓↑
「天くだり 塵に交はる 甲斐あれば
明日は敵に 逢ふ瀬 結ばん
曾我五郎箱王丸」
↓↑
世話になった
「別当」・・・別に当てる・・・カンジ?
の元を訪れ
↓↑
「夢ならで またも逢ふべき
身ならねば 見るおもかげに
袖 朽ちぬべし
箱根の別当」
↓↑
建久四年(1193年)五月
源頼朝は
「富士の裾野」で
「巻狩」・・・「日本書紀・参拾巻」を借りる
を開催
五月二十八日
曾我兄弟は
祐経の寝所に押し入り
酒に酔って遊女と寝ていた
祐経を起こして討ち果たした
騒ぎに集まってきた武士たちに
取り囲まれ
兄弟は10人斬りの後
兄の祐成が
仁田忠常
に討たれ
弟の時致は
頼朝の御前を目指し
向かってきた武士たちを倒し
頼朝の館に押し入ったが
頼朝の近習
御所五郎丸
によって取り押さえられ
頼朝の命は救われた
↓↑
五月二十九日
時致は
頼朝に心底を述べる
頼朝は助命を考えたが
祐経の遺児
「犬房丸」・・・犬のフサ丸・・・伏姫の忠犬「八房」
に請われて斬首を申し渡し
斬られた
↓↑
『曾我物語』
五郎丸が
女装して
時致に接近・・・女形は歌舞伎・京劇の「旦(ダン)」
『吾妻鏡』
『曾我物語』
には女装のことは書かれていない・・・
↓↑
『吾妻鏡』
六月一日
祐成の妾
「虎」
という名の大磯の遊女を召し出して訊問
無罪、放免
十八日
「虎」が箱根で祐成の供養
祐成が最後に与えた
「葦毛の馬」
を捧げて出家を遂げ信濃善光寺に赴いた
十九歳
↓↑
出家して
「律師」と号していた
曾我兄弟の末弟が
鎌倉へ呼び出され
七月二日
甘縄で自害
↓↑
事件の直後
頼朝の消息を確認することができず
「政子」が
「巻狩」に参加せず
鎌倉に残っていた弟の
源範頼が
「範頼が控えておりますので」
と見舞いの言葉を送り
この言質が謀反と取られ
範頼
八月十七日
伊豆修禅寺に幽閉された
その後
範頼は誅殺
二十日
祐成・時致の同腹の兄弟
原小次郎(京の小次郎)
が範頼の縁座で処刑
↓↑
常陸国の御家人が
頼朝を守らずに逃げた
常陸国の
「多気義幹」・・・「多気」の「義幹」
が叛旗を翻した
↓↑
頼朝暗殺未遂
工藤祐経
を討った後
曾我兄弟は
頼朝
の宿所を襲おうとした
兄弟の後援者
北条時政
が黒幕となって
頼朝を亡き者にしようとした・・・
伊東祐親
は
工藤祐経
に襲撃される直前に
外孫の
頼朝の長男
千鶴丸(千鶴御前)
を殺害しており
工藤祐経による
伊東祐親
父子襲撃そのものに
息子を殺された
頼朝による報復・・・
曾我兄弟も
工藤祐経
による
伊東父子襲撃の背後に
頼朝がいたことを知っていた・・・
ーーーーー
???・・・
↓↑
「古事記字源のページの表紙・音楽・動画」
https://haa98940.wixsite.com/mysite
↓↑ ↓↑
「古事記字源のページ・2016/12~」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑ ↓↑
本日の「干支歴」
http://meisiki.bake-neko.net/
↓↑ ↓↑
旧「HP」の移転先
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm
やっと、ハル・緑色蔓延の根本、ムシ、ムシが蠢いている・・・
イシの割れ目にもワンサカ・・・転生先、ムシはいやだ、ナッ!
イワレ・・・意 話 例・・・イワのアマリ・・・謂禮・・・
↓↑
トマト、キュウリ、イモ、タマネギ・・・庭の空間に植えた
桜、梨の花が散った・・・
隣の真っ黄色の絨毯のタンポポが散った・・・
水仙も散った・・・八重桜がしぶとく咲いている・・・
昨日、札幌の従姉から電話・・・ワクチンの予約と
コロナ蔓延の近況・・・道内既に1400人死亡・・・
昨夜は皆既日食だったが
眼鏡を兼ね、よろよろと観察場所まで歩いたが
クモがイジワルで観察を邪魔・・・
今日は
お米をカワなくちゃぁ・・・郵便局と農協とスーパーに行ってきた
処方された薬をサボって三日・・・
頻尿は相変わらずだが便通よし、目眩なし・・・
ナンか調子がイイみたいだけれど・・・?
ナガイモを食べたせいなのか・・・体調ヨシ・・・
自転車運転も快調・・・
↓↑
「はらぺこあおむし」・・・「まんぷくあおむし」・・・?
(The Very Hungry Caterpillar )
エリック・カール(Eric Carle)さん
1929年6月25日
~
2021年5月23日
大運2015年10月(86歳)辛酉比肩
己巳(戊庚丙)偏印・正官 死⇔辛丑比肩
庚午(丙 丁)劫財・偏印 病⇔癸巳食神
辛丑(癸辛己) ・偏印 養⇔辛未比肩
甲午(丙 丁)正財・偏印 病⇔甲午正財
辰巳空亡
↓↑
「はらぺこイナゴ」だって・・・もっと食べたい・・・
↓↑
協同生活を維持するには「食糧確保」が必要だ・・・
世界的な「食糧生産状況」を観れば・・・
飢饉・餓死・共同体崩壊・・・
ワクチン不足よりも「食糧不足」・・・
争いは「食い物」から起こる・・・
↓↑
238年
弐百参拾八・238・にいさんはち
爾意纂(編纂・簒・簒奪)の恥(葉知)・・・
新意作務(似簒・爾纂)の・・・持参
鉢(頗地・金+本)を・・・・・葉知
捌(さばく)・・・・・・・・・分別
ゴビ砂漠=乾燥沙(砂)漠・・・・・さばく
「感想・観想・間奏・換装」捌句
「沙漠は生きている(The Living Desert)」
ウォルト・ディズニー1953年製作記録映画
↓↑
戈壁(Gēbi・コービィ・Gobi)サバク(Desert)
↓↑
「語尾・語毘・語微・語琵」を捌(裁・さば)く
↓↑
2+3+8=5+8=13・・・1+3=肆
2×3×8=6×8=48・・・4×8=32=参拾貳
3×2=陸
8-3-2=5-2=3・・・・・参・參
8÷3÷2=1.3333333・・・壹点(comma)・参・參
コンマ (comma)=カンマ
約物の一・文の区切り・数字の区切り・小数点
小音程
音の三要素=「音の大きさ(音波)=音圧
音程=音波の数量・音波数
音色=音の振動・音階」・・・?
↓↑
タクラマカン砂漠
塔克拉瑪干 沙漠・Taklamakan Desert
漢字には「意味」がある・・・当然である
塔=十+一+艹+亼(人一)+口
荅=トウ・こたえる=答
克=十+口+儿・・・克服・克己・克服
相克・超克・下克上
克明・・・明に克つ?
拉=才(扌・手)+立(亠ハ一)
・・・拉致誘拐
瑪=王+馬・・・瑪瑙(メノウ)=赤い石の球
干=丅+一=一+十
・・・干魃=日照り=旱魃
干乾びる
乾=戌亥
中国の北西
干支
干=幹・日
草原~沙漠~草原を支配する
遊牧民の
「汗=氵+干=首領・部族長」⇔干・旱
の意義を知れば
↓↑
「帰れない場所」・・・
『帰らざる沙漠(The Desert of No Return)』
『帰らざる河(The River of No Return)』
マリリン・モンローの姉ちゃん・・・
不帰還河川・・・?
↓↑
Marilyn Monroe
「Dumb blonde」
マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)
1926年6月1日
~
1962年8月5日
大運1954年2月(27歳)庚寅劫財
丙寅(戊丙甲)正官・正財 胎⇔壬寅傷官
癸巳(戊庚丙)食神・正官 死⇔丁未偏官
辛酉(庚 辛) ・比肩建禄⇔乙亥偏財
甲午(丙 丁)正財・偏官 病⇔壬午傷官
子丑空亡
↓↑
大運1954年7月(28歳)庚寅比肩
丙┏寅(戊丙甲)偏官・偏財 絶⇔壬寅食神
癸┏巳(戊庚丙)傷官・偏官長生⇔丁未正官
庚┗申(戊壬庚) ・比肩建禄⇔乙亥正財
壬 午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔壬午食神
↓↑
「ブロンド・ボムシェル
(Blonde bombshell・金髪美女)」?
元々は「brown hair(brunette)」
栗毛色=Chestnut color(チェスナッツ)
Chest=区切られた部屋
カスタネット(castanet)
スペイン語
『カスターニャ(castana)』
ギリシャでは
「栗の木」で作っていた
形が栗の実に似ているから
「丸い貝型」の
木片を2枚合わせ
これを打ち合わせて
音を出す楽器
カスタネア(Castanea)は
実の形から・・・1個~3個
「樽」を意味する「カスク」に由来
栗色=褐色=こげ茶色
褐簾石= (カツレンセキ
アラナイト・Allanite)
褐=衣+曷
=カツ・カチ
ぬのこ
粗い毛で織った衣服
粗=あらい=新井・荒井
褐夫・褐炭
三度栗=年に三回実がなる栗の樹木
桃栗三年、柿八年
梨の馬鹿めが十八年
ユズ(柚子)の馬鹿野郎十八年
梅はすいすい十六年
種を植えてから
実を収穫できるまでの期間の伝承
天津甘栗
江戸時代
サツマイモが伝来
味が栗と比較され
クリ=九里と重ね
『クリに近い』ので『八里半』
クリより(9里+4里)
うまいので
『十三里』等と言われた
褐色
元々は
栗の実の色・・・
栗栽培は
縄文時代
三内丸山遺跡
出土状況から
建築材や燃料材はクリが大半
多数の堅果類
(クリ、クルミ、トチなど)の殻が発掘
栗が「主食」
・・・栗鼠(りす)?
栗=西+木=くり・リツ
鼠=臼+レ+冫+レ+冫+レ=ねずみ・ソ
=子=了+一=終わりの始まり
移鼠=イエス・キリスト
↓↑
ナゼ「くりや=厨・厨房・庫裏」なのかは
「くり(栗)」の調理場・貯蔵庫だった・・・?
↓↑
元=二+儿(ニン・ジン・小児)
二人の児=双子・双生児
=一+兀(ゴツ・ゴチ・高くでっぱった貌)
兀々(コツコツ)と真面目にする
↓↑
『替えラざる掛話(The talk of No Return)』
『換えラざる珂話(The king of No Return)』
『換えラざる歌話(The song of No Return)』
『変えラざる化話(The history of No Return)』
・・・「蛙(かえる)」沙流(猿・猱・猨・猴
狙・申・然る・去る)・・・?
・・・カエらザル(カエレない・カエルことができない)・・・
~ラざる~・・・否定の形容詞?
キカン(帰還)出来ない・戻れない・・・
循環 出来ない・戻=一+尸+一+人
始めの屍は元(二儿・壹)のヒト
水は上流から下流に流れる・・・
雨水は天から地上に落下する・・・
瀧の水は瀧壺に落下する
が
水の形態である
龍巻(竜巻・tornado・トルネード)は
水を空中上方に巻き上げる・・・
↓↑
食糧不足は食糧生産が出来ない原因があると
謂(言+胃・胃=田+肉)うコトだ・・・
オホアメとか、ジシンとか、コウズイとか、ヤマツナミとか・・・
ヒデリとか・・・
ラクライとか、タツマキとか・・・
チャイナコロナとか・・・
ワクチンとか・・・・・危険がワンサカ・・・詭弁?
↓↑
湧く池楙・倭句沈・・・湧水の池の沈澱・・・
泉・和泉・出水の沈澱?
↓↑
稚武・・・わか(稚)たけ(武)・・・若竹⇔筍・笋
竹の子⇔他家の児・筑紫の児?
諡号 雄略天皇
和風諡号 大泊瀬 幼武 天皇
諱 大泊瀬 幼武
大泊瀬 幼武
別称 大泊瀬 幼武 尊
大長谷 若建 命
大長谷 王
倭王武
↓↑
オホヒコ(意冨比垝)・・・?
おほひき
イフヒキ・委付(府・歩)率・・・渉猟跋扈・・・?
・・・垝=土+危=壞牆・垝垣(坏墙)
キ・もろい・毀損した
老朽化した・古びた・朽ちた
dilapidated(デラピデイティドゥ)
ruined(ルーインドゥ)
廃墟・荒廃・破滅・没落・台無し
建物・車などが荒廃した、荒れ果てた、壊れかけた
おんぼろの、ぼろぼろの、くたびれた
毀也・坫也・障壁・食台・食卓
ヲワケ(乎獲居)・・・?
コとりい・カとりいル
小鳥居 榎(柯・樺・架・珂)鳥居留?
榎=えのき
柯=くき・茎・枝
樺=かば・から・椛
↓↑
獲加多支鹵 大王・・・?
わかたける・・・・・・?
とりくわえるおほくささえるしほ(たて・楯)?
↓↑
獲(とる・カク)・獲得・獲物
加(くわえる・カ)・加増・加速・加担・加地・加持
多(おほい・タ)・多大
支(ささえる・シ)・支配・支柱・支援
鹵(しほ・盾・ロ)・鹽・鸕・呂・魯
カクカタシロ
カカタシロ
獲得して加え多くを支配する志雄(魯・太公望)
ーー↓↑ーー
稲荷山古墳出土
鉄剣銘文
(表)
辛亥年七月中記
乎獲居 臣・・・乎・確乎不動・確乎不抜
鳥
居
上祖名
意富比垝
其児 多加利足尼
其児名 弖已加利獲居
其児名 多加披次獲居
其児名 多沙鬼獲居
其児名 半弖比
(裏)
其児名 加差披余
其児名 乎獲居 臣
世々 為 杖刀人首
奉事
来至今
獲加多支鹵大王
寺
在
斯鬼宮 時
吾 左治天下
令作
此百練利刀
記
吾奉事
根原也
ーー↓↑ー
楙=木+矛
木+予+丿
木+龴+乛+亅+丿
ボウ
モ
ム?
しげる・茂
ぼけ
バラ科の落葉低木
↓↑
夏侯 楙(カコウ ボウ・カコウ モ)
「化工・火口・加工・下降」
+某
+摸・模・藻
三国時代の武将
武略に欠け、金儲けが巧い・妾が多
「段黙」
によって
妻の
「清河長」
公主と
弟2人の誣告から免れたが
「諸葛亮」
の策に嵌って
「馬遵」
と共に
「羌族」の土地へ逃亡
↓↑
字 子林
父 夏侯惇(伏波将軍)
・・・伏せる波(頗・葉)?
兄 夏侯充
弟 夏侯子臧・夏侯子江・他数名
従父 夏侯淵(妙才)
↓↑
妻 曹操の娘(清河長公主)
『三国志・魏志・諸夏侯曹伝』
↓↑
太和(タイワ)・・・大和?
三国時代の
魏の
明帝
曹叡
治世の最初の元号
227~233年・・・・・
↓↑
魏
太和 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年
西暦 227年 228年 229年 230年 231年 232年 233年
干支 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥 壬子 癸丑
↓↑
蜀 建興5 建興6 建興7 建興8 建興9 建興10 建興11
呉 黄武6 黄武7 黄武8 黄龍2 黄龍3 嘉禾元 嘉禾2
黄龍元
卑弥呼(生年不明~242年~248年)
↓↑
景初二年(238年)十二月
卑弥呼
難升米
らを魏に派遣
魏から
「親魏倭王」の金印
「銅鏡100枚」を与えられた
↓↑
正始元年(240年)
帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ
詔書、印綬を奉じて
倭王に拝受
正始四年(243年)十二月
倭王
大夫の
伊聲耆・・・為政の耆(キ・シ
おさ・かしら・長老)
掖邪狗・・・脇の役(和記の譯人)
ら
八人を復遣使として魏に派遣
掖邪狗らは
率善中郎将の印綬を受けた
正始六年(245年)
難升米・・・納武将 米
ベイ=兵
マイ=麻委
メ =目
女
芽=艹+牙
苺=艹+母
こめ=乎女
よね=與根
に黄幢を授与
正始八年(247年)
載斯・・・祭司
烏越・・・加羅謁(越地)
らを
帯方郡に派遣
狗奴国との戦争報告
魏は
張政
を倭に派遣
難升米
に
詔書
黄幢を授与
卑弥呼
死亡
男王が立ち
混乱、互いに誅殺しあい千人余が死亡
卑弥呼の
宗女「壹與」
十三歳
を王に立て
鎮定
女王
「壹與」
「掖邪狗」
ら20人に
張政
の帰還を送らせ
「掖邪狗」
らはそのまま
都に向かい
男女の生口 三十人
白珠 五千孔
青大句珠 二枚
異文雑錦 二十匹
を貢いだ
↓↑
238年=戊午
神功皇后摂政 三十八年
皇紀898年
↓↑
中国
魏 景初二年
公孫淵(燕) 紹漢二年
蜀 (蜀漢) 延熙元年
呉 嘉禾七年・赤烏元年
↓↑
朝鮮
高句麗 東川王十二年
新羅 助賁王 九年
百済 古尓王 五年
↓↑
遼東の
公孫淵
237年
魏に謀反し
↓↑
238年
八月
「司馬懿」・・・・・懿徳天皇
の追討軍に敗れ
50年間の
「公孫」氏の・・・・公の孫の淵
遼東支配終焉
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