・・・アレッツ?!・・・「保存のボタン(Button)のキイ(key)」を押したハズなのに、書き込んでいたモノが消えて、前回のモノが表記されてしまった・・・自分自身の操作ミス?・・・タイトル(title)は「ユメの訳記蛙化試」で・・・朝方に視た夢のモノガタリを延々と書き込んでいたのだが、消してしまった?・・・同じようなミスは過去には何度もだが・・・再度、同じものを書き込むのは難しい・・・山村の古びた民家の喫茶店でタバコを喫煙しようとしたら、ソコにいた爺に「ここは禁煙だ」と云われたところで目が覚めた・・・兎に角、同じ内容を書き込むのは止めた・・・何事も結果が「パァ」になるコトはママあることだが・・・以前にも書いたが「ゼロ」は「無」になるコトではない・・・
例の如く、以下は「ウイッキペデア」を参照、参考にしたモノを添付・・・
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ゼロ=0=空
↓↑
後漢の「九章算術」
「無入=0」のことで
専用の字はなく、
表記には
「空白」を用いた・・・
718年
太史監(天文台長)の
「瞿曇悉達」が
「九執暦」を漢訳し、
「0」を
「点」で記すインドの数字を導入
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↓↑
「0=ゼロ」は「・(点=テン)」で記録していたのである。
・・・スナワチ、文字でも「0=・」で「無=非存」ではない・・・「存在=有」である・・・「・」とは現在的には物理学上の「原子・素粒子・光子」の表現文字であった・・・
「点=點=黒+占=里+灬+ト+口
=テン
ともす・とぼす・たてる
ぽち
「黒点」である・・・多分、
「太陽=タイヨウ=態様・大要」の
「占い」の「灬(れっか=烈火・れんが・ヒョウ・カ=火
fire・fire・radical )」
である・・・
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↓↑
「旧唐書(945年)」には
「3040」
および
「0」を「三千四十」、
「空」と記し
「新唐書(1060年)」には
「3201」
および
「0」を「三千二百一」、
「空」と記録
↓↑
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・・・ココには「0」がナゼ
「3040=三千四十」
「3201=三千二百一」
なのかの説明がないが、
「3・0・4・0」、
「3・2・0・1」
の「0」なのか?、それとも
「3040」
「3201」
そのものが「0」の意味なのか?・・・当然、「漢数字」であるならば「0」、「空」の文字は無い・・・だが、上記の説明では「3040=空」、「3201=空」であるのだが・・・?
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↓↑
この「空」は仏教の空と同じく、
サンスクリット語の
「शून्य(シューニャ)」の訳語で
現在も、
朝鮮語とベトナム語は
「空=0」としている・・・
江戸時代の和算家も
「0=空(クウ)」と呼んでいた
↓
南宋の時代
「蔡元定(1135年~1198年)」は
「律呂新書」の中で、
「118098」=「十一萬八千□□九十八」
および
「104976」=「十□萬四千九百七十六」
と記録
この「□」は、
以前から
「欠字」を示すのに使われてきた
「記号、虚欠号(虚缺号)」
「秦九韶」の
「数学九章(1247年)」では、
「算木数字」で
「空位」
および
「0」 に「〇」を用いた
「〇」は「□」が変化したもので
アラビア数字の「0」
ならびに
「則天文字」の「〇」を借用したのではない・・・
・・・「〇」が「□」の変化とは「〇=□」と云うコトである・・・では漢字の「丸・円」は「正方形・四角形」と云うコトになるのだが・・・草書なら「□」は「〇」になるかもだが、日本語の仮名文字に
「ぱぴぷぺぽ=パピプペポ」の「○・〇」はあっても、漢字の楷書にはない・・・
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↓
「零」は
「説文解字」にも出ている古い字で、
音符の
「令」
意符の
「雨(あめかんむり)」
を合わせた形声字
元々は
「小雨=零雨」
を意味し、
後に
「わずかな量(零細、零余)」
の意味にもなったが、
「0」の意味はなかった
「孫子算経(4世紀頃)」では
「零」が
「余り」
の意味で使われている・・・
「李冶」は、
「測圓海鏡(1248年)」の中で
「1024」=「一千〇二十四」
=「一千とんで二十四」
「2220302」=「二百二十二万零三百零二」
=「二百二十二万あまり三百あまり二」
と記録し、
「〇」=「零」
として同一視
位取り記数法では主に
「〇」を使い
熟語は
「零」を用いて、「零下」、「零封」などと書く
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「bat(棍棒・鞭・bot・batte・コウモリ=蝙蝠)」で、「vat(大桶・大樽=おけ・たる)」で、「bad(悪い)」で、「but(だが、しかし)」であるが・・・「VAT (Value Added Tax) =消費税」である・・・
俗語で「bad」は「good」の意味にも使われる・・・「batman」・・・
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