・・・子供の頃にあったハズの「マサカリ(戉・鉞)」が無い。当時、何処の家にでもあった「マサカリ(戉・鉞)」。そして「水がめ」・・・暖房も調理も「石炭ストーブ」だった。その石炭を燃やす前に「たきぎ(薪・まき)」をストーブにクベて燃し、それから石炭を燃やす・・・その「薪割り用のマサカリ、ナタ(鉈・屶)」が無い・・・昨日は雨天だったが、今朝は、晴天だったので9時半、マタ、エッコラさッと自転車に乗って隣の街の「ホーマック」へ「マサカリ」を買いに行ってきた。店棚には「デッカいマサカリ」が1本、「手頃なナタ」は数本並べられていた・・・マサカリはやめて、日本製と銘記されていたナタだけ買うことにした。
結構、「ナタ(鉈・屶・カイ・クヮイ))」にはイイ値段が付いていた。薪ストーブは先週買ったが、ナタの値段と競る・・・
先週は「電気ノコギリ」で切った松の枝や幹を短くしたが、さらにストーブに入るように細かく「なた」で割った・・・マキにするための電動ノコギリの電気代、ナタの代金、それにストーブ代・・・灯油代よりも高くつくカモである・・・
「なた」の漢字は「鉈=シャ・タ」と「屶=カイ・クヮイ」で、大修館漢和辞典には「鉈」は「化学元素のタリウム」とも記され、「屶」自体の漢字は「なた・カイ」の音訓、画数の索引では載っていなかった。
「屶」の漢字と音訓のヨミだが、「屶=山+刀」は「国字」と思っていたら違うらしい・・・ブログで調べたら「屶」は本来「会」の異字らしい、とあったのだ・・・?
「漢字・字源・漢和辞典のブログ」記事には
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↓
「山冠に刀」で、山で雑木を切ったりする刃物「なた」のことだろうと言われるかもしれないが、それは日本での用法、すなわち国訓で、漢字本来の意味ではない。
漢字本来の意味は、「会」の異体字である。よってこのことも解字に書かなくては十分ではない。
そのように誤った漢和辞典が多い中で、『漢字源』は、解字こそ国訓に対してしか示せていないが、意味は「会に同じ」とし、「なた」の意は国訓としている。
そのため、同社の『学研新漢和大字典』が他社と同じ誤った解説に変更するとは、思いもよらなかったということである。
http://jitenfeti.jugem.jp/trackback/88
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・・・?・・・
「屶=カイ・クヮイ=会=會」ならば、「解字説明」は同じになるはずだが・・・
「カイ・クヮイ・エ→=会=會=人+曾(曽)=人が集まる・人が増加する→器物の蓋が上下、相合う・人は蓋(ふた)の意味で、曾は甑(こしき)の意味」の「解字説明」からは「屶=山+刀」は程遠い・・・それに他のブログ辞典には「国字」 とも記録されているのに発音が「dāo」・・・「なた・たな」と記されているモノもあった・・・名字(苗字)には「屶網(なたあみ・なたみ)さん」があるらしく、「石川県北部である能登起源とも言われる。近年、羽咋市など石川県に多数みられる」らしい・・・
「屶=山(サン・ザン)+刀(トウ)」は「サン-トウ・ザン-トウ」の同音異字漢字のスベテだろう・・・
「屶=山+刀」の類似音・類字に「嵬(たかい・たけ・おか・ゲ(グヱ)・ガイ(グヮイ)・カイ(クヮイ)・高くそびえる,そそり立つ)」・・・類字と言っても「山」の下の「刀」が「鬼」だが、
熟語には
「磊塊・磊嵬・磊磈(ライカイ・多くの石が積み重なっている意・胸中に積み重なった不平)」がある。
ならば「塊=嵬=磈」は同義である。「胸中に積み重なった不平」ならば「先ず隗より始めよ(先従隗始)」だろう・・・そして、これは「馬の話」が発端である・・・
地名の
「馬嵬(陝西省興平市)」は
「楊貴妃」が殺害された場所であった。
↓
「説文解字」には・・・
高而不平的樣子。如
「崔嵬」。
狂妄的樣子。見「嵬說」。
「嵬說」
狂妄的言論。
荀子、正論
「今世俗之為說者,不怪
朱象而非堯舜,豈不過甚矣,夫是之謂嵬說。」
↓↑
「崔嵬(サイカイ)」
山で、岩や石がごろごろしていて険しいさま
↓↑
「魁罡(カイゴウ・カイコウ)」
「魁(さきがけ・かしら)」→「花魁(おいらん)」
↓
北斗七星の先端の星
干支では、
庚辰、壬辰、庚戌、戊戌
聖獣では「河馬の神」
↓↑
「金槐和歌集(きんかいわかしゅう)」
鎌倉
三代将軍
源実朝の私家集(歌集)
略称で
「金槐集」とも・・・
成立は
藤原定家より相伝の
『万葉集』を贈られた
建暦三年(1213年)十二月十八日頃・・・
全一巻、
663首(貞亨本では719首)掲載
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・・・?・・・
カネがナルナリ、キンコンカン、
メイメイ、コヤギもナイテます
・・・
以下、ウィキペデアから抜粋・・・
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「緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
鐘が鳴ります
キンコンカン
メーメー
小山羊(こやぎ)も
啼(な)いてます
風がそよそよ丘の上
黄色い
お窓はおいらの家よ」
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「鐘の鳴る丘(かねのなるおか)」
昭和22年(1947年)7月5日
から
昭和25年(1950年)12月29日まで
NHKラジオで放送されたラジオドラマ
放送回数は790回
昭和23年(1948年)から
昭和24年(1949年)には
松竹で映画化
「鐘の鳴る丘」
その共同生活の施設が丘の上にあり、とがった屋根の時計台に鐘を備えているというドラマの設定による。
空襲により家も親も失った
戦災孤児たちが街にあふれていた時代、
復員してきた主人公が孤児たちと知り合い、
やがて
信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描く。
日本全体が苦しかった時代、
大人子供を問わず多くの人の共感を呼び、
大ヒットとなった。
↓↑
主題歌
「とんがり帽子」
(作詞:菊田一夫、
作曲:古関裕而、
歌:川田正子、ゆりかご会)
歌の題名は
「とんがり帽子」だが、ドラマの名前から
「鐘の鳴る丘」と呼ばれることも多い
「とんがり帽子」は
古関の母校である
福島県立
福島商業高等学校の
応援歌の一つとして使用されている・・・
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・・・?・・・ナゼ、「窓が黄色」なんだろう・・・
大雪山には既に初雪・・・アワテルようにアキがハシリ、アサにはシモジモがダイチにヘバリ付く・・・
スコットランドの独立・・・TVニュース、大陸中国共産党が「イギリスの内政問題であり、内政干渉になるからコメントはしない」とはね。大陸中国共産党は随分とニッポンにも周辺諸国にも「(内政干渉の)コメント」どころか「暴力」で「内政干渉」・・・「漢民族階級主義者」が「イギリス・スコットランド民族階級主義者」にコメント出来ない理由は・・・生きている目的とプロセスが「カネの枠内の同類」だからだろう・・・兎に角、政治経済とは「資本と労働の利害関係の不安定な追求」だから・・・
・・・通学中の小学生の女子児童が軽自動車と電柱の間に・・・あまりにも通学の小学生、幼稚園児に突っ込む「クルマの事件」が多すぎる・・・クルマはキョウキ・・・ニンゲン自体がキョウキなんだ・・・
以下、ブログ辞典から・・・
↓
「阿鼻叫喚」
非常な辛苦の中で号泣し、救いを求めるさま。非常に悲惨でむごたらしいさま。地獄に落ちた亡者が、責め苦に堪えられずに大声で泣きわめくような状況の意から。「阿鼻」は仏教で説く八熱地獄の無間 むけん 地獄・・・
仏語、阿鼻地獄と叫喚地獄とを合わせた語。地獄のさまざまの責め苦にあって泣き叫ぶようすにいう。悲惨な状況に陥り、混乱して泣き叫ぶこと・・・
阿鼻はサンスクリット語「avici」の音写「阿鼻旨」の略で、「無間(ひっきりなしであることの意)」と漢訳する。 「阿鼻地獄」や「無間地獄」と呼ばれる。 八大地獄の中の第8の地獄で最下層に位置し、猛火に身を焼かれるなど最も責め苦が厳しい・・・
八熱地獄の第四で、殺生・偸盗・邪淫・飲酒の罪を犯した者が落ち、鉄室に閉じ込められ熱湯や猛火に身を焼かれる地獄・・・
・・・「妄想の地獄」よりも「現実の現場」・・・
・・・まさか、「アブ・アフ・アベ・アマ」の「キョウカン」・・・虻、阿武=則天武后、亜父=楚の項羽の臣下の范増、阿部(安倍・安部・阿倍・安陪・阿邊)=安部比羅夫、あま=阿毎(王朝)=海女(海人・尼)・・・「キョウカン」の同音異字漢字のスベテ・・・ナニがアベノミックスなんだか・・・
↓
・・・ニッポン各地の「地価」・・・北海道ではかって「原野商法」で土地を買った地主が、今現在、「二束三文の土地」を高く売ってやると詐欺師に騙されカネを奪われた、とか・・・
・・・あったね、「プロ野球選手会のストライキ」・・・選手も「カラダが資本」の「労働者」・・・
ニュースの前は・・・初回を見て以来、見ていなかった「吉原裏同心」は最終回・・・心情的に、江戸時代の階級社会での「疎外されている人情」、なんとなく「ワカル」ような気がするが、ヤッパ、モノガタリ、「売春宿を美化」しすぎている・・・どうせなら吉原の用心棒から「越中藩の剣術指南」への仕官の誘いも「罠だった」としたら、もうチョットは面白かったカモ・・・吉原頭取の幕閣老中裏工作も、詰まるところは「階級社会」での根回しだし・・・今なら「ソープランド」と権力利権との関係・・・「公営事業」の役人と事業主の談合や、裏口入学と同じようなモノ・・・「同心」だから・・・
・・・「この度は大変ご迷惑をカケマシタ」・・・「人生とは己の壁を破ること」・・・「人生とは己の迷惑を他人にカケるコト、他人の迷惑を己にカケられるコト」・・・
「サルコ・ペニア」はギリシャ語で「筋肉減少」であるとは昨日の「ためしてガッテン」だった・・・三分早足で歩いて、三分普通に歩く。およそ三〇分・・・その後牛乳を飲む・・・筋肉からの「グルタミン」が健康疾患を防御・・・するとか・・・
↓↑
ウイッキペデア
↓
サルコペニアは、1989年にRosenbergによって「加齢による筋肉量減少」を意味する用語として提唱された。サルコペニアは造語で、ギリシア語でサルコ(sarco)は「肉・筋肉」、ペニア(penia)は「減少・消失」の意。当初は骨格筋肉量の減少を定義としていたが、徐々に筋力低下、機能低下も含まれるようになった。
↓
「猿(沙流・申・去・然)子」の「ぺ=へ=経・歴・辺・減」の「爾亜・似蛙」・・・
・・・「コジキ」に感じるボクの語り・・・先ずは「漢字」を勉強しなくちゃぁ・・・「小林秀雄『本居宣長』(新潮文庫・上下巻各710円+税)」・・・msn(産経ニュース)の「学術・アート」欄にあった「巨編に挑む」・・・「巨編」は「拒編・虚篇・嘘片」の「アヤマり」じゃぁ、なかろうカネ・・・
学生時代、今やボクの旧い友人のNさんに「わたしは後悔したことがない」と聞かされ、ボクは「ヘェ~」と思ったコトがある・・・その後に「懺悔の値打ちもない」と言う「歌が好きだ」と言っていた時もボクは「ヘェ~」と・・・小林秀雄は「反省しない人物」だったらしい・・・
ウイッキペデアの記事によれば・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84_(%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6)
↓↑
原文
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・・・「反省しない」と言う言葉を用いて、戦前の言動を正しかったとか、悪かったとか戦後の世間一般の価値観でもって自分自身を肯定・否定しているわけではなく、戦争に負けたとたんにその立場を180度転換した戦後の世間一般の価値観でしか己の立場を決定できない人々を
小林は「頭がいい人」と揶揄し、批判したのである。
戦時中は軍国青年で、戦後はすぐ左に行ってしまったと自ら回顧する
吉本隆明は、敗戦の放心状態にあって小林のこの発言の一貫性について膝を打ったという旨のことを
第五次小林秀雄全集によせたインタビューで述べている。
「事変に黙って処する」というのは小林の事変当初から強調した表現だった。また、
吉本は小林の「マルクスの悟達」に至るまでの文章を挙げてマルクスを一番良く理解していたのは
小林だったと評価している。
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・・・お前が云うなョ、なッ・・・「戦争に負けたとたんにその立場を180度転換した戦後の世間一般の価値観でしか己の立場を決定できない人々」の「戦後の世間一般の価値観」とはナンなんだか?・・・「世間一般」としての「価値観」は「厭戦・嫌戦」だったのサッ。「立場を180度転換」した奴は「世間一般」ではない・・・戦争を煽って、強要し、それに乗っかって「己の立場を決定できた人々」だろうサッ・・・「忍び難きをしのび」は命令形の「偲のべ」で、「欽明(明治)憲法」に足を置いて「世間一般」に与えたコトバだろう・・・幻想を「本質的には変わらない別の幻想」で与えた奴等は「支配階級+アルファ」の「ニンゲン」である・・・「国家の支配意識と意思・意志」はその「エゴな幻想」を変える存在ではない・・・
↓↑
この年の半ば頃、小林の実母である小林精子が没し、左翼論壇による戦責追求、戦時中からの明治大学の教授職の辞職などが連続して起き、酩酊状態で水道橋の駅のホームから崖下に転落して奇跡的に軽傷で済むというようなことも起きている。小林はこの転落事件を強がりを見せながら触れているが、小林の娘の回想では帰宅時には生気の抜けたような青白い顔をしていたとのことである。
・・・彼も、クウための生活がカカっていたイタんだろう・・・
ーーーーー
・・・序でに、msn(産経ニュース)の「デング熱」
が目に付いたので・・・
ウイッキペデアの記事によれば・・・
デング熱
(デングねつ、まれにデンゲ熱とも、
英: dengue fever, breakbone fever)
とは、デングウイルス(英語版)が原因の感染症であり、熱帯病の一つである。2014年現在、実用化されている予防ワクチンはまだない。 なお、病名の「dengue」は、日本語では「デング」と音訳されているが、英語では「デンギー」(/ˈdɛŋɡiː/、米国)、あるいは「デンゲイ」(/ˈdɛŋɡeɪ/、英国)と発音される。
伝染媒体
「ヒトスジシマ蚊」
デング熱と見られる症例について最初に記録されたのは、
晋王朝(西暦265 - 420年)時代に書かれた中国の医学百科事典で、デング熱に関連する飛ぶ虫について
「水毒」と言及。
17世紀に、デング熱の流行について説明されたが、もっともな報告が最初に発表されたのは、1779 - 1780年のことである。この時、アジア、アフリカ、北米で大流行していた。それ以降1940年までは、流行はあまり見られなかった
・・・
日本語の文献では、
1922年(大正11年)に
台湾軍軍医部がまとめた
『熱帯衛生並ニ熱帯病提要』に、
1915年(大正4年)5月から10月にかけて、
台湾全土でデング熱が流行し、
台湾軍内では、141名が罹患したことが記録。
ウイルスが原因であることや伝染経路について解明されたのは、20世紀初頭である。
第二次世界大戦以降、デング熱は世界的に広まり、
1960年代からその発生数は急激に増加している。
現在では、110か国以上で毎年およそ5,000万人から1億人が感染する風土病となっている。
その原因として、
急激な
都市化や
地球温暖化が関与していると考えられている。
デング熱の症状の特徴
突然の発熱、頭痛(一般的に目の奥の痛み)、筋肉や関節の痛み、発疹である。デング熱に伴う筋肉や関節の痛みに由来している。感染には、発熱、重症、回復の3段階がある。
発熱期には、40℃以上の高熱が出ることがよくあり、全身の痛みや頭痛を伴う。
通常、このような症状が2日から7日続く。この段階で発疹の症状が現れるのは、50 - 80%である。
1日目または2日目に紅斑が現れるか、さらに4日から7日疾患段階が経過した後に、
はしかに似た発疹が現れる。またこの時点で、点状出血(皮膚を押したときに消えないまま残る小さな赤色の点で、毛細血管の破綻が原因)がいくつか現れ、口や鼻の粘膜から軽度の出血がある場合もある。基本的に、発熱自体は1日か2日の間で急に熱が上がって下がるという二相性を示すが、どのような頻度でこの二相性発熱が生じるかはまちまちである。
重症に至る場合、それは
高熱から回復した後であり、通常1日から2日続く。この段階で、毛細血管の透過性が増し、水分の漏れが増加することで、胸腔や腹腔に多量の水分が溜まる場合がある。これにより、血液量減少が生じたり、循環性ショックが生じたりする。またこの段階では、臓器障害や大量出血が、一般的には消化器で起きることがある。
デングショック症候群と呼ばれる循環性ショックやデング出血熱と呼ばれる出血が発症する割合は、全症例の5%未満であるが、以前に他の血清型のデングウイルスに感染したことがある場合(つまり、二回目の感染の場合)は、そのリスクが増える。
症状は回復
これは通常2、3日かかる。
回復は目覚しいが、激しい痒みが発生したり、徐脈(心拍が遅くなること)がよくある。
斑丘疹または血管炎症候群といった別の発疹が現れ、皮膚が剥けてくる場合もある。
この段階で、水分過負荷状態になることがあり、これが脳浮腫や意識レベルの低下、てんかんを引き起こす。
数週間、疲労感が続く。
↓
スペイン語「dengue」(引きつり・こわばり)が由来という説がある[60]。デング熱に苦しんでいた西インド諸島の奴隷たちが、ダンディな(気取った)姿勢や歩き方をしていたと言われていて、「ダンディ熱(dandy fever)」とも呼ばれるようになった
↓
某TVのニュース解説では・・・「デング-熱」はスペイン語の「気取った(格好)」らしい・・・歩く姿が、あるいは、立ち振る舞いが「イイ格好しいし」のようにみえるらしい・・・?・・・
日本にきた「宣教師」達は当時の日本の権力者(豊臣秀吉)からみれば「高慢ちきなイイ格好しいし」だったカモ・・・実は「デング熱に罹患」していたのかも・・・「天狗=西洋、中東人」は「顔が赤いし、鼻が高い」から・・・
ーーーーー
デング熱のニュース
↓
2014.09.16 20:06 ライフ - MSN産経ニュース
デング熱の治療で厚生労働省は16日、市販の解熱剤や鎮痛剤にも含まれるアスピリンやイブプロフェン、ロキソニンなどは、デング熱が重症化した場合に出血傾向を促進する恐れがあるため使用すべきでないと注意喚起・・・
2014.09.16 16:54 エンタメ - MSN産経ニュース
デング熱の国内感染に関連し、新宿観光振興協会は16日、新宿御苑(東京都新宿区)で10月13日夜に開催予定だった「森の薪能」を中止すると発表した・・・
2014.09.16 15:06 ライフ - MSN産経ニュース
厚生労働省は16日、新たに東京都内に住む男女8人のデング熱の感染が確認され、国内感染の可能性がある患者が124人になったと発表した・・・
デング熱のブログ記事
・・・「10月頃ごろまで活動するといわれているよ。家では幼虫ようちゅうの発生を防ふせぐため、鉢植はちうえの皿など水たまりを放置ほうちしないことだね」・・・
ーーーーー
小林秀雄「本居宣長」
「古事記」に感じる古人の語り
2014.9.17 09:29 (3/3ページ)
昭和の評論家、小林秀雄の最後の大作『本居宣長』。晩年の11年半を執筆に費やした代表作の一つとして名高いが、難解で読まれることが少ないことでも知られる。以前から気がかりだったこの大著に挑んでみた。(磨井慎吾)
・・・
では、方法に惑わされずに人間・宣長を知るにはどうすればいいか。《彼にとって、「古事記」とは、吟味すべき単なる史料でもなかったし、何かに導き、何かを証する文献でもなかった。そっくりそのままが、古人の語りかけてくるのが直かに感じられる、その古人の「言語(モノイヒ)のさま」であった》。宣長が古事記に没入したのと同じように、現代人の賢(さか)しらな理屈を捨てて宣長の心に寄り添い、彼が考えたように考えてみること。そうすれば、「古人の語りかけてくるのが直かに感じられる」。もとより理屈の付かない話ではあるが、小林の文章に従ってその思索を追体験するうちに、何となく「わかった!」という気持ちになってくるのが不思議である。
若いころから小林を敬愛していた評論家の福田恆存(つねあり)は昭和55年秋、この大著を2週間かけて味読した。そのあいだに何も予定を入れず、この本を読むためだけの時間だった。そして、「これを読みたるは我独り也(なり)と思はせる本」という書き込みを残した(現物が神奈川近代文学館にある)。そう考えると、切れ切れの時間で読むというのは、もったいなかった。福田のように十分な時間を用意して、うまい酒に酔うように小林の語りに浸ること。それが、この本の最良の読み方かもしれない。
「プロフィル」小林秀雄(こばやし・ひでお)
明治35年、東京生まれ。東京帝大仏文科を卒業し、昭和4年に評論「様々なる意匠」でデビュー。
以後、文学のみならず美術、音楽など多方面にわたる評論活動を行い、評論自体を文学作品として自立させたことで「近代批評の確立者」と評される。58年死去。
ーーーーー
・・・ボクが小林秀雄の評論を読んだのはオフクロが小学生の頃に買ってくれた子供向けの「美術(?)」と言う本の中に記されていた「七の侍」の「映画製作」の「隨筆(随筆)風の評論」だった・・・
・・・早朝、晴天だったのに昼にナリカケのアサ、突然の雷鳴とアメ・・・モモが怯えて2階の押し入れに逃げ隠れた・・・「朝立ち・昼立ち・夕立ち・晩立ち・夜ダチ」・・・
ーーーーー
ウイッキペデアの記事によれば
↓
「夕立(ゆうだち)は、夏の午後から夕方にかけてよく見られる天気。激しいにわか雨を伴う。まれに夕立ちとも」
「古語としては、雨に限らず、風・波・雲などが夕方に起こり立つことを動詞で「夕立つ(ゆふだつ)」と呼んだ。
その名詞形が「夕立(ゆふだち)」である。
ただし一説に、天から降りることを「タツ」といい、雷神が斎場に降臨することを夕立と呼ぶとする。
夏の季語。歳時記などではゆだち、驟雨(シュウウ・にわか雨・ shower rain)、白雨、喜雨などを異称とする」
「夕立という現象は、気象学的には驟雨、にわか雨、雷雨、集中豪雨といった現象にあたり、「夕立」という独立した現象があるわけではない。
ただ、通常の驟雨などに比べて発生する時間帯などが特徴的で、一般的によく知られているため、日本では「夕立」という
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「夕立」という独立した現象があるわけではない・・・ホントウ仮名・・・ 「ゆふ-だつ」→「夕-ダチ」の「だつ・ダチ・たち」の同音異字漢字のスベテの意味をカケタのさッ・・・本命は「勃つ・断つ・絕つ・達・太刀」で、モチロン「瀧=滝」の「鳴滝塾」のアソビである・・・
馬+取(耳・又)+乑(ギン・ゴン・シュウ・ならびたつ)
https://www.youtube.com/watch?v=zDB8qpJ3ACQ
02_夕立ち
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・・・「夜空」・・・「あの娘何処にいるのやら星空の続くあの街あたりか・・・夜は何時もヒトリぼっち」・・・山口洋子さん(1937年5月10日 - 2014年9月6日)77歳・・・そして、「イエライシャン(夜来香・Night fragrant flower・チューベローズを日本での俗語)・・・アワレ春風にナゲクうぐいすョ・・・長きヨルの泪」、「蘇州夜曲・・・キミがミムネに抱かれてキクはユメのフナうたトリのうたミズの蘇州のハナちるハルを惜しむかヤナギがすすり泣く」・・・山口淑子さん(1920年2月12日 - 2014年9月7日・大鷹淑子・中華民國と満州國、日本、そして戦後の香港で李香蘭(リ・シャンラン、Lee Hsiang Lan)94歳・・・
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五木ひろし 夜空 1979)
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夜来香_山口淑子(李香蘭)
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・・・夜も昼もモモちゃんと一緒だけれど、ブブがこの二日間、帰宅しない・・・
・・・青いパラソルとリックサック・・・
神戸市長田区長田天神町1、名倉の小学1年生の「生田美玲さん(6)」・・・行方不明・・・