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「カナぁ~」の勉強・・・

2016-01-06 00:59:28 | 古事記字源

 

・・・以下は「教えて!goo」からのコペピの英文・・・ It looks like snow(rain) , doesn`t it?・・・Is it gonna snow(rain) by the way?・・・I wonder if it's going to rain today.・・・Do you think it's going to rain today?・・・
 「カナぁ~」のお勉強を・・・「推量のラム・メリ・ケム・ラシ、伝聞推定のナリ」、「比況のゴトシは本来は訓読のみの用法」・・・「コレかなぁ~・アレかな」は「推量」だろう・・・
 以下は「ウイッキペデア」の原文を参照、参考にして、少々、改作して添付・・・
ーーーーー
 「仮名・カナ・哉・金・可奈・かな」
 正倉院所蔵の
 奈良時代の・・・「奈=大+示
  ↓        =一+人+二+亅+八」
         って、
         「奈何(いかん)」、
         「可奈(かな)」に
  ↓      ナゼ、使用されているんか?
 公文書の記録には
 本来
 「多(おおい)」=「タ+タ」
  ↓       「夕(セキ)」=夕方(ゆうがた)
                  朝夕(あさゆう)
                  潮汐(チョウセキ)
                  汐(うしほ・セキ)は
                  夕方の水で、海水・海流
                  上方の遊里(遊郭)で、
                  揚げ代が3匁の遊女
           ・・・夕方に多く見えだすのは銀河と星、
  ↓        夕凪は海からの夕風
 と書くところを
 「夕」、
  ↓
 「牟(むさぼる)」=ボウ・ム・吽(鳴)く・貪る・兜
  ↓        求める・むさぼる・むさぼり奪う
           欲張る
           始終、連続する動き(行動・行為)
           「謀」として使用
           梵語「ム」の音訳字
          「眸=ひとみ=瞳」
          「牟=大麦=おおむぎ」 
          「牟食(ボウショク)」
          「牟然(ボウゼン)」=牛の鳴く声
          「阿吽(アウン)」=無常→変化
          「牟=ム+牛」で類字は
          「鉾(ほこ)」だから
          「ム」は形態として、
           息や口輪ではなく
          「牛の角」で、先の尖ったモノだろう
          だが、
          「牛=𠂉(簪、櫛→角)+十(礀丅)」で
             カミ挿し(角)の十(礀丅・拾)
          「角」を有する動物を形字そのものである
          「十(牛の身体)=礀+丅」
          「ム」は漢字の意味は
          「私」の源字である・・・「7・ワの逆字」?
          ・・・牛の頭に載っている
          「私=シ・よこしま・わたくし=ム」
 ↓        とはダレか・・・?
 ↓        牟=ム=私→よこしま(邪)
 ↓             →Ego・selfish・我儘
 ↓             「私」は儒教的な君臣忠孝の
 ↓             「私=よこしま」であり
 ↓             「自我・自覚された我」
 ↓              ではない・・・
 と書くのを
 「ム」とし
 漢字の一部を使って
 その漢字の意味、
 「多=タ←おほい」、
 「牟=ム←むさぼる」として
 表記した・・・
 現在の平仮名「つ」に似た文字が記された
 「つ」に似た文字は漢字の
 「州」を字源にしている・・・?
  ↓
 平仮名・片仮名の
 誕生に繋がるもの・・・
 仏典を講読する僧侶の間で、
 その仏典の行間に
 漢字の音や和訓を示す
 借字などを
 備忘のために書き加える例・・・
 この借字が
 漢字の
 一部や
 画数の少ない
 漢字などを使い、
 本来の漢字の字形とは
 違う形で記された
 行間に記すためには
 字形をできるだけ省き
 漢字で記される
 経典の本文と区別するため
 これが片仮名の源流・・・?
  ↓
 文献上では
 平安時代初期以降の用例が確認できる・・・
 片仮名は
 誕生の経緯から、
 漢字に従属し
 その意味や音を理解させるための
 文字として扱われていた・・・
 借字としての漢字を
 草書よりも
 さらに
 崩した書体で記した
 『土佐日記』など
 平仮名による文学作品が
 平安時代以降、発達
  ↓
 借字が「かな」と
 呼ばれるようになったのは、
 漢字を
 「真名(まな)」に対照したもの
 当初は
 「かりな」と読み、
 撥音便形
 「かんな」を経て・・・神流・神無(月)・寛和
  ↓         鉋=大工道具(木材を平面に削る)
            銫(セシウム・ショク
              Cesium element)
              族(アルカリ金属元素)の一
              元素記号 Cs
              原子番号55
              原子量132.9
              銀白色の軟らかい固体金属
              アルカリ金属中、反応性は最大
              融点は摂氏28.45度
              炎色反応は青紫色
              光電管の製造に用いる
            canna=大きな華やかな
                花の房を持つ、
                カンナ属の植物の総称
                アサ・大麻・管
                カンナビス
                大麻の乾燥した
                雌蘂(シズイ)
  ↓             麻薬の原料
 「かな」の形に定着・・・
 梵語の
 カラナ (करण、Karana、音字の意)
 からの転化という説も・・・?
 古くは単に
 「かな」といえば平仮名のこと
 「ひらがな」の呼称が現れたのは
 中世末のこと・・・
 これは「平易な文字」という意味・・・?
 片仮名の「かた(片)」とは・・・机、寝台、椅子、鼎
                 などの片足・・・
                 相似四脚の半分にした物
 不完全なことを意味・・・・・・・不完全では無く分轄、分別
 漢字に対して
 省略した字形・・・・・・部首の
             偏旁冠脚
             形成文字で
             類型的な意味を表す
             偏旁を
             意符(義符、形旁)
             音声を表す偏旁を
             音符(声符、声旁)
             部首は
             意符に使われること多い
             漢字構成の配置場所
             偏(ヘン)左配置
             旁(つくり・ボウ)右配置
             冠(かんむり・カン)上配置
             脚(あし・キャク)下に配置
             構(かまえ・コウ)
               外側に囲むように配置
             垂(たれ・スイ)
               上から左側を
               覆うように配置
             繞(ニョウ・ネウ)
              (ジョウ・ゼウ)
               左側から下側を
               とりまいて配置
              ↓↑
             偏 旁 冠 脚  構 垂 繞(遶)
             ヘンボウカンキャクコウスイニョウ
              ↓↑
             変 貌 観 客  輿 出 饒?
                天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊
                         邇芸速日命
                          饒速日命
                          賑囃子?
             変 貌 閑 却  項 出 遶?
 ↓                    似義葉哉詞?
 ↓                    哉(かな)詞? 
 平安時代の
 平仮名の文章、和文
 単語は
 大和言葉
 平仮名を用いるのが基本
 しかし
 「源氏」だとか・・・・・源字
 朝廷の官職名など、
 大和言葉に
 置き換える事が・・・・・置換→痴漢=漢字おたく
                   婦女子に悪戯する徒
                   扶助詞に意多事等する訳
 不可能で
 漢語を用いるしかない場合は、
 漢字のままで記されていた
 漢語はあくまで
 漢字で記すものであり、・・・アタリマエだろう・・・
 漢語を平仮名で表記する
 慣習がなかった・・・・・・・アタリマエだろう・・・
               だが万葉仮名は「漢字」である
 文章の
 読み取りを
 容易とするために、
 大和言葉も必要に応じて
 漢字で表記された・・・・・・万葉仮名で?
 和歌の場合は、
 慣習的に
 漢語や漢字の
 表記を避けるように
 詠まれ書き記されていた・・・訓読みとしての万葉仮名?
              「古事記序文」説明での
               漢語と和語の混淆文を読め
  ↓ 
 文章の構文
 漢字が導入された当初は
 「漢文」の規則に従って・・・漢文文法
 読み書きされていた
 後、
 漢字で記した言葉を
 日本語の構文に従って
 並べる形式が生まれた
 助詞などを
 借字で語句のあいだに
 小さく書き添える形式
 (宣命書き)が・・・・・・・宣命→本居宣長?→注釈
               鈴屋大人(うし)→古事記伝
 行われるようになり、
 それら借字で記した
 助詞が片仮名となった・・・乎古止点のコト?
             (をことてん・をことてむ)
              漢字の右上から時計回りに
             「ヲ、コト、ト、ハ、…」
 漢語や
 漢字で記された文章に、
 片仮名が
 補助的に付加された
 その両者はやがて統合され、
 『今昔物語集』
 に見られるような、
 日本語の文章の中に
 漢語を数多く取り入れた
 和漢混淆文として発展
 当初の
 『今昔物語集』は、
 漢字で記された
 語句のあいだに
 小さく
 片仮名を書き添える
 「宣命書き」と
 同じスタイルで書かれていた
 やがて
 漢字と仮名を
 同じ大きさで記すようになった
  ↓
 第二次世界大戦後あたりから、・・・一気に時代がトンだ
 文章の表記には原則として
 平仮名を用い、
 片仮名は外来語など
 特殊な場合に
 用いるようになった・・・明治時代頃からだろう
  ↓
 異体字をふくむ・・・・・い=イ・ゐ=ヰ
             え=エ・ゑ=ヱ
             ん=む・ン=ム
 平仮名と片仮名は
 明治時代になると・・・・明治である
 政府によって
 字体の整理が行われ、
 その結果
 学校教育をはじめとする
 一般社会において
 平仮名・片仮名・・・・・明治である
 と呼ばれるものとなった
  ↓
 仮名における
 清音と濁音
 音節には
 清音と濁音の別があり、
 濁音をあらわす
 平仮名・片仮名には
 濁点が付くのが約束
 しかし仮名には、
 古くは
 濁点が付かなかった
 仮名が生れる以前の
 借字の段階では、・・・・「万葉仮名の段階」?
 清音に当てる
 借字のほかに
 濁音に当てる借字を
 区別して使っていた
  ↓
 日本語の文は見た目には
 漢字の羅列であり、
 それをなるべく
 間違いの無いように・・・・ナゼ「間違い」の漢字なのか?
              単漢字と熟語漢字なのか?
              文法上の使用の間違いなのか?
              文節上のことなのか?
              「間違い」の「間」とは?
              「文節・字間」のコトなのか?
 読み取らせるためには、・・・助詞の
              「てにをは(弖爾乎波・天爾遠波)」
              「てにはを(弖爾波乎)」
              漢文訓読の
              補読に補助として
              漢字の四隅につけた
             「助詞・助動詞・活用語尾・接辞」
              などの古称
 借字の音の
 清濁についても
 使い分けをする必要があった
  ↓
 平安時代以降の
 仮名には
 清濁の別が無くなった
 それは
 連綿によって
 仮名の文字列に
 意味の区切りを作り出し、
 文の読み取りを
 以前よりも容易にした結果、
 仮名の清濁を
 使い分ける必要がなくなった・・・
 濁音を示す表記を用いなくても、
 不都合を感じない
 文を綴れるようになった・・・
 『古今和歌集』の
 伝本のひとつである
 「高野切」には・・・?
 紀貫之の詠んだ和歌、
 「そてひちて・・・・・そでひちて
  むすひしみつの・・・むすびしみづの
  こほれるを・・・・・こほれるを
  はるかたけふの・・・はるかたけふの
  かせやとくらむ」・・かぜやとくらむ
       無濁点・→附濁点
 となる・・・
 「そて」を「そで」、
 「かせ」を「かぜ」
 と読むのは、
 この
 和歌の
 文脈では
 「そで」、「かぜ」としか読めないから・・・?
 ひとつの仮名で
 清音と濁音を兼ねるようにしていた
 単語だけを取り出せば、
 混乱が生じる・・・・・・・混乱は日本文学の原点?
 前田利益が
 「大ふへん者」
 と大書した旗を背負い、
 それを
 「大武辺者」
 と読んだ同僚から
 僭越を責められた際に、
 「これは
  『大不便者』
  と読むのだ」
 と返した逸話・・・・・・面白いね・・・ボクと同類かも
 濁点の起りについては
 漢字のアクセントを示す
 声点からきており、
 本来
 仮名には
 必要なかったはずの濁点は、・・・・必要だったろう・・・
 辞書の類や
 『古今和歌集』などの
 古典の本文解釈において、
 言葉の意味を
 確定させるために
 使われるようになった
  ↓
 他の文字にも
 チェロキー文字は
 仮名の五十音で
 カ行とガ行を区別しない
 チェロキー語の話者は
 文脈で判断できる
 ヘブライ文字では
 子音のみを
 用いるのが普通で
 母音は文脈で判断する・・・・ナゼか?・・・
               多分、
               敵(國)に
               記録文書が奪われても
              「本当の音声(意味)」では
               理解されないようにした?
               記録文字は暗号化された?
               神の名を妄りに呼ぶな、って
               きっと、正体がバレルことを
               怖(懼・恐・おそ)れた?
 母音の付加は
 新たにヘブライ語を
 学習する者への便宜、
 あるいは
 外来語にしか用いられない
  ↓
 仮名を
 習得するための和歌
 『古今和歌集』の仮名序
 「…なにはづのうたは、
  みかどのおほむはじめなり。
  あさか山のことばは、
  うねめのたはぶれよりよみて、
  このふたうたは、
  うたのちゝはゝのやうにてぞ、
  てならふ人の、
  はじめにもしける」
 「なにはづのうた」というのは
 「仁徳天皇に渡来人の
  王仁が、・・・・・・王爾の「千字文」
  なにはづに
  さくやこのはな
  ふゆごもり
  いまははるべと
  さくやこのはな」
 という歌を奉ったという古事から・・・
 また
 「あさか山のことば」
 というのは、
 葛城王、
 すなわち
 橘諸兄が
 東国の視察に行った折、
 その土地にいた
 采女だった女が、
 「あさかやま
  かげさへみゆる
  やまのゐの
  あさきこころを
  わがおもはなくに」
 という歌を作り
 諸兄に献上したという話
 「てならふ」とは
 毛筆で文字を書く練習をする事
 「手習い」
 上にあげた和歌2首が、
 当時
 仮名(平仮名)の
 書き方を練習するのに
 最初の手本とされていた・・・?
  ↓
 和歌は文の長さが
 三十一字
 と限られており、
 子供が
 仮名の手ほどきを受ける
 教材としては手ごろであった
 その数ある和歌の中から
 「なにはづ」
 と
 「あさかやま」
 の歌が
 「てならふ人の、はじめにもしける」
 といわれたのは、
 実際この2首が
 古い由緒を持った歌
 同じ句や
 同じ仮名が繰り返し出てくる
 「なにはづ」
 の歌は
 「さくやこのはな」
 という句が二度もあり、
 「あさかやま」
 も
 「やま」
 や
 「あさ」
 という
 仮名が二度出てくる
 同じ言葉や仮名を繰り返すほうが
 子供にとっては
 内容を覚えやすく、・・・・?
 また
 同じ文字を
 繰り返し
 書き記すことにもなる
  ↓
 『源氏物語』の
 「若紫」の巻
 幼女の紫の上を
 光源氏が引き取りたいと
 紫の上の祖母である
 尼君に申し入れると、
 「まだ
  難波津(なにはづ)を・・・難波津→難葉事(通・亠)
               何葉告
  だに
  はかばかしう・・・・・・・捗々しい・果々しい
  つゞけ侍らざめれば、
  かひなくなむ」・・・・・・歌意無く拿務(納務・名務)
 という返事
 「なにはづ」の歌も
 まともに書けないような
 幼い娘なので、
 源氏の君の
 お相手にはならない
 と断られた
 「はかばかしう
  つゞけ侍らざめれば」
 とは
 仮名を連綿として
 うまく書きこなせない
 ということである
 仮名は
 文字として覚えるだけではなく、
 その仮名を
 連綿で以って
 綴れるようにするのが
 当時の仮名文字の習得
 自分の書いたものを
 人に読み取らせるためには、
 仮名の連綿は
 書式の上でも
 必要なことだった・・・アタリマエ・・・
  ↓
 仮名の
 発音と表記
 平安時代
 日本語の音韻に変化
 「こひ(恋)」という
 仮名に対応する
 発音は
 「ko-ɸi」であったが、
 「ko-wi」と変化
 「wi」の音をあらわす仮名は
 ワ行の「ゐ」であり、
 そうなると
 「こひ」は「こゐ」と
 記されるようになるかと思われそうだが、
 文献上
 「こひ(恋)」
 を
 「こゐ」
 などと書いた例はい・・・書いてもイイ、ワルクない・・・
 仮名文字を習得した
 当時の人々にとっては、
 恋は「こひ」という仮名で記す
 のがそれまでの約束事
 発音が変わったからといって
 「こゐ」と書いたのでは、
 他者に
 「恋」という
 意味で
 読み取らせることが出来ない・・・相互理解は
                 個人的な教養の
                 問題である
                「こい・コイ」の漢字は
                 複数あるから
 つまり
 音韻に関わりなくその
 表記は一定しており、
 これはほかにも
 「おもふ」
 など使用頻度の高い言葉ほど
 その傾向が見られる
 頻度の高い言葉でも、
 何かのきっかけで
 変わってしまいそれが
 定着したものもある
 「ゆゑ(故)」は「ゆへ」、
 「なほ(猶)」は「なを」
 と変化し記されていた
 とにかく
 誰かが率先して
 人々に指導するということがなくても、
 仮名の表記のありかた
 仮名遣いは仮名を使う上で、
 不都合の無い程度に
 固定していた・・・・・?・・・都合がイイ
  ↓
 不都合のなかったはずの
 仮名遣いとは別に現れたのが、
 藤原定家の定めた
 仮名遣い、
 定家仮名遣
 定家が
 仮名遣いを定めた目的は、
 それを
 多くの人に広めて
 仮名遣いを
 改めようとした
 などということではない
 定家は当時すでに古典とされた
 『古今和歌集』
 などの歌集、
 『源氏物語』
 『伊勢物語』
 などの物語を頻繁に
 書写していた・・・・・コピペは写しとして完全ではない
 仮名遣いを定めたのは
 それまでは
 表記の揺れがあった
 仮名遣いを、
 自分が写した本においては
 この意味では
 こう書くのだと規範を定め、
 それ以外の意味に
 読まれないようにした
  ↓
 当時いずれも
 「wo」の音となっていた
 「を」
 と
 「お」
 の仮名は
 アクセントの
 違いによって
 書き分けるよう定めており、
 「置く」は「をく」、
 「奥」は「おく」
 と書いている
 その結果
 定家の定めた仮名遣いは、
 音韻の変化する以前のものとは
 異なるものがあったが、
 定家は自分が
 写した本の内容が
 人から見て
 読みやすい事に
 腐心したのであって、
 仮名遣いは
 その一助として
 定められたに過ぎない
 定家の
 個人的な事情により、・・・個人的な事情である・・・
 定家仮名遣
 と呼ばれるものは始まった
 定家の定めた仮名遣いは
 その後、
 南北朝時代に
 行阿によって増補
 それが
 歌人定家の権威もあって、
 定家仮名遣と称して
 教養層のあいだで広く使われた
  ↓
 明治になると
 政府によって
 歴史的仮名遣が定められ、
 これが広く
 一般社会において用いられた
  ↓
 第二次大戦後
 現行の
 現代仮名遣いが
 一般には用いられている
 現代仮名遣いは
 おおむね
 「1字1音の原則」
 によって
 定められているとされるが、
 以下のような例が存在・・・
 ひとつの音に対して
 複数の仮名があるケース
  /e/, /o/, /wa/ は通常
 「え」「お」「わ」
 だが、
 格助詞の場合は
 「へ」「を」「は」と書く。
  /zi/,/zu/ は通常
 「じ」「ず」
 だが、一部のケースでは
 「ぢ」「づ」と書く
  ↓
 ひとつの仮名が
 複数の音をもつケース
 「は」「へ」は通常
  /ha/, /he/
 だが、
 助詞の場合は
 「わ」「え」と同様に
  /wa/, /e/
 と発音
 「う」は
  /u/
 の音標であるとともに、
 ウ段・オ段に添える
 長音符でもある
 たとえば、
 かなで書けばいずれも
 「よう」であるが、
 「酔う」が
 /you/ (「よ」+「う」)
 であるのに対し、
 「用」は
 /yor/ (「よ」の長音)
 である
  ↓
 現代仮名遣いにも
 以前からあった仮名遣いと同様に、
 発音には拠らずに
 書きあらわす例が定められている
 「続く」は「つづく」と書くが、
 「つずく」と書くように
 定められてはいない・・・・書いてもイイ・・・
 「蝶々」は「ちょうちょう」と書くが
 「ちょおちょお」
  や
 「ちょーちょー」
 は不可・・・?・・・書くのは個々人の「自由」である
        ・・・享受側も、その意味は「自由」である
 現代仮名遣いとは
 実際には、
 歴史的仮名遣を
 実際の発音に近づけるよう改め、
 「続く」や「蝶々」のような例を
 歴史的仮名遣と
 比べて少なくしただけのもの・・・
  ↓
 歴史的仮名遣
 や
 定家仮名遣
 に基づかない
 仮名は
 日本語の音韻に変化が起こった結果、
 それが定家以前に見られた
 一般的な慣習によるものにせよ、
 また
 個人や国家が定めるにせよ、
 仮名遣いを
 発音とは違うところに
 求めなければならなくなった
  ↓
 琉球語の仮名
 琉球王国時代からの
 仮名使用の伝統
 仮名表記の
 琉球文学が生み出された
  ↓
 アイヌ語仮名
 アイヌ語表記文字
  ↓
 台湾語仮名
 仮名を用いて、
 台湾語、客家語、高砂族
 の言語を表記する方法が考案され、使用
 台湾原住民の言語の
  ↓
 文暦二年(1235年)
 京都蓮華王院の宝蔵に
 紀貫之自筆の・・・・・「紀の貫く之」の名前に
            疑問は無いのか?
 『土左日記』
 (表紙には「土左日記」)が所蔵されて
 いたが、
 定家はそれを
 閲覧する機会を得たので、
 その本文を
 書き写し写本を作った
 この臨書の最後には、
 「為令知手跡之躰、
  如形写留之。
  謀詐之輩、
  以
  他手跡
  多称其筆。
  可謂奇怪」・・・この記録自体が奇怪である?
 (貫之の手跡が
  こういうものだと知らしめるために、
  その通りにここに写しておく。
  いんちきなことをする連中が、
  他人の手跡を多く持ち出して
  貫之のものだと称しているからである。
  奇っ怪というべき事である)
 と記
 当時、
 貫之筆と称する
 偽物が多く出まわっていた・・・ナゼ?
  ↓
 「乎(を)」
 や
 「散(さ)」
 などの変体仮名は別として、
 おおむね現在のものに近い
 字体の仮名が
 連綿で記されている・・・
 なお
 「仮名」
 を
 「かな」
 と読むのは
 常用漢字表付表で認められた
 熟字訓・・・
 「か」
 は
 「かり」
 の転訛であり、・・・・
 漢字音ではない・・・・
 重箱読みではない・・・「か」の漢字は無数にある
            「多重箱読み」であろう・・・?
ーーーーー
 ・・・

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魚籠・魚篭・・・ビク・・・備句・・・比丘・・・挽

2016-01-04 23:46:02 | 古事記字源

 ・・・「申=さる=猿・猨・猿・沙流・然る」だが「上海(シャンハイ)は申(シン・さる)」と云われていた。別称で、略称は「滬(沪・コ=フー・滬拼→ザァンヘ・zɑ̃ hɛ)=竹編みの漁具」であった。「上海」の古称が「申(シン・ション・Shànghăi)」であったコトも既に記したが、ならば「申」=「滬(沪・コ・フー・グ、ゴ)」で、それらの漢字の関連は何か?・・・同音ではないから「漢字の意味」か、「漢字の字形構成での意味」しかない・・・では「扈(したがう・コ・グ)=一+尸+口+巴」の形象?・・・魚籠・魚篭・・・ビク・・・備句・・・比丘・・・挽・・・「跳梁跋扈(チョウリョウバッコ)・横行跋扈(オウコウバッコ)=のさばって勝手気ままにすること」・・・「跋扈(バッコ)=わがもの顔に振る舞うこと・のさばりはびこること」、「滬(扈)」=「魚をとる竹簗(たけやな) 、「跋」=「こえる意で、大魚は滬(扈)を飛び越えて逃げ去るという意から」、 「悪徳業者が跋扈する」・・・「滬=氵+扈」→「扈(ひろい・したがう・つきそう・はびこる)」・・・
 「扈」=「一+尸+口+巴」
 「扈従(コジュウ
     コショウ)=身分の高い人の
           おともをすること
           その人
           おとも」・・・音摸
 「横行跋扈(オウコウバッコ)」
 「飛揚跋扈(ヒヨウバッコ)」
 「梁冀跋扈(リョウキバッコ)」・・・両記跋扈?
       猟奇・涼気・猟期・漁期・両機
 自分の欲望のまま、好き勝手に振る舞うこと
 臣下が権力を握り、我が物顔で振る舞うこと
 「梁冀」は後漢の将軍の名・・・梁(はり・やな・リョウ・ロク)
               梁=氵+刅(ソウ)+木
                  刅=けずしける(削・梳)
                    つくる(創る)
                    はじめる(創始)
                    きずつける(創傷)
    「創=倉+刂(刀)」=(材木で)物を作り始めるときに、
              切り出すこと
              封じていたものを
              切り開くことから、
             「始(はじめ)る」の意
              傷つける、創始する、創作する
              懲(こ)りる→懲戒する
              創意・創刊・創業・創作
              創始・創傷・創世・創設
              創草・創造・創定・創立
    「蒼頡」=黄帝の史官(記録官・書記)
         鳥や獣の
         足跡の形から文字を発明
         制字先師
              創傷→瘡(かさ・かさぶさ・きず)
                      ↓↑
                 瘡蓋(かさぶさ・かさぶた)
                   結痂=ケッカ=血痂
                   痂皮(カヒ)
                  (ガンビ=岩皮・巖皮
                       癌皮)
                      ↓↑
                 愴(いたむ・ソウ・ショウ)
                 滄(あおい)=水の青色
                 槍(やり)=鎗(鑓→遣り)
                 蒼(あお)=草の青緑色
                 艙(ふなぐら)→船倉
                 櫓(やぐら)→楼耬樓
              創は皮膚が損傷すること
              傷は皮膚が損傷していないキズ
             「冀(キ)」=北+異(田共)
                    保口  伝訳摸
                    補句  伝訳摸
                    北   電
                    北海道 電力の
                        創業?
                    厳備→冬季→願備
             冀(こいねが)わく
              「請い・乞い」願わく
              「希」→戀音臥話句(和句)
                 (わく・或・枠・湧)
                     或=(哉)+(十一)
                      (カナ)+(11)
仮名+拾位置
                     哉=(或)-(十一)
   和句-ヌ(ぬ)
 「跋扈」は好き勝手に振る舞うこと
 後漢の将軍
 梁冀は、
 権勢を振るい、
 幼い聡明な
 「質帝」に・・・・・・「人質の皇帝・帝王」とは
  ↓          徳川家康の織田、今川時代?
  ↓          ナポレオン
            (Napoleon
             Napoléon Bonaparte
             ナブリオーネ・ブオナパルテ
             1769年8月15日~1821年5月5日
             第四子・12人中の4番目の子
             綽名は
             ラパイヨネ
            (la paille au nez=藁鼻)
             異名は
             反革命軍粉砕、撃退の地名
             「ヴァンデミエール将軍」
             奈翁・奈破崙・那破倫
             那破烈翁・那波列翁
             拿破崙・拿破倫・拿翁)
             エジプト遠征
             ロセッタストーン
             路雪 駄ストォン
             エルバ島への拿捕からの脱出
             百日天下後は・・・セントヘレナ島
  ↓          三日天下は
  ↓          明智光秀?、石田光成?
 「跋扈将軍」とあだ名され、
 これを恨み、帝を毒殺した・・・
ーーーーー
 ・・・「起き上がりコボシ」・・・「起き上がり小法師(おきあがりこぼし・ おきあがりこぼうし)」・・・「起姫(おきひめ)」・・・「蒲生氏郷(がもううじさと)・切支丹大名(天正13年、1585年の洗礼名はレオン、レオ)」が会津藩主(陸奥黒川城主)の時に創らせた「七転び八起の玩具」・・・「ダルマ(達摩・達磨)さん」に「眼を入れる」・・・「こけし(木牌子・木形子・木芥子・木削子)」は轆轤(ろくろ)挽きの木製の人形玩具・・・

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「にほん・ニホン」のユクへには「サルタビコ」・・・

2016-01-03 23:51:12 | 古事記字源

・・・アイも変わらず書き込んでいるコトは同じようなコトを、アキもせず、また同じようにオウム返しのようなパターンで、やっているナッと、自分でもツクヅク思うが、今現在はコレが人生のプロセスと・・・NHKのヒストリアでは「真田丸」、美人のアナウンサーの紹介で進行するのが、面白かったけれど、ナニかが説明不足のように思うのは目線が支配階級の「名誉・出世・智慧・武勇」の「賞讃(?)」と、「身分的階級、階層社会」を現在に重ねて「肯定的(?)」に、その生き方を階級、階層の上下はどうであれ「みんな、マモル気持ち(?)は一緒なんだ、ガンバレって鼓舞(?)」するように「生き方の技術、要領」とカタってしまうからであろう・・・
 当時の「時代」を踏まえれば、「真田一族」の派手に散った「雪村」も、地味に生き残っていった「信之」もワルクないけれどネッ・・・物語である「七人の侍」の「勘兵衛、七郎次、平八の思想」は無い・・・「当然」だとは思うが・・・
 「真田紐(縦糸と横糸を使い機で織った平たく狭い織物の紐」、漢語で「絛紐(さなだひも)」、「一重織り・袋織り」があり、「材質は木綿・正絹を使う。主に茶道具の桐箱の紐・刀の下げ緒・鎧兜着用時の紐・帯締め・帯留用の紐・荷物紐等に使用」・・・
 「真田虫(条虫、絛虫はテニア科や裂頭条虫科の扁形動物の総称・成体は寄生虫・古代には「寸白(すばく)」・・・
 「さなだマル」・・・「廿五まで生き過ぎたりや、一兵衛」・・・彼らには「戦(いくさ)」は「命を懸ける丁半博打」ななってしまった。「戦自体が目的」になってしまっていた・・・
 そして、「ディァハンター(The Deer Hunter)」の「ニックとロシアンルーレット」・・・彼らには生き残るコトが目的ではなくなってしまった、が・・・「戦(いくさ)の目的」とは「蟻」か、「蜂」の女王に訊いてみたい・・・ナニをマモッてイキてイキたいのか・・・
ーーーーー
  ↓↑
 「大鳥 逸平(いっぺい・1588年~1612年)
  元々が
  大久保長安の江戸築城普請の
  人足元締
  廿五まで生き過ぎたりや一兵衛
  と銘に刻んだ厳物造太刀を担ぎ、
  300人ものカブキ者を束ね
  子分(コブン)・・・古文?
  に
  大風嵐之助・・・・ダイフウランシジョ
  天狗魔右衛門・・・テングマウエイモン
  風吹藪右衛門・・・フウスイソウウエイモン
  大橋摺右衛門・・・ダイキョウシュウウエイモン
  がいた・・・・・・コレラの漢字変換をしてみる・・・
  かぶき・・・・・・カブキ=歌舞伎・冠木・株木・蕪木・甲木
  者の頭領
  姓は
  大鳥居、大鳥井
  別名
 「大鳥勘解由(おおとり かげゆ)
  大鳥逸平次勘解由(おおとり いっぺいじ かげゆ)」
 とも・・・
 「大トリ(多訳理・太訳理)の、
  一頁の、陰愉(䕃喩→隠喩・引喩)」・・・?
 「勘解由(勘解由使の略)」は
 「新井白石」の別名でもあったが、元々が「律令制下の令外官=地方行政の監査役」であった・・・ナゼ、「新井白石」が「勘解由」なんだか?・・・
 「鳥居強右衛門(とりい すねえもん・勝商・かつあき・天文九年(1540年)~天正三年(1575年)五月十六日(17日?)」と云う、長篠の戦で援軍情報を長篠城に伝え、捕虜となり、磔にされ、徳川方の英雄になった「足軽」も存在した・・・ナゼ、「強」が「強右衛門(スネえもん)」なのか・・・足軽で、強脚、臑(脛)・・・ここは「アキレス腱」では無く、若干異なるが、マラトン、マラソンの結果である・・・「エウクレス(Eukles)」がマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」とエウアンゲリオン(良い知らせ)を告げて絶命した・・・マラトンの走者はフィリッピデス(Philippides)とも・・・「走れメロス」はモノガタリだが・・・「鳥居耀蔵」も悔しかった・・・
 駅伝(エキデン)って「亦伝・役伝・益伝」・・・「最初の駅伝、東京奠都50周年記念として讀賣新聞社会部長・土岐善麿の発案で同社が主催。1917年4月27日の東海道駅伝徒歩競走」、「京都の三条大橋を午後2時に出発、東京の上野不忍池までの23区間、約508kmを昼夜問わず走り抜けるもので、ゴールに到着したのは翌々日の午前11時34分」、「東海道駅伝徒歩競争」の開催で、当時の大日本体育協会副会長、および神宮皇學館館長・武田千代三郎が競技名を「駅伝」と名づけた・・・「武田千代三郎」さんって、ダレデスか・・・
ーーーーー
 「大鳥逸平次勘解由」
 「勘解由使」
 「勘解由」
  ↓↑
 令外官=リョウゲのカン
    =両下(領家・領下・領毛・両毛)の換・・・?
 ・・・毛は「下總(総)=下総国(しもうさのくに・下總國)」・「上總(総)=上総国(かずさのくに・上總國)」・・・
 千葉県北部を主たる領域とする旧国名
 北で常陸国と下野国
 西で上野国と武蔵国
 南で上総国、
 内海を挟んで相模国
 と接する
 「よき麻の生いたる土地というところより
  捄国(ふさのくに・総国・(古語拾遺)」
 と称した
 総(ふさ・うさ)国の北部
 総(ふさ・うさ)国の分割によって建てられた・・・
 古くは
 「之毛豆不佐(しもつふさ)」
 これが(しもふさ・しもうさ)に転じた・・・
 国の名前に「上・下」や「前・後」と付くものは
 いずれも
 都(畿内)に近いほうが
 「上・前」
 上総国と下総国の場合、
 西国からの移住や開拓が
 黒潮にのって
 外房側からはじまり、
 そのため
 房総半島の
 南東側が
 都に近い上総となり、
 北西側が下総となった
 上総・下総の分割を6世紀中葉・・・との説も・・・
  ↓↑
 毛野(けの・けぬ)
 群馬県と栃木県南部を合わせた地域
 史書には「毛野」自体の名称はないが、
 「上毛野(かみつけの)」
 「下毛野(しもつけの)」
 の名称記録ある
 上毛野は上野国(こうずけのくに・群馬県領域)
 下毛野は下野国(しもつけのくに・栃木県領域)
 「毛野」の名残
 上毛・東毛・西毛・両毛という地域
 「毛野河」から転訛した
 「鬼怒川(きぬがわ)の名称・・・
 東日本最大の
 太田天神山古墳
 (群馬県太田市、墳丘長210メートル)
 墳丘長が80メートルを越す大型古墳が45基、
 総数では約1万基もの古墳がある
 墳丘長200メートル以上の古墳が築かれたのは
 畿内、吉備、毛野のみ
 畿内王墓に特有の
 長持形石棺の使用
 「崇神天皇(第10代)皇子の
  豊城入彦命に始まる
  上毛野氏(かみつけのうじ・かみつけのし)の伝承
  各人物は
  対蝦夷・対朝鮮の軍事・外交に携わっていた」・・・
ーーーーー
 ・・・で、籠城では、原則的には戦に勝てない・・・が・・・
ーーーーー
  天干  地支(蔵干?)→天干変通 地支(蔵干変通)12運
生年⇒甲 午(丙・ ・丁)年生→偏財天干変通
                 (偏官・  ・正官)・沐浴
生月⇒癸 酉(庚・ ・辛)月生→傷官天干変通
                 (比肩・  ・劫財)・帝旺
                 羊刃・劫財格
     支合・庚辛
生日⇒庚 辰(乙・癸・戊)申酉=空亡
                 (正財・傷官・偏印)・養
土曜日
生時⇒?
――――
 大運サイクル順旋
31 甲 午(丙・ ・丁)年
    ↓生月干支
10 癸 酉(庚・ ・辛)
17 庚 辰(乙・癸・戊)
生年月日時の干支と大運・年運との関係
  命式干支 
31 甲 午(丙・ ・丁)年   
10 癸 酉(庚・ ・辛)月    
17 庚 辰(乙・癸・戊)日
           申酉
大運干支  
16 己 卯(甲・ ・乙)
   月沖・日害
年運干支 
33 丙 申(己・壬・庚)年
立運                   
流年2月節分から
流月節入り~翌月節入り前までの干支
66迄 
16 己 卯(甲・ ・乙)
印綬
現在62歳
――命式と流年月日時の干支関係――
31 甲 午(丙・ ・丁)
10 癸 酉(庚・ ・辛)沖
17 庚 辰(乙・癸・戊)害
      申酉空亡
―――→↑
2016年 午・酉→合辛←辰
偏官年
33 丙 申(己・壬・庚)年
―――→↑
2月 
比肩月
27 庚 寅(己・丙・甲)月
   年三合丙  
―――→↑
3月
28 辛卯
(甲・ ・乙)
___月沖・日害
4月
29 壬辰
(乙・癸・戊)
___月支合辛・日刑
5月
30 癸巳
(戊・庚・丙)
___月三合辛
6月
31 甲午
(丙・ ・丁)
___年刑
7月
32 乙未
(丁・乙・己)
___年支合丙
8月
33 丙申
(己・壬・庚)
___
9月
34 丁酉
(庚・ ・辛)
___月刑・日支合辛
10月
35 戊戌
(辛・丁・戊)
___年三合丙・月害・日沖戊
11月
36 己亥
(戊・甲・壬)
___
12月
37 庚子
(壬・ ・癸)
___年沖・日三合壬
 ・・・「日の本」って「比の本」・・・

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「乙・未」と「丙・申」の漢字・・・

2016-01-02 23:20:33 | 古事記字源

 ・・・2016年1月2日・・・「太陽太陰暦」では未だに「2月=己丑(癸・辛・己)」の「3日=乙卯(甲・乙)」が節分まで「乙未の年」で、去年の西暦2015年の尻尾の余波を引き摺っているから「ヒツジの悪意」には注意だが、今年の始まりは「2016年=丙申(己・壬・庚)・2月庚寅(己・丙・甲)・4日丙辰(乙・癸・戊)」が「立春」で「サルの悪意」にも油断は出来ないカモ・・・「2016-1956」=「60年」前の「干支は丙申(ひのえさる)」で「昭和31年」だったが・・・「丙」と、「申」の「漢字」が何処の記録で。何の為に使用されてきているのかを、ヨクヨク考えてみるべきであるカナ・・・だが、考えるだけでは「意味」が無いだろう・・・当然、「乙」と「未」の漢字が何処の記録で、何の為に使用されてきているのかをも・・・

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「祇園精舎のカネのコエ」に喙(くちばし・嘴)を入れる・・・

2016-01-01 17:29:10 | 古事記字源

 ・・・「漢字」は本当に難しいが・・・笑ちゃうハナシがブログニュース記事に掲載されていた・・・概略を貼り付けると「習氏は辞職(ジショク)中」・・・「致辞(チジ)」・・・「ホントに誤植?習氏の演説の間違いで4人停職(香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストなどが報道)・南アフリカで開かれた中国アフリカ協力フォーラム首脳会合の演説記事で致辞(あいさつ)を中国語で発音が似ている辞職(ジショク)」と間違え、習氏は辞職中と配信(共同)」・・・ボクなら「辞色」か「字殖」、「似織」、「耳食」、「字初句」だろう、なッ・・・「取得金併」カモ・・・
ーーーーー
 「オウム貝」の語源がギリシャ語の「ノーチラス(Nautilus)」で、「船乗り」が語源だったが、じゃぁ、この片仮名の「オウム」とは日本語的には「ナニ語」の意味なのか?・・・地名には「北海道紋別郡-雄武(おうむ)-町」がある。「オウム(oumu)オウム科の鳥の総称」だが漢字では「鸚鵡」である。人間のコトバを覚えて、真似して繰り返しお喋りするのは「九官鳥」でもあるが、繰り返し呪文を唱えるのは概ね宗教団体である。で、ナゼ「九官」の「とり・チョウ」なのか?
 最近は国会論議で「丁寧に説明していく」と云って繰り返し唱えられたのが「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と云うコトバ自体で、「国の存立が脅かさるとは?」、「国民の生命とは?」、「自由及び幸福追求の権利とは?」、それ以前に「根底から覆される明白な危険がある事態とは?」の具体的内容説明がされるコトが殆んど無く、「オウム反し」か「ヤマビコ」で、その内容説明も「軍事(兵站=後方支援)とはナニか」をアベもナカタニも理解した上(?)での法案であるから「矛盾」したモノにならざるを得ない。
 「ペルシャ弯の機雷掃討・機雷掃海」も、「米軍艦船での日本人救出作戦」も嗤えちゃうモノだったが・・・時系列からすれば米軍艦船は「日本人救出作戦」する前に既に攻撃されているか、交戦自体が起こっているだろう・・・
 アベ政府の「矛盾答弁」は「日本国憲法」のコトバに相反する「平和安全法制整備法案・国際平和支援法」だから当然である。「戦争放棄の憲法条文」が無ければ、こんな「法案」は作る必要もない・・・しかも「武力の行使が国際法を遵守して行われることは当然である」とは、この「当然」が今まで「国家間の武力行使→戦争」で「国際法を遵守した国家」があったのか・・・
 「日米戦争(太平洋戦争)」で「帝国日本」はアメリカに「宣戦布告」したハズだが、アメリカは「宣戦布告無しの奇襲攻撃だ」と云っている・・・真珠湾ではアメリカが「日本への宣戦布告」もせずに先に「帝国日本の特殊潜航艇」を攻撃、妥補し、後にコッソリと潜航艇を輪切りにして沈没させていた。アメリカに攻撃された帝国日本の特殊潜航艇は「鯨(クジラ)であった」としたらしい・・・「オレンジ作戦」は既に戦争前からアメリカに存在していた。
 「オレンジ計画(War Plan Orange)」とは、「1919年に非公式に立案、1924年にアメリカ陸海軍合同会議において承認採用され、大日本帝国との戦争へ対処するためのアメリカ海軍の戦争計画」であったが、ドイツ海軍の無差別攻撃と同様に、アメリカの対敵国作戦としての「公海上の商船の無差別攻撃」は折り込み済みであった・・・当然、対交戦国家の「商船」は「兵站船」であるとの「認識」だろう・・・まさに「戦争遂行計画法案」である・・・
 当然、今回のアベ自民党の「安保法案」も「戦争遂行計画法案」である。だが、こんな矛盾した法案では「戦争遂行」は出来ない。「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」とあるのだから・・・「戦争」に「中途半端」は許されないのが鉄則である。
 「中途半端な戦争」は更に「戦争を残虐・残酷」にするが・・・そもそも、「戦争自体」の「殺傷・破壊」が問題なのだ・・・「日本国憲法」を護らず、「日本国家としての戦争(軍隊)放棄」を世界にアッピールもせず、「世界情勢が変化した」との理由で「アメリカ国家の敵対国家を一緒に殺傷、破壊に加担しましょう」とは・・・「世界情勢」は第二次世界大戦後も「国家間戦争」をし続けて来ているのだ。そして、オマケに「国家」は「国家(?)」でも無い「宗教テロリスト集団」と殺傷し続けてきている・・・「国家枠秩序の市民社会」が「山賊、海賊、強盗との殺傷現場」になってしまっている・・・原因はハッキリしている・・・貧富を問わず「プチブル(拝金・出世)階級、階層意識」の「至上主義的な意識」である。これが「世界の常識」であり、「国家の常識」であり、「市民社会の常識」であり、「家族、一族郎党の常識」であり、「個々人の常識」である・・・金銭、地位追求での衣食住、医療の生活安定が悪いと云うワケではない。
 だが「我が国の存立」が「脅かされ」、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」のはナゼなのか?・・・「我が国の存立→得立」とは「相手国の存立→損立」なのか?「我が国」とは「国家間エゴ」であるが、その枠内の「国民」とは「一般国民・一般市民」ではないらしい。当然、「相手国」も同じだろうが、「日本プチブル民主国家(?)」どころではない。しかも「日本国憲法」は「世界諸国家の憲法」でもない・・・どうしょうもない「理不尽な隣国」には「一般国民・一般市民」が存在しないらしい。「国家意志と意思」は「暴力で守られている独裁者、独裁集団、それに寄生している太鼓持ち」に握られ、そして、それに「追従せざるを得ない怯えている人間」がいる。彼らの「社会思想」も「宗教思想」も単なる「支配階級」の「お題目」であり、「法律」もあって無いようなモノである。彼等の「ルール」は「自己保身」と「搾取の道具」でしかない・・・「あらゆる国家の本質」そのものがコレである。
 国家の比較論議をすれば、戦後の「戦争放棄を宣言」し、それをナントカ護ってきた「日本国家」は「プチブル意識の法治国家」として、「プチブル共同特殊幻想国家」としては「上等」であった・・・
 紛争、トラブルの極大化が「階級国家間エゴ」の戦争である。「国家エゴ」は「国家の支配階級、階層のエゴ」である。「紛争、戦争」はその国家間相互の支配階級のエゴのイキ場である。
 「上等」ではあったが、問題は社会的安定分配と社会的奉仕の「意識と行為」である。これには個々人の「教育的知識(読み書き算盤)」と、それを前提にした情報の「認識、判断力」が必須である・・・科学的最先端の道具であるスマートホン、携帯電話を手にしながら操作は簡単、ダマされるのも、ダマすの簡単・・・挙句の果ては「IS讃歌、参加、参加」で「惨禍の傘下」・・・オマケに「ダマされてもイイんだ」と云うヤツまで・・・
 ウソも百回、千回、何度も唱えていれば、ホントウになる。何度も同じコトバを聴かされていればアンジにかかる・・・同じコトバを何度も唱えていれば、その意味が解からなくなる・・・「スローガン(slogan)」には気をつけろ・・・
 「オウム」・・・「真言=梵語(mantora・呪)=梵語(サンスクリット)の音写、短いコトバは真言、長いコトバは陀羅尼(ダラニ)」・・・要点説明も無く、長くてダラダラも困るが・・・
 「オーム・ナム・シヴァ」の「オーム」は「一切」、「終始・始終」の意。「阿(ア)~吽(ウム)」・・・真言(マントラ)、 「おんあぼきやそわか・おんさんまやさとばん」、「オウム(AUM)=サンスクリット語orパーリ語の呪文の「唵」・「無常(恒常変化)」の意・・・「あぁ、無情」でもなく、「これこそ、無上」でもない・・・「オーム」は「オン(オ~ン)・オム(オ~ム)」らしい・・・除夜のカネは聴こえなかったが・・・
  ↓↑
 祇園精舍の鐘の声、・・・・示氏の囗袁米主月舍の
              金童の士声(士巴)
 諸行無常の響きあり。・・・言者行無常の響き在り
 娑羅双樹の花の色、・・・・娑羅(讃良)双樹(双記)の
              花(日下無理化)の色(刀巴)
 盛者必衰の・・・・・・・・成皿必衰の
 理を顕す。・・・・・・・・王里を日业(並)頁素
 奢れる人も久しからず、・・大者例留比訳摸
 ただ春の夜の夢の如し。・・唯春の夜の艸罒冖タの女口し
 猛き者もつひには滅びぬ、
 ひとへに・・・・・・・・・比問似
 風の前の塵に同じ。・・・・風(封)の前の
              塵(地理)に同じ
 遠く
 異朝を訪(とぶ)らえば、
 秦の趙高、・・・・・・・・?~紀元前207年)秦の宦官
 漢の王莽、・・・・・・・・紀元前45年~紀元23年
              漢の元帝の皇后王政君の甥
             「新王朝 (8~24年) 」の外戚から
              平帝を毒殺して皇帝
              字は巨君・・・虚君=明治天皇?
 梁の朱忌、・・・・・・・・483~549年
              朱忌=朱異=周伊=周異
              南朝の梁王朝、武帝の家臣
              九品官人法(九品中正法)
              中書舎人
              首都建康防衛大臣
                健康→犍康→犍=去勢の牡牛
              字は彦和(ゲンワ・ひこかず)
              諱は異(イ・ことなる)
 唐の祿山、・・・・・・・・705~757年
              安禄山・・・・宀女ネ彐求山
              唐の玄宗に対し
              史思明・・・・史を日月らかに田心
              と共に
              安史の乱(755年)を起こす
              安禄山は
              北京
              北方守備の・・・北方守護神は
                      毘沙門天・多聞天
                      武神
                     (鞍馬寺の財福神)
                      蛭子・恵比須
                      胡・夷・蠻)の
                      古い形態
              節度使長官
              乱後
              大燕国皇帝・・・燕国は渤海・満州
              本姓は康・・・・徳川家康
                      国家安康
                      鮟鱇
              康国(サマルカンド)出身の
              ソグド人と突厥系の混血
             「禄山」=ソグド語で明光の音訳
 これらは皆
 舊(旧)主
 先皇の
 政にも従がはず、
 樂しみを極(きは)め、
 諫(諌・いさ)めをも・・・言柬(東)めをも
 思ひ入れず、・・・・・・・田心比入れず
 天下の亂れん事を
 悟らずして、・・・・・・・心五口等事詞出
 民間の愁(うれ)ふる・・・秋心符留
 ところを・・・・・・・・・所(處・床呂・常呂・戸頃)を
 知らざつしかば、・・・・・ざつしかば→挿通鹿庭(王朝)?
                    覚通如樺(屍場)?
              「ざつ」は打消の
              助動詞「ず」の
              連用形「ざり」の撥音便
 久しからずして、
 亡じにし者どもなり。
  ↓↑
 「平家物語」に幕末、明治の長州藩が重なり、更に「天武天皇(大海人皇子)」と「持統天皇(鸕野讃良)」、「草壁(日下部皇子)」が重なっている・・・?・・・明治天皇とはダレ?・・・
  ↓↑


 オウム貝(chambered nautilus
esp.species Nautilus pompilius)
      英語は preocular tentacle)
 オウムガイ=ノーチラス(Nautilus)
       アンモナイトの仲間
       頭足綱
       オウムガイ亜綱
       オウムガイ目
       に分類
       軟体動物
ーーーーー
「オウム貝」の比率は「黄金率(黄金比・golden ratio・1:1.62→短径:長径のバランス黄金率(Golden proportion)」=辺の長さの比が黄金比になる四角形の黄金分割・黄金長方形から短辺を一辺とする正方形を取り除くと、残る部分はまた黄金長方形となり、繰り返すと、黄金長方形は無限個の正方形で埋め尽くされる」
 「1;(1+√5)/2」で近似値は「1:1.618、約5:8」・・・「線分を a, b の長さで 2 つに分割するときに、a:b = b:(a + b) が成り立つように分割したときの比 a:b のことであり、最も美しい比とされる」・・・「0.618:1 ≒ 1:1.618 ≒ 1.618:2.618」・・・
 「黄金比で長さを分けることを黄金比分割or黄金分割」
 「黄金比=初出は
  1835年刊行のドイツの数学者
  マルティン・オーム
 (オームの法則で有名な・・・Ω
  ゲオルク・・・・解尾留句
  ジーモン・・・・字意文
  オームの弟)・・多ム(毋・武・戊・夢)の音(乙・綴・定)
  の著書『初等純粋数学』
  1826年刊行の初版にこの(黄金比)記載がない
  1830年頃と考えられる・・・
  ↓↑
 「黄金律」=新約聖書(マタイ福音書)の
       山上の説教(垂訓)の一節
      「すべて人にせられんと思うことは
       人にもまたそのごとくせよ」
      「何事でも
       人々からしてほしいと望むことは、
       人々にもそのとおりにせよ
       (マタイ福音書・七)」
  ↓↑   ↓↑
 ・・・「阿吽ガイ」です・・・
  ↓↑
 「鸚鵡(鸚䳇・parrot・cockatoo
     オランダ語はkaketoe→カケトエ=掛け問え?
                秘密、違法賭博の開催者が、
                見張りをcockatooと呼ぶ)」
  の特徴は「冠羽(crest)」と湾曲した「喙(くちばし)」・・・オウム貝に似ているカモだが・・・足は2本の足指が前方、他の2本が後方を向いた対趾足(タイシソク)・・・これら趾足の表面皮も「フラクタル配置」に観える・・・
 調べていたら「おうむがい(鸚鵡貝)が出てきた「頭足綱オウムガイ科の軟体動物。カンブリア紀に出現し古生代前半に繁栄。現在、4あるいは6種が熱帯海域にすみ、生きている化石とよばれる。現生種は殻長約20センチ、平面に螺旋(らせん)形に巻いた白い殻がオウムのくちばしを思わせる。殻の最外部の室にタコに似た軟体部があり、触手を雄で約60本、雌で約90本もち、吸盤はない」・・・やっぱ喙(くちばし・beaka bill)の形状からの説明である・・・
 beak(鳥・魚・カメ)
 bill(動物)
 neb(スコ)
 nib(鳥)
 mandible(鳥)
 pecker
 で、鳥類の「鸚鵡(オウム)」だが、
 「ヤシオウム=強力な嘴と赤い頬。体長は55~60cm (22~24in)、体重は 910~1,200g (2.0–2.6lb)、最大のオウム」・・・「宝島(The Sea Cook, or Treasure Island)・スティーブンソン・Stevenson Robert Louisの小説・1883年」に登場する片足の海賊(ジョン・シルバー)の肩に止まっている多分二百歳の鸚鵡(フリント船長)かも・・・
 「風の谷のナウシカ」の「王蟲(オーム)」・・・
 「鸚鵡の會」は、日本の文人が書きなぐった読み物だろう・・・芥川龍之介の「鸚鵡(大震覚え書の一つ)・大正十二年九月十四日記」・・・九月一日は「関東大震災発生」・・・「鸚鵡の名は五郎。背は鼠色、腹は桃色。芸は錺屋(かざりや)の槌の音と「ナアル」(成程なるほどの略)といふ言葉とを真似まねるだけなり」・・・
 ・・・11月8日 - アドルフ・ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党などがミュンヘン一揆・・・
 「虎ノ門事件(1923年(大正12年)12月27日・日本の虎ノ門外において皇太子・摂政宮裕仁親王(昭和天皇)が社会主義者の難波大助により狙撃を受けた・・・犯行に使われたステッキ銃は、伊藤博文がロンドンで手に入れて難波作之進に渡ったもので、難波大助が持ちだして打った」・・・

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