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茹でナシを食べた・・・湯 掻(ゆが)いてナシを食べた・・・

2016-09-23 22:40:19 | 古事記字源

 ・・・「梨(なし)の実」を煮て食べた・・・庭の梨の木の枝が電線まで届くほどに伸びたので、梯子を木に掛けて登って切り落とした。梯子に一段一段と注意しながら大鋏を持って登ったが、その一段を登る度に上下左右、視る世界が変わっていく。梨の木の天辺から観る景色は猶更である。梨の木の枝、切られる理由は無いな、自然のママにしとけばイイとは思うのだが、電線に接触しては危険なのは云うまでもないが、ここは「人間のエゴが優先」しなくちゃぁ、ネッ・・・ココに来てから毎度のコトだが梨の実がボロボロと地面に落っこちて、ホトンドの中身が虫喰いで食べられない。しかも実自体が堅くて歯がたつシロモノではない。去年は皮を剥いて食べられるところだけを切り、ミキサーにかけてジュサーにしたのだが・・・折角の梨の実、今年も捨てるワケにはいかない。モッタイナイ・・・ジャガイモのように煮て食べてみるコトにした。
 煮た「梨の実」・・・柔らかくなって甘味があって美味しい・・・ついでにジャガイモと卵を茹で、ポテトサラダに混ぜて食べたが・・・マァマァの出来栄え・・・
 この梨は「みしらず・千両梨」であるらしい・・・ブログ検索で調べたら、
 「明治時代に中国から輸入された
  鴨梨(ヤーリー)
  や
  慈梨(ツーリー)などで北海道で広く栽培
  千両梨は明治時代に
  余市郡余市町山道村で発見された
  鴨梨(ヤーリー)の偶発実生で、
  別名が、
  身不知(みしらず)
  鴨梨を植えていたが違った実がなり、
  身元が分からず、誰も知らない実などの説・・・
  千両梨という名称は、鈴なりに実を付けた事から」、
 「身の程知らずなほどたくさんの実がなる事から
  名前がついた・・・
  北海道のいたるところで栽培され、
  安く出回っていたが、
  和梨が広まると共にその姿を消していった」
 らしい・・・
↓↑
 梨は「ナシ(和梨・日本梨・山梨)」
 「果肉は石細胞のペントザンやリグニンを含む=砂のようなシャリシャリした食感から Sand pear」・・・石の細胞です
 「漢方では高血圧、咽喉の炎症痛み、便秘解消、疲労回復」
 に効くらしい・・・
 「梨花一枝、春雨(はるあめ)を帯ぶ」・・・美人の涙です
 「梨園」・・・歌舞伎界です
 「梨尻柿頭」・・・アマイ部分です・・・利尻・理詞理?
          尻は尻尾(しっぽ)の尾張?
 「新井白石が酸味が強いことから
  中酸(なす・チュウサン)」
 が転じたとの説・・・色々な説として・・・
↓↑
 果肉が白いことから「中白(なかしろ)・色なし」
 風があると実らないため「風なし」
 「甘し(あまし)」
 「性白実(ねしろみ)」
 漢語の
 「梨子(らいし?・ライチ?)」
 が転じた・・・?・・・「Lychee」は別モノ
 「レイシ(茘枝)=ライチ」で楊貴妃が好んで食べた果物であるが・・・
↓↑
  梨(なし・リ)=利+木
 「無し」に通じることからこれを忌んで、家の庭に植えることを避け、「ありのみ(有りの実)」という呼称があるらしい・・・盗難に遭わぬよう家の建材にナシを用いて「何も無し」、家の庭の鬼門(東北・北東)方角に「鬼門無し」として植えた
 「梨(なし)の礫(つぶて)」は返事無し、音沙汰無し・・・
↓↑
 「ルート(√)の割り算」・・・分母、分子に「分母の√数」を掛けて「分母・分子」の「無理数」を「有理化」する・・・?・・・「文母・文詞(分詞・文士)」を「和」をかけて、「有理化」する・・・
↓↑
 文士=writera literary man
    hack (writer)=三文文士
    scribbler=乱筆文士
    bachelor=大学四年卒で学士(Bachelor)
         大学院に進学
         卒業で修士(Master)
         博士(Doctor)
    bachelor=独身
 「bachelor=独身」はキッと、日本に渡来した「西洋人・宣教師・船乗り」だった・・・そして「独り神(古事記)」になった・・・
 「独神」だから、
 「ドイツ人=独逸人=German→プロシア(Prussia)
  プロイセン人=Preussen←オランダ人=Holland=阿蘭陀人」
 の「シーボルト」・・・「シーボルト(置維波斯徳利)」は「プロイセン人=普魯西(王国)人」・・・維新のハのシを置くは徳川の利?・・・「チイハシトクリ=知意葉施、訳句理」・・・?
 「維新の波斯(=ペルシャ)の徳利(とっくり)」・・・?・・・ペルシャとの関係・・・「波斯(ハシ)⇔斯波(シバ)」は織田信長の主人元の斯波氏・・・司馬史・・・?
 以下は
 「コトバンク」の
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88-75043
 の「原文」を参照、参考に、少々改作して添付・・・
↓↑         ↓↑
 「フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
  (Philipp Franz Balthasar von Siebold)
  (Philipp Franz Balthaster von Siebolt
   シーボルトと発音されているが、
   ジーボルトが正しい)・・・
  1796年2月17日~1866年10月18日
  ↓↑         ↓↑
  丙辰(乙癸戊)     丙寅(己丙甲
  庚寅(己丙甲)     戊戌(辛丁戊)
  丙辰(乙癸戊)-子丑  丙寅(己丙甲 死没70歳
 ↓↑
  ドイツの医師・博物学者」
  ドイツ語での発音は
  「ズィーボルト」
  オランダ国王を動かし
  幕府に開国を勧める親書を起草
  親書は
  弘化一(1844)年に幕府に伝えられたが
  幕府はこれを拒否
  さらに
  日本が開国した際に
  ヨーロッパ諸国と結ぶべき条約の私案を起草し
  オランダ政府に伝え
  条約案は
  嘉永五(1852)年
  クルティウスに託されて幕府の手に届いた
  開国後
  クルティウスは
  シーボルトの追放の解除を幕府に要請
  安政五(1858)年
  日蘭修好条約の締結とともに実現
  安政六年
  シーボルトは再来日
  文久二(1862)年
  日本を去り
  ミュンヘンで死没
  通称『日本』もしくは『日本誌』
  すなわち
  『日本とその周辺諸地域
  (蝦夷,南千島,樺太,朝鮮,琉球)についての記述集成』
  として
  ライデンで1832年~54年までかかって刊行
  「日本動物誌(1833~50)」
  「日本植物誌(1835~70)」を著作
 ↓↑
 「伊藤圭介・・・?
  享和三年一月二十七日(1803年2月18日)
   ~
  明治三十四年(1901年1月20日)
  町医者の
  西山玄道の
  次男として
  名古屋(尾張)
  呉服町・・・・・・・・呉の服
  に生まれる
  理学博士
  男爵
  「雄しべ・雌しべ・花粉」
  という言葉を作った・・・
  尾張国名古屋
 (愛知県名古屋市)出身
  名は舜民・清民・・・・清の民?
  字は戴堯・圭介
  号は錦窠
  本草を
  水谷豊文、
  蘭学を
  藤林泰助、
  吉雄常三、
  野村立栄に学び
  1827年(文政十年)
  長崎で
  シーボルトより
  本草学を学ぶ
  1827年(文政十年)
  名古屋に帰る際に
  シーボルトより
  ツンベルクの
  『日本植物誌』を受け取り、翻訳し
  文政十二年(1829年)
  「泰西本草名疏」を刊行
  嘉永五年(1852年)
  尾張藩より
  種痘法取調・・・・・「種痘」=天然痘の予防接種である
             1796年
             英国人
             E.ジェンナー
             が初めてヒトに
             牛痘ウイルスを接種、免疫とした
  を命ぜられた
  文久元年(1861年)
  幕府の
  蕃書調所物産所出役に登用
  明治三年(1870年)
  名古屋から東京に移り住み、
  明治政府に仕えた
  明治十四年(1881年)
  東京大学教授
  明治二十一年(1888年)
  日本初の理学博士の
  学位(Bachelor)を受けた・・・・Bachelor
  名古屋の
  本草家の
  同好会
  嘗百社(シヨウヒヤクシャ)・・・試用比訳写・・・?
                  嘗(な)める百
                臥薪嘗胆
  の研究活動の中心人物」・・・
  ↓↑         ↓↑
  シーボルト(の長男)
  Siebold, Alexander Georg Gustav von
  1846年8月16日~1911年1月23日
  ドイツ人外交官。
  P.F.シーボルトの長男
  安政六年(1859)再来日の父とともに長崎にくる
  文久二年
  駐日イギリス公使館の通訳官
  慶応三年幕府の遣欧使節一行に随行
  明治三年から日本政府の
  ベルリン駐在日本公使館書記官
  1866年
  パリ万国博覧会参加の
  徳川昭武一行に付いて訪欧
  一行の動静をイギリス外務省へ逐一内報
  明治三年
  民部省雇となり
  外債切り替え交渉のため
  特例弁務使
  上野景範に従ってロンドンへ出張
  明治六年
  太政官正院翻訳局に配属
  ウィーン万国博覧会副総裁
  佐野常民に随行
  明治八年
  大蔵省雇
  明治十一年
  外務省雇
  パリ万国博覧会副総裁
  松方正義に随行
  万博後在独公使館付
  明治十五年
  条約改正予議会
  明治十九~二十年
  条約改正会議で東京で
  通訳官
  会議無期延期直後
  了解工作のため内命を受けて
  ヨーロッパ各国を歴訪
  以後はヨーロッパで
  新聞論調の本省への報告などに従事
  1894年
  日英条約改正交渉のため
  特命全権公使
  青木周蔵に付いてロンドンへ出張
  日清戦争、日露戦争の際は世論工作に従事
  1910年勲1等瑞宝章受章
  1911年1月23日死去。64歳
 ↓↑         ↓↑
  シーボルト(の次男)
  Siebold, Heinrich Philipp von
  1852~1908
  シーボルトの次男
  明治二年(1869)
  兄、A.G.シーボルトにしたがい来日
  父の影響で東洋の文化と歴史に関心
  駐日イギリス公使館通訳官の
  兄アレキサンダーが一時帰国した際
  その秘書に日本語を学び
  1869年兄と一緒に日本へ
  明治五(1872)年1月
  日本代表部の臨時通訳練習生
  十月
  ウィーン万国博覧会の日本万博委員会の連絡係
  明治六年一月
  博覧会への陳列品と共にウィーンに行き
  三月
  名誉通訳官に昇任
  明治六年六月
  再来日
  明治十六年二月
  領事館官房書記官
  後、
  代理公使
  横浜代理領事
  1等官房書記官
  上海総領事代理などを歴任
  同二十九年七月十日離日
  「日本考古学覚書(1879)」
  「アイヌ民族研究(1881)」
  を書き、
  「考古説略」を著作
  ・・・1908年8月11日死去・56歳
 シーボルトと、その「長男・次男」、特に「次男」の履歴、業績の重なりだろう・・・
 ・・・「現存・古事記」・・・?
ーーーーー
 ・・・モウソウはツキナイけれど・・・茹でナシを食べた・・・湯 掻(ゆが)いてナシを食べた・・・

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平方根・立方根・・・兵法魂・律法魂・・・

2016-09-22 22:22:58 | 古事記字源

・・・お彼岸ですか、「西暦2016年09月22日木曜日」・・・干支で「33 丙申(己壬庚)年・34 丁酉(庚辛)月・44 丁未(丁乙己)日」・・・取り敢えず「野球(日ハム)」は勝って首位・・・「陽岱鋼・生1987年1月17日(丙寅(己丙甲)・辛丑(癸辛己=(正官・正財・傷官)・丙寅(己丙甲)-戌亥」も恰好イイ、「岱鋼、俺もしびれたが、選手もしびれていた(栗山監督)」・・・後は「道産子ファンの根性」であるカナ?・・・でも出身は東京の「栗山英樹監督・背番号46-4-80・生1961年4月26日(辛丑(癸辛己)・壬辰(乙癸戊=偏官・偏財・劫財)・己丑(癸辛己)-午未)」、「メニエール症・・・めまい・耳鳴り・難聴」の疾患・・・「熱中先生国際派」、「伝える。言葉より強い武器はない」、「大学講師・大学助教授・大学教授」・・・そうですか・・・
ーーーーー
 ・・・「道産子ファンの根性」・・・「根性」です・・・
 ↓↑
「√=平方根」・・・平らな方の根(平等法の根)よりも、
         「立方根」かも・・・他(多)通、法の根?
                   絶つ法の根?
          立方根=3乗してaになる数のaに対する称
              64の「立方根」は4
              「三乗根」とも・・・
              立法根・律法根?
              纂状混?
 ↓↑
 もしかして「小泉八雲」が絡んでいるカモ・・・?
 ↓↑
 平方根記号=根号(radical symbol)
 「√」 の用例
 ドイツの数学者
 クリストッフ・ルドル
 による
 1525年の著作
  "Coss"(『代数』 )が最初
 ラテン語の
 radix(根、根源の意)
 英語の
 rootの頭文字
 ↓↑
 「√」
 上に横棒を引くのは
 1637年
 ルネ・デカルト
 による
 イタリア系では
 ヴィエト
 ボムベッリ
 などは
 R
 や
 それに近い形の記号を根号としていた
 イギリス系では
 latus(正方形の一辺)の意
 英語の
 side に相当
  l・・・「l(アイ)」は9番・・・・愛・哀・合
  L・・・「L(エル)」は12番・・・・重留・選留・得留
 が使われた
 ↓↑
 √2=1.4142125・・・・(1.4142 125)²
             一夜一夜に人見頃
 √3=1.7320508・・・・(1.7320 508)²
             人並みに奢れや女子
 √5=2.2360679・・・・(2.2360 679)²
             富士山麓鸚鵡鳴く
 √6=2.4494897・・・・・ツヨシ串焼くな
 √7=2.64575・・・・・・菜に虫来ない
 √8=2√=2.828427・・・・ニヤニヤ呼ぶな
 √10=3.162277・・・・・父さん一郎兄さん
 ↓↑
 ルートの中の数字を
 素数で割り切れなくなるまで割る
 平方根の計算
 2乗でルートが外せる
 √9=√3x√3=(√3)²=3
  (√3)×(√3)=3
 ・・・「幾何学」の産物・・・
 直角三角形(30°、60°、90°)の辺の比=「1:√3:2」
 二等辺三角形(45°、45°、90°)の辺の比=「1:1:√2」・・・
ーーーーー
 ・・・「平方根」は「二乗・事情・自浄・治定・自乗」の「平(等)法の根(今・困・金・混・恨・艮・坤・魂)」の「字状」・・・
 豊洲も、政治屋も、官僚も・・・「立方根(リッポウコン・たつ-ほう-の-ね)」?・・・「絶つ法の根」・・・

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スリこぎボウで、「ジコカイボウ」・・・ムリかも・・・

2016-09-20 19:41:58 | 古事記字源

 ・・・「コトバ」を「カネ」にカエル、錬金術師なんだか、啓蒙主義者(?)も「カネの世の中」・・・当然ではあるカナ、「クウキ」も「ミズ」もカネ次第だが、クルシイかな・・・「連木(レンぎ・擂りこぎ棒=すりこぎぼう)で腹を切る」のは・・・擂り潰す棒だから、切腹はムリだが、包丁で切り刻んだ後は自分自身の履歴を擂り潰して「自己解剖」すれば、「他人を批判・批難するコト」は到底出来ないし、云えないが、セップクのアトでは「自己解剖」はムリか・・・倫理的にも、道徳的にも、法律的にもネッ・・・生きている存在としてはタダ、タダ「ハンセイするノミ」・・・エゴな逃げ道もある、「ニッキ」・・・ダレがナニを云おうとも・・・「日記」だが・・・で、何の為の「日記」なんだか・・・「コウカイニッキ」ってのもフシギである・・・モモちゃんにヨんではキかせるが、「ナニイッテンのかニャァ~、それよりも夕飯はまだニャン」・・・
 で、「連木」は「レンモク」ではなく、「レンぎ」で、「擂りこぎ棒」・・・「連木=レンギ=連記」だろう・・・「擂(す)る」も、ナゼ、「擂(ライ)=扌(手)+雷(雨田)=異体字は攂(扌田田田)・𢹮(扌田田田土)・𢺢(扌田田田糸)」なんだか・・・「石うすをゴロゴロと転がして、穀物をスリつぶす・ゴリゴリと鑢(やすり)で砥(と)ぐコト・ドンドン、ドロンドロンと太鼓を叩(たた)く・ポカポカと殴(なぐ)る」ですか・・・「雷」の太鼓の音には納得だが、「擂(扌(手)+雷)」が「ゴマスリの音」と類似しているからなのか・・・「擂鉢(すりばち)・擂粉木(すりこぎ)」・「胡麻(ゴマ)を擂る」・・・「擂鼓(ライコ)」は太鼓を叩く、打つ・・・「刷る・掏る・摺る・磨る・擦る・掏る・擂る・擦る・刷る」・・・胡麻味噌を擂(す)る・・・脳ミソをスる・・・?・・・「擂潰機 ライカイキ・mortar machine」・・・すり鉢も、スリこぎ棒も一般的には薬剤師(本草医・本草醫)、「漢方・蘭学」の医(醫)者の道具である・・・
 旧字体の「醫(異体字=臆・毉・醷・医・億)」は「医+殳+酉」で「殹(エイ)」は「殴(なぐ)る」に類字であるが、「病を治す工(たくみ・匠)なり(王育の説・説文)」で、「殹は醜い姿のことでそれが医の本性であり、醫酒で有り、古は巫彭が初めて醫を作る(周禮)、酒を薬として巫は使ったので酉(坩・壺・壷)に従う」・・・「殹が醜(みにく)い姿」ではないだろう・・・「医=匚+矢(ノ一+一+人)」で、「矢」は「メス(オランダ語のmes・英語のスカルペル (scalpel)・ランセット(lancet)=scalpela surgical knife・手術用の小型ナイフ)」・・・「矢先(△)」の「メス」である・・・
 以前にも同じ様なものを「ブログ検索」して貼り付けたけれど・・・以下も、ドウヨウ・・・
 ↓↑
ーーーーー
 漢語の造語
 新漢語
 「科学・哲学・郵便・野球」など
 幕末以前
 独自の和製漢語を造った
 漢字で表記した大和言葉を音読したもの
 「火のこと」を「火事」、
 「おほね」を「大根」、
 「腹を立てる」を「立腹」
 中国語にない
 日本特有の概念や制度、物
 漢語造語法
 「介錯・芸者」など
 ↓↑
 幕末以後
 19世紀後半
 西洋の文物・概念を
 漢語によって翻訳した
 和製漢語が多く作られた
 「新漢語」と呼ぶ
 新漢語の割合は
 漢語全体から多くはない
 第二次世界大戦後の調査によれば、
 新聞・雑誌の
 二字漢語の上位
 1000語のうち、
 902語は幕末までに存在したもの
 ↓↑
 「科学・哲学・郵便・野球」
 「自由・観念・福祉・革命」
 など、古くからある漢語に
 新しい意味を与えて転用・再生した語
 近代以降は、
 「・・・性」、「・・・制」、「・・・的」、
 「・・・法」、「・・・力」、「超・・・ - 」
 などの接辞による造語
 ↓↑
 和製漢語
 近代以降、
 中国に逆輸出
 中国が近代化を遂げる過程で、
 特に日清・日露戦争前後に、
 中国人留学生によって
 日本語の書物が多く翻訳された
 中国語になった和製漢語
 「意識・右翼・運動・階級・共産主義
  共和・左翼・失恋・進化・接吻
  唯物論」
 など
 「中華人民共和国」の「人民・共和国」
 も和製漢語
 漢字文化圏である
 台湾、大韓民国、ベトナムで
 和製漢語を自国語漢字音で取り入れている
 ↓↑
 幕末以降の和製漢語の例
 文化、文明、民族、思想、法律
 経済、資本、階級、分配
 宗教、哲学、理性、感性
 意識、主観、客観
 科学、物理、化学
 分子、原子、質量、固体
 時間、空間、理論
 文学、美術、喜劇、悲劇
 社会主義、共産主義
 など。
 東北アジア各国で使われる漢字でできた
 近代的な概念語の大半が日本製・・・
 1860年代半ば
 清で翻訳された国際法解説書
 『万国公法』
 が幕末の日本にもたらされた際に、
 「国際法・政治・法学」関連
 の概念を表す
 中国製新漢語も多数日本語にもたらされた
 ↓↑
 「万国公法」
 により日本にもたらされた
 華製新漢語
 国債、特権、平時、戦時、民主、野蛮、越権
 慣行、共用、私権、実権、主権、上告、例外
 など。
 日本語から中国語に取り入れられた新漢語の中には、
 各種英華辞典や漢訳洋書を参照して
 日本で広まったが中国では一旦忘れられ、
 もう一度中国に
 逆輸入されたものが多数含まれている
 ↓↑
 和製漢語に関する見解
 高島俊男は、
 『漢字と日本人』
 江戸時代以前に成立した
 「三味線」
 などは耳で聞いて意味が明確である。
 一方で、
 明治以降に造語された
 「真理」などは
 「心理」、「審理」、「心裡」と紛らわしい。
 明治以降に造語された
 和製漢語は中国人が見ても
 文字から意味が推測できるのに対して、
 江戸時代以前の和製漢語は
 非常に困難である
 「世話」は「世の中の話」という意味ではなく、
 「無茶」は「お茶が無い」という意味ではない
 ↓↑
 カタカナ語
 わかりにくい片仮名外来語を
 わかりやすくするため、
 和製漢語などによる言い換え提案
 同音異義語の問題を大きくしてしまうと指摘
 和製漢語は
 中国文化が浸透していた時代に合っていた方法なのであって、
 現在の日本はアメリカ文化が浸透しているのだから、
 片仮名の外来語のままにしておいて
 意味の定着を待つべき・・・
 ↓↑
 中国での賛否
 和製漢語の語彙は
 明治維新以後、
 中国人留学生らによって、
 中国に逆輸入された
 「社会主義・共産党・幹部」
 などの常用語を筆頭に、800語を超える・・・
 日本人により作られた
 大量の漢語が中国のなかに入った
 「経済学」を「計学」、
 「物理学」を「格致学」、
 「社会学」を「群学」、
 「形而上学」を「玄学」
 と主張・・・
 日本に留学していた
 留学生の
 彭文祖は強烈な反対派
 彭は
 1915年
 『めくらがめくら馬に乗る新語論』
 (中国語名:盲人瞎馬新名詞)
 という書籍のなかで、
 「支那、取締、取消、引渡、手續、目的、
  宗旨、權利、義務、代價、法人、當事者、
  第三者、強制執行、親屬、繼承、文憑、
  盲從、同化、場合、衛生」
 など
 59個の新語を
 「きてれつな」
 と定義した
 中国人がこのような新語を援用することは
 「恥知らずな行為だ」、
 日本からの新語の導入は
 「亡国滅族」だと罵った・・・
 ↓↑
 和製漢語を作った人物
 杉田玄白 (1733-1817) - 『解体新書』にて
 市川清流(1824-未詳)- 博物館
 西周 (1829-1897)
 福澤諭吉 (1835-1901)
 福地桜痴 (1841-1906)
 中江兆民 (1847-1901)
 森鴎外 (1862-1922)
 夏目漱石 (1867-1916)
 ↓↑
 国字
 峠=とうげ
 辻=つじ
 笹=ささ・字訓「ささ」は本来「篠(しの)」で表記
 榊=さかき
 腺=せん
 栃=とち・「櫔」の略字の変形
 畠=はたけ・国字でない可能性
      ・独自に「ハク」と音読する場合あり
 畑=はたけ
 匂=にお(う)・にお(い)
 凪=なぎ・な(ぐ)
 凧=たこ
 俣=また・中国の漢詩に
     「俁」の異体字
 枠=わく・椊(ソツ・スイ、ほぞ)は別字
 込=こ(む)・こ(める)
 躾=しつ(ける)・しつけ
 働=はたら(く)・どう・中国語では「動(动)」を使用
 搾=しぼ(る)
   さく「榨」の異体字・国字とは言い難い
 錻=ぶりき・ぶ
   「錻力」でも「ぶりき」
 襷=たすき・国字でない可能性
 辷=すべ(る)
 糀=こうじ
 樫=かし
 鱈=たら
 萩=はぎ
 ↓↑
 明六社
 アメリカ帰りの
 森有礼が
 西村茂樹に相談して設立した結社
 社名は
 明治六年(1873年)に結成されたことに因む
 設立目的
 社を設立するの趣旨は、
 我国の教育を進めんがために有志の徒会同して、
 その手段を商議するにあり。
 また、
 同志集会して異見を公刊し、
 知を広め識を明にするにあり。
 (明六社制規第1条)、
 明治7年2月
 民衆を啓蒙するために設立された団体
 明治日本にとって最大の目標は、
 富国強兵を実現し西欧列強に互すること
 技術や人(お雇い外国人)、
 制度を移入することで
 明治維新が進められたが、
 人間という中身も変革(民心の一新)
 することを目指す啓蒙思想
 「文明国」という「世界標準」に追いつくためには、
 民衆を
 「文明国」的「国民」へと改鋳すべき・・・
 この啓蒙家が集まったのが
 明六社であった
 明六社の核となった同人
 森、
 西村に誘われて
 津田真道、
 西周、
 中村正直、
 加藤弘之、
 箕作秋坪、
 福澤諭吉、
 杉亨二、
 箕作麟祥
 など、
 かれらは
 西村以外は
 下級武士
 下層出身者
 明治以前から洋学者
 幕府の開成所などに召し抱えられていた
 その多くが
 幕末明治期かに
 洋行の経験
 尊皇攘夷思想に染まった経験がなかった
 福澤を除けば、
 明治以後は維新政府の官吏になった
 ↓↑
 啓蒙するための手段として選択したのが
 定例演説会と
 雑誌発行
 定例演説会で
 個別のテーマについて意見交換し、
 それを基に筆記したものが
 『明六雑誌』に掲載された
 この「演説」ということばは
 福澤がスピーチにあてた訳語・・・
 ↓↑
 『明六雑誌』の刊行
 『明六雑誌』には幾つか異本が有る
 タイトルは「明六雑誌」で知られているが、
 本文1頁には「明六社雑誌」と表記
 大きさも
 B6版相当のものと
 A5版相当のもの
 の二種類
 様々な問題を提起し、
 知識を紹介して人々の関心を高めること自体が目的
 演説会・雑誌という
 当時目新しかった情報伝達手段、それ自体が関心を引いた
 ↓↑
 扱う範囲は
 総合学術誌を目指した
 学者のあり方から
 妾の是非(男女同権論等)、
 哲学や信教の自由などの宗教論、
 文字改良論などの教育論、
 死刑廃止論
 等の社会問題関連、
 貨幣・貿易等の経済諸問題、
 はては妖怪の類まで、
 常に広きにわたる論説・翻訳を扱っている
 ただ文学に関してだけは論説が少ない
 西周
 が「知説(第25号)」
 で文学用語を紹介する程度である。
 ↓↑
 掲載論説の
 総数は156本
 津田真道29本、
 西周25本、
 阪谷素20本
 杉享二13本、
 森有礼と西村茂樹、中村正直が11本、
 加藤弘之が10本、
 神田孝平が9本、
 箕作麟祥5本、
 柏原孝明4本、
 福澤諭吉3本、
 清水卯三郎2本
 箕作秋坪と津田仙、柴田昌吉が各1本
 掲載されたものは明六社同人のものに限られていた
 ↓↑
 『明六雑誌』の特徴
 制度的改革
 欧米の諸制度・思想を紹介
 それを文明国標準とする一方で、
 旧来既存の
 日本の考え方や制度に批判を
 津田真道の「拷問論」で
 容疑者の取り調べには
 拷問が認められているが、
 文明国では認められていないもので、
 司法への不信や冤罪を生じさせる
 悪風だと論じている
 ↓↑
 国民の考え方、気風を変えるべき
 中村正直の「人民の性質を改造する説(第30号)」、
 西周の「国民気風論(第32号)」
 日本人の気風には
 専制政治を甘んじて受ける
 「奴隷根情」が見うけられ、
 幕末まで美点とされてきた
 「忠諒易直(心根が真っ直ぐであること)」は、
 鎖国を国是としない明治の世では
 「無気無力」の別名に過ぎない
 「individual」
 「individuality」
 という語彙に触発
 このことばには「個人」という訳語が定着しているが、
 当時は未だ定まった訳語はなかった。
 自由独立な権利の主体という概念が
 それまでの日本には無かった
 『明六雑誌』では
 「人々」・「個々人々」(以上西周)、
 「各個」・「人民各個」(以上西村茂樹)
 という訳語が当てられた
 ↓↑
 人間観の転換
 「忠諒易直」=「無気無力」
 江戸時代に体制教学であった
 朱子学は
 人間の欲望充足・利害への関心に厳しい抑制を求めていた
 『明六雑誌』の啓蒙主義は、
 迷信や因習に縛られない
 自由で合理的な精神を追求し、
 欲望や利害に関し肯定的な功利主義
 津田真道は「情欲論(第34号)」において
 情欲を「天性の自然」と肯定し、
 西周「人世三宝論(第38号他)」では
 健康と智識と並んで
 「富有」を宝だと述べた
 ↓↑
 啓蒙思想の源泉
 掲載された翻訳の中にその
 源泉
 雑誌に掲載されたのは
 全156本中
 16本が翻訳
 中村正直が7本を占めている
 翻訳
 ベーコン、
 トマス・ホッブス、
 スペンサー、
 ブルンチュリ、
 ヘンリー・バックル
 などであった。
 ↓↑
 学者職分論争
 福澤が『明六雑誌』の外から提起した
 福澤の代表作
 『学問のすすめ』第4篇において、
 学者とは官職に就くべきでなく、野にあるべき
 啓蒙の目的の一つは
 民衆の無気力
 権力への卑屈さを克服することにある
 それらは専制政府によってもたらされる
 啓蒙を行おうとすれば、
 官途にあってはできない
 在官学者を
 「恰〔あたか〕も娼妓の客に媚るが如し」
 批判
 ↓↑
 加藤、森、津田、西
 ら在官組が反論
 福澤も他の同人も基本的に官民協調論
 自由民権運動の初期
 1874年
 板垣退助は民撰議院設立建白書を政府に提出
 明六社内でも議論
 加藤弘之
 の
 民撰議院時期尚早論(「民撰議院不可立の論」第4号)
 加藤は議院そのものには反対しないものの、
 国民のレヴェルが
 議院を必要とするほど発展していないと断じ、
 啓蒙を通じて文明化を図り、
 その上で議院制度を導入しようと主張
 森有礼や西周、中村正直、阪谷素、神田孝平
 もこれに同調
 西村茂樹は国民が「半開」(文明と野蛮の中間)
 にあるから時期尚早というのは理由にできない、
 むしろ議院を設立することで
 民衆を「文明」へと導くべきと主張
 民撰議院を設立することに積極的な賛成を表明
 民撰議院設立自体を啓蒙の契機と見なす立場
 議院賛成派は
 西村の他、津田真道、福澤
 時期尚早論に対し、
 馬城臺二郎(大井憲太郎)
 が東京日日新聞に反論を掲載
 馬城は
 「三権分立」で理論武装した上で、
 藩閥政治を打破するためには、
 まず民撰議院設立が必要
 これに対し
 加藤は「半開」の国家で議院を設立しても
 「有司専制」(官僚独裁)に陥るだけ
 と慎重
 ↓↑
 妻妾論論争
 森の「妻妾論(第8号他)」
 男女観・結婚観も西欧を基準
 「妻妾論」の根底には
 一夫一婦制が自然
 「妻妾論」では
 夫婦は必ず平等であるべき
 家父長専制は文明に悖る、
 女性には家庭内の要である
 妻としての役割、
 教育を担う母としての役割があって、
 それを尊重すべきとした
 役割論に基礎を置いた
 夫婦平等がその内容
 森の夫婦同等論
 夫婦同権論にまで踏み込むものでは無かった
 ↓↑
 加藤は「夫婦同権の流弊論(第31号)」
 西欧のレディファーストの慣習を取り上げ、
 これを東洋の人が真似るのは
 夫婦同権の行き過ぎた結果だと批判し、
 婦権拡張に極めて冷淡
 その点津田も変わりない
 加藤らは婦権拡張にも批判的で、
 婦人参政権を批判し、
 加藤は少年・凶人・犯罪者・極貧者と並んで
 婦人に選挙権を
 与えないことを「正理」とした
 ↓↑
「妻妾論論争」
 夫婦間の私的な空間における
 男女平等については積極的な問題提起
 公的な空間における政治的・社会的な
 男女同権については消極的姿勢に甘んじた
 1882年(明治15年)には
 妾という存在は少なくとも
 法的には認められないものとなった
 ↓↑
 国語国字論争
 自国の言語をどう表記するか
 国語国字問題は、
 文明開化を推進するにあたって、
 遅れた文明とされた
 東洋文明から離脱し、
 西洋文明に仲間入りする方法の一つとして論じられた
 中国文明の影響を脱すること、
 文字を簡単にして
 読めない人を無くし
 文明化をはたすというのが、
 その理由であった。
 明六社誕生以前に
 前島密
 が漢字を廃止し、
 平仮名を英語のように
 分かち書きにすることを提唱
 『明六雑誌』創刊号に掲載された
 西周
 の「洋字を以て国語を書するの論」は、
 より過激であった。
 漢字どころか
 仮名文字も廃し、
 「洋字」、
 すなわち
 アルファベットを用いた
 ローマ字で
 日本語を表記すべきと主張
 西欧言語習得が簡単になること、
 翻訳の際、
 西欧学問の用語をそのまま、
 つまり適切な訳語を作る苦労無しに、
 移入できることを理由とした。
 ↓↑
 西村茂樹は同じ号で、
 表記をどうするかは
 開化が進めば論ずればよく、
 今は教育などを優先すべきと反論
 清水卯三郎
 は、
 前島密と同様
 平仮名を用いるべきとの論説を発表した(第七号)
 仮名文字表記論の方は
 清水が、
 大槻文彦らと
 1883年(明治16年)に
 「かなのくあい(かなの会)」を設立
 精力的に運動を展開
 ローマ字表記論
 は
 1884年(明治17年)
 「ローマ字会」が設立
 ↓↑
 明六社が発足してより約一年後、
 社長であった
 森有礼は
 『明六雑誌』の毎月の売れた部数は
 平均3205冊
 ↓↑
 定着した新語彙のうちのいくつかは、
 その後
 東アジアにおとずれた
 日本ブームによって、
 隣国の中国や朝鮮にも伝播
 「社会」などは
 元々南宋の書『近思録』(朱子・呂祖謙共同編集)に
 登場する語彙であるから、
 装いも新たに大陸に逆輸入された
 『明六雑誌』の影響は
 日本国内に留まるものではなく、
 周辺諸国にも及んだ
 ↓↑
 『明六雑誌』
 讒謗律と新聞紙条例
 自由民権運動が高まると、
 それを苦々しく思っていた
 薩長藩閥政府は
 メディア統制を試み、
 さきの二つの条例を出した
 新聞や雑誌を発行する場合、
 必ず内務省に届け出て許可
 掲載する記事・論説に書いた
 人間の署名をつけること
 義務づけ
 太政官から官吏たるものは
 官報公告以外のメディアに
 政務についてコメントしてはならないという通達
 ↓↑
 発起人であった
 森有礼
 は明六社を純粋に学術的な啓蒙団体として構想し、
 また第30号で
 「時の政事に係はりて論するか如きは
  本来吾社開会の主意に非す」
 と言うように、
 非政治的であることを旨とした
 自由民権運動についての論説が掲載
 各種新聞で多くの反響を呼び、
 植木枝盛のような熱狂的な支持者
 第30号での森の発言自体、
 政治的な性格を帯びてきたことへの
 危惧の念の表明だった
 福澤諭吉
 は「学者職分論」以来、
 官/民の立場の違いに意識的であり続けた
 1875年9月
 箕作秋坪や福澤の停刊提案
 第43号で停刊中絶
 森、津田真道、西周
 らは刊行継続を唱えた
 明六会と名を変え、
 親睦会的な内輪の会合となった
 ↓↑
 足かけ二年で停刊
 民撰議院設立論争
 女性問題
 国語国字問題
ーーーーー
 ・・・ゼェ~ブ、「引用」だが・・・ナニか問題でも・・・アルの?・・・「著作権問題」・・・

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ミズモノのヒトビトは忙しい・・・

2016-09-20 10:01:23 | 古事記字源

 ・・・「霜注意報」発表・・・アシタ20日の朝、霜降り・・・「霜=雨+木+目=しも・としつき・ソウ・霜害・降霜・晩霜・霜雪・星霜・白いもの・冷たいもの・厳しいも・霜鬢 (ソウビン)・秋霜・樹霜・風霜・霜柱・露霜・初霜・氷点下の地面や地上の物体に、空気中の水蒸気が触れてできる氷の結晶・晴れた夜に出来やすい」・・・「星霜(セイソウ)=星は1年に天を1周し、霜は毎年降るところから・セイゾウ・としつき=歳月=幾星霜を経る・苦労を経た上での長い年月・秋霜烈日(シュウソウレツジツ)・霜焼(しもや)け・霜花店(さんふぁじょむ)・霜取り・杏仁霜(アンニンソウ)・七百星霜一夢」・・・なんで、「霜(しも)=雨+相(木目)」と訓読みにしたんだか?・・・「憂想(ウソウ)」?・・・世の中、イイ加減での中で損得生活をしているらしい・・・スゴイね「豊洲(1937年・昭和12年7月に命名)」・・・「鮮魚市場」・・・「いちばんきれいな水」・・・「H2O」・・・

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ケリをつけたい・・・無理素得・・・・・・豊臣・豊後・豊洲・・・イテン・・・

2016-09-19 11:41:29 | 古事記字源

 ・・・「鳧=鳬(けり・フ)=鳥+几」、今夜(9月18日)の「ダーウィンが来た」・・・生きるってスゴイけれど、「ケリ(鳧=計里=水札)」、どうして「けり=計里=水札」の当て字なんだか?・・・「水札(みずふだ・みずさね・スイサツ)」だろう・・・「推察(スイサツ)」の示唆か?・・・ブログ記事で検索していたら、「イソ・ラブ=iso labo(いろはかるた一覧(江戸・京都・大阪 編)http://iso-labo.com/labo/iroha.html」さんの記事に、「良薬は口に苦し」はもともとは慣用仮名遣いの「れうやく」、「れ」の「札」だったが(字音仮名遣いでは「りやうやく」)、現代仮名遣いの「りょうやく」、「り」の「札」に配置変更され、元の「り」の札、「律義者の子だくさん」が不採用となった」とあった。「良薬(れうやく)は口に苦し(江戸)・連木(れんぎ)で腹切る(京都)・連木(れんぎ)で腹切る(名古屋・大坂)」・・・「例得訳」・・・これって、「水札(けり)の札(ふだ・サツ)」に関係あるのかな?・・・「札幌・札束」の「札」だけれど・・・類字は「礼儀・礼記=禮記(ライキ)」の「礼(レイ・ライ)=禮=示+豊(豐)」だが・・・豊後=ブンゴ=文語・・・「水を得た魚=三顧の礼を尽くして諸葛公明を迎えた劉備が、彼らの交際に不満を募らせる関羽や張飛に対して言った言葉=「狐の孔明、有るは、猶、魚の水有るがごときなり。願わくは諸君復言うこと勿れ(三国志)」・・・ナゼ「狐(コ)」が「きつね」なんだか・・・「狐=自分・己・私」・・・それに「狐=犭+瓜(うり)」で、「犭」の「爪(つめ)」ではないし、「瓜坊(体形や毛色がギンマクワウリに似ている)」は「猪の子」である・・・
 「ダーウィンが来た」の「鳧=鳬(けり・フ)=鳥+几」もスゴイけれど、「スペシャル・完全解剖・ティラノサウルス~最強恐竜進化の謎~」もスゴかった・・・デモ、現物が「化石」での「仮説」だから「謎」で「?」だろう・・・
  ↓↑
 「ティラノサウルス(学名=genus Tyrannosaurus)・約6,850万~約6,550万年前(中生代白亜紀末期マストリヒシアン)の北アメリカ大陸に生息・肉食恐竜・他にティランノサウルス、チラノサウルス、タイラノサウルス」・・・「サウル-ス」ですか・・・ナゼ、「巨大」になったのか?・・・「恐竜時代の地球の重力が軽かった」と妄想するのはボクだけれど、生物が「小型化」されたのは「彗星の衝突で地球の重力が増えた」?・・・くじら(鯨・鯢)が巨大で海で棲息しているのは「浮揚力」のおかげだろう・・・?・・・
  ↓↑
 「Tyrannosaurus」
 古代ギリシア語で
 「τύραννος(テュランノス)=暴君」
        +
 「σαῦρος (サウロス)=とかげ(蜥蜴)」
 の合成語で
 「暴君の爬虫類」・・・「サウロ=サウル」は
             旧約聖書のイスラエルの初代王
 本属に属する
 「Tyrannosaurus rex」
 の名でも通用
 「rex」はラテン語の「王」、「皇・帝」
 「タイラのサウルス」・・・・「平の王」=「平将門」?
 「暴君竜」は漢訳
 中国語では
 「暴龙・霸王龙
 (baolong・bawanglong=バォロン・バワンロン)
 「龙=龍・竜の簡体字」・・・
 類字は「尤(もっとも・ユウ・ユ)」・・・
  ↓↑
 恐竜は遺伝子分析で「鳥類」と同類
  ↓↑
 ・・・また「鳬=鳧」がトンでしまった・・・カラ手で「ケリ」を入れるのも、つけるのも難しい・・・
  ↓↑
 強調=詠嘆
 動詞「く(来)」の連用形に
 動詞「あり」の付いた「きあり」の音変化
 ・・・「句あり」、「記(基)に有り」だろう・・・?
 ・・・カエル(蛙)のゲロゲロ(解賂化鷺→サギ)・・・?
 動詞・助動詞の連用形に付く・・・蓮用・・・蓮坊?
                 連用・・・連旁?
 過去形?
 現在完了形?=過去に起こった事柄が~現在にまで
        継続してきていることを表す
 ・・・「日本語」の古文も、「英語」も「不可解」になるのはどうしてか?・・・「文法」自体が明治の新概念であるからダロウもケリがつかないのカナ・・・?
  ↓↑
 「超キケン!里山の暴れんぼう鳥、
  鳬(ケリ・計里・水札)」
 「ケリは、鳶(トビ・鵄・鴟・鵈」、
 飛んで「訳備(とビ)」、
 「カラスは、(烏・鴉・雅・香良洲)」、
 帰化で「机下(キカ)」、
 「ヘビは、蛇(へび・它・蝮・吐生・羽生・埴生・遠呂知)」、
 邪(よこしま)で「横島」、「邪靡堆・邪馬臺・阿毎」
 ヒト(人)にまで
 襲(おそい・かさね・累子・重音・加佐根)掛かる、
 熊襲か、襲(かさねる)染め物か・・・
  ↓↑
 「近づくものには何にでも襲いかかるケリ。トビやカラスに対しては高い飛行能力を生かして派手な空中戦を繰り広げ、必殺技“翼スイング”で追い払う。人間が農作業のため近づいても、恐れることなく向かっていく。さらにヒナを狙う恐ろしいアオダイショウ(青大将)には体当たり!なぜこれほど攻撃的なのか?そこには、田圃(たんぼ)で命をつなぐための秘密が隠されていた」
  ↓↑
 「ケリをつける」=「かたをつける」・・「かた」は「片・縣・潟・偏」=不完全」・・・「ケリをつける」・・「けり」は短歌、俳句の末尾を結ぶ「~けり」・・・「物事の決着」、「けりをつける」・・・「蹴り」を入れる・・・「化理(ケリ)」だろう・・・
  ↓↑
 「けり(鳬)」は「しぎ(鴫)」に似た水鳥・・・
 「断鶴続鳧」=「自然に手を加え破壊、自然を損なうこと」
 「鳧(けり)」は「鴨(かも)」のこと?・・・ではない。「鴨はカモ」である・・・が、「鶴の足が長いからといって短く切り、鴨の足が短いからといってつぎ足して長くする」・・・「物事は自然のままが一番」・・・「鶴(カク)を断ちて鳧(フ)に続く(荘子・駢拇(ベンボ)」・・・「駢拇=役に立たないもののたとえ・足の親指と人差し指がくっついて一つになっていること・枝指は手の親指が枝分かれして、親指の隣に六本目の指があること(荘子・駢拇)」・・・
 「鳬・鳧」の
 類字は「凭(ヒョウ・よる・もたれる)」
 「凭」=任+几・・・任は、たよりにする几(肘付・肘掛)
           肘付にもたれかかる、よるの意味
           「几」は「机・つくえ・キ」
           よる・もたれる・よりかかる
           憑依=憑りつく
  ↓↑
 ケリ(鳧、計里、水札・学名はVanellus cinereus)
 チドリ目チドリ科タゲリ属に分類される鳥類
 雌雄同色
 くちばし(嘴・喙・噣・咮・觜)は短く
 黄色で先端が黒い
 足は長くて黄色・・・足が長い・・・足が短いのは鴨
 目は赤橙色で黄色のアイリングがある
 嘴の付け根には黄色い
 肉垂(にくだれ・ジクスイ)がある
 翼の小翼羽付近には爪があり、
 爪の大きさや色から雌雄の識別できる
 成鳥の
 夏羽は
 頭部から胸上部が
 灰青色
 体上面は灰褐色
 体下面は白い
 胸上部と体下面の境目には
 黒い胸帯がある
 翼は先の方が黒く、
 基半部は白色と灰褐色
 尾は
 白色で黒い帯
 冬羽は
 頭部からの
 灰青色がやや褐色を帯びる
 雛は淡褐色の綿羽に覆われ
 若鳥は頭部からの胸部にかけて
 灰色でやや褐色
 胸帯は薄い
 目は褐色で、
 アイリング・肉垂とも小さい
ーーーーー
 ・・・恐竜の化石の次のTVは「ハリネズミホテル」の「針鼠」・・・「禿ねずみ」・・・豊臣・豊後・豊洲・・・

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