・・・前回は「平・平氏・平家」に触れたが・・・桓武平家・・・清和源氏・・・清和天皇(水尾天皇・貞観帝)、嘉祥三年三月二十五日(850年5月10日)~元慶四年十二月四日(881年1月7日)は、第五十六代天皇。在位は天安二年十一月七日(858年12月15日)~貞観十八年十一月二十九日(876年12月18日)、諱は惟仁(これひと)、文徳天皇の第四子、九歳で天皇位・・・棲霞観で発病、「粟田の円覚寺」に移され、崩御・・・
「源」・・・「源氏」は「源家」とは云わない・・・ナゼなんだか・・・「源=氵(水)+原」
↓↑
ミズのハラ
はらから=同胞(ドウホウ)
胎児・・・源児(氏)
・・・源=氵(水)+原
原=厂+白+亅+八
沼地=葦原・湿原・泥炭地
沼地=渟
天-渟-中原瀛-真人
(あまの-ぬ-なはらおきのまひと)
渟=たたえる
水がたまる
水たまり
たたえる
湛える=溢れる
讃える・称える
多々える
↓↑
湖沼
とまる・とどまる・とどめる
ジョウ・ヂャウ・テイ・イィ
茅渟(ちぬ)=海鯽=黒鯛
木国=(きのくに=紀国)
茅渟=和泉と淡路の海峡の古名
母木邑=神武即位前戌午年
「初 孔舎衙之戦、
有人隠於大樹而得免難、
仍指其樹日、
恩如母、
時人因号
其地、日、母木邑、
今云、飫悶迺奇(おものき)
訛也
(日本書紀
五月丙寅朔癸酉
五瀬命)」
・・・「飫悶迺奇」とは哂っちゃう・・・
西から廻ってきた奇、
厭きるほどに煩悶、
もだえる・・・?
飫=飽きる・ヨウ・オ・ヨ
厭きる
阿伎留=あきる
安芸(藝)留=蕪木留
蕪木=かぶき=荒れ地の木
原野の草木
「渟」
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
渟名底仲媛命
渟名襲媛
渟名城入姫命
淳名城入姫命
渟名城稚姫命
沼名木之入日売命(古事記)
泥渟=泥水のたまった所・ぬかるみ
水の原野・沼地
胎児・・・対峙・太地・退治
・・・ホン-タイジ?
古くは「はらがら」
同じ母から生まれた兄弟姉妹
一般に兄弟姉妹
同じ国民・どうほう
更級日記
初瀬「はらからなる人は言ひ腹立てど、
ちごどもの親なるひとは」
同胞=ドウボウ
祖国を同じくする者同士
同じ国民
(fellow) countrymana compatriot
brethren, brothers
fellow countrymen
fellowman
ーーーーー
で、前々回、「南部藩の永根鉉」なる「書痴(筆写クレージー・crazy、or 読書マニア・mania)」を「司馬遼太郎」氏の著作「韃靼疾風録(下巻・1987年発行・中央公論社)」の部分を添付して書き込んだが・・・「永根鉉」とは何者かが不詳である・・・南部藩・・・
で、検索で見つけたモノは・・・「陸奥国盛岡城に藩庁を置いた藩。盛岡南部藩。文化年間に、盛岡藩に改称(南部領分呼称替え)される前は単に南部藩」・・・「後に八戸藩と七戸藩が分かれる」・・・
「甲斐源氏の流れを汲んだ南部氏の始祖・南部光行が、平泉の奥州藤原氏征討の功で現在の青森県八戸市に上陸し、現在の南部町 (青森県)相内地区に宿をとった。その後、奥州南部家の最初の城である平良崎城(現在の南部町立南部中学校旧校舎跡地)を築いた。後に現在の青森県三戸町に三戸城を築城し移転した」・・・「南部藩は江戸時代の250年間に76回もの飢饉があった」・・・関連して出てきたのが「寛永十年(1633年)3月、盛岡へ黒田騒動で筑前福岡藩家老・栗山利章(栗山大膳)が南部家御預り」、「安芸国の阿曽沼氏(あそぬまし)の断絶」であるが・・・
早稲田大学図書館所蔵のブログ検索では・・・
「康煕耕織図」を観れる・・・
↓↑
「永根 氷斎 - 古典籍総合データベース - 早稲田大学」
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%89i%8D%
AA+%95X%8D%D6
↓↑
永根鉉・・・「永根 氷斎」?
鉉(つる・ケン)=金+玄・・・金の玄(モト)
鼎(カナエ)を担ぐ道具
鼎の両耳に掛け渡しかつぐモノ
金属・玉などで造る
耳づる・つり鍋・つる(弦)
土瓶(どびん)、鉄瓶、鍋などの上に
半円状にわたしてある取っ手
枡(ます)の上に対角線状に渡してある
鉄の細い棒
ものを量るとき水平にならすモノ
弦掛け枡
土瓶、鉄瓶などの「handle」
古代の舉鼎器具
狀如 鉤、銅制、用以提鼎兩耳
比喩として
三公(三槐・三師)之類重臣=鼎自体の三脚で
両(兩・㒳)耳に掛ける
鉉では無い
一般的には三大臣とは
太師、太傅、太保
前漢の
平帝代、元始元年(1年)
幼くして
王莽らに擁立され即位した
平帝の補佐と教育のため
太師=教育師範、学問の先生
太傅=尚書の統括者、言付け係り
上奏を取り扱う役職・情報局
太保=体育係り・武芸、技芸係り
が置かれた
↓↑
永根鉉
康煕耕織図(コウキ コウショクズ)
焦 秉貞(ショウ, ヘイテイ)
永根 氷斎(1765~1838・ナガネ ヒョウサイ)
出版 地不明・出版者不明
康煕耕織図. 織
焦秉貞 画
永根鉉 題
文化四年(1807)跋
古典籍・農林水産~農業総記
織 第七圖 採桑
文化丁卯之秋 南部 永根鉉 題
↓↑
図七
世宗憲皇帝御製
清和天氣佳此(北?)戸採桑
急瀼々零露繁冉冉緑陰濕(しめる・しめす)郄柯(えだ)
學獠升落葚教兒拾昨摘満籠歸姑猶真(口真)不給
皇帝御製添和
聖祖仁皇帝原韻
墻(かき)畔青絛著雨滋繁陰初覆葉齊時春深
入繭蠶(かいこ)争邛(うえる)稚子携筐上緑枝
↓↑
「採桑」・・・「桑の葉の採種」・・・?養蚕の餌
↓↑
「実録
封建時代の歴代の政府が
編纂した編年体史料長編
南朝-梁周興嗣編纂・・・・南朝-梁周
の
「梁皇帝実録」に遡る・・・梁・・・「梁塵秘抄」?
「梁書」?
高粱(コウリャン)
一次史料が収録
その殆どが乱世で消失
現存しているのは、
「明実録」、
「清実録」のみ
↓↑
「明実録」は、
明太祖から
熹宗までの
13朝の実録
及び後人が補足した・・・・後人の補足
崇禎朝実録計2925巻を収録
太祖(タイソ)実録257巻
成祖(セイソ)実録130巻
仁宗(ジンソウ)実録10巻
宣宗(センソウ)実録115巻
英宗(エイソウ)実録361巻
憲宗(ケンソウ)実録293巻
孝宗(コウソウ)実録224巻
武宗(ブソウ)実録197巻
世宗(セイソウ)実録566巻
穆宗(ボクソウ)実録70巻
神宗(シンソウ)実録594巻
光宗(コウソウ)実録8巻
熹宗(キソウ)実録87巻
思宗(シソウ)実録17巻
・・・「祖(始・初)」と「宗(継・承)」の相違だが
いずれも死亡後の祀られた建物の
「廟号(ビョウゴウ)」で
生前の事績への人物評価の贈り名の
「諡号(シゴウ)」とは異なる
↓↑
「清実録」は、
清太祖から徳宗までの
11朝の実録
及び後人が補足した・・・・後人の補足
宣統政紀計4433巻を収録
↓↑
太祖実録10巻・・・・ヌルハチ(弩爾哈赤)
「永根鉉」が「盗写本」を出版?
太宗実録65巻・・・ホンタイジ(皇太極)
愛新覚羅-皇太極
応天興国弘徳彰武
?温仁聖睿孝敬敏
昭定隆道顕功文皇帝(文皇帝)
「永根鉉」が「盗写本」を出版?
世祖実録144巻
聖祖実録300巻・・・諱は玄菀(ゲンヨウ)
聖祖=康熙帝
諡号は合天弘運文武睿哲
恭倹寛裕孝敬誠信
功徳大成仁皇帝(仁皇帝)
元号康熙の「康熙帝」
世宗実録159巻
高宗実録1500巻・・・乾隆帝=太宗実録改竄者?
↓↑ (愛新覚羅-弘暦 位1735~1795年)
「四庫全書」編纂、その中には
アレクサンドリアの
エウクレイデス(Euclid)
「ユークリッド」の記載
紀元前3世紀?の
古代ギリシアの数学者・天文学者
「原論(ユークリッド原論)」
原論=「ストイケイア」
の著者・・・ゲンロン=言論・原論
↓↑
・・・「欧骨栗姪=ユークリッド」の
「原(はら)の論理」・・・?
「栗(くり)」は日本語の訓である
「栗」の音は「リツ・リ」である
・・・庫裏・庫裡→火中の栗を拾う、でアル
・・・日本では
1884年10月
アイザック・トドハンターの
『宥克立(ユークリッド)』が
長澤龜之助訳、川北朝鄰閲で
東京数理書院から出版(原著1862年)
「宥克立(ユークリッド)」
↓↑
「幾何学の父」
プトレマイオス1世治世下
(紀元前323年~283年)
アレクサンドリアで活躍
ユークリッド幾何学体系
少数の公理系から構築
他に光学、透視図法、
円錐曲線論、球面天文学、
誤謬推理論、図形分割論、
↓↑ 天秤なども著述
仁宗実録374巻
宣宗実録476巻
文宗実録356巻
穆宗実録374巻・・・穆宗=同治帝(愛新覚羅-載淳)
徳宗実録597巻
宣統政紀70巻
「明清実録(硬盤版)」は、
明-実録
清-実録
の26の実録
全文データー(4700万字)
画像(31万頁)の
2種類の形式で収録
ーーーーー
・・・「乾隆が、このホンタイジ記録の中の多くを削除し、入念に湮滅した」以前の(実録?)・・・その筆写本が、南部藩の「永根鉉」の手に入った。
「鉉もまた奇特な人物だった。
この人物の手で『実録』の採要が公刊された。
このため、この本は日本にのみ残った」
・・・「永根鉉」はダレかによって「盗写された太祖の『実録』の一部、『太祖実録』、『世祖実録』」を出版した・・・
ブログ検索で調べたが「永根鉉」は「永根 氷斎」の号らしいが、ボク的には資料不足で、先の「康煕耕織図」だけで、司馬遼太郎氏が調べた資料は見当たらなかった・・・きっと、彼の書斎の中に・・・
ーーーーー
付録
宣皇后(16世紀-1569年)
姓喜塔臘氏,名額穆齊(穆麟紱=Emeci・太清=Emeqi)
王杲(稻葉君山認為王杲就是阿古都督)長女
塔克世 妻
努爾哈赤 母
額穆齊 為 塔克世 嫡妻
1559年生 努爾哈赤
1564年生 舒爾哈齊
再生 雅爾哈齊
另 有一女 下嫁 噶哈善哈斯虎
順治五年(1648年)
清廷追尊 塔克世 為 顯祖 宣皇帝
額穆齊 為 宣皇后
↓↑
ーーーーー
ヌルハチ(弩爾哈赤
清の初代皇帝
称号は満洲語でゲンギェン・ハン
モンゴル語でクンドゥレン・ハーン
廟号は太祖
諡号は高皇帝
明の文献では童奴兒哈赤
佟奴兒哈赤
朝鮮の文献では老乙可赤
奴兒哈赤
清の文献では弩爾哈齊
弩爾哈奇
と記載・・・
ーーーーー
↓↑
皇太極(ホンタイジ)
清(後金)の第2代皇帝
称号は満州語でスレ・ハン(Sure han)
モンゴル語でセチェン・ハーン
皇太極(ホンタイジ)は皇太子、黄台吉とも表記
「ホンタイジ」=皇太子・王・福王
君主号の一種・・・・?
王朝 後金→清
在位期間
1626年10月20日・・・日本の
~ ↓↑
1643年9月21日 ↓↑
↓↑ 寛永三年で元号期間は、
1624年~1645年
干支年は「丙寅」年
日本は「寛永三年」
皇紀2286年
中国は明国の
天啓六年
後金は
天命十一年
朝鮮は
李氏朝鮮の
仁祖四年
寛永年間の天皇は
後水尾天皇
明正天皇
後光明天皇
江戸幕府将軍は
↓↑ 徳川家光
1643年9月21日・・・ 癸未年
↓↑ 寛永二十年・・・・・20=念
ニュートン誕生
天海=南光坊=智楽院
↓↑ 諡号は慈眼大師・・・死亡
都城 盛京(Mukden)
姓・諱
愛新覚羅-皇太極(ホンタイジ)
蒙文尊称 セチェン・ハーン
満州語 hong taiji
諡号
文皇帝(genggiyen šu hūwangdi)・・・文稿訂?
追号(諡号)
↓↑
応天
興国
弘徳
彰武
?温
仁聖
睿孝
敬敏
昭定
隆道
顕功
文皇帝
↓↑
廟号 太宗
生年 万暦二十年十月二十五日・・・・万の暦の弐拾
(1592年11月28日)
~
没年 崇徳八年八月九日
(1643年9月21日)
父 ヌルハチ(第八子)
母 側福晋葉赫那拉氏(孝慈高皇后)
皇后 ジェルジェル(孝端文皇后)
陵墓 昭陵(eldengge munggan)
年号 天聡(sure han)1627年~1636年
崇徳(wesihun erdemungge)1636年~1643年
ーーーーー
・・・番外だが、「梁塵秘抄」が紛れ込んでいたので付録・・・「今様歌謡の集成。編者は後白河法皇。治承年間(1180年前後)」・・・「梁塵」は、「名人の歌で梁の塵も動いた」との説らしいが、ウタでコーリャンのチリがナゼ動くだか?・・・発見は「1911年(明治四十四年)、佐佐木信綱らによって巻第二、巻第一と口伝集巻第一の断片、口伝集の巻第十一から第十四が発見された」らしく、「佐佐木の校訂(刊行)による本が刊行」とは「万葉集」と同類の怪しい明治の「改竄」があった?・・・漢字に「々」の字が存在しないことを知り、以後は「佐佐木」と改めたとは・・・彼の業績には敬意を表するが・・・ボク的な脳ミソの妄想疑念にはマトワリ憑く・・・
それに「梁(コウリャン)の塵(ちり・ジン)」は文字道理、理解できるが、ナニが「秘-抄」なんだか?・・・秘密は「紅高粱(紅いコーリャン)」のダレかの尿入りの酒なんかは呑みたくないが・・・企業秘密を知らなきゃぁ、旨いカモ・・・
ウイッキペデアに掲載されていたので以上も以下も参照、参考にしたモノを添付した・・・
↓↑
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」
「舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん」
「東屋(あづまや)の妻とも終(つい)に成らざりけるもの故に、何とてむねを合せ初めけむ」
「仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ」
ナニを云っているんだか・・・?
↓↑↓
智証大師
円珍(えんちん)・・・円の珍?
弘仁五年三月十五日
(814年4月8日)
~
寛平三年十月二十九日
(891年12月4日 )
平安時代の天台宗の僧
天台寺門宗の宗祖
諡号は
智証大師
入唐八家
(最澄・空海・常暁
円行・円仁
恵運・円珍
宗叡)・・・円が三人?
曼荼羅を描くのに
幾何学も
勉強したんダロウ・・・
の 一人
智証大師-円珍
第5代天台座主
三井寺(園城寺)を中興、
天台 別院とし、
初代
寺門派の祖、
天台寺門宗の宗祖
↓↑
『梁塵秘抄』の歌に?・・・ナゼ、「梁の塵の秘抄」の中の
↓↑ 歌なんだカナ・・・?
大師の住所はどこどこぞ
伝教慈覚は比叡の山
横川の御廟とか
智証大師は三井寺にな
弘法大師は高野の御山に
まだおはします
↓↑
讃岐の国
那珂郡
金倉郷
(香川県善通寺市金蔵寺町)に生まれ
俗名は
因支音広雄・・・・因支音-広雄・・・?
父は
宅成、
母は
空海の姪で
佐伯直氏・・・・・佐伯(さえき)-直・・・?
↓↑
新羅明神の示現・・・・ナゼ「新羅」なのか?
承和13(846)年
33歳
比叡山の「比叡山一山」の真言学頭
円珍の夢に山王明神(新羅明神)が現れ、
中国唐に渡って仏法を求めるよう勧める
仁寿(ジンジュ)三(853)年
入唐求法の旅
↓↑
仁寿三年=大中七年
「尋樹・忍儒=犬儒」讃子務(念)?
↓↑ 「台中・代中」失念?
犬儒學派=キュニコス派、
「cynic→cynical」の・・・皮肉?
ディオゲネス
ソクラテスの孫弟子
シノペ生れで
シノペの・・・「忍べ」?
ディオゲネスとも呼ばれた
犬儒派(キュニコス派)の思想家で
犬のような生活を送り、
「犬のディオゲネス」と言われた
樽を住処にし、
「酒樽のディオゲネス」とも
両替商の
ヒケシアスの子・・・比掛詞蛙素?
制度、
価値を変えよとの神託が下り
彼 or 父が
贋金を造り
国外(ポリス外)に追放・・・
「プラトンの雄鶏」で揶揄、
思想はコスモポリタン
蛸(章魚・タコ・octopus)
の食中毒で、
犬に足をかまれて、
息を止める修行で
死亡したとかの説・・・
「ギリシャ語通訳=探偵小説のタイトル
(シャーロック・ホームズ)」で
七歳上の兄
マイクロフトは
↓↑ 「ディオゲネス・クラブ」の会員だった・・・人嫌い
新羅商人の船で入唐・・・新羅の商人の船?
七月一日
「福州公験」を発給・・・福建省=榕城
榕樹(ガジュマル・桑)の街
通樑古榕樹は澎湖(台湾)
客家=華僑の本拠地
明清代には琉球館が設置
琉球は独立王朝国家だった・・・
円珍の従者
僧豊智・・・・豊の智
沙弥閑静・・・沙弥の閑静
訳語丁満・・・訳語の丁の満
丁=十干第四位・火の弟
偶数
壯年男子・男子年二十、成丁
納稅兵役の義務者
召し使の男・僕役
馬丁・園丁
魚の頭の骨=魚枕
强し・さかん(壯)
あたる(當・当)
あふ(相値)
くぎ(釘)
物忠宗・・・・物の忠(中心)の宗
経生的良・・・経を生かし的(あてる)に良し
伯阿古満・・・伯阿(ハクア)の古満?
大全吉・・・・大全(ダイゼン)の吉
ら七人。
福州公験(41歳)
九月十四日
福州都督府より「公験」下付
三月十九日
越州都督府から「過所」下付
長安へ向かう
四月
蘇州へ・・・絹織物の産地、養蚕業の地
↓↑ 上海(申)に隣接
↓↑
天安二年(858年)・・・天安門事件は何時?
唐商人の船で帰国
↓↑
六年間にわたる在唐
天台山国清寺に・・・国の清の寺(字・治・時)
日本からの留学僧のために
止観堂(天台日本国大徳僧院)を建立
中国各地を遍歴
長安で
青竜寺
法全和尚から
「両部-大教-阿闍梨位-潅頂法」
密教奥旨を伝授
法全は秘蔵していた
「五部心観」を円珍に付与・・・白描図像
ーーーーー
・・・息を止めてドウする?・・・「止観(シカン)」する・・・史観・・・