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コジキジゲン

極楽の花の色・・・

2016-09-11 21:45:46 | 古事記字源

 ・・・外はお天気・・・コンサドーレ勝つか、残り時間3分、3-1・・・上州群馬は one to man の接近戦でタフでラフにボールを奪っていく、なんか、道産子、チョッと隙が多かったかな・・・2時、TV中継が終わって、画面は日本ハム、1-2に替わってしまった・・・ブログ記事ではコンサドーレの勝利速報・・・TVでは日本ハムは、レアードの同点ホームランで2-2・・・で、また2-4で逆転された・・・負けたね・・・プロもアマも勝負の世界は厳しいとは思うが、勝って欲しいとの思いで観客も緊張しすぎているカナ・・・今現在、椅子に坐り込んでTV画面を覗いているボク自身もその同類である・・・「真田丸」、「上田の真田」は勝利、「関ヶ原の石田西軍」は敗北・・・慶長五年九月十五日(西暦1600年10月21日・土曜日)、ユリウス歴「西暦1600年10月11日・土曜日」・・・干支年「庚子年・丙戌月→支合丁・乙卯日」・・・
 で、「娯楽」などとは程遠いアフガン・・・生きる為に、家族のタメに「強盗」、「傭兵」・・・昨夜はE-TVで、「武器ではなく命の水を」、「医師・中村哲とアフガニスタン~」を観たが「中村哲」先生には頭がさがる。「アフガニスタンの干ばつ地に用水路の建設、15年間」、スゴイねッ、現場で陣頭指揮の中村先生、本流からの用水路。江戸時代の技術と、現地アフガン人の経験知である削岩技術・・・あの大地の緑の絨毯と、収穫時の黄金色の稲穂をTV映像の中に観ればダレでもが「武器や戦車では解決しない人間の根本的なヤマイ」は「食糧」だと思うだろう。
 「農業」は「アフガン」だけの問題ではない。人間が生きていく死活の原点であるのはアタリマエである・・・グルメと飽食の日本では食べれるコトが余りにも、アマリにもアタリマエで、その生きている原点を忘れがちである・・・
 不毛の広大な土地が「中村哲」先生の現場指揮による用水路工事で潤い、緑の大地に変貌、食糧生産地となった・・・しかも、アフガン戦争の最中での事業だった・・・時にはアメリカ軍のヘリコプターからの機銃掃射を受けての工事現場・・・大地に人を生かす用水路、天空には人を殺しに群れて飛翔するアメリカ軍用機・・・
 そこは緑の食糧生産地とはなったが、以前、TVでみたアフガンの別な畑は緑でもなく、沙漠の黄褐色でもなく、真っ赤な「芥子(けし)」の絨毯畑の広大な映像だった。真っ青な空の下に広がる芥子の景色は圧倒的で、まさに極楽で風にそよぐ美しい花畑だった・・・「阿片(鴉片)=麻薬」の原料・・・なるほど、極楽の花である・・・栽培者へのインタヴューでは、その耕作地では別の作物が実らなく、作ってもカネにならないから、とか・・・買いに来るのは武装グループ・・・
 ・・・ブログで検索していくと「彼(中村先生)のニュース報道での記事を元」に、ブログで「彼の事業の本質」を故意にズラして、匿名で批判、批難している「日本人」がいた・・・「報道記事(毎日新聞)」を、改竄したとか、していないとか・・・記者の記事の本文、文章の添削、文章編集で削除、「国語の勉強」から遥かに逸脱して、中村先生への個人批判?・・・まさに、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」であるが、それにしてもコイツらを「燕雀」に譬えるにも「燕雀」は迷惑であるだろう・・・どうやらコイツラは「日常生活で食事」をしていない奴等らしい。モノを喰わないんだからトイレにも行かないんだろう・・・「喰うコトなし」でドウシテ「生きてモノを喋っている」んだか、不思議な存在である・・・こいつ等は、多分「人間」じゃぁ、ないんだろう・・・それともコッソリとダレかに貰ったカネで、隠れて旨いモノを喰ってんだろうかな・・・
 「パン(食糧)のみに生きるにあらず」だが、取り敢えず、生きているとは「喰えるモノがある状態」が前提である・・・水と耕作地と緑と黄金色の稲穂は、そのパン(食糧)の前提である・・・
 国語的には食糧は「パン」以外にもあるがネッ・・・喰えないモノは喰えない・・・喰ってから「脳ミソ」で考えなくちゃぁ・・・で、毒を含んでいて喰えないモノをクってヤマイになる奴もワンサカ、喰う前にカブレルやつもワンサカ・・・健康食だと云って、それを喰い過ぎてヤマイになるヤツも・・・
 食糧だけじゃぁなくて、「美顔化粧水」でカオも爛れたり、マダラに漂白されたり・・・
 現在的に「生きている・生きていく・生かされている・イカシテいる」って・・・先ずは夕飯をモモと一緒に喰わなくちゃ・・・

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シロシマ・・・

2016-09-10 22:07:01 | 古事記字源

 ・・・大谷、今季2度目の1試合2発22号ですか、ホントに怪物。TV中継なしだったが、日ハム7-4で勝った・・・どうなる広島カープ、今現在20時25分、5-3、黒田が凌いだ・・・21時40分、6-4で優勝の歓喜の歓声、ヨカッタねッ、どっコイ、25年目ですか、「シロシマ」・・・ハナシはつけ足し・・・足軽・・・「下級武士」と「上級武士」の子供達・・・同年代の男の子供達の間柄は「遊び友だち」で「対等」であり、違いは遊びによる「体力と腕力の差」による「リーダーシップ(leadership)」であるだろう・・・個々人の「賢さの差」もあるかも知れないが・・・幕藩体制の確立で「戦争」のない時代では「武士の出世」は戦場での「手柄」ではなくなった。「手柄」とは戦場で「敵を殺傷し、その首」をとるコトである・・・「殺人」が「手柄」であった。そして、それが「生き残った武士の出世の基準」であった。「国家の軍隊」も勝つコトが「出世の基準」である・・・「戦争の無い時代は武士の出世の基準」がなくなってしまった。下級武士の出世は戦場の手柄が無ければ「おぼつかい(覚束ない)」時代になった・・・「覚束ない」は形容詞で動詞ではナイので「・・・無い」ではナイらしい・・・
 出世は「武治官僚」ではなく「文治官僚」の時代になったが、戦国時代の手柄によって世襲階級身分の元が定まった時代だから「下級武士」は更に「身分的な出世」は覚束ない、であった・・・
 そして流通市場での「現物交換」は「現金交換」となり、「現物支給の米」は一旦、現金に換えなければならず、そのプロセスで「現金支給」になっていったのである・・・潤ったのは「商人」である・・・武士階級は、階級全体が「借金階級」となってしまった・・・その統治支配権の維持は「商人(豪商)」と妥協せざるを得なくなるのは当然である・・・
 非生産者が「身分」だけで「合法的(?)」には喰っていけなくなるのはどの時代も一緒である。自然災害が襲えば更にである・・・その「身分」だが、元々は「暴力集団」として、無法な「掠奪・強奪」を前提に「形成」されて来たモノである。だが、平和な「時代の秩序」は、専制、独裁体制であっても「生産者(農民・漁民)確保」の為に「有法」にならざるを得ない・・・
 しかも「領土(土地)・領民(生産者)」の獲得は戦争での拡張であったから戦争が無くなれば、その枠内での搾取が過酷になるのは当然で、それを解消するには「没落」か、農地開拓、殖産興業、そして流通商業の振興より手はない。「身分を超えて」だが、そして「商人」である・・・武士も商才がなければ食っていけない・・・
 「商売」は数字で云えば「市場価格(価値ではない)=交換価格」による儲けの「損得」である。あらゆる「産業」は「流通市場」がなければ成り立たない。そして、「産業の損得」も「流通市場での需要供給での売買価格」によって決定されるの当然である。
 問題は「需要供給の市場」が「博打」になっているコトである。
 文字道理の「虚数」の数字での「博打の鉄火場の相場」である・・・
 「デフレ脱却」だってか?・・・北海道、東北、そして九州の農産物被害は「食い物価格の上昇は必至」である。物価が上がるとは「インフレ」ではないのか?・・・ミンナが「インフレ」を望んでいるとでも思っているんだか、「日銀総裁」もアベも・・・「賃金上昇」よりも「物価」が安くなるコトへの思考は脳ミソの埒外らしい・・・なんせ、物価上昇2%を望む政治的指導者が歴史的な過去に存在したか?政治家は「物価上昇」を抑えるのがその政治的責任だろう・・・
 「インフレ」は「粗悪乱造」or「粗悪少造」の根源でもある。かっての日本の経営者が望んできたことは「安価で高品質、高機能」の大衆向け商品である。結果、「ジャパン ブランド」になった。
 今現在は「農産物」は「非農薬」、「自然栽培、農耕」が主流だろう・・・減反でも余裕があった・・・だが、汚染備蓄米が産業用に安価で払い下げらたが、大坂と名古屋の米問屋が食品として売っていた。最近では廃棄物の「豚カツの肉」が売られていた。そして、それを買った消費者もいた・・・カネの余裕があっても買う、理由は「安い」からだ・・・だが、生産地が潰滅状態になったら「汚染米、汚染野菜、汚染魚、汚染家畜製品」も買って喰うに違いない・・・
 フォルクスワーゲン、そして、三菱自動車・・・「粗悪乱造」ではないが、「虚偽乱発」では同次元だろう・・・しかも、「金額」が「小物」とは違う「100万円」を超えるものだ・・・アメリカじゃぁ「ブランド食品への怪しい化学物質の添加」がワンサカである。
 大陸中国の「ニセモノ」が現在的に品質では「ホンモノ」と肩を並べているらしい。そして「安い」のである。かっての「日本の100円ショップ」は「大陸中国商品」が満杯で、コレがどうして「100円?」、タトエ、粗悪乱造であろうとも、造っているヒトには申し訳ないような気がしたが・・・今現在、覗くと棚には200円~500円~1000円のモノも多い。高いモノは品質もイイのは当然である、と思うのだが・・・高くても同じ値段なら「日本製品」である・・・もちろん、大陸中国の中流階級は「日本食品」での食卓だが、下級層の食生活は・・・漂白剤(?)だらけ・・・
 70年代のアメリカでは「日本製の時計やカメラ」が、日本で買う価格よりも遥かに安い価格で、大量に売られていた・・・当然、アメリカの質屋での引き取り価格は二束三文・・・あの質屋、「日本製品の品質と機能のスゴサ」を知っていたんだか、どうなんだか・・・多分、知っていただろうが、アメリカの商品の市場では大量に供給され、小売り価格も安かった・・・
 当時の日本人の給料、そして為替市場の「ドルと円」の相場は極端な「円安」だったから当然である・・・
 「借金が増えれば財産も増す」って、「主語」はダレなんだか・・・むかし、鉄工企業の社長に聞かされたコトがある。「法人の企業経営者は常に借金で赤字にしておく必要がある。黒字にしては儲からない」って・・・借金で儲かるのは「計画倒産」した奴と思っていたが・・・経営者と云っても様々である・・・ブラック企業とか、ホワイト企業とか・・・
 今現在はカネが銀行にダブついている・・・カネを借りないのは「企業家も起業家」もチャンスを逃がしてしまうカモ・・・私腹する奴も後を絶たないが・・・かっての「東京石原銀行」・・・

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昼行燈・・・

2016-09-09 20:30:35 | 古事記字源

 ・・・前回は「虚-数」の考察だったが、「纂数・数学」の基礎は高校生時代に学んだハズだが、「計算方法」以前に教科書に書かれてある日本文、「和漢混交文」での説明記事の難解さの「壁」である。そして「数学・纂数」の問題、設問説明の難解さである。「数学」以前に問題は「国語」をドウ、読み解くかであるが、一つのコトバの意味が理解出来なければお手上げである。そして「定理・公理・公式」は「暗記せよ」の教師の教育的立場である。確かに、小学、中学、高校の「基本教育」は「コトバの暗記」が前提らしい。だが、学生の立場としては、ドウ、「記憶」するかが問題である。それに「問題設問」に英語で「Answer the following questions.」にはお手上げである・・・問題文の英語の意味自体が分からない・・・ではネッ・・・
 ボク的には「定理・公理・公式」の「暗記」が大嫌いであったし、今現在も大嫌いである。加減乗除は小学生で習うが、ボクは「引き算」が理解出来なかった。その期間は結核で入院中で、回復して通学した時には既にその「引き算」の授業は終わっていた。友達とは本当にアリガタイもので、「引き算」を教えてくれたのは隣りの席に坐る「SK君」だった。それに「掛け算」は暗記したが、「割り算」が理解できなかった。縦割りの「掛け算」と「割り算」は一年上級生の「Y君」が教えてくれたが、本当のところはナゼ、そうなるのか?の理解は難しかったが、縦の割の割り算は図式的に納得はできた・・・
 中学一年で「代数」を習ったが「(a+b)²」の答えが、ナゼ、「(a²+2ab+b²)」で、「2ab」が出てくるのか?・・・暫くは理解が出来なかった。教えてくれたのは、やっぱし、隣席の同級生の女の子の「SGさん」だった。「二乗は(a+b)と(a+b)の掛け算だから、縦に掛け算すれば、2abが出てくるョ、ッ」だった。
  (a+b)
 ×(a+b)
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄・・・一文字同士をスベテ掛ける。そして同じ係数を足す・・・ノートに書いた縦の掛け算では確かに「2ab」が出た・・・
 なるほど、目に視える「理窟」であった・・・
 「定理・定式・公理・公式」の「式」は教科書を調べれば解るから暗記の必要がない?・・・ボクの時代の「数学」は「暗記」が前提だから、その「理窟」はスッ飛んでいた・・・で、「暗記」は苦手で嫌いだった。「暗記」よりもその都度、教科書をみればイイから・・・そして、スグ、忘れた・・・
 「英語」はマッタク、英語以前的に「日本語」が理解出来なければ、お手上げで、過去形、現在形はなんとなく「動詞の変化」として理解出来たが、中学二年生で習う未来形の助動詞の「will shall」と、他の助動詞の「can may might could would should」は「時制」とか「助動詞」の日本語自体の説明もなく、理解できていないのに、それが前提で授業・・・しかも新任の若い美人教師は声が小さく、教室で綽名を囁かれると顔を紅く染めてスグに職員室に閉じこもって授業をしてくれない・・・「前置詞」にいたっては、「動詞と一緒に暗記すれ」って、ドウシがドウしたって・・・その意味がマッタク理解困難であった・・・「at by behind besides during for from in into of on onto over since till up under untill wiht」・・・家の内外、壁、door、窓などの構造と家の中に机と椅子の絵が黒板に描かれ、その空間の上下左右で、前置詞が示されたならばスグ理解出来たろうに・・・
 肝心の「国語」であるが、これも新任の若い男教師・・・古文・・・授業で教科書を読んで聞かせてくれるが、「なんとなく判るだろう」であった・・・確かに「おもしろい」はナンとなく分かったが・・・意味が違う・・・「interesting」と「fun enjoy」・・・「so funny」・・・そもそも、ローマ字は小学校四年で習ったが、「英語の単語」のスペルと音の出鱈目なコトには・・・どうしょうもない・・・
 教師は「定理・公理・公式」の、その「理窟」を教えるべきであるカナ・・・教科書に対して「参考書」や「虎の巻」があるのも不思議だし、「学習塾」があるのも不思議だし、「予備校の教師」がTVタレントになって人気商売で稼いでいるのも不思議である・・・「参考書」や「虎の巻」をみれば「理解」できる、と云うモノではない。結果の「答え」が解ると云うタグイのモノである。ボクは「虎の巻」をみても理解出来なかった。先生に訊けば、その「理窟」が解ると云うモノでもない・・・ダイタイからして高校の女性数学教師は黒板に数字、数式を書いては、それを自分で解いてはサッサと消してはマタ書いていく・・・自分で復習してんの、かッ・・・て、サッ・・・
 高校の「歴史」なら教師よりも同級の生徒の方が詳しかったが・・・ボクは歴史年号などはマッタク憶えるのは苦手で、憶えるつもりもなかったが、「モノガタリ」だけには興味があった・・・「おはなし」が好きだったダケ・・・
 高校の漢文の教師は楽しかった。飲み屋をバァーとか、キャバレーとか、女給をネェちゃんとか、漢文に似つかわしくないコトバの連発だった。それに「漢詩文」は「漢字を見ながら日本語に読み下してコソ美しい情景と喧騒で静寂な響きが漂う」とは、まさにその通りだな、とも感じたが・・・粛々、飄飄、落々、侃侃、洋々、峨々、攓麗々しくの畳語、擬態語も漢字じゃぁなくちゃぁ・・・奄々、呵々・・・日本語の粘着性は読み下しではなかったカナ・・・
 だが「漢文・中国語」は基本的に「動詞」が文頭に来る支配階級の「命令文」であったろう・・・日本語は基本的に「動詞」が文尾にくる原語である。相手の言葉、あるいは顔色(?)を窺っての「動詞」である・・・
 「化学・物理」の教師はチンプン、カンプンで、中学校で興味を持った「化学・生物」まで理解が混乱した・・・もはや「ベン・ケーシ」になることは無理だった・・・
 それでも、「自分の理解力」のなさを他人や環境、状況のせいにするワケにはいかない。それらを理解し、出来る同級生はワンサカいて、彼らの試験の点数は高得点だったのだから・・・
 問題は自分自身の勉強に対する姿勢と立場であったかな・・・
 ・・・TVで「ファファミリーヒストリー」を「チューリップの財津和夫」さんのオジイサン、オトウサンの経歴を観てツクヅク、そう思う。「緒方民平さんの恩師の財津先生」もエライ・・・だが、チャンスや自覚の問題は時間的に個々人、別々である・・・この世の中では先人の「知識」と「技能・技術」を学び、それらを理解、習得、思考し、実践するコトは自分自身と家族、そして人々の生活、生きていくコトを支える手段であり、基盤であるはアルが・・・「緒方民平」さんは官僚を止め、独立して植民地での農業開拓の実業家になった・・・彼の時代、場所は、その成功を阻んでしまったが・・・国策での移民開拓、満州でも、樺太でも、北海道でも状況は同じだったろうが・・・北海道は「日本領土」だったが・・・国家間戦争での勝敗は人命の損耗と、領土の占領の「拡大縮小」、そして「利権」・・・ダレの利権になるんだか・・・厚顔無恥な「アマリ」・・・
 「役人への就職」は古代中国の昔から「生活の安定保障の場」で、律令制度の時代には「科挙に落第した人間」のアコガレの職場だった。あまり教育環境に恵まれなかった人々は自らが「去勢(castrate・emasculate・ geld)」し、「宦官」になるコトも厭わなかった・・・怖ろしい・・・日本ではどうか?・・・下級武士の生活は苦しかった。「浪人生活」では「爪楊枝」である・・・町人生活が羨望の的だったかも・・・人々を楽しませるアソビの文化は「町人のモノ」である・・・ホトンドが「侍(さむらい)崩れの町人」であったが・・・四民平等の明治以降の「小役人」はエライ人物もいたが、ホトンドが元幕藩の識字率の高い下級武士だった・・・「虎の威を借りた」だろう・・・そして、やっと「プチブル意識」が芽生えた?
 そして、中国だが、「科挙合格官僚」よりも「宦官官僚」が実権を握った期間が多かった・・・官僚派閥、後宮女官派閥、親族縁者派閥、そして「王朝崩壊、交代」ではその「役人の生活保障」も崩壊した・・・
 今現在、ボクにとってはコンピュータで「無料」で懇切丁寧に教えてくれている「先生」には感謝、感激である。彼らの「懇切丁寧」とは「定理・公理・公式」の「図形」と「五W一H」でのコトバでの咬み砕いた記述と、比喩である。
 で、文字に対する自分自身の記憶に自信がなく、スグにキィボードを叩く検索依存症になってしまったが、「ウイッキペデアの300円寄付要請」とは、ヤッパ、「カネ」か・・・NHKのワンセグ受信料徴収・・・ここでも厚顔無恥なアベのエピゴーネン、「タカイチ」って、「汰化異知差萎重」か?
 日常、簡単に使用しているコトバほど、その意味が曖昧で混乱してしまう。考えているコトバ自体のナニが知りたかったのかも雲散霧消していく・・・以前は字典、辞書、百科事典の依存症だったが・・・今現在は「カミの書物」をホトンド開かない・・・目が悪くなって、レンズがなければ細かい字は無理である。コンピュータは拡大できるが、複雑な文字構成の部分漢字は拡大しても字が太くなり、くっ付いていて判別し難い時もあるが・・・
 それに、ボク的には特に「毎」の部分の「ノ一」の部分を頻繁に使用したいのだが・・・「ノ一」の部首の意味は「髪挿し・簪・笄・鈿・兂・櫛」である。本来、「ノ」と「一」は接合している文字である。だが、「IMEパット」の「2画」には出てくるがコピーが出来ない、まさに「ノー(no)」である・・・???
 一度は「漢和辞典」で、この「ノ一」を調べてもらいたいのだが・・・
ーーーーー
 ・・・トリトメもなく・・・取り敢えずは興味あるコトは「all-around」で検索出来るが、理解は「about」である・・・コンピュータの「monitor」に書き込まれて表現されているモノも「Almighty の絶対(absolute・アブソリュート)・absolutely(アブソルートリー)」ではない・・・
 これって「あぶ=阿部・阿武・阿毎・虻」の「蘇留有胡訳」、「反留胡訳理意」・・・?・・・阿毎王朝(阿蘇山麓)・・・則天武后(周)・・・阿倍仲麻呂(唐図書館長)=晁衡=朝衡(チョウコウ)・・・聴講・兆候・徴候・長江・長考・釣行?・・・商家の店先などにつり下げた行灯、吊行燈(つりあんどん・つりアンドン)・・・唐音・・・
 行燈=土蔵破窃盗犯(第三類 犯罪行為)・・・

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「虚の数」の化意掲・・・

2016-09-08 21:34:03 | 古事記字源

 ・・・「虚実の計算」・・・「拠字通の稽纂」なら「邪馬臺(台)国」、「邪靡堆、則、邪馬臺者也」、「俀國=倭國」で、「会稽東冶(治)之東」・・・ボク的には「会計(改掲・歌意掲・塊茎)、問うや、比務臥詞」だが・・・「理屈=理窟」=物事の筋道・道理・無理に辻褄を合わせた論理・故事つけの理論」・・・「屁理屈=へりくつ=経理屈」なのか?・・・「物事の筋道(reason)・道理(logic)・条理(argument)・理論(theory)」、「argument・pretext・reason・ theory・quibbling・pretense・logic」・・・「ある現象の原因の説明事由・廉・節理・根拠・理合い・道理・一理・訳合い・理窟・理くつ・事わけ・謂われ・所為・筋あい・所以・由縁・由来・筋合・成因・訳柄・謂れ・訳合・理趣・筋合い・理合・わけ・訳・事訳」・・・「理」を「かがむ・かがめる・ちぢむ・おれまがる・くじける・負けてしたがう・ゆきづまる・きわまる・つよい(屈強)」・・・「詰屈(キックツ)・窮屈(キュウクツ)・後屈(コウクツ)・退屈(タイクツ)・卑屈(ヒクツ)」とはナニ?である・・・
 「くつ=窟=クツ・いわや・ほらあな・岩窟・石窟・仙窟・洞窟・人の集まったすみか・かくれが・巣窟・ 魔窟・貧民窟・集まるところ」・・・「理窟」には「屈」を代用字とすることがある・・・ナゼか?、ブログ字典には説明がない・・・
 「理窟=理屈」・・・「理=王+里」、「窟=穴+尸+出」、「屈=尸+出」・・・どうやら「王の墓の穴を掘る、屈まる理」であるらしい・・・ピラピッドは墳墓か?・・・王家の墓は別の場所で、沙漠の山谷の間に廟と兼ねてあった・・・岩窟・・・
 「マスタバ(Mastaba)=古代エジプトで建設された長方形の大墓・エジプト先王朝時代末期頃からエジプト中王国時代頃にかけて建造され、古い時代の基本的な貴人の墓の形態」・・・エジプトの「王家の谷」・・・「エジプト、テーベ(ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている」・・・「セティ1世の墓」・・・古代エジプトでは「九」という数字は「全て」を意味した・・・極まるのは「9・九・玖」の「矩=(ノ-)+一+人+巨」であるかな・・・窪地は阿蘇のカルデラ・・・「あ=十or七+の」、「あ=一+め」、すなわち、「十」の「の(乃・之・廼・埜・能)」、「女・目(罒)・芽・埋・馬・米・乜」・・・屁理屈・・・?・・・「0(ゼロ)」は「〇(まる・エン)」で「穴(あな・ケツ)」か?・・・
 イヤァ~ッ、スゴイね「墓穴」を掘るんじゃぁなくて、トコロさん、「砂利の採掘」で、島が消える、裏山がグランドキャニオンになる、茶畑が崖っぷちで栽培・・・sand(サンド)& sound(サゥンド)& sandwich(サンドイッチ)& sad・・・gravel・ballast・gravel・・・「sound」&「stone」・・・「the Rolling Stones」、「A rolling stone gathers no moss.」・・・「砂の女」・・・「The Woman in the Dunes(デューン・砂丘)」・・・「Zero fighter plane」・・・零選・・・
ーーーーー
 「0」を数学から抹殺して「1」を基準に
 「-∞←-n・・・-3-2←「1」→+2+3+・・・n+→+∞」
としていれば
 「虚数」の「混乱」は無かったのではないのか・・・
 「±」の「+」も「-」も「実数」である・・・
 実体の「位置の移動」の記号である・・・
 具体的なモノに付与された
  ↓↑
 「実数」としての
 「1」は
 移動起点で、
 「他の数字」は、
 その「1」に
 追加された「数」であり、
 分轄された「数」の「始点」である
 で
 「1」は
 「位置・位地」の
 平面、空間移動としての
 「加減乗除」の
 始点・起点の
 スベテであり、
 同時に
 その枠内での
 移動起点である
 平面座標、
 立体(球体・空間)座標の
 「起点」で、
 その枠内での
 「実数1」の
 「位置・位地」の移動とすれば・・・よい・・・?
 だが、「0」を欠落させた「計算」はどうなる・・・
  ↓↑
 「0」は
 平面座標、
 立体(球体・空間)座標の
 スベテである・・・
 西暦年号に
 「0年」は無い・・・
 ここでは「±1年」である
 紀元前と紀元後の
 重なっている「±の始点、起点の1年」である
  ↓↑
 虚数とは結局なんですか?
 - 数学 解決済 | 教えて!goo
 ・・・を読んで面白くて笑った・・・
 「数学の計算方法」ではなく、
 結局、
 「虚数」で悩んでいるのは
 「虚数」と云う
 概念(ことば)の規定であるらしい
 「数学の計算方法」では問題ないらしい・・・
 その計算の
 「やり方=ルール」ではなく
 「虚数」、「実数」の
 コトバの共通理解の規定が曖昧と云うよりも
 「虚+数」の「虚」
 「実+数」の「実」
 の「漢字」そのものの意味の曖昧での悩みである・・・
 「勝負」の
 「勝数・負数」ならハッキリとした
 「点数」の「+増、-減」で「理解」できるだろう・・・
  ↓↑
 「虚」=キョ・コ
    むなしい・うそ・そら・から
    うつけ・うつろ・うろ
    からっぽで何もない
    むなしい
    虚無・盈虚(エイキョ)・空虚
    うわべだけで中身がない
    虚栄・虚飾・虚勢・虚名・虚礼
    うそ・いつわり
    虚偽・虚言・虚構・虚実・虚報・虚妄
    気力や精気が足りない
    虚弱・虚脱・腎虚(ジンキョ)
    備えがない
    すき
    虚虚実実
    邪心を持たない
    虚心・謙虚
   「虚数」の略
   「虚根」
    むなしい
    虚空・虚無僧
    うそ
    虚仮(コケ) 
   「虚貝 (うつせがい)」
   「虚言 (そらごと)」
   「丘=大丘=墟・・・廃墟」
   「虚=虛」=「虍+丱+一」=虍+业・・・业=業
                業=わざ・なりわい
                丵=サク・削・彫・刻  
          虍=虎=虍+儿・・・虎の人
           业=丱+一=髪のあげ巻
           丱(卝)=クヮン・ケン・カン
           丱女(カンジョ)
           揚巻 (あげまき) に結った幼女、童女
          跡=昔の建物などの跡、廃墟
          空(天空)
   「虚宿」=宿曜経の北方宿星(二十八宿の一)
  ↓↑  ↓↑
 「実」=「實」=み・みのる・まこと・ジツ
        實=宀+毌+貝(目+八)
            毌=貫く・つらぬく
            毋=ない・なかれ・ブ・ム
            母=はは・ボ・ム
        草や木の実
        果実・結実・綿実油
        中身が詰まる
        内容が満ちる
        充実・中身・内容
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        まごころ・まこと
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        伸びる・育つ
        みたす
        実行する
        みのる(稔)
        努力で、成果、効果、甲斐がある
        みのり
        種子植物の花の子房の発達・変化
        果物・果実
        穀物
        種(たね)・種と種を覆う外皮
        中身・実質
        たち=素質・本質
        とみ=富・財産・宝
        まこと
        真心・真実・誠実
        本当
        まことに・じつに・げに(本当に)
        親切心・慈悲心・実感
 が、
 「拠字通」の漢字の意味としてハッキリしている・・・
  ↓↑
 虚数(imaginary number)
 2乗したときに0未満の実数になる数
 虚数が現実に存在しない数
 虚数を含んでいる
 複素数も現実には存在しない数
  ↓↑
 「1つの数で、座標を表せること」
 複素数で表現された平面は
 「複素数平面」
 x、yの座標で
 「1+i」や「4+3i」に「i」を掛け
 (1+i)× i =-1+i
 (4+3i)× i =-3+4i
 「-1+i」
 や
 「-3+4i」を複素数平面で
 「i」を掛けた後の点は、
 「i」を掛ける前の点を
 「原点を中心に
  反時計回りに
  90度回転させた」
 座標にある
 「i」を4回かけると
  i × i × i × i=(-1)×(-1)=1
 で、
 元の位置に戻る
 90度回転を4回して
 360度一回転する
 「i」をかけると
 反時計回りに
 90度回転させた座標に移動
 「負の数」をかけることを、
 「0を中心に180度半時計回りする」
 と決めた
  ↓↑
 虚数・複素数は
 平面上の点の移動を
 数式で表すことができ
 虚数とは
 「1つの数字で方向(座標)を表す」
 想像上の数
  ↓↑
 「i」を掛けることは
 「反時計回りに90度回転する」
 ことを意味
 この回転を
 90度の位置で止め
 この操作を2回すると、
 最初
 「1」であった数は、
 「-1」になる
 「1」にこの操作をして得られた数を
 「i」とおくと、
 1×i×i=-1
 つまり
 「i²=-1」となり、
 ここに、
 2乗すると
 「負の数」になる数字が発明
  ↓↑
 「虚数」というのは、
 日本人が
 「実数」という言葉に
 対応させて訳した
 英語では
 Imaginary number=「想像・創造」数
  ↓↑
 オイラーが複素数を利用して
 「sinx/x」の積分など
 積分の値を求めた
 これに
 論理的基礎を与えるため
 1814年
 コーシー
 が
 「複素数平面上での積分」、
 複素積分を定式化した
 複素積分は
 「実数の積分」を求めることを目的としていた
  ↓↑
 量子力学
 複素数を利便上用いているが
 複素数を使わないでもできる
  ↓↑
 調和振動子の場合
 複素数を使わなくても
 エネルギー順位を求められる
  ↓↑
 命名を「虚数」でなく
 「無実数・不実数・非実数・仮実数」
 ということにすれば
 混乱は回避された・・・
  ↓↑
 「虚数」
 「無理」の数よりも
 「無実」の数の方が良い
 「虚数」という命名が誤解の元
 「実数と虚数」は本質的に同じ数
 「実数」の定義が曖昧だった
 「虚数」は比較的に
  計算手段として
 利用できる・・・
  ↓↑
 「虚数」とは、
 「実数」ではない
 「複素数」のこと
 「虚数」と訳される
 「imaginary number」は、
 「2乗した値が
 ゼロを超えない実数になる複素数」
 として定義される・・・
 「i」または
 「j」で表される
 「虚数単位」は代表的な「虚数」の例・・・
 「虚数単位=imaginary unit」
  ↓↑
 「-1」 の
 平方根(2乗して -1 になる数)
 である2つの数のうちの1つの数
 どちらかを特定することはできない
 「実数でない複素数のこと」
 「二乗して
  0未満の実数になる数」
 「純虚数」とも呼ぶ・・・
  ↓↑
 「虚数」とは、
 「実数」でない
 「複素数」を意味する
  ↓↑
 複素数
 「a + b i」・・・
 「a, b」は実数
 「i」は虚数単位、「b≠0」を満たすもの
 「a=0」
 「b≠0」を満たすものを
 「純虚数」という
 「imaginary number」
 「純虚数」に対応する
 英語n「purely imaginary number」
 「imaginary number」は、
 「2乗した値がゼロを超えない実数になる複素数」
 とも定義される・・・
  ↓↑
 この定義によれば、
 「y が実数」のとき、
 (yi)²=y²i²=-y²(yi)²=y²i²=-y²
 で
 「yi」は
 「imaginary number」となり、
 逆に
 「imaginary number」はそのようなものに限る
 この意味での
 「imaginary number」は
 複素数の表現において
 「a=0」を満たすものであり、
 これには
 「実数 0」も含まれる
 ここでは、
 「purely imaginary number」
 は
 「imaginary number」と同義語・・・
  ↓↑
 幾何学的には、
 「純虚数」は
 「複素平面の実軸と
  直交する虚軸の上の点」
  ↓↑
 一般に
 「複素数」は、
 「実軸上にある実数と
  虚軸上にある純虚数
  の和であり、
  複素平面上の点」
 として表される
 このような平面上では、
 「-1」をかけることは
 180度の回転に対応し、
 「i」をかけることは
 反時計回り90度の回転に対応する
 そして
 「i2 = -1」
  という式は、
 90度の回転を2回繰り返すと
 180度の回転と同じ結果になる
 なお
 90度の回転を時計回りで
 2回繰り返しても
 180度の回転と同じことになるが、
 これは、
 「-i」 も
 方程式「x²=-1」 の解である
  ↓↑
 直流電圧は
 「+12ボルト」や
 「-12ボルト」等と実数で表すが、
 交流電圧を表すには
 2つのパラメータが必要
 1つは、
 120ボルト等という
 「振幅」で、
 もう1つが
 「位相」と呼ばれる
 「角」である
 このような
 2次元の値は数学的には
 「ベクトル」
 か
 「複素数」で表される
  ↓↑
 ベクトル表現
 直交座標系は通常
 「X成分とY成分」で表され
 フェーザ表示と呼ばれる複素数表現は
 2つの値は
 実部、虚部となる
 実部が0で
 虚部が120の純虚数は、
 位相が90度で
 120ボルトの電圧を意味する
  ↓↑
 プログラミング言語は
 複素数を扱う
 Pythonでは
 虚数単位に「j」を用いる
  ↓↑
 整数「n」を「7」で割った余りを
 「n mod 7」
 と書くことにすれば、
 簡潔に表現できる・・・
ーーーーー
 「n」を「365」年・・・・・平年
 「n」を「365+1」年・・・・閏年
 ・・・「n mod 7」・・・・曜日サイクル
 ・・・「n mod 10」・・・・十干サイクル
 ・・・「n mod 12」・・・・十二支サイクル
 ・・・「n mod 60」・・・・十二干支サイクル
 ・・・「(n×西暦年号) mod (?)」・・・・
 ・・・「日数の総数」さえわかれば、「mod」計算での暦上の各サイクルは可能である・・・2016年9月8日のユリウス暦の「加算総日数」は「2,457,640」である・・・
ーーーーー
 ↓↑
 西暦0年
 西暦(キリスト紀元)には、
 グレゴリオ暦、ユリウス暦にも
 「0年」は無い
 紀元1年の前年は、
 紀元前1年である
 しかし、
 ISO 8601:2004
 天文学における暦では
 西暦0年(紀元0年ではない)を設定
 具体的には西暦1年(元年)の前年である
 紀元前1年を「西暦0年」とし
 紀元前2年を負数で
 「西暦-1年」、
 紀元前3年を負数で
 「西暦-2年」
 と紀元前の年を1年ずつずらして用いる
 紀元前100年は「西暦-99年」となる
 西暦0年を設ける理由は、
 紀元1年(「1」)の前が
 紀元前1年(「-1」)となる紀元前年数を
 そのまま用いると整数の算法に反する
 天文学的事象の期間計算に不具合が生じる
 ↓↑
 通常の紀年法
 ←紀元前2年←紀元前1年←「紀元1年」→紀元2年→紀元3年→
 天文学での紀年法
 ←西暦 -2年←西暦 -1年←「西暦0年」→西暦1年→西暦2年→
 ↓↑
 通常の紀年法
 紀元前1年を跨ぐ場合には、1年を減じなければならない
 天文学での紀年法
 紀元前1年を跨がない場合の年数の算出方法と同じ

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人間意識発生の中心軸・・・

2016-09-07 20:07:24 | 古事記字源

 ・・・9月7日=「丙申年・丙申月・壬辰日・水曜日」・・・9月11日(日曜日)は「丙申年・丁酉月・丙申日」だけれども・・・9月5日庚寅(己・丙・甲)に「北朝鮮、弾道ミサイル3発、発射・奥尻島沖西方200~250キロの日本海上に着弾」・・・台風被害で困惑しているのに、ヤッテくれれたな、バカムスコが・・・「杭州がちょうど1千キロの射程にぴったりおさまることを意識してのことだろう」?・・・「5日に中国で開かれている主要20カ国・地域(G20)首脳会議への牽制。地域(G20)首脳会議が4日午後、中国・杭州で開幕」・・・なるほど、世界のバカな指導者にダダを捏ねているってか・・・「杭州=隋代から清末にかけて設置・現在の浙江省杭州市」・・・だが「中国領(?)南支那海」ではなく、「奥尻島沖」とは、撃つ場所が間違っている・・・まったく、迷惑千万な「癸亥(戊・甲・壬)・乙(偏官)丑(癸・辛・己=劫財・印綬・比肩)・壬寅(己・丙・甲)・辰巳=空亡」であるカナ・・・ナニが「労働党」なんだか、「郎等党・郎党等」・・・権力を合法的に握った「比律賓の大統領」にも、世襲の「金王朝の若者の情熱」にもスゴさとヒサンさには「ウンザリ」だが・・・「己の命」を賭けた「麻薬撲滅」、「国家命運」を賭けた「科学」・・・政治的には最期はどうなるのか・・・かっての「世界中の若者が己の存在場所を忘れて政治テロバカ」になったいった末路を知っているんだか、どうなんだか・・・しかも、「科学者(N国)の凱旋パレード」とはねッ・・・戦前の「日本の科学者」、いや、「全世界の科学者」の一部もねッ、「生活保障」と引き換えにバカになっていったのは同類で、今現在もお変わりナシである・・・
 ボクが「悪魔の発明(ロック式電光弾)」の映画をみたのは中学1年生頃だったか・・・結末が、反ボナパルチズム、反人種差別主義の「ジュール・ヴェルヌ」の期待どうりになるか、どうかは・・・「ヴェルヌ」の立場の限界は「プチブルジャーナリスト」・・・?
 で、ニュースでは
 「ニューデリー(CNNMoney)インド一の資産家ムケシュ・アンバニ氏が200億ドル(約2兆円)を投じ、10億人が無料で使える第4世代(4G)通信サービスの提供を開始。低価格の高速インターネット接続サービスを国民に普及させることを目指す。
 新しい4Gサービス「リライアンス・ジオ」は5日から正式提供を開始した。インド国内の80%強を網羅し、年内は無料で利用できる。来年以降もデータ通信料は月額149ルピー(約230円)に抑える。
 インドでジオのサービスが成功すれば、スマートフォンなどからインターネットを利用する人が激増し、状況は一変する」
 ・・・コンピュータが「悪魔の発明」の結果なんだか、どうなんだか・・・「200億ドル(約2兆円)」は「儲け」を見込んだ「資本投資」である・・・「10億人への無料」が無料で終わるワケがない・・・
 いずれ、太陽系は消滅する・・・今現在「自由に生きている」なんて思うなョなッ・・・「プチブル意識」であるかぎり・・・「人間の意識的立場」には「自然からの解放」はない・・・だが、「人間を止めてどうする?」・・・「新人類なる」って・・・?・・・

 兎に角、今現在、呼吸が出来ているコトに感謝・・・

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