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コジキジゲン

独立不羈 ・不羈自由・不羈独立・不羈之才・・・解語之花?=美人=楊貴妃・・・

2019-10-09 14:21:31 | 古事記字源
 天保十四年(1843年)閏九月十一日
 阿部 正弘
 ペリー来航時
 25歳で
 幕府老中だった




 ↓↑  ↓↑
 タイムスリップ
 時軸=ときじく=解き字句=枳・枸橘=からたち=唐立
        =垂仁天皇、 三宅連(ミヤケノムラジ)等の祖
         名は多遅多摩毛理(タヂマモリ)を
         常世国に遣わし
         非時香菓(ときじくのかくのみ・橘)
         すなわち
         時を定めず
         いつも黄金に輝く
         木の実を求めさせた
         履中三年(720)十一月
        「是の花、
         非時而(トキシク)
         にして来れり
         其れ・・・・・・・・蘇(よみがえらす)例
         何処(いとこ)・・・・伊都処・意図虚?
         の花ならむ・・・・・の「葉名」奈良務?
         汝(いまし)・・・・・なんじ(何字)
         自ら求むべし」・・・ミズカラ求むべし?
 ↓↑  ↓↑
 越勢能山時 阿閇皇女 御作歌
       阿閉皇女の作らす歌
 ↓↑
 これや・・・・・・・此也
 この・・・・・・・・是能
 大和にしては・・・・倭尓四手者
 我(あが)恋ふる・・我戀流
 紀路(きぢ)に・・・木路尓
 ありといふ・・・・・有云
 名に負ふ・・・・・・名二負
 勢の山・・・・・・・勢能山
 (萬葉集1-35)
 ↓↑
 仮名読
 これや・・・・・・・此(止匕)也
 この・・・・・・・・是(日下人)能(厶月匕匕)
 やまとに・・・・・・倭(人禾女)尓
 しては・・・・・・・四手者・・・四つ手の網
 ↓↑         罒手者・・・網手
       紙垂(かみしで)
      「し(垂)ず」
       〆の子・しめ縄飾り
       白熊 (はぐま) の毛で作った
       払子 (ほっす)
       ↓↑ ・・・払子(ほっす)
            仏教の法要の際に僧が威儀を示す法具
            麈尾(シュビ・シュミ)
            白払(びゃくほつ)とも
            獣毛や麻などの繊維を
            束ねて柄をつけたもの
            本来は
            インドで
            蚊や蠅など虫を追い払うために使われた道具
 ↓↑     ↓↑    禅宗で煩悩を払う法具として用いられた
       に似たもの
       槍の柄につけた槍印
       玉串や
       注連縄(しめなわ)などにつけて
       垂らす紙
       古くは麻(あさ)
       楮(こうぞ)
       木綿(ゆう)
       を用いた
       四手(よんしゅ)
       四手網=大漁捕穫網・魚捕り網
           滋賀県
           犬上郡
           多賀町
 ↓↑         四手
 あがこふる・・・・・我が戀(こい)の流(ながれ)
 きぢに・・・・・・「記字・記事・生地」に
           木(十八)
           路(足各)
           尓(𠂉亅八=捌)
 ありといふ・・・・・有(ナ月)
           云(二ム・一𠫔)
           𠫔=旨・甘・𠮛
            =うまい・あまい
 なにおふ・・・・・・名(夕口)
           二(似)
           負(𠂊・ク・ワ・目ハ)
 せ・・・・・・・・・勢
 ↓↑  ↓↑ 
 (なに、おふせ=何=名似、お布施)
 ↓↑   阿倍御主人(あべのみうし)=布施
     ↓↑      フセ=伏・臥・附
     阿倍 御主人(あべ の みうし)
     氏は布勢・普勢(ふせ)とも
     阿倍普勢(あべのふせ)の
     複姓で記される場合もある
     姓は臣のち朝臣、公卿、
     左大臣
     阿倍内麻呂の子
     子に
     広庭
     人主
     ↓↑
     阿倍 御主人
     は
     672年の
     壬申の乱で
     大海人皇子(天武天皇)方の功臣
     晩年には右大臣・太政官・従二位
     ↓↑
     百寮人が
     殯宮で慟哭したとき
     納言の
     布勢(阿倍)朝臣御主人が誄し
     ↓↑
     持統天皇二年
     (688年)十一月十一日・・・拾壱・足壱
     天武天皇が大内陵に葬られ
     布施-朝臣-御主人は
     大伴御行・・・・大(ダイ・おほ)は
             伴(ハン・とも)なう
             御(オン)・・・音
             行(ギョウ)・・行
     と共に誄した
 ↓↑  ↓↑
 のやま・・・・・・・能(ム月ヒヒ)山(サン)
           ム(よこしま・私・己)の
           解通(月・肉=ジク=字句)
           比々(日々・狒々・霏霏)の
           纂(簒)?
 ↓↑ ↓↑
 雑歌
 作者 阿閇皇女・・・阿倍皇女?
    羈旅 妹背 行幸
 ・・・羈=罒+䩻
 ↓↑  ↓↑ 罒+革+馬
      キ
      おもがい(面繋・面懸・面掛)
      馬の口に轡(くつわ)をはめるため
      頭部にからめる装具で頭絡にあたる
      轡 (くつわ) を固定するために
      馬の頭にかける緒
             対語は鞦(しりがい)
      たづな(手綱)
      たび
      たびびと
      つなぐ
      トリしまる
      つなぎとめる
      旅人・旅をする
      旅ずまい・旅暮らし
   ・・・面掛行列=神奈川県
           鎌倉市坂ノ下の
           御霊神社での
           行列行事
           鶴岡八幡宮の八月十五日の
 ↓↑  ↓↑      放生会で行われていた
    妹背=夫婦=兄と妹・姉と弟
      =伉儷(コウレイ)
       栄諧伉儷
       伉(コウ)=つれあい・配偶者
       儷(レイ)=「二つ並ぶ」という意
       儷=イ+麗(麓)
 ↓↑     ↓↑  ・・・高句麗・高麗
               麗=一+冂+丶+一+冂+丶+鹿
                =䴡
                 レイ
                 リ
                 うるわしい
                 うら(ら)
                 うら(らか)
                 つら(なる)
                 なら(ぶ)
                 うつくしい
                 ならぶ・つらなる
                 そろい・そろう・対になる
                 つく・くっつく
                 つける・くっつける
                 かかる・ひっかかる
            綺麗・華麗・美麗・秀麗・艶麗・絶麗
            ・・・駢儷
            美辞麗句・容姿端麗
         ・・・解語之花?=美人=楊貴妃・・・
                 『開元天宝遺事』   
           「高句麗・高麗」
                 うららか・うらら
 ↓↑     ↓↑         空が晴れて、穏やかなさま 
       四六駢儷
       駢四儷六
       四字句と六字句の対句を用いる
       修辞的な文体
      「駢」=馬を二頭並べて車につなぐ意
          対句という意
 ↓↑    「儷」=一対となって並ぶという意
 和歌山 紀州
 地名  土地讃美
 ↓↑
 羈紲之僕
     主君の旅の従者や随行者
    「羈」は馬の顔に付けるおもがい
    「紲」は馬の手綱のこと
     主人の馬車を操る従者
    「羈絏之僕」とも
    『春秋左氏伝(僖公二十四年)』
 狷介不羈
     意志固く
     何ものにも束縛されないこと
 曠世不羈
     長期間
     相手を服従させることはできない
     長い期間拘束することができないコト
    「曠世」=長期間
    「不羈」はなにものにも縛られないこと
    『文選』孫楚「為石仲容 与孫皓書」
 傲慢不羈
     人を見下し誰にも縛られない
     才能があり自由に振舞うこと
 独立不羈
 不羈自由
 不羈独立
 不羈之才
 不羈奔放
 不羈磊落
 放縦不羈
 放蕩不羈
 奔放不羈
 ↓↑
 朱鳥四年(690)九月
 持統天皇の
 紀伊国行幸の際の
 御製
 ↓↑
 阿閉皇女(元明天皇)は
 前年に
 夫の
 草壁皇子(日並皇子=ひなみしのみこ)
     (日並知皇子= ひなめしのみこ)
      壬申の乱(672)時・・・十一歳
      岡宮御宇天皇
      岡宮天皇
      長岡天皇
 を失い
 亡き夫への思いを籠めた歌
 ↓↑
 708年
 和銅元年(一月十一日改元)
 武蔵国より銅を献上、よって改元
 ↓↑
 和銅元年戊申
 元明天皇(阿閉)の御製
 ↓↑
 大夫(ますら)をの・・・・大(一人)
              夫(二人)
              之(これ・シ)
 鞆(とも)の・・・・・・・鞆(革丙)
              乃(すなわち)
 音すなり・・・・・・・・・音(おと・おん・イン)
              為
              奈(一人示)
              利(禾刂)
 物部(もののふ)の・・・・物部乃
 大臣(おほまへつきみ)・・大(一人)臣
 楯立つらしも・・・・・・・楯(木盾)
              立
              良(ら・よい・リョウ)
              思(田心)
              母(はは・ボ・モ)
 (万葉集1-76)
 ↓↑
 「物部の大臣」は
 石上麻呂を指すとする説
 即位の儀式においては
 石上氏(旧物部氏)
 榎井氏(物部系氏族)が
 楯を立てる慣例があった
 ↓↑
 和銅元年(708)十一月二十一日
 元明天皇(阿閉)
 即位
 大嘗祭が挙行
 この歌に和した
 御名部皇女
 の歌・・・
 御名部皇女・・・・・・オンミョウブコウジョ?
 (みなべのひめみこ) 音 名 生分控 除 ?
 斉明天皇六年(660年?~?)
 天智天皇の皇女
 母は
 蘇我倉山田
 石川麻呂の女(むすめ)
 蘇我姪娘(そがの-めいの-いらつめ)
 元明天皇(阿閉)の同母姉
 大宝律令施行後
 御名部内親王・・・オンミョウブナイシンノウ
          音 名 生分内 新 納 ?
 とも記述
 高市皇子の正妃
 長屋王の母
 ↓↑
 和銅一(708)年
 妹、
 元明天皇(阿閉)の不安を
 なだめるように
 元明天皇の歌に和した・・・
 ↓↑
 わご大君・・・・・・・吾(われ)
            大(おほい)
            王(おう)
 物な思ほし・・・・・・物(もの)
            莫(なかれ)
            御(おん)
            念(ねん)
 皇神(すめかみ)の・・・須(彡頁)
            賣(よむ)
            神(かみ)
            乃(すなわち)
 つぎて・・・・・・・・嗣(つぐ)
            而(しこうして)
 賜へる・・・・・・・・賜(たまわる)
            流(ながれ)
 われ無けなくに・・・・吾(あ)
            莫(なかれ・バク)
            勿(なかれ・ブツ・モチ)
            久(ひさしく)
            尓(に・ヤ)
 (万葉集1-77)
 ↓↑
 作者 御名部皇女
 奉和 御名部皇女
   (みなべのひめみこ)
    元明天皇(阿閉)の姉
 ↓↑
 和銅元年(708)戊申
 天皇御製
 御名部皇女 奉和御歌
  元明天皇(阿閉)に和(こた)へ奉る歌
 ↓↑
 吾大王・・・・吾が大君
 物莫御念・・・ものな思ほし
 須賣神乃・・・皇神の
 嗣而賜流・・・継ぎて賜へる
 吾莫勿久尓・・吾なけなくに
ーーーーー
 ・・・???・・・
 第21代
 雄略天皇の宮都で
 大泊瀬稚武
 (オオハツセワカタケル)
 天皇
 万葉集20巻4516首中の
 開巻第1首目
 ↓↑
 泊瀬(はつせ)
 朝倉宮(あさくらのみや)
  ・・・日下部朝倉=一乗谷・朝倉景勝・・・
 御宇天皇
 (代=大-泊瀬稚武天皇)
 天皇御製歌
 ↓↑
 篭毛與・・・・・こもよ
 美篭母乳・・・・みこ持ち
 布久思毛與・・・ふぐしもよ
 美夫君志持・・・みふぐし持ち
 此岳尓・・・・・この岳に
 菜採須兒・・・・菜摘ます子
 家吉閑・・・・・家告らせ
 名告<紗>根・・・名告らさね
 虚見津・・・・・そらみつ
 山跡乃國者・・・大和の国は
 押奈戸手・・・・おしなべて
 吾許曽座・・・・あれこそませ
 我許・・・・・・あをこそ
 告目背齒・・・・告らめ背は
 家呼毛・・・・・家をも
 名雄母・・・・・名をも
 (万葉集)
 ↓↑
 雄略天皇の皇女
 斎宮の
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)が
 湯人(ゆえ=皇子女の沐浴等の使用人)
 の    (湯人、此云 臾衞=ゆえ)
 廬城部連武彦・・・廬(いほり・ロ)の
          城の
          部連の
          武彦?
 の子供を妊娠したと
 阿閉臣国見・・・「阿閉」臣の「国見」
 ↓↑     名は「磯特牛(しことい)」?
          磯の特牛(こというし)
            牡牛=こというじ
            ・・・言問(ことと)符字(ふじ)?
               言 意宇字?
            大きくて丈夫な牡の牛(ウシ)
            頑強で重荷を
            背負うことのできるウシ
          磯特牛=キトクゴ・キトクギュウ?
     阿閉氏=阿倍氏・膳氏同様
         孝元天皇の皇子
 ↓↑       大彦命の子孫
 に讒言され
 武彦の父の
 枳莒喩(きこゆ)・・・枳=木+只
 ↓↑           =十+八+口+八
              キ
              シ
              からたち
              ミカン(蜜柑・橘)科の落葉低木
              非時香菓(ときじくのかくのみ)
              わかれる・枝分かれする
            莒=艹+呂=艹+ノ+吕(口口)
              キョ
              芋・さといも
              周代の国名
 ↓↑            山東省
 に
 禍が一家に降りかかることを恐れ殺され
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)も
 無実を訴えるため自殺した
 (雄略三年四月条)
 ↓↑
 皇女の母の
 葛城
 韓媛が
 父の
 円大臣・・・大日下王の子
 圓大使主(つぶらのおほおみ)
 圓使主   目弱(眉輪)皇子を
 ↓↑     守って討ち死
      「阿知使主
       仁徳天皇の死後
       履中天皇即位直前
       皇位を望む履中の同母弟の
       住吉仲皇子(すみのえのなかつ
       莒弗大連(もののべのいこふつのおおむらじ)
       円大使主(つぶらのおおみ)
 ↓↑     が、共に国事を執る」
 から
 即位前の
 雄略に
 妃として献ぜられ
 韓媛が
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)
 を産んだ・・・
 ↓↑
 「讒言事件」は
 外宮(伊勢神宮)の設立と年代が近かった
        ・・・だから・・・ナニ?
 阿閇臣国見は
 讒言が誤りだと判明した後
 伊勢神宮では無く
 石上神宮に逃げ込んだ・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・顛末不明・・・

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吾瓮(あへ)-海人(あま)-烏摩呂(からすまろ)?=神功皇后の新羅遠征の徴兵

2019-10-08 13:38:28 | 古事記字源
 日の本の根の子、天津の御代の豊国を成せる姫・・・ネコ?
 「ねこ」とはダレか?・・・「ねずみ」とはダレか?
 ↓↑




 阿閉皇女=元明天皇・・・・・・・阿部(あべ)皇女?
                 安倍(あべ )内親王?
 (あへのひめみこ)・・・ナゼ、「阿閉(あへ)」なのか?
 同音異字での使用なのか?
 ↓↑
 阿毎⇔海部・安倍・阿倍・阿閇・安部・阿部・阿拜・吾瓮⇔阿武・虻
                         天武后(武照)
        陪臣・陪審
        倍加・倍化
        部分・部署
        開閉・閉門・閉鎖
        崇拝・起拝・九拝・敬拝・再拝・参拝・跪拝
         拝跪・拝礼・拝殿・拝命・拝啓・拝見・拝借
        吾瓮海人烏摩呂=神功皇后の新羅遠征の徴兵
       (あえのあまのおまろ, あへのあまのをまろ)?
                朝鮮海峡の偵察に派遣され
               「国もみえず」と報告
        吾瓮 (あべ-の) 島
        神功皇后⇔魏志倭人伝・・・卑彌呼
             翰苑・・・・・・卑彌娥と記録
ーーーーー
 『則天武后』
 『則天武后(武照)』の皇后位の獲得には様々な確執があった後、「永徽六年(655)」の「王皇后」と「蕭淑妃」の「鴆毒誣告事件」を契機に正式な「高宗」の「皇后」となった。「王皇后」と「蕭淑妃」は『則天武后(武照)』の怒りをかって「杖刑一百」で刑死したのである。その時、「蕭淑妃」は『則天武后(武照)』に怨みと呪いの言葉で罵った。
 「『阿武』の奴め、私は『猫』となり、おまえが『鼠』なった来世で、おまえの咽喉を噛(咬)み切ってやる」
 と。『則天武后(武照)』を『鼠』に例えて罵ったのは彼女が「子年生まれ」であったから、との説があるかららしい。スナワチ、『則天武后(武照)』は「貞観二年(628)」の生まれ年の干支は「戊子(ツチのエのネ)」であった。そしてこの「戊子」は「ボシ」とも読むのだ。当然にも「古事記」や「日本書紀」の中では「ボシ」、「ホシ」、「ボジ」の同音異字に掛けられているとみるべきだろう。「星」、「干」、「補詞」、「補史」、「母子」、「母死」、「母字」、「母事」等の、「模字」で、「母鼠」の誕生と「音図見とりの描写」である。
 『則天武后(武照)』は憎くっき「王氏」を
 「蟒(ボウ・モウ・うわばみ・おろち)」、
 「蕭氏」を
 「梟(キョウ・シャオ・ふくろう・みみずく)」
 としてその記録上の「姓の漢字」を換えさせた。また後にも「武氏」を
 「蝮(フク・まむし)」、
 「李氏」を
 「キ(兀+虫=カイ・ケ)=まむし・とかげ・ひばかり」
 と凶悪な「字」をつけたらしい。日本では「孝謙称徳女帝」が「和気清麻呂」を「汚麻呂」とした記録がある。「キタナマロ」とは「記他名真賂」か、「企多名眞賂」である。「ヨゴレマロ」はアナタが漢字を当ててミてくれ・・・世後例間ロ、予後例眞賂・・・余呉、余語、四語・・・等の例を萬慮と。
 ドウ云うワケか気丈夫で勝気な『則天武后(武照)』も殺してしまった「王皇后」と「蕭淑妃」の亡霊、幽霊に悩まされて「竜朔三年(663)」に「西内の大明宮」から「蓬莱宮」に引越しし、さらには「長安」から逃れて「東都・洛陽」に住むようになった。
 唐王朝にとって「竜朔三年(663)」とは「白村江の海戦」での大勝利の年である
 『則天武后』と「現存・古事記」(1)・(51)
  『則天武后』と「現存・古事記、現存・日本書紀」

 ↓↑
http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2018/01/01/
 ↓↑
 生没年 661(斉明七)~721(養老五)
 天智天皇の第四皇女
 母は
 蘇我倉山田石川麻呂の女
 姪娘(めいのいらつめ。宗我嬪)
 草壁皇子との間に
 軽皇子(文武天皇)
 氷高皇女(元正天皇)
 吉備皇女をもうけた
 漢風諡号は元明天皇
 和風諡号は
 日本根子天津御代豊国成姫
 (やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)
 日
 の
 本
 の
 根=木+艮
 の
 子=一+了
 の
 天=二+人=一+夫
 の
 津=氵+聿・・・天津は環渤海湾地域の経済的中心地
       天津橋は隋の煬帝の庭園の川に架かる橋
       天津特大橋中国廊坊市および青県を結ぶ鉄道橋
       天津
       隋代、大運河が開通し
       南運河と北運河の交差地点の
       三会海口(金鋼橋三岔河口)が発祥
       中唐以降は南方からの食糧輸送基地
       金代には直沽寨
       元代には海津鎮が設置
       軍事拠点の要衝
       1400年(建文二年)
       朱棣(永楽帝)が兵を率いて南下
       皇位を簒奪
       皇帝が河を渡った場所を
       天津の地名とした
       1404年(永楽二年)
       軍事基地としての衛が設置
       翌年には天津左衛
       2年後には天津右衛が設置
       清代の1652年(順治九年)
       三衛が統合され天津衛とされ
       1725年(雍正三年)に天津州
       1731年(雍正九年)に天津府と改称
 御=彳+卸=彳+午+止+卩
 代=イ+弋
 豊=曲+豆
  =豐=丰+山+丰+豆
   豐=古代中国。殷の時代
     周の
     文王が
     岐山から・・・陝西省鳳翔県の北東にある山
            天柱山
            西周 (周 ) の始王,武王の3代前の
            祖である
            古公亶父 (ココウタンポ) が
            豳(ヒン)から移り
            武王の父
            文王が豐京 (西安付近) に
            都を移すまでの間
            この山の南麗を都にした
            文王が
            豊京に都を定めるまで周の都
            陝西省宝鶏市東方
            岐山県の東北にある山
            南麓は古公亶父(タンポ)が
            北狄に追われて
            豳(ヒン)から移りすみ
            周室の本拠地
            文王が豊京に遷都した後も
            周の聖地・箭括(センカツ)嶺
         本拠地を移した
         灃河のほとりの
         豊邑
         長安(陝西省西安市)の西 
 國=囗+或=囗+㦯(或)・・・逆字の「𠮛」の異体字「𠫔」
 成=万+戈=異体字「𢦩・𧶔」・・・勹の変形?
 姫=女+臣=姬=女+𦣞
 万葉集には
 阿閉皇女
 ↓↑
 707(慶雲四)年
 文武天皇崩御の後
 遺詔により即位(47歳)
 文武の遺子
 首(当時7歳)皇子(聖武天皇)を
 将来即位させるための
 中継的な天皇
 同年七月二十一日月日
 授刀舎人寮を新設
 十二月二十七日
 諸司の礼儀を正す詔
 708(和銅一)年二月十五日
 平城遷都の詔
 同年三月十三日
 石上麻呂を左大臣
 藤原不比等を右大臣
 に任命
 五月十一日
 和銅銀銭を発行する
 (翌年八月に廃止)
 七月十五日
 議政官を御前に召し
 善政の努力を継続せよと勅
 八月十日
 和銅銅銭発行
 「和同開珎」
 九月十四日
 菅原(奈良市菅原町・平城宮の西)行幸
 九月二十日
 平城巡幸
 九月二十二日
 山背国
 相楽郡
 木津川畔の
 岡田離宮に行幸
 九月二十七日
 春日離宮に至る
 十一月二十一日
 即位大嘗祭
 十一月二十五日
 県犬養三千代に
 橘宿禰の姓を賜う
 ↓↑
 709(和銅二)年二月二日
 筑紫観世音寺造営の促進を命ず
 同年八月
 平城行幸
 十二月
 再度平城行幸
 ↓↑
 710(和銅三)年三月十日
 平城京遷都
 ↓↑
 711(和銅四)年七月一日
 律令を正しく行うよう
 諸司に精勤を命ず
 九月十八日
 太安万侶
 を
 稗田阿礼誦む所の
 旧辞を撰録して献上させる詔(古事記序)
 十月二十三日
 蓄銭叙位令の詔
 十二月六日
 王臣の山野占有を禁ずる
 ↓↑
 712(和銅五)年一月二十八日
 『古事記』三巻
 太安万侶により撰上
 五月十七日
 律令が行き渡らず
 弾正台に
 月別三度諸司を巡察させ
 非違を正させる
 巡察使を毎年派遣を決める
 ↓↑
 713(和銅六)年五月二日
 風土記編纂の詔
 六月
 甕原離宮(恭仁京付近)行幸
 十月八日
 諸寺の田野占有を禁ず
 十一月五日
 文武天皇の嬪
 石川刀子娘
 紀竈門娘
 の名を貶し、嬪を廃す・・・?
 首皇子
 即位の障害を除去するための措置?
 十一月十六日
 親王・太政大臣に対し
 五位以上の官人は
 起立礼(床下に降り立っての拝礼)を
 六位以下は跪伏礼(座より避け蹄ずく)を命ず
 ↓↑
 714(和銅七)年二月十日
 紀清人
 三宅藤麻呂
 に国史撰修を命ずる
 『日本書紀』編纂事業着手
 閏二月
 二十二日
 甕原離宮行幸
 五月一日
 大納言 兼
 大将軍 正三位
 大伴安麻呂・・・・・大伴の安麻呂⇔太安萬侶?
 が薨じ従二位を追贈
 首皇子(聖武天皇)の立太子を実現
 ↓↑
 715(和銅八)年二月二十五日
 吉備内親王
 (草壁皇子と元明天皇の子
  長屋王の室)
 の男女を
 皇孫(二世王)の扱いとする
 三月一日
 甕原離宮行幸
 七月十日
 再び甕原離宮行幸
 九月二日
 退位(55歳)
 皇太子
 首皇子(聖武天皇)は
 年歯幼弱で深宮を離れ得ないため
 娘の
 氷高内親王(元正天皇)
 を中継ぎとして即位させる
 ↓↑
     聖武天皇の
 40天武天皇(曽祖父)・・・大海人
 41持統天皇(曾祖母)・・・鸕野讃良
 ↓↑
     聖武天皇の
 草壁皇子(祖父)・・・日並(ひなみし)
           岡宮御宇天皇
           岡宮天皇
           長岡天皇
 43元明天皇(祖母)・・・阿閉?・・・阿部?
 ↓↑
     聖武天皇の
 42文武天皇(父)・・・珂瑠(軽)
 44元正天皇(父の姉)・・・氷高(日高)
 ↓↑
 45聖武天皇(草壁の孫)・・・首
 ↓↑
 46孝謙=48称徳天皇・・・阿部?・高野姫
 ↓↑
 元明天皇陵(奈保山東陵)
 721(養老五)年五月三日
 不豫
 同年十月十三日
 病床に
 長屋王
 藤原房前
 を召して後事を託す
 房前を
 元正天皇の内臣に任命
 十二月七日
 崩御(61歳)
 大伴旅人が陵墓の造営
 十二月十三日
 奈保山東陵に葬られる(火葬)
 遺詔により喪の儀を用いず
 この間
 藤原不比等らを重用し
 律令官制の整備を進めた
 ↓↑
 万葉集には三首
 01/0035・0076・0078(一書云太上天皇御製)
 ↓↑
 阿閉皇女=元明天皇
 (あへのひめみこ) 
 草壁皇子
 との間に
 軽皇子(文武天皇)
 氷高皇女(元正天皇)
 吉備皇女
 をもうけた
 漢風諡号は元明天皇
 和風諡号は日本根子天津御代豊国成姫
 (やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)
 天皇
 「万葉集」には
 阿閉皇女・・・阿閉(あへい)?
ーーーーー
 ↓↑
 阿閉 貞征・・・阿閉(あつじ?)
 (あつじ さだゆき)
 戦国時代から
 安土桃山時代の武将
 浅井氏
 織田氏の家臣
 近江国
 山本山城主
 阿閉は、阿辻ともする・・・?
 代々北近江
 伊香郡の国人
 浅井氏が
 京極氏に代わって勢力を拡大すると
 これに従うようになった
 貞征は浅井家の重臣として
 北国街道や琵琶湖の湖北を見渡せる要害
 山本山城を任された
 ↓↑
 元亀元年(1570年)
 姉川の戦いに1000騎を率いて参陣
 磯野員昌
 浅井政澄
 に続く3段目に布陣
 姉川の戦い後も
 対織田戦に参陣
 山本山城が
 織田信長の攻撃を受けたが
 撃退
 天正元年(1573年)
 信長に内応し
 山本山に織田軍を引き入れ
 小谷城は孤立し
 主家滅亡の遠因をつくった
 八月八日
 子・貞大と共に
 信長に降参
 後すぐに
 朝倉攻めの先手を務めた
 このとき
 磯野員昌
 堀秀村
 と共に、一時
 越前国
 木ノ芽城
 の守備についた
 ↓↑
 『浅井三代記』で
 これらの功により
 伊香郡を与えられ
 北江は
 羽柴秀吉に
 一職支配権が与えられ
 貞征は
 伊香郡内の本領と
 浅井郡管浦の地などを
 安堵され
 秀吉の
 与力とされた
 ↓↑
 天正三年(1575年)
 越前一向一揆にも
 秀吉と共に参戦
 次第に秀吉の圧迫が募り
 竹生島の寺領の横領で訴えられたが
 竹生島にある扶持の過半を
 秀吉に取られたと
 貞大が信長側近の
 菅屋長頼に弁明している
 ↓↑
 天正五年(1577年)
 秀吉は中国攻めで
 播磨国へ赴くが
 阿閉父子は近江に留まり
 信長の旗本に組み入れられた・・・
 天正六年(1578年)十一月
 有岡城攻めに
 信長に従って参戦
 天正九年(1581年)
 伊賀攻め
 天正十年(1582年)一月十五日
 の左義長の爆竹でも
 近江衆のなかに名がみえる
 同年三月
 甲州征伐にも
 信長に随従
 ↓↑
 天正十年(1582年)
 本能寺の変の後
 明智光秀に加担
 秀吉の居城
 長浜城を占領
 山崎の戦いに参加し敗戦
 秀吉方に捕縛され一族全て処刑
 『天正記』『惟任退治記』によれば
 磔刑
 藤堂高虎
 渡辺了
 も一時期
 貞征のもとで
 家臣として仕えていた・・・
ーーーーー
 ???・・・
 白水郎(あま)有哉(あれや・なれや)・・・
     阿閉=あへ=阿辻=あつじ⇔阿部=あべ=阿武・・・
       ⇔阿毎⇔海部・海女⇔海鼠(なまこ)・・・猿女の舌切り?
 ・・・・阿閉=あつじ=あへ=元明・・・阿部?
 草壁=日下部=久坂部=草加部=苅部・・・・
 「日下部朝倉」・・・???

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ラ式蹴球=闘球=蹴球=rugby football・・・「断爛私報」・・・

2019-10-06 21:36:44 | 古事記字源
 太安萬侶の朝の報告・・・「萬朝報告」
 一乗谷城の戦い・・・「断爛私報」?・・・rugby football
 ↓↑
 ラ式蹴球=闘球=蹴球=rugby football
 ↓↑
 2019/10/05/20:18
 前半
 日本(16)vs(9)サモア
ーーーーー
 一乗谷城の戦い・・・刀根坂の戦い
 天正元年八月
 (1573年9月)
 織田信長・・・・織の田・・・織=糸+音+戈
         ・・・家紋は揚羽蝶
            織田木瓜紋(もっこうもん)
              木瓜(きうり)
              flowering quince
            瓜(うり)を輪切りにしたその断面
           「織田瓜」・ボケ(木瓜)?
            学名のspeciosa=美しい・華やか

      Chaenomeles=chaino(大きく裂けた)+melon(うり)
 と
 朝倉義景・・・朝の倉
        朝倉 義景=越前国の戦国大名・越前朝倉氏第十一代の当主
        日下部朝倉氏
 の間の合戦・・・
 ↓↑
 信長の報復
 永禄十三年(1570年)四月二十日
 越前出兵
 若狭武田家旧家臣の粟屋氏・熊谷氏らは信長に降伏
 浅井長政が信長を裏切って
 織田軍の背後を襲った
 元亀元年六月二十八日
 (1570年7月30日
  グレゴリオ暦8月9日)
 近江
 浅井郡
 姉川河原
 (滋賀県長浜市野村町付近)
 の合戦
 「姉川の戦い」が勃発
 浅井・朝倉連合軍は信長に敗れた
 ↓↑
 9~12月
 志賀の陣で
 信長を追い詰め、持久戦
 信長
 と
 将軍
 足利義昭が不和
 ↓↑
 義昭を中心とする
 反信長勢力
 「信長包囲網」構築
 浅井・朝倉氏
 武田信玄
 本願寺勢力
 比叡山延暦寺
 ↓↑
 元亀四年(1573年)四月
 武田信玄が病死
 7月
 槇島城の戦い
 で将軍義昭を京都から追放
 室町幕府を滅ぼした
 8月4日
 本拠・岐阜城へと戻り
 4日後に浅井氏の配下にあった
 山本山城主の
 阿閉貞征(あつじ・さだゆき)
 が、信長方に寝返り
 その日の夜のうちに岐阜を出発
 浅井方の家臣の離反が相次ぎ
 月ヶ瀬城が開城
 12日
 大嶽砦の麓の
 焼尾城の
 浅見対馬が降伏し
 織田方の城となった
 ↓↑
 天正元年八月十七日
 (1573年9月)
 乗谷城の戦い・・・刀根坂の戦い
 八月二十日、朝倉景鏡は裏切り、義景は自刃、朝倉滅亡
 九月一日、浅井長政は自害し、小谷城は落城
 小谷城は廃城さら
 領地は
 戦功のあった
 秀吉に与えられ
 長浜城を築いた
 ↓↑ ↓↑
 朝=龺+月
  十+日十 月
  チョウ
  あさ
  あした
  太陽が出てからしばらくの間
  天子が政治を行う場所
  朝廷に参内して天子にお目にかかる
  ひとりの天子が統治した期間
  同じ系統の君主が統治した時代
  「草+日+水」の会意文字
  草の間から太陽がのぼり
  潮がみちてくる時を示す
  「幹+舟」からなる形声文字
  東方から出る太陽
  「龺=英文:profound, brilliant, lofty
  「龺=mist」?
 ↓↑
 槿花一朝
 人の栄華は儚い
 「槿花」は植物のむくげの花
 むくげの花は
 朝に咲いて
 夕方には散ってしまうということから
 「槿花一朝の夢」
 ↓↑
 断爛朝報
 ばらばらになって
 どこがどう繋がるかわからない
 朝廷の記録
 「断爛」はちぎれてぼろぼろになること
 「朝報」は朝廷の記録
 中国の北宋の
 王安石が
 儒教の五経の一つの『春秋』を
 そしったという故事
 出典『宋史(王安石伝)』
 ↓↑
 朝秦暮楚
 一定の場所に生活の拠点をもたず
 ふらふらと放浪すること
 信念や主義などがすぐに変わる人
 朝には秦の国にいたのに
 夕には楚の国にいるという意味から
 出典 晁補之「北渚亭賦」
 ↓↑
 朝蠅暮蚊
 度量の狭く、くだらない人が
 集まってきて鬱陶しいこと
 朝には蠅がまとわりつき
 日暮れには蚊がまとわりつくという意味
 出典 韓愈「雑詩」
 ↓↑
 倉=亽+口
   亼+口
   人+丶+口
   人+一+口
   ソウ
   くら
   にわか
   くら・納屋・物をしまっておく所
   あわただしい・あわてるさま
   青い=蒼
 ↓↑
 倉=食の略体+口(入れる所)
   食糧となる新穀や青草を入れる納屋
   青草の青い色の意
   蒼(青草の色)
   滄(青い水)
   愴(青ざめる)
   創(さっと急に切る)
   急切な動作、あわてたさま
   乍(たちまち)と同系のことばにも用いる
 ↓↑
 萬朝報
 明治二十五年(1892)
 黒岩涙香
 が東京で創刊
 社会記事
 翻案小説
 などを載せ発展
 内村鑑三
 幸徳秋水
 堺利彦
 らが加わり
 社会批判を展開
 日露開戦前に
 非戦論を主張
 昭和十五年(1940)
 「東京毎夕新聞」に合併
 ↓↑
 萬朝報(よろずちょうほう)
 日刊新聞
 紙名は「よろず重宝」 のシャレから
 万朝報と新字体で表記されることも
 ↓↑
 1892年11月1日
 主筆を務めていた
 都新聞を辞した
 黒岩涙香の手により
 東京で創刊
 発行所名は「朝報社」
 「萬朝報社」は誤記
 日本の
 ゴシップ報道の先駆者
 権力者のスキャンダルを追及
 「蓄妾実例」といった暴露する
 醜聞記事で売り出した
 「蓄妾実例」
 第三面に扇情的な社会記事
 「三面記事」の語を生んだ
 ↓↑
 「永世無休」を掲げ
 「一に簡単、二に明瞭、三に痛快」
 をモットーとし
 低価格による販売と
 黒岩自身による
 翻案小説の連載
 (『鉄仮面』『白髪鬼』『幽霊塔』
  『巌窟王』『噫無情』等々)
 家庭欄(百人一首かるた
     連珠(五目並べ)を流行らせた)
 や
 英文欄の創設等で大衆紙として発展
 1899年
 発行部数が東京の新聞中第1位に達した
 記者
 三木愛花により
 相撲・将棋の記事
 1908年(明治四十一年)
 掲載開始の
 「高段名手勝継将棋」は
 初の将棋の棋戦連載
 1901年
 「理想団」を結成
 労働問題や女性問題を通じ
 (「蓄妾実例」にも企画開始時には
  事実上の一夫多妻制など
  日本女性の境遇に対する
  問題意識がうたわれていた)
 社会主義思想から社会改良を謳って
 日清戦争時の世論形成をリード
 その後
 主たる購買者であった労働者層をめぐって
 『二六新報』と激しい販売競争を展開
 日露戦争開戦の折
 最初は非戦論を唱えていたが
 世間の流れが開戦に傾き
 社論を主戦論に転じ
 黒岩自体も主戦論者となった
 非戦を固持した
 幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社
 一時淡紅色の用紙を用いたため
 「赤新聞」とも呼ばれ社業は傾き
 黒岩の死後は凋落
 1940年10月1日
 『東京毎夕新聞』に吸収され廃刊
ーーーーー
 ヤッタァ~ッ!!!・・・
 2019/10/05/21:24・・・
 日本(38)vs(19)サモア
 ↓↑
 サモア=モア神の聖地
 サモア独立国
 (サモア語 Mālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa
  英語 Independent State of Samoa)
 南太平洋(オセアニア)に位置
 イギリス連邦加盟国のひとつ
 サモア諸島のうち
 西経171度線を境として西側に位置
 この経度を境に
 アメリカ領サモア
 と
 サモア独立国に分割されている
 ウポル島、サバイイ島
 および
 7つの小島からなる国家
 首都はウポル島北部にある
 アピア
ーーーーー
 ・・・2009年9月29日 - 朝6時48分頃
    アピアの南方約195kmを震源として
    マグニチュード8.1
    の地震発生・・・約10mの津波が襲う・・・
ーーーーー
 始まった・・・
 ニュージーランド vs ナミビア
 10/06/14:35
 前半
 ニュージーランド(24) vs (9)ナミビア
 ・・・ニュージーランド つよいッ!!・・・
 10/06/15:40
 後半
 ニュージーランド(71) vs (9)ナミビア

 ナミビア共和国(Republic of Namibia)
 アフリカ南西部に位置
 北にアンゴラ
 北東にザンビア
 東にボツワナ
 南に南アフリカ共和国
 と国境を接し
 西は大西洋に面する・・・
 ・・・
 Republic of Namibia
 (リパブリク・オヴ・ナミビア)
 通称、Namibia
 アフリカーンス語表記
 Republiek van Namibie
 (レピュブリーク・ファン・ナミビエ)
 通称、Namibie
 ドイツ語表記
 Republik Namibia
 (レプブリーク・ナミービア)
 通称、Namibia
 ↓↑
 古代
 ナミビアの領域には元々は
 コイサン人
 (コイコイ人・ナマ人・サン人など)
 が居住
 14世紀
 バントゥー系民族の拡大
 バントゥー系諸民族が支配
 16世紀~17世紀
 ヘレロ人、ダマラ人、オカヴァンゴ人
 などが定着
 ナミビア民族(nation)形成
 ↓↑
 ナマ人(Nama People)
 南アフリカ、ナミビア、ボツワナに居住
 コイサン諸語に属すナマ語を話す
 ナマ人は
 コイコイ人系民族
 のなかでは最大の民族
 他のコイコイ系民族はほとんど消滅
 多くのナマ人のグループは
 中央ナミビアに住み
 他の小さなグループは
 南アフリカとナミビアの国境の
 ナマクアランド
 に住む
 ↓↑
 ヘレロ(Herero)
 バントゥーに属する民族
 大部分がナミビアに居住
 農業、商業、専門職等に従事
ーーーーー
 ・・・???・・・ハハハハッ・・・「断爛私報」?

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Tangier=タンジェ=タンジール=丹路留・當西亜・丹吉弥・丹吉爾・・・喜望峰

2019-10-05 19:50:44 | 古事記字源
 ジブラルタル海峡⇔日拉達・治部良留多留・字部等留足
 アフリカ大陸最南端・・・喜望峰・・・
 頭の天辺、額はモロッコ・・・タンジール (Tangier)・・・
 モロッコ西北岸の
 タンジェ(ベルベル語 Tin Iggi
      アラビア語‎ ṭanǧah
      フランス語 Tanger
      スペイン語 Tánger タンヘル
      ポルトガル語 Tânger タンジェル
      英語 Tangier)
 タンジェ=タンジール=丹路留・當西亜
            丹吉弥・丹吉爾
  ・・・丹=硫黄と水銀の化合した赤土・黄色みをオビた赤色顔料
       道家における長寿・不老不死の薬
       辰砂(シンシャ)
      丹=あか・に・あかい色
        丹朱・丹頂
        まごころ
        丹誠・丹念
        よくねった薬・不老不死の薬
        丹薬・仙丹
        丹波の国・丹州
        金丹・ 仙丹・牡丹・煉丹・・・仁丹
 モロッコ=摩洛哥・馬羅哥・莫羅哥・茂禄子
 「アル=マグリブ・ル=アクサー=極西=日の没する地」
 古代カルタゴ・ハンニバル・・・
 ↓↑
 つよし!!・・・南アフリカ(49)vs(3)イタリア・・・
 ↓↑

 ジブラルタル海峡
 (Strait of Gibraltar・Estrecho de Gibraltar)
 ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡
 ジブラルタル
 日拉達・治部良留多留
 日巴拉太
 日巴拉爾太・日巴拉太・義入塔・直布羅陀

 ジブラルタル海峡
 北はイベリア半島のスペイン
 イギリス領ジブラルタル
 南はモロッコ
 西に大西洋
 東に地中海
 北岸のジブラルタルはイギリス軍が駐屯
 南岸のセウタにはスペイン軍が駐屯
 ↓↑

 蒸気フリゲート
 オーディン号
 オーディン(オージン)
 北欧神話の主神にして戦争と死の神
 詩文の神
 吟遊詩人の
 パトロン
 魔術に長け、知識に対し非常に貪欲
 自らの
 目や命を
 代償に差し出すことも・・・
 ↓↑
 オーディン
 odr(狂った、激怒した)
 +
 inn(~の主)
 の
 「狂気、激怒の主」を意
 ↓↑
 古英語形の
 Ƿōden(Wōden・ウォーデン)
    ウォーデン=語源は「吹く」
         「風の神」
 現代英語
 Woden, Wodan(ウォウドゥン)
 ドイツ語で
 Wotan, Wodan (ヴォータン、ヴォーダン)
 8世紀にイタリアで書かれた
 『ランゴバルドの歴史』では
 「G(w)odan(ゴダン)」・・・語談・語譚・誤談・誤断
 という名前

 ↓↑
 『ゲルマーニア(タキトゥス・97年~98年)』
         多記(他記)当洲(諏)?
         瀧 訳有諏・・・鳴滝塾・・・蘭学
          シーボルト=施福多
         置維「波斯(ペルシャ)」徳利=Siebold
 ↓↑       ↓↑           ↓↑  ↓↑
      フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
 ↓↑     Philipp   Franz   Balthasar   von   Siebold
 ゲルマーニア ・・・解留真雅似蛙?
 ゲルマン人・・・・・解留萬訊?
 の最も尊崇する神を
 メルクリウス
  ・・・女留句理(メルクリ)
  ・・・・・碓(うす・タイ)?
 と呼んだ
 ギリシア・ローマの
 ヘルメース・メルクリウス・・・経留海布得素?
 と同じく
 疾行の神であったゲルマンの神
 ヴォーダン(オーディン)を指す
 オーディンは
 メルクリウス同様
 知恵と計略の神で
 ローマ暦で
 「メルクリウスの日」にあたる
 「水曜日」は
 ゲルマン諸語で
 「オーディンの日」と呼ばれ
 水曜日は・・・ナゼ、風曜日ではないのか?
 ↓↑   ・・・「暴風雨」の曜日?
     ・・・惑星、水星の曜(かがや)く日だった・・・
     水星( 辰星)はマーキュリー
        辰=厂(崖)+衣(ころも)
        ・・・崖の旗=崖で風にハタメク?
           揺らぐ・波打つ 
          シン
          たつ
          とき・ひ・時刻
          十二支の五番目
          方位の東南東
          時刻の午前八時、前後の二時間
          動物では竜
          太陽と月と星のこと
          二十八宿の一つ・なかごぼし
          朝・早朝
          嘉辰令月
          吉日良辰
          吉辰良日
          日月星辰=「辰」は日月星の総称
               天体や空
 ↓↑  ↓↑          出典『太平記』
    辰+α
    辱・・・恥辱・屈辱
    振・・・振幅・振動・・・
    震・・・地震・激震・劇震・震旦
    唇・・・口唇
    農・・・農耕
    辳=農・・・田畑を耕す
    辴・・・チン
        笑うさま
    辴=單+辰
      吅+日+十+辰
      口+口+日+十+辰
    䢉・・・䢉=臼+囟+辰
          臼+丿+龱+辰
  ↓↑       臼+丿+囗+㐅+辰
 辰+α
 褥・辳・震・耨・蕽・憹
 濃・薅・縟・膿・麎・穠
 鎒・禯・襛・曟・辴・䢉
 醲・鷐・陙・浱・㖘・磭
 㺜・缛・䆣・侲・䢆・屒
 赈・䥎・擃・檂・燶・㰮
 䃩・䟴・噥・誫・桭・鬞
 滣・㦺・䀼・䔚・傉・裖
 䢇・嶩・䫃・欁・齈・癑
 㲀・繷・䅶・䢅・媷・譨
 䣅・搙・漘・㫳・䁸・䞅
 嗕・䢈・帪
 ↓↑
 蕽=艹+農
   艹+曲+辰
   ドウ
   ノウ
  「蓬蕽(ほうのう)」=葦(あし)の花
 ↓↑
 麎=鹿+辰
   シン
   動物の名
   四不像(しふぞう)の雌
   シカ科の動物
 ↓↑
 鷐=日+辰+鳥
   シン
   「鷐風(しんぷう)」
   鳥の名・鷂(はいたか)
   タカ科の鳥
 ↓↑
 儂=亻+農
   亻+曲+辰
   ドウ
   ノウ
   わし
   われ
   自分を意味する俗語
   あなた・おまえ
   相手を呼ぶ俗語
   かれ・彼を意味する俗語
 ↓↑
     ヘルメスは
     古代ローマでは
        メルクリウスと同一視され
        メルクリウスは
 ↓↑   英語のマーキュリー (Mercury = 水星) の語源
     水星の公転周期(水星の1年)は約88日
     自転の周期は約59日
     水星の1日は
     地球の176日
     商業と盗賊の守護神
        メルクリウス( Mercury)
     ゼウスとプレアデス姉妹のひとり
 ↓↑   マイアの子供
 英語で Wednesday
 ドイツ語でWotanstag (Mittwoch)
 オランダ語でwoensdag
 デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語で
 onsdag
 ユグドラシルの根元にある
 「ミーミルの泉」の水を飲むことで
 知恵を身に付け
 魔術を会得した
 片目はその時の代償として失った
 オーディンは
 ルーン文字の秘密を得るために
 ユグドラシルの木で首を吊り
 グングニルに突き刺されたまま
 9日9夜
 自分を最高神オーディンに、自分自身に捧げたが
 縄が切れて助かった
 オーディンに捧げる犠牲は
 首に縄をかけて
 木に吊るし槍で貫く
   ・・・さがりき=懸木(相楽)=さがらか
           丹波の四女王
           京都府相楽郡和束町白栖
           垂仁天皇に召し上げられた
           美知能宇斯王の4姉妹の
           比婆須比売命(ひばすひめのみこと)
           弟比売命(おとひめみこと)
           を二柱を宮廷に留(とど)めたが
           歌凝比売命
           と
           円野比売命
           は容貌が醜いと
           国許に送り返され
           途中、山代国の相楽で
           円野比売命
           木の枝に懸って死のうとしたので
          「懸木」と名づけ・・・懸ける記紀
           弟国・・・(乙訓・乙州)?
          (おとくに・京都府乙訓郡・長岡京市周辺)
           に着いた時
           深い淵に身を投じて自殺
           その地を
           堕ち国(おちくに)
           といい
           弟国(おとくに)・・・音句爾(似)
           というようになった
 ↓↑
 神々の世界
 アースガルズにある
 ヴァーラスキャールヴに住み
 フリズスキャールヴに座り
 世界を見渡している
 ↓↑
 グラズヘイムにある
 ヴァルハラに
 ワルキューレによって
 エインヘリャル(戦死した勇者)を集め
 ラグナロクに備え
 大規模な演習を毎日行わせる
 演習では敗れた者も
 日没とともに再び蘇り
 夜は大宴会を開き
 翌日にはまた演習を行う
 ↓↑
 愛馬は
 八本足の
 スレイプニール
 フギン(思考)
 ムニン(記憶)
 という
 二羽の
 ワタリガラス(渡り烏・雅)
 を世界中に飛ばし
 二羽が
 持ち帰るさまざまな情報を得ていた
 足元には
 ゲリ・・・・・・・・・・解理・鳧・蹶り・蹴り
 フレキ(貪欲なもの)・・振れ記
 という
 2匹の狼がおり・・・・・オオカミ・大神・大上
 オーディンは自分の食事は
 これらの狼にやって
 自分は葡萄酒だけを飲んで生きている
 ↓↑
 長い髭をたくわえ
 鍔(つば)の広い
 帽子を目深に被り
 黒いローブを着た
 老人
 戦場では黄金の兜を被り
 青いマントを羽織って
 黄金の鎧を着た姿
 ↓↑
 トールと口論した
 渡し守
 ハールバルズ
 の正体は
 変装した
 オーディンで
 ゲイルロズ王の城を訪ねて
 炎の中に座らされた
 グリームニル
 も
 オーディンの別の姿
 ↓↑
 霜の巨人の
 スットゥング
 が隠匿していた詩の
 蜜酒を略奪するため
 オーディンは
 蛇に変身し
 蜜酒のある場所へ侵入
 蜜酒の番をしていた
 スットゥングの娘
 グンロズ
 の前で美青年の姿に変身し
 3夜を共にした後
 彼女から
 3口分の
 蜜酒を飲ませてもらった
 オーディンはその3口で
 蜜酒の3つの容器を空にすると
 素早く
 鷲(わし)に変身して・・・倭史?
 アースガルズ・・・・・・・明日賀留杜?
 へ戻った
 蜜酒は詩の才能のある人間たちに
 オーディンによって
 与えられることとなった
 ↓↑
 最後は
 ラグナロクにて
 ロキの息子である
 フェンリル
 によって飲み込まれる
 (噛み殺される)
 ↓↑
 8本足の
 駿馬
 スレイプニル(Sleipnir)
 に乗って冥府までも駆け
 フギン(Huginn)
 ムニン(Muninn)
 という
 2匹の
 鴉に
 世界の出来事を伝えさせている
 足元に
 ゲリ(Geri)
 フレキ(Freki)
 という
 2匹の狼がつき従い
 オーディン
 から食物を貰っている
 ↓↑
 ゲルマン諸語における
 「水曜日(Wednesday)」
 オランダ語 woensdag
 デンマーク語
 ノルウェー語
 スウェーデン語
 のOnsdagは
 いずれも
 「オーディンの日」に由来している
 ↓↑
 アース神族の王で
 北欧神話における主神
 神々の最高神
 原初神ブーリの息子
 ボル
 と巨人族の娘
 ベストラの子
 兄弟の
 ヴィリ・ヴェー
 とともに始祖の巨人
 ユミルを巨人族もろとも打ち倒し
 ユミルの身体から
 世界を
 2本の木の幹から
 人間を創造
 ↓↑
 戦争と死の神
 魔法の神
 詩を司る神
 様々なものに姿を変える
 変身能力も備え
 それにあわせて
 数多くの名前を持ち
 全てあわせると数十にもなる
 ↓↑
 世界樹
 ユグドラシル・・・由具土羅詞留?
 で
 グングニル・・・・具務供似留?
 で身体を刺し貫いたまま
 九日九晩首を吊り
 9つの詩と
 18のルーンを覚えた
 知識の泉
 ミーミル・・・耳留・見巳留?
 の泉で
 その水を飲み
 洞察力を得る代償に
 自らの片目を差し出し
 「隻眼の神」とも呼ばれ・・・隻眼=一つ目
 失った片目を隠すように
 帽子をかぶった姿で描かれる
 ↓↑
 最終戦争
 ラグナロク・・・・等愚名賂句?
 で
 巨大狼・・・・大神?
 フェンリル・・・・敷衍(敷延・布衍・不縁)理留?
          符得務理留?
 に呑み込まれ
 最期を遂げると
 予言されている
ーーーーー
 ・・・???・・・「天照大神」に敗北した「須佐之男」・・・?

コメント
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長旅の船中で「古事記・日本書紀」を読んだか?

2019-10-03 21:32:18 | 古事記字源
 双子・・・一乱性、二乱性・・・「一覧・二蘭・三藍」所為?
 観覧車(Ferris wheel)・・・観覧者・・・ダレ、ナニ・・・Viewing?
 ・・・観覧者=spectator・paying visitor・visitor・・・
 見たり観察したりする行為
 the act of looking or seeing or observing
 検分・眺・眺め・観覧・観察・見ること・詳しく見る 
 目での認識・目で認識する力
 perceive by sight or have the power to perceive by sight
 perceive(パスィーヴ)・知覚する・気づく・感じる
 see or watch
 ↓↑
 双子の確執?・・・一卵性 or 二卵性・・・?
 ・・・「一乱・二乱」背意・・・「一覧・二蘭・三藍」の所為?
 ↓↑
 旧約聖書・・・旧訳誓書・・・旧訳の所為(せい)の処(ショ)?
 ↓↑
 エサウ(Esau) 兄・・・・重差得・餌得?
 ヤコブ(Jacob)弟・・・・耶鼓舞・爺瘤・椰混布?
 双子の兄弟
 ↓↑
 祖父はアブラハム
 父はイサク(Isaac・意味は笑う)60歳
 母はリベカ(Rebekah・カルデア人)・・・珂瑠出蛙?
 長子相続権の祝福譚

 ↓↑
 出産で
 先に出てきた子は
 色が赤くて
 全身が
 毛皮(セアル)の
    ・・・毛皮=モウ匕・けがわ
 衣のようであり
 エサウ
 と名づけられた
 エサウは狩人となり
 父イサクに愛されたが
 長子としての特権を
 レンズ豆のスープ一杯で
 弟ヤコブに売り渡した
 空腹のあまり
 弟ヤコブの作っていた
 レンズマメ
    ・・・マメ(豆)科ヒラマメ(扁豆)属の一年草、種子
       光学用「レンズ(蘭語 lens)」の語源
 の煮物を望み
 自分の長子の権利を譲ると
 口約束をする
 目が見えなくなっていたイサクは
 長子エサウに祝福を与えようとしたが
 リベカは
 自分の愛した・・・ナゼ、双子の弟を愛したのか・・・二卵性だった?

 ヤコブに知恵をつけ
 エサウ
 のフリをさせて
 イサクの祝福を
 ヤコブに与えさせ
 エサウはソレに激怒し
 ヤコブを殺そうとする
 リベカは自分の兄の
 ラバンの元へ
 ヤコブを逃亡させた
 ↓↑
 後
 エドムのエサウのもとに
 ヤコブが訪れるが
 エサウは四百人の供で迎え
 ヤコブは恐れるが
 エサウはヤコブとの再会を喜ぶ
 ↓↑
 子孫は
 エドム人
 古代パレスチナに居住した
 セム系民族・・・・・・責務・施武・施ム?
 現在のエジプト(埃及)人
 ↓↑   ↓↑
 「文久遣欧使節」は長旅の船中で
 「旧約聖書、新約聖書」を読んだか?
 使命は「旧約条約」から「新約条約」への改正・・・
 ↓↑   ↓↑
    ・・・文久遣欧使節(第1回遣欧使節、開市開港延期交渉使節)
    江戸幕府がオランダ、 フランス、イギリス、プロイセン、ポルトガル
    との修好通商条約(1858年)で交わされた
    両港(新潟、兵庫)
    両都(江戸、大坂)
    の開港開市延期交渉と
    ロシアとの
    樺太国境画定交渉のため
    文久元年(1862年)
    ヨーロッパに派遣した最初の使節団
ーー↓↑ーー
 竹内遣欧使節
 文久遣欧使節
 第1回遣欧使節
 開市開港延期交渉使節
 ↓↑
 江戸幕府が
 オランダ、フランス、イギリス
 プロイセン、ポルトガル
 との
 修好通商条約(1858年)
 で交わされた
 両港(新潟、兵庫)
 両都(江戸、大坂)
 の開港開市延期交渉と
 ロシアとの
 樺太国境画定交渉のため
 文久元年(1862年)
 ヨーロッパに派遣した最初の使節団
 ↓↑
 正使、竹内保徳(下野守)
 副使、松平康直(石見守、後の松平康英)
 目付、京極高朗(能登守)
 他
 柴田剛中(組頭)
 福地源一郎
 福沢諭吉
 松木弘安(後の寺島宗則)
 箕作秋坪
 らが一行に加わり
 総勢36名
 後日
 通訳(蘭語、英語)の
 森山栄之助
 渕辺徳蔵
 が加わり38名となった
 ↓↑
 万延元年遣米使節
 ↓↑
 オールコック駐日英国公使
 ベルクール駐日仏国公使
 オールコックは当初
 開港延期交渉に関しては反対の立場
 幕府の内情を知るにつれて
 これを支援
 自身の休暇帰国を
 一行の日程と合せ
 交渉のサポートを行った
 ↓↑
 文久元年十二月二十二日・・・文究元念拾字解通似拾字?
 (1862年1月21日)
 英国海軍の
 蒸気フリゲート
 オーディン号(HMS Odin)で・・・緖有出音語雨?
 品川港を出発
 長崎、英領香港、英領シンガポール
 英領セイロン、英領イエメンを経て
 エジプト(埃及)・(スエズ蘇士)
 に上陸
 鉄道で
 カイロ(改羅・開羅・該禄)
 から
 アレクサンドリア(亜歴山特)
 に出
 地中海を渡り
 英領マルタ(摩爾太・馬爾太・馬爾達・馬児達・馬耳他
       瑪児太・馬他・丸太・丸田・馬耳他・馬爾他)
 を経て
 マルセイユ(馬耳塞)
 に入った(4月3日)
 パリに到着(4月7日)
 フランス(仏蘭西)
 と交渉
 開港延期の同意は得られなかった
 後、
 カレー(Calais・珈竰?)
     ・・・ドーバー海峡=カレー海峡
       (ドーバー海峡・Strait of Dover)
 から英仏海峡を横断
 文久2年4月2日(1862年4月30日)
 イギリス・ロンドン(London・倫敦)
 ↓↑    ロンディニウム
      (Londinium・沼地の砦)
       沼=ぬま=「渟」
         異体字「汀」
      和風諡号は天「渟」中原瀛真人
             渟=氵+亭
               氵+亠+口+冖+丁
               テイ
               たマる
               とどマる
               とメる
               たたえる・水がたまる・水たまり
               とまる・とどまる・とどめる


               茅渟海=ちぬ-の-うみ
                血沼・智奴・茅沼


               渟足柵(ぬたりのき)
               飛鳥時代
               647年(大化三年)信濃川右岸に設置
               日本海方面の蝦夷(エゾ)征討のため
               越後国に設けられた基地
               木柵で囲まれた城柵で
               柵戸(キノヘ、サクコ)
               と呼ばれる
               屯田兵的な民が守備していた
               647年(大化三年)信濃川右岸に設置
 ↓↑             ↓↑          
             天武天皇
             諱は大海人
             在位
             天武二年二月二十七日
            (673年3月20日)
             ~
             朱鳥元年九月九日
            (686年10月1日)
             天武天皇元年(672年)6月22日~7月23日
             天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
            (ユリウス暦672年7 月24日~8月21日)
            「壬申の乱」に勝利
      イギリス・ロンドン(London・倫敦)
 ↓↑    ↓↑
      古代ローマ帝国の都市
      ブリテン島に侵入していたローマ人が
      紀元後1世紀頃に造った町
      セント・ポール大聖堂の近くの
      テムズ川北岸の一画を
      3辺の城壁で囲み
      川に橋をかけて建設された
      ・・・雨の倫敦
 ↓↑    ・・・天の論譚・龍動(longdong)
 に到着
 日本の内情を知る
 オールコックが休暇帰国するのを待ち
 オールコックの協力を得
 同年5月9日(6月6日)
 日本国内の事情に鑑み(攘夷熱)
 兵庫、新潟、江戸、大坂の開港
 開市を5年延期
 1868年1月1日
 ロンドン覚書が調印
 ↓↑
 その後
 オランダ(6月13日 - )
 プロイセン・ベルリン(7月18日 - )
 と他国とも同様の覚書を締結
 後
 ロシア・サンクトペテルブルク(8月8日 - )
 樺太国境画定に関する
 ロシアとの交渉は合意に至らなかった
 ↓↑
 復路で
 カウナス、プロイセン王国
 フランス帝国(パリ覚書締結)
 を経てポルトガルを訪れた(10月9日 - )
 帰路は
 英領ジブラルタルを経由
 往路とほぼ同じ行路をたどり
 文久2年12月11日(1863年1月30日)
 一行は帰国
 ↓↑
 ロンドン万国博覧会に合わせて滞在
 ロンドン万博の日本コーナーには
 オールコックが収集した品が展示
 日本の物品が展示された最初の万博
ーー↓↑ーー
 ・・・第2回遣欧使節、池田使節団は
   「攘夷勅命を撤回し」
   「」
    長旅の船中で
   「古事記・日本書紀」を読んだか?
 使命は「旧約条約」から「新約条約」への改正・・・
 ↓↑
 第2回遣欧使節
 池田使節団
 横浜鎖港談判使節団
 文久三年十二月二十九日
 (1864年2月6日)
 ~
 元治元年七月二十二日
 (1864年8月23日)
 ↓↑
 正使
 池田長発(筑後守)
 副使
 河津祐邦(伊豆守)
 目付
 河田熙(相模守)
 ↓↑
 幕府がフランスに派遣した外交団
 である。第2回遣欧使節、池田使節団
 ↓↑
 使節団の目的
 開港場、横浜を再度閉鎖する交渉
 孝明天皇は
 文久3年5月10日(1863年6月25日)に
 攘夷勅命を発し
 幕府は
 5月9日(1863年6月24日)に
 各国公使に対して開港場の閉鎖を通達
 諸外国はこれを拒否
 幕府も9日後にはこれを撤回
 ↓↑
 下関事件・・・1863年6月25日
        文久三年五月十日
        馬関戦争
        長州藩が米商船ペンブローグ号を砲撃
        長州藩が馬関海峡で米仏蘭商船を砲撃
 薩英戦争・・・1863年8月15日~17日
        文久三年旧暦七月二日~四日
        薩摩藩とイギリス海軍の戦闘
 フランス士官カミュ殺害事件
        1863年10月14日
        文久三年九月二日
        武蔵国久良岐郡井土ヶ谷村字下之前
       (神奈川県横浜市南区井土ヶ谷下町3付近)
        で起きた
 ↓↑      攘夷派の浪士によるフランス士官殺傷事件
 等が起きて諸外国との軋轢
 幕府は攘夷派を懐柔するため
 江戸に近い横浜の閉鎖を交渉するため
 使節団を派遣
 フランス士官殺害事件
 の賠償交渉も含まれていた
 ↓↑
 文久三年十二月二十九日
 (1864年2月6日)
 フランス軍艦
 ル・モンジュ号で日本を出航
 上海やインド等を経由
 スエズからは陸路で
 カイロへ向かい
 ギザの三大ピラミッド
 スフィンクスを見学
 その後地中海を通って
 マルセイユに入港
 パリに到着
 皇帝ナポレオン3世
 に謁見した
 交渉を途中で打ち切り
 5月17日(6月20日)
 フランス政府と
 パリ約定を結び
 一行は他の国には寄らず帰路に就き
 同年7月22日(8月23日)に帰国
 ↓↑
 7月27日(8月28日)
 四国連合艦隊が横浜を出航
 四国艦隊
 下関砲撃事件が勃発
ーーーーー 
   埃及=エジプト
 ↓↑ 埃=土+矣
     =十+一+厶+矢(𠂉一人)
      土+厶+矢(𠂉一人)
      アイ・・・合
      ちり・・・地理・知理・塵
      ほこり・・誇り
      ごみ・・・語見・後観
      砂ぼこり・土ぼこり・・・札幌で馬糞風?
              カイロ(改羅)で駱駝糞風?
      矣(イ)=文末にそえる助字
           断定・推量・疑問・反問・感嘆の意
 ・・・エドム(Edom)⇔江戸の武(務・ム=私・己)?
 ↓↑
 エサウは一度は
 弟ヤコブと和解するが
 息子たちに
 長子の権を
 ヤコブに奪われた事を批判され
 ヤコブとその一族への復讐を催促され
 弟への憎悪がよみがえり
 一族を率いて
 ヤコブとのその家族を襲ったが
 ヤコブに矢を放たれ死亡
 ヤコブは兄を埋葬し
 エサウの一族は
 ヤコブの一族の奴隷となる・・・?
 ・・・日本人(倭人)の私には
   「勧善懲悪」でない物語には納得しかねる・・・
    狡い
   「ヤコブ」は「神」にとって「善」なのか・・・?
   善悪ではなく、一族が生き延びる「スベ」のモノガタリ・・・
 ↓↑
 ヤコブ(Jacob)
 ヘブライ人族長
 別名はイスラエル
 イスラエル人=ユダヤ人は
 ヤコブの子孫・・・
 ↓↑
 ヤコブは双子の
 兄エサウを出し抜いて長子の祝福を得
 兄から命を狙われ逃亡
 その途上
 天国に上る階段の夢(ヤコブの梯子)を見て
 自分の子孫が偉大な民族になるという
 神の約束を受ける
 ハランにすむ
 伯父
 ラバンのもとに身を寄せ
 財産を築いて独立・・・
 ↓↑
 兄エサウとの和解を志し
 会いに行く途中
 ヤボク川の渡し
 (後に彼がペヌエルと名付けた場所)
 で
 神と格闘し・・・相撲(すまひ)
 ↓↑      角力(鹿の角会せ・角技)
         垂仁天皇の時
         野見宿禰(のみのすくね)
         と
         当麻蹴速(たいまのけはや)
         が争った
         レスリング(Wrest-ling)
         wrest=奪う・ねじ取る・もぎ取る
         ling=小さい・未熟な・追随者
            ~に関係ある人、モノ
            リング
            タラ(鱈・太良・多良)科
 ↓↑         の食用魚
 勝利した
 神の勝者を意味する
 「イスラエル=イシャラー(勝つ者)」・・・医者等蛙?
 「エル(神)」・・・エル=L=乚=乙=える・選る・得る・獲る
 ↓↑        エルメス⇔ヘルメス
           エルメス(Hermès)社は馬具工房
           ヘルメース(Hermēs)
           ギリシア神話の神
           ヘルメスとも表記
            ↓↑
           オリュンポス十二神の一人
           神々の伝令使
           ゼウスの使い
           旅人、商人などの守護神
           能弁、境界、体育技能、発明、策略
           夢と眠りの神
           死出の旅路の案内者
           聖鳥は朱鷺
              雄鶏
           幸運と富を司り
           狡知に富み
           詐術に長け
           計略の神
           早足で駆ける者
           牧畜、盗人、賭博、商人、交易
           交通、道路
           市場、競技、体育
           などの神
           雄弁と音楽の神
           竪琴、笛、数
           アルファベット、天文学、度量衡
           などを発明
           火の起こし方を発見
           知恵者
           プロメーテウスと並んで
           ギリシア神話の
           トリックスター (trickster)
           神や自然界の秩序を破り
           物語を展開する者
           善と悪、破壊と生産
           賢者と愚者など
           異なる二面性を持つ
           秩序の破壊者で創造者
           トリック (詐術) を駆使する
           いたずら者
           詐欺師・ぺてん師
           文化英雄
           トリックスター
           とり憑く主多蛙?
           取理通句素他有?
           鳥 突く巣截雅・・・揵(あ)
           揵=扌+建
             ケン・ゲン・ゴン
 ↓↑          あげる
 の名を与えられ
 後の
 イスラエルの国名となった
 ↓↑
  レア、ラケル、ビルハ、ジルパ
 (例蛙・螺懸留・尾留葉・字留葉)?
 ↓↑
 という4人の妻との間に
 娘と12人の息子をもうけた
 その息子たちが
 イスラエル十二部族の祖となったの
 ヤコブの
 息子の
 ヨセフ
 が行方不明になっていたが
 エジプトで
 ファラオの宰相となっていた
 ヨセフとの再会
 一族をあげてエジプトに移住
 エジプトで生涯を終えたヤコブは
 故郷
 カナン・・・化名務?
 地方の
 マクペラ・・・眞句部等?
 の畑の洞穴に葬られた
ーーーーー
 ・・・???・・・
 well water=井戸(well・ゥエル)水(water・ゥォタ・ワタ?)
 ↓↑
 EL, ELOAH(エル・エロア)・・・L-ove(ラヴ)=l-ove
 ↓↑                ォヴイ・オビ・帯・佩・及
                  おぶる(負ぶる)
                  おぶ(湯水)=白湯(さゆ)
                  おぶ(水)
 Elle(神)=エール=エール (神)
      =L・l(エル)⇔ale(エール・麦酒)・・・???
       &#20058;(イン)=乙(おと・きのと・オツ・イツ)⇔Z(ゼット)
       「&#20058;」は「乙」の変形・「Z」はアルファベット
 ↓↑
 ジンジャー エール(ginger ale)
 ジンジャー(生姜・ショウガ)が入っており
 カラメルで着色した
 ノンアルコールの炭酸飲料
 ale=ビール(beer)
 古期英語 ealu, ealo, from Proto-Germanic *alu
 ale=ラガー以外のビール、エール
   ラヴいガーや黒ビール以外のビール
   イギリスでビール
 エルメス(Hermes)社は馬具工房
 ヘルメース(Herm&#275;s)
 ギリシア神話の神
 ヘルメスとも表記
 ↓↑
 オリュンポス十二神の一人
 神々の伝令使
 ゼウスの使い
 旅人、商人などの守護神
 能弁、境界、体育技能、発明、策略
 夢と眠りの神
 死出の旅路の案内者
 聖鳥は朱鷺
    雄鶏
 幸運と富を司り
 狡知に富み
 詐術に長け
 計略の神
 早足で駆ける者
 牧畜、盗人、賭博、商人、交易
 交通、道路
 市場、競技、体育
 などの神
 雄弁と音楽の神
 竪琴、笛、数
 アルファベット、天文学、度量衡
 などを発明
 火の起こし方を発見
 知恵者
 プロメーテウスと並んで
 ギリシア神話の
 トリックスター (trickster)
 神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者
 善と悪、破壊と生産
 賢者と愚者など、異なる二面性を持つ
 秩序の破壊者で創造者
 トリック (詐術) を駆使するいたずら者
 詐欺師・ぺてん師
 文化英雄
 トリックスター
 とり憑く主多蛙?
 取理通句素他有?
 鳥 突く巣截雅・・・揵(あ)
 ↓↑
 揵=&#25164;+建
   ケン・ゲン・ゴン
   あげる
ーーーーー
 ・・・???・・・

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