天保十四年(1843年)閏九月十一日
阿部 正弘
ペリー来航時
25歳で
幕府老中だった
阿部 正弘
ペリー来航時
25歳で
幕府老中だった
↓↑ ↓↑
タイムスリップ
時軸=ときじく=解き字句=枳・枸橘=からたち=唐立
=垂仁天皇、 三宅連(ミヤケノムラジ)等の祖
名は多遅多摩毛理(タヂマモリ)を
常世国に遣わし
非時香菓(ときじくのかくのみ・橘)
すなわち
時を定めず
いつも黄金に輝く
木の実を求めさせた
履中三年(720)十一月
「是の花、
非時而(トキシク)
にして来れり
其れ・・・・・・・・蘇(よみがえらす)例
何処(いとこ)・・・・伊都処・意図虚?
の花ならむ・・・・・の「葉名」奈良務?
汝(いまし)・・・・・なんじ(何字)
自ら求むべし」・・・ミズカラ求むべし?
↓↑ ↓↑
越勢能山時 阿閇皇女 御作歌
阿閉皇女の作らす歌
↓↑
これや・・・・・・・此也
この・・・・・・・・是能
大和にしては・・・・倭尓四手者
我(あが)恋ふる・・我戀流
紀路(きぢ)に・・・木路尓
ありといふ・・・・・有云
名に負ふ・・・・・・名二負
勢の山・・・・・・・勢能山
(萬葉集1-35)
↓↑
仮名読
これや・・・・・・・此(止匕)也
この・・・・・・・・是(日下人)能(厶月匕匕)
やまとに・・・・・・倭(人禾女)尓
しては・・・・・・・四手者・・・四つ手の網
↓↑ 罒手者・・・網手
紙垂(かみしで)
「し(垂)ず」
〆の子・しめ縄飾り
白熊 (はぐま) の毛で作った
払子 (ほっす)
↓↑ ・・・払子(ほっす)
仏教の法要の際に僧が威儀を示す法具
麈尾(シュビ・シュミ)
白払(びゃくほつ)とも
獣毛や麻などの繊維を
束ねて柄をつけたもの
本来は
インドで
蚊や蠅など虫を追い払うために使われた道具
↓↑ ↓↑ 禅宗で煩悩を払う法具として用いられた
に似たもの
槍の柄につけた槍印
玉串や
注連縄(しめなわ)などにつけて
垂らす紙
古くは麻(あさ)
楮(こうぞ)
木綿(ゆう)
を用いた
四手(よんしゅ)
四手網=大漁捕穫網・魚捕り網
滋賀県
犬上郡
多賀町
↓↑ 四手
あがこふる・・・・・我が戀(こい)の流(ながれ)
きぢに・・・・・・「記字・記事・生地」に
木(十八)
路(足各)
尓(𠂉亅八=捌)
ありといふ・・・・・有(ナ月)
云(二ム・一𠫔)
𠫔=旨・甘・𠮛
=うまい・あまい
なにおふ・・・・・・名(夕口)
二(似)
負(𠂊・ク・ワ・目ハ)
せ・・・・・・・・・勢
↓↑ ↓↑
(なに、おふせ=何=名似、お布施)
↓↑ 阿倍御主人(あべのみうし)=布施
↓↑ フセ=伏・臥・附
阿倍 御主人(あべ の みうし)
氏は布勢・普勢(ふせ)とも
阿倍普勢(あべのふせ)の
複姓で記される場合もある
姓は臣のち朝臣、公卿、
左大臣
阿倍内麻呂の子
子に
広庭
人主
↓↑
阿倍 御主人
は
672年の
壬申の乱で
大海人皇子(天武天皇)方の功臣
晩年には右大臣・太政官・従二位
↓↑
百寮人が
殯宮で慟哭したとき
納言の
布勢(阿倍)朝臣御主人が誄し
↓↑
持統天皇二年
(688年)十一月十一日・・・拾壱・足壱
天武天皇が大内陵に葬られ
布施-朝臣-御主人は
大伴御行・・・・大(ダイ・おほ)は
伴(ハン・とも)なう
御(オン)・・・音
行(ギョウ)・・行
と共に誄した
↓↑ ↓↑
のやま・・・・・・・能(ム月ヒヒ)山(サン)
ム(よこしま・私・己)の
解通(月・肉=ジク=字句)
比々(日々・狒々・霏霏)の
纂(簒)?
↓↑ ↓↑
雑歌
作者 阿閇皇女・・・阿倍皇女?
羈旅 妹背 行幸
・・・羈=罒+䩻
↓↑ ↓↑ 罒+革+馬
キ
おもがい(面繋・面懸・面掛)
馬の口に轡(くつわ)をはめるため
頭部にからめる装具で頭絡にあたる
轡 (くつわ) を固定するために
馬の頭にかける緒
対語は鞦(しりがい)
たづな(手綱)
たび
たびびと
つなぐ
トリしまる
つなぎとめる
旅人・旅をする
旅ずまい・旅暮らし
・・・面掛行列=神奈川県
鎌倉市坂ノ下の
御霊神社での
行列行事
鶴岡八幡宮の八月十五日の
↓↑ ↓↑ 放生会で行われていた
妹背=夫婦=兄と妹・姉と弟
=伉儷(コウレイ)
栄諧伉儷
伉(コウ)=つれあい・配偶者
儷(レイ)=「二つ並ぶ」という意
儷=イ+麗(麓)
↓↑ ↓↑ ・・・高句麗・高麗
麗=一+冂+丶+一+冂+丶+鹿
=䴡
レイ
リ
うるわしい
うら(ら)
うら(らか)
つら(なる)
なら(ぶ)
うつくしい
ならぶ・つらなる
そろい・そろう・対になる
つく・くっつく
つける・くっつける
かかる・ひっかかる
綺麗・華麗・美麗・秀麗・艶麗・絶麗
・・・駢儷
美辞麗句・容姿端麗
・・・解語之花?=美人=楊貴妃・・・
『開元天宝遺事』
「高句麗・高麗」
うららか・うらら
↓↑ ↓↑ 空が晴れて、穏やかなさま
四六駢儷
駢四儷六
四字句と六字句の対句を用いる
修辞的な文体
「駢」=馬を二頭並べて車につなぐ意
対句という意
↓↑ 「儷」=一対となって並ぶという意
和歌山 紀州
地名 土地讃美
↓↑
羈紲之僕
主君の旅の従者や随行者
「羈」は馬の顔に付けるおもがい
「紲」は馬の手綱のこと
主人の馬車を操る従者
「羈絏之僕」とも
『春秋左氏伝(僖公二十四年)』
狷介不羈
意志固く
何ものにも束縛されないこと
曠世不羈
長期間
相手を服従させることはできない
長い期間拘束することができないコト
「曠世」=長期間
「不羈」はなにものにも縛られないこと
『文選』孫楚「為石仲容 与孫皓書」
傲慢不羈
人を見下し誰にも縛られない
才能があり自由に振舞うこと
独立不羈
不羈自由
不羈独立
不羈之才
不羈奔放
不羈磊落
放縦不羈
放蕩不羈
奔放不羈
↓↑
朱鳥四年(690)九月
持統天皇の
紀伊国行幸の際の
御製
↓↑
阿閉皇女(元明天皇)は
前年に
夫の
草壁皇子(日並皇子=ひなみしのみこ)
(日並知皇子= ひなめしのみこ)
壬申の乱(672)時・・・十一歳
岡宮御宇天皇
岡宮天皇
長岡天皇
を失い
亡き夫への思いを籠めた歌
↓↑
708年
和銅元年(一月十一日改元)
武蔵国より銅を献上、よって改元
↓↑
和銅元年戊申
元明天皇(阿閉)の御製
↓↑
大夫(ますら)をの・・・・大(一人)
夫(二人)
之(これ・シ)
鞆(とも)の・・・・・・・鞆(革丙)
乃(すなわち)
音すなり・・・・・・・・・音(おと・おん・イン)
為
奈(一人示)
利(禾刂)
物部(もののふ)の・・・・物部乃
大臣(おほまへつきみ)・・大(一人)臣
楯立つらしも・・・・・・・楯(木盾)
立
良(ら・よい・リョウ)
思(田心)
母(はは・ボ・モ)
(万葉集1-76)
↓↑
「物部の大臣」は
石上麻呂を指すとする説
即位の儀式においては
石上氏(旧物部氏)
榎井氏(物部系氏族)が
楯を立てる慣例があった
↓↑
和銅元年(708)十一月二十一日
元明天皇(阿閉)
即位
大嘗祭が挙行
この歌に和した
御名部皇女
の歌・・・
御名部皇女・・・・・・オンミョウブコウジョ?
(みなべのひめみこ) 音 名 生分控 除 ?
斉明天皇六年(660年?~?)
天智天皇の皇女
母は
蘇我倉山田
石川麻呂の女(むすめ)
蘇我姪娘(そがの-めいの-いらつめ)
元明天皇(阿閉)の同母姉
大宝律令施行後
御名部内親王・・・オンミョウブナイシンノウ
音 名 生分内 新 納 ?
とも記述
高市皇子の正妃
長屋王の母
↓↑
和銅一(708)年
妹、
元明天皇(阿閉)の不安を
なだめるように
元明天皇の歌に和した・・・
↓↑
わご大君・・・・・・・吾(われ)
大(おほい)
王(おう)
物な思ほし・・・・・・物(もの)
莫(なかれ)
御(おん)
念(ねん)
皇神(すめかみ)の・・・須(彡頁)
賣(よむ)
神(かみ)
乃(すなわち)
つぎて・・・・・・・・嗣(つぐ)
而(しこうして)
賜へる・・・・・・・・賜(たまわる)
流(ながれ)
われ無けなくに・・・・吾(あ)
莫(なかれ・バク)
勿(なかれ・ブツ・モチ)
久(ひさしく)
尓(に・ヤ)
(万葉集1-77)
↓↑
作者 御名部皇女
奉和 御名部皇女
(みなべのひめみこ)
元明天皇(阿閉)の姉
↓↑
和銅元年(708)戊申
天皇御製
御名部皇女 奉和御歌
元明天皇(阿閉)に和(こた)へ奉る歌
↓↑
吾大王・・・・吾が大君
物莫御念・・・ものな思ほし
須賣神乃・・・皇神の
嗣而賜流・・・継ぎて賜へる
吾莫勿久尓・・吾なけなくに
ーーーーー
・・・???・・・
第21代
雄略天皇の宮都で
大泊瀬稚武
(オオハツセワカタケル)
天皇
万葉集20巻4516首中の
開巻第1首目
↓↑
泊瀬(はつせ)
朝倉宮(あさくらのみや)
・・・日下部朝倉=一乗谷・朝倉景勝・・・
御宇天皇
(代=大-泊瀬稚武天皇)
天皇御製歌
↓↑
篭毛與・・・・・こもよ
美篭母乳・・・・みこ持ち
布久思毛與・・・ふぐしもよ
美夫君志持・・・みふぐし持ち
此岳尓・・・・・この岳に
菜採須兒・・・・菜摘ます子
家吉閑・・・・・家告らせ
名告<紗>根・・・名告らさね
虚見津・・・・・そらみつ
山跡乃國者・・・大和の国は
押奈戸手・・・・おしなべて
吾許曽座・・・・あれこそませ
我許・・・・・・あをこそ
告目背齒・・・・告らめ背は
家呼毛・・・・・家をも
名雄母・・・・・名をも
(万葉集)
↓↑
雄略天皇の皇女
斎宮の
栲幡姫皇女(稚足姫皇女)が
湯人(ゆえ=皇子女の沐浴等の使用人)
の (湯人、此云 臾衞=ゆえ)
廬城部連武彦・・・廬(いほり・ロ)の
城の
部連の
武彦?
の子供を妊娠したと
阿閉臣国見・・・「阿閉」臣の「国見」
↓↑ 名は「磯特牛(しことい)」?
磯の特牛(こというし)
牡牛=こというじ
・・・言問(ことと)符字(ふじ)?
言 意宇字?
大きくて丈夫な牡の牛(ウシ)
頑強で重荷を
背負うことのできるウシ
磯特牛=キトクゴ・キトクギュウ?
阿閉氏=阿倍氏・膳氏同様
孝元天皇の皇子
↓↑ 大彦命の子孫
に讒言され
武彦の父の
枳莒喩(きこゆ)・・・枳=木+只
↓↑ =十+八+口+八
キ
シ
からたち
ミカン(蜜柑・橘)科の落葉低木
非時香菓(ときじくのかくのみ)
わかれる・枝分かれする
莒=艹+呂=艹+ノ+吕(口口)
キョ
芋・さといも
周代の国名
↓↑ 山東省
に
禍が一家に降りかかることを恐れ殺され
栲幡姫皇女(稚足姫皇女)も
無実を訴えるため自殺した
(雄略三年四月条)
↓↑
皇女の母の
葛城
韓媛が
父の
円大臣・・・大日下王の子
圓大使主(つぶらのおほおみ)
圓使主 目弱(眉輪)皇子を
↓↑ 守って討ち死
「阿知使主
仁徳天皇の死後
履中天皇即位直前
皇位を望む履中の同母弟の
住吉仲皇子(すみのえのなかつ
莒弗大連(もののべのいこふつのおおむらじ)
円大使主(つぶらのおおみ)
↓↑ が、共に国事を執る」
から
即位前の
雄略に
妃として献ぜられ
韓媛が
栲幡姫皇女(稚足姫皇女)
を産んだ・・・
↓↑
「讒言事件」は
外宮(伊勢神宮)の設立と年代が近かった
・・・だから・・・ナニ?
阿閇臣国見は
讒言が誤りだと判明した後
伊勢神宮では無く
石上神宮に逃げ込んだ・・・
ーーーーー
・・・???・・・顛末不明・・・
タイムスリップ
時軸=ときじく=解き字句=枳・枸橘=からたち=唐立
=垂仁天皇、 三宅連(ミヤケノムラジ)等の祖
名は多遅多摩毛理(タヂマモリ)を
常世国に遣わし
非時香菓(ときじくのかくのみ・橘)
すなわち
時を定めず
いつも黄金に輝く
木の実を求めさせた
履中三年(720)十一月
「是の花、
非時而(トキシク)
にして来れり
其れ・・・・・・・・蘇(よみがえらす)例
何処(いとこ)・・・・伊都処・意図虚?
の花ならむ・・・・・の「葉名」奈良務?
汝(いまし)・・・・・なんじ(何字)
自ら求むべし」・・・ミズカラ求むべし?
↓↑ ↓↑
越勢能山時 阿閇皇女 御作歌
阿閉皇女の作らす歌
↓↑
これや・・・・・・・此也
この・・・・・・・・是能
大和にしては・・・・倭尓四手者
我(あが)恋ふる・・我戀流
紀路(きぢ)に・・・木路尓
ありといふ・・・・・有云
名に負ふ・・・・・・名二負
勢の山・・・・・・・勢能山
(萬葉集1-35)
↓↑
仮名読
これや・・・・・・・此(止匕)也
この・・・・・・・・是(日下人)能(厶月匕匕)
やまとに・・・・・・倭(人禾女)尓
しては・・・・・・・四手者・・・四つ手の網
↓↑ 罒手者・・・網手
紙垂(かみしで)
「し(垂)ず」
〆の子・しめ縄飾り
白熊 (はぐま) の毛で作った
払子 (ほっす)
↓↑ ・・・払子(ほっす)
仏教の法要の際に僧が威儀を示す法具
麈尾(シュビ・シュミ)
白払(びゃくほつ)とも
獣毛や麻などの繊維を
束ねて柄をつけたもの
本来は
インドで
蚊や蠅など虫を追い払うために使われた道具
↓↑ ↓↑ 禅宗で煩悩を払う法具として用いられた
に似たもの
槍の柄につけた槍印
玉串や
注連縄(しめなわ)などにつけて
垂らす紙
古くは麻(あさ)
楮(こうぞ)
木綿(ゆう)
を用いた
四手(よんしゅ)
四手網=大漁捕穫網・魚捕り網
滋賀県
犬上郡
多賀町
↓↑ 四手
あがこふる・・・・・我が戀(こい)の流(ながれ)
きぢに・・・・・・「記字・記事・生地」に
木(十八)
路(足各)
尓(𠂉亅八=捌)
ありといふ・・・・・有(ナ月)
云(二ム・一𠫔)
𠫔=旨・甘・𠮛
=うまい・あまい
なにおふ・・・・・・名(夕口)
二(似)
負(𠂊・ク・ワ・目ハ)
せ・・・・・・・・・勢
↓↑ ↓↑
(なに、おふせ=何=名似、お布施)
↓↑ 阿倍御主人(あべのみうし)=布施
↓↑ フセ=伏・臥・附
阿倍 御主人(あべ の みうし)
氏は布勢・普勢(ふせ)とも
阿倍普勢(あべのふせ)の
複姓で記される場合もある
姓は臣のち朝臣、公卿、
左大臣
阿倍内麻呂の子
子に
広庭
人主
↓↑
阿倍 御主人
は
672年の
壬申の乱で
大海人皇子(天武天皇)方の功臣
晩年には右大臣・太政官・従二位
↓↑
百寮人が
殯宮で慟哭したとき
納言の
布勢(阿倍)朝臣御主人が誄し
↓↑
持統天皇二年
(688年)十一月十一日・・・拾壱・足壱
天武天皇が大内陵に葬られ
布施-朝臣-御主人は
大伴御行・・・・大(ダイ・おほ)は
伴(ハン・とも)なう
御(オン)・・・音
行(ギョウ)・・行
と共に誄した
↓↑ ↓↑
のやま・・・・・・・能(ム月ヒヒ)山(サン)
ム(よこしま・私・己)の
解通(月・肉=ジク=字句)
比々(日々・狒々・霏霏)の
纂(簒)?
↓↑ ↓↑
雑歌
作者 阿閇皇女・・・阿倍皇女?
羈旅 妹背 行幸
・・・羈=罒+䩻
↓↑ ↓↑ 罒+革+馬
キ
おもがい(面繋・面懸・面掛)
馬の口に轡(くつわ)をはめるため
頭部にからめる装具で頭絡にあたる
轡 (くつわ) を固定するために
馬の頭にかける緒
対語は鞦(しりがい)
たづな(手綱)
たび
たびびと
つなぐ
トリしまる
つなぎとめる
旅人・旅をする
旅ずまい・旅暮らし
・・・面掛行列=神奈川県
鎌倉市坂ノ下の
御霊神社での
行列行事
鶴岡八幡宮の八月十五日の
↓↑ ↓↑ 放生会で行われていた
妹背=夫婦=兄と妹・姉と弟
=伉儷(コウレイ)
栄諧伉儷
伉(コウ)=つれあい・配偶者
儷(レイ)=「二つ並ぶ」という意
儷=イ+麗(麓)
↓↑ ↓↑ ・・・高句麗・高麗
麗=一+冂+丶+一+冂+丶+鹿
=䴡
レイ
リ
うるわしい
うら(ら)
うら(らか)
つら(なる)
なら(ぶ)
うつくしい
ならぶ・つらなる
そろい・そろう・対になる
つく・くっつく
つける・くっつける
かかる・ひっかかる
綺麗・華麗・美麗・秀麗・艶麗・絶麗
・・・駢儷
美辞麗句・容姿端麗
・・・解語之花?=美人=楊貴妃・・・
『開元天宝遺事』
「高句麗・高麗」
うららか・うらら
↓↑ ↓↑ 空が晴れて、穏やかなさま
四六駢儷
駢四儷六
四字句と六字句の対句を用いる
修辞的な文体
「駢」=馬を二頭並べて車につなぐ意
対句という意
↓↑ 「儷」=一対となって並ぶという意
和歌山 紀州
地名 土地讃美
↓↑
羈紲之僕
主君の旅の従者や随行者
「羈」は馬の顔に付けるおもがい
「紲」は馬の手綱のこと
主人の馬車を操る従者
「羈絏之僕」とも
『春秋左氏伝(僖公二十四年)』
狷介不羈
意志固く
何ものにも束縛されないこと
曠世不羈
長期間
相手を服従させることはできない
長い期間拘束することができないコト
「曠世」=長期間
「不羈」はなにものにも縛られないこと
『文選』孫楚「為石仲容 与孫皓書」
傲慢不羈
人を見下し誰にも縛られない
才能があり自由に振舞うこと
独立不羈
不羈自由
不羈独立
不羈之才
不羈奔放
不羈磊落
放縦不羈
放蕩不羈
奔放不羈
↓↑
朱鳥四年(690)九月
持統天皇の
紀伊国行幸の際の
御製
↓↑
阿閉皇女(元明天皇)は
前年に
夫の
草壁皇子(日並皇子=ひなみしのみこ)
(日並知皇子= ひなめしのみこ)
壬申の乱(672)時・・・十一歳
岡宮御宇天皇
岡宮天皇
長岡天皇
を失い
亡き夫への思いを籠めた歌
↓↑
708年
和銅元年(一月十一日改元)
武蔵国より銅を献上、よって改元
↓↑
和銅元年戊申
元明天皇(阿閉)の御製
↓↑
大夫(ますら)をの・・・・大(一人)
夫(二人)
之(これ・シ)
鞆(とも)の・・・・・・・鞆(革丙)
乃(すなわち)
音すなり・・・・・・・・・音(おと・おん・イン)
為
奈(一人示)
利(禾刂)
物部(もののふ)の・・・・物部乃
大臣(おほまへつきみ)・・大(一人)臣
楯立つらしも・・・・・・・楯(木盾)
立
良(ら・よい・リョウ)
思(田心)
母(はは・ボ・モ)
(万葉集1-76)
↓↑
「物部の大臣」は
石上麻呂を指すとする説
即位の儀式においては
石上氏(旧物部氏)
榎井氏(物部系氏族)が
楯を立てる慣例があった
↓↑
和銅元年(708)十一月二十一日
元明天皇(阿閉)
即位
大嘗祭が挙行
この歌に和した
御名部皇女
の歌・・・
御名部皇女・・・・・・オンミョウブコウジョ?
(みなべのひめみこ) 音 名 生分控 除 ?
斉明天皇六年(660年?~?)
天智天皇の皇女
母は
蘇我倉山田
石川麻呂の女(むすめ)
蘇我姪娘(そがの-めいの-いらつめ)
元明天皇(阿閉)の同母姉
大宝律令施行後
御名部内親王・・・オンミョウブナイシンノウ
音 名 生分内 新 納 ?
とも記述
高市皇子の正妃
長屋王の母
↓↑
和銅一(708)年
妹、
元明天皇(阿閉)の不安を
なだめるように
元明天皇の歌に和した・・・
↓↑
わご大君・・・・・・・吾(われ)
大(おほい)
王(おう)
物な思ほし・・・・・・物(もの)
莫(なかれ)
御(おん)
念(ねん)
皇神(すめかみ)の・・・須(彡頁)
賣(よむ)
神(かみ)
乃(すなわち)
つぎて・・・・・・・・嗣(つぐ)
而(しこうして)
賜へる・・・・・・・・賜(たまわる)
流(ながれ)
われ無けなくに・・・・吾(あ)
莫(なかれ・バク)
勿(なかれ・ブツ・モチ)
久(ひさしく)
尓(に・ヤ)
(万葉集1-77)
↓↑
作者 御名部皇女
奉和 御名部皇女
(みなべのひめみこ)
元明天皇(阿閉)の姉
↓↑
和銅元年(708)戊申
天皇御製
御名部皇女 奉和御歌
元明天皇(阿閉)に和(こた)へ奉る歌
↓↑
吾大王・・・・吾が大君
物莫御念・・・ものな思ほし
須賣神乃・・・皇神の
嗣而賜流・・・継ぎて賜へる
吾莫勿久尓・・吾なけなくに
ーーーーー
・・・???・・・
第21代
雄略天皇の宮都で
大泊瀬稚武
(オオハツセワカタケル)
天皇
万葉集20巻4516首中の
開巻第1首目
↓↑
泊瀬(はつせ)
朝倉宮(あさくらのみや)
・・・日下部朝倉=一乗谷・朝倉景勝・・・
御宇天皇
(代=大-泊瀬稚武天皇)
天皇御製歌
↓↑
篭毛與・・・・・こもよ
美篭母乳・・・・みこ持ち
布久思毛與・・・ふぐしもよ
美夫君志持・・・みふぐし持ち
此岳尓・・・・・この岳に
菜採須兒・・・・菜摘ます子
家吉閑・・・・・家告らせ
名告<紗>根・・・名告らさね
虚見津・・・・・そらみつ
山跡乃國者・・・大和の国は
押奈戸手・・・・おしなべて
吾許曽座・・・・あれこそませ
我許・・・・・・あをこそ
告目背齒・・・・告らめ背は
家呼毛・・・・・家をも
名雄母・・・・・名をも
(万葉集)
↓↑
雄略天皇の皇女
斎宮の
栲幡姫皇女(稚足姫皇女)が
湯人(ゆえ=皇子女の沐浴等の使用人)
の (湯人、此云 臾衞=ゆえ)
廬城部連武彦・・・廬(いほり・ロ)の
城の
部連の
武彦?
の子供を妊娠したと
阿閉臣国見・・・「阿閉」臣の「国見」
↓↑ 名は「磯特牛(しことい)」?
磯の特牛(こというし)
牡牛=こというじ
・・・言問(ことと)符字(ふじ)?
言 意宇字?
大きくて丈夫な牡の牛(ウシ)
頑強で重荷を
背負うことのできるウシ
磯特牛=キトクゴ・キトクギュウ?
阿閉氏=阿倍氏・膳氏同様
孝元天皇の皇子
↓↑ 大彦命の子孫
に讒言され
武彦の父の
枳莒喩(きこゆ)・・・枳=木+只
↓↑ =十+八+口+八
キ
シ
からたち
ミカン(蜜柑・橘)科の落葉低木
非時香菓(ときじくのかくのみ)
わかれる・枝分かれする
莒=艹+呂=艹+ノ+吕(口口)
キョ
芋・さといも
周代の国名
↓↑ 山東省
に
禍が一家に降りかかることを恐れ殺され
栲幡姫皇女(稚足姫皇女)も
無実を訴えるため自殺した
(雄略三年四月条)
↓↑
皇女の母の
葛城
韓媛が
父の
円大臣・・・大日下王の子
圓大使主(つぶらのおほおみ)
圓使主 目弱(眉輪)皇子を
↓↑ 守って討ち死
「阿知使主
仁徳天皇の死後
履中天皇即位直前
皇位を望む履中の同母弟の
住吉仲皇子(すみのえのなかつ
莒弗大連(もののべのいこふつのおおむらじ)
円大使主(つぶらのおおみ)
↓↑ が、共に国事を執る」
から
即位前の
雄略に
妃として献ぜられ
韓媛が
栲幡姫皇女(稚足姫皇女)
を産んだ・・・
↓↑
「讒言事件」は
外宮(伊勢神宮)の設立と年代が近かった
・・・だから・・・ナニ?
阿閇臣国見は
讒言が誤りだと判明した後
伊勢神宮では無く
石上神宮に逃げ込んだ・・・
ーーーーー
・・・???・・・顛末不明・・・