不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

gooブログはじめました!キリヤ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
コジキジゲン

NOトライ・・・つわものどものユメのサキ・・・

2019-10-20 21:40:22 | 古事記字源
 豈はからんや・・・フランス(19)VS (20)ウェールズ
 豈はからんや・・・
 16:15
 16:23
 仏蘭西 (5)VS(0) 威勒士
 16:25
 フランス (10+2)VS (0) ウェールズ
 (francaise)        (Wales・Cymru a Lloegr)
 16:28
 フランス(12)VS (5+2)ウェールズ
 16:38
 フランス(12)VS (7+3)ウェールズ
 16:51
 フランス(12+5+2)VS (10+)ウェールズ
 ↓↑
 17:35
 フランス(19)VS (10+3)ウェールズ
 18:09
 フランス(19)VS (13+5+2)ウェールズ
ーーーーー
 ・・・!!!・・・
 ・・・豈はからんや・・・悔いはなし・・・
 19:17
 日本(3+)VS (5)南アフリカ(南非・南阿弗利加)
 20:15
 ↓↑
 20:33
 日本(3)VS (5+3)南アフリカ
 20:39
 日本(3)VS (5+3+3+3+5+3)南アフリカ
 21:18
 日本(3+)VS (21+5)南アフリカ
 ・・・豈はからんや・・・悔いはなし・・・
ーーーーー
 ・・・悔いはあるだろうなッ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸⇔穢土・蝦夷・・・慈水・・・字推・・・似泥水

2019-10-19 18:14:50 | 古事記字源
 責任転嫁(passing the buck)・・・?
 治水=ジスイ=自炊・似水・慈水・・・池水・・・堤防決壊・・・綴冒結解?
 江戸⇔穢土・・・蝦夷・・・慈水・・・似泥水・・・
 ・・・梅艷芳「似水流年(Life Written In Water)」
     ・・・似水(水のように)=如水?・・・黒田如水(シメオン)?
       「 歳月は水の流れのように速い,青春は移ろいやすい」
 ↓↑
 「ニホンジン」なら、毎度の「自然災害」は諦めるコトは出来るカモ、だが、「戦争災害」は許さないとしたのが「人間天皇」を象徴とする「日本国憲法下のニホン人」である・・・ソレは「日本人の自己反省」としたのだ・・・「相手」に対してでは(デワ)ない・・・
 ・・・護(鎮)れるか、衛(守)れないか・・・「相手次第」である・・・
a
 ↓↑
 政府の行為によつて
 再び
 戦争の惨禍が・・・・・・戦争の惨禍を
 起ることのないやうに・・起こさないコトの
 することを決意し、・・・決意を他国民にも知らしめ・・・
 ↓↑
 日本国民は、・・・・・・日本国民は諸国民と共に
 恒久の平和を念願し、・・恒久の平和を念願し
 人間相互の関係を
 支配する
 崇高な理想を・・・・・・現実的理想が何かを明らかにし
             理想=盗むな・嘘つくな・殺傷するな
 深く自覚するのであつて、・・・諸国民と共に相互確認し
 ↓↑
 平和を愛する・・・平和を愛さない
          強盗・虚偽・暴行殺傷を望む
 諸国民の・・・・・ある一部の国家国民の
 公正と信義に・・・不正と不信義には
 信頼して、・・・・信義を正し糾弾し
 われらの・・・・・われらの
 安全と生存を・・・安全と生存を
 保持しようと・・・法と実力で保持することを
 決意した。・・・・決意する
 ↓↑
 われらは、
 いづれの国家も、
 自国のこと・・・・・・・自国民と自国
 のみに専念して
 他国を
 無視しては
 ならないのであつて、
 政治道徳の法則は、・・・政治道徳の法とは何かを
               道徳=国民の自由を
                  国家法的権力での
                  束縛、拘束、監禁
                  の為の
                  虚偽、恐喝、暴行
                  の禁止
                  公共事業予算の公平配分を
 普遍的なものであり、・・現実的なものとして明らかにし
 この法則に従ふことは、・この法に従い
 自国の主権を維持し、・・自国民と自国の主権と
 他国と・・・・・・・・・諸国民と諸国との主権が
 対等関係に・・・・・・・対等関係であることを
 立たうとする・・・・・・常時相互確認しつつ、施行し
 各国の・・・・・・・・・自国と自国民
             諸国家と諸国民の
 責務であると信ずる。・・責務とする
 ↓↑
 日本国民は、
 国家の名誉にかけ、・・・人間の名誉を明らかにし
             自国と自国民の為すべきものとして
 全力をあげて・・・・・・普通どおり
 この崇高な・・・・・・・この当然な
 理想と目的を・・・・・・理想と現実目的を明らかにし
             これらに反する諸国家を
 達成することを誓ふ。・・実力行使も併せ遂行することを誓ふ
a
ーーーーー
 ・・・???・・・
 すべてではないだろうが
 西洋人、中東人なら「カミ」に責任転嫁するだろう・・・
 中国人は「テン」にである・・・
 仏教徒は「仏」にスベテお任せ・・・である・・・
 sK国「Mr,文」&彼の「エピゴーネン」は「旭日旗・日本」にである・・・
 nK国「Mr,金」&彼の「エピゴーネン」は「妄想」にである・・・
 「ニホンジン」・・・ハラをキッて・・・アノ世に逃げる・・・? 
 They never takes responsibility. They always passes the buck.
 ↓↑
 何があっても
 「自然」と共に生きていると「自覚?」しているのは・・・
 「北海道のアイヌ」の人々か・・・?・・・北風磯吉・・・
 ↓↑        ・・・名寄=アイヌ語・・・名前を寄せるだろう?
          「ナイ・オロ・プト(川の・所の・口)」が由来
           名寄川=ナイ(nay)or ナイオㇿ(nay-or)
           松浦武四郎の
          『天之穂日誌』
          「此処をナイフトと云うは
           ナヨロフトの詰語なり」
          『天塩日誌』
          「左ナイブト 本名ナヨロフト」
           和人が流入後
          「ナヨロ」「ナヨロフト(ナイブト)」
           に
          「奈与呂」「奈余路」「奈伊太」の
           漢字をあて
           1888年(明治三十年)6月30日
           18 8 8
           千八百八拾八
           一八 八 八
           千捌陌捌足捌
           千捌珀捌足捌
           壱千八百八拾八
           壱=士+冖+匕(七・𠤎・ヒ)
          「七(7)」⇔「𠤎(牝・雌)」
                ⇔「匕(匙・匕首)」
          「匕首に鍔」
           壹千八百八拾八
           壹=士+冖+豆
            =十+一+冖+豆
                  豆=𠮛+ㅛ
          「上名寄村・下名寄村」置村後
          「名寄」「名寄太」を使用
          「名寄」の字をあてた経緯は不明・・・?
           文字どうりの
          「名」を
          「1888=一八八八」の
           異字(維持・意地・意字・医事)漢字に
          「寄せる」だろう・・・?
           北緯44 度・上川管内・・・川上タケルの居住地?
           天塩(てしお)川=アイヌ語・・・天汐・天潮
              「テシュ=梁(やな・魚を獲る仕掛け)
             「テシ・オ」「テシュ・オ」
             「梁(やな)」+  「ある」
 ↓↑         の支流の名寄川への入口を意
 あるいは
 アマゾン(亜馬孫・亜馬森・亜馬生・Amazonas)
 ↓↑・・・「海女・海部・海人・海士」村
      阿毎遜・阿閉尊・安部孫・雨噂・天存
      アマゾーン
      ギリシア神話の女性だけの部族
      ピンダロスなどに
      アマゾニス(Amazonis)
      アマゾン川
 ↓↑    ↓↑
      1500年
      南アメリカ大陸の
      海岸線沿いに航行していた
      ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン
      がアマゾン河口近くにたどり着き
      この付近の水が淡水であることに気づき
      マーレ・ドゥルセ
     (ポルトガル語
      甘い海)
      と名付けた
      アマゾン川の全域を航行した初の人間
      スペインのコンキスタドール
      フランシスコ・デ・オレリャーナ
      インカ帝国の征服に参加
 ↓↑    ↓↑
      1500年
      干支 庚申・・・金兄の猿?
      日本
      明応九年
      中国
      明 弘治十三年
      朝鮮
      李氏朝鮮 燕山君六年・・・燕山君・・・暴君
      ハルパゴルニス鷲(ワシ)が
               姿を消す
      明智光安 誕生
      明智光秀の叔父、後見人(~1556年)
      12月2日
     (明応九年十一月十一日)
      島津久逸(しまづ ひさやす)
      薩州家の
      島津忠興
      に攻められ戦死・享年60
      伊作家(いざくけ)の
      第八代当主(1441年~)
      薩摩国
      阿多郡
      伊作荘
     (鹿児島県日置市吹上地域)
      の領主
 ↓↑    ↓↑
      1541年
      天文十年
      オレリャーナは
      ゴンサロ・ピサロによる
      エル・ドラード探索行にも参加
      アマゾン最上流域の
      ナポ川から出発し、全区間を航行
      1542年(天文十一年)8月
      に河口に到達
      オレリャーナは
      地元住民と激しい戦闘を繰り広げ
      女性戦士に攻撃された・・・
      これが
      ギリシア神話の
      女人族
      アマゾネスを連想させ
      この川に
 ↓↑    アマゾン川という名がつけられた・・・?
      4月7日
      フランシスコ・ザビエル
      ポルトガル国王の援助を得て
      リスボンを出帆し東洋へ向かう
      6月26日
      フランシスコ・ピサロが暗殺
      タルタリアが・・・・・・・樽の足の利はY?
      三次方程式の解法を発見
      ゲラルドゥス・メルカトルが
      地球儀を作る
      システィーナ礼拝堂の壁画
     「最後の審判」が完成
      カルヴァンが
      ジュネーヴで宗教改革
      イエズス会初代総長に
      イグナチオ・ロヨラ
      7月7日
     (天文十年六月十四日)
      武田晴信、父信虎を駿河に追放
      武田八幡宮竣工
      ポルトガル船が豊後国に漂着
      大友宗麟に
      カボチャの種が贈られる
      吉田郡山城の戦い
      尼子軍が敗北
      安芸から撤退
      大内氏が
      厳島神主家藤原氏を滅ぼす
      佐東銀山城の戦い
 ↓↑    安芸武田氏滅亡
 ↓↑    ↓↑
      1542年・天文十一年
      干支 壬寅・・・水兄の虎
      日本
      天文十一年
      皇紀2202(弐千弐百弐)年
      中国
      明 嘉靖二十一年
      朝鮮
      李氏朝鮮 中宗三十七年
      8月13日
     (天文十一年七月三日)
      武田晴信
      と
      高遠頼継
      が
      諏訪頼重の
      信濃上原城を攻め
      頼重は
      信濃桑原城に逃れる
      8月14日
     (天文十一年七月四日)
      武田晴信が諏訪頼重の籠る
      信濃桑原城を包囲
      頼重は降伏し開城
      8月15日(天文十一年七月五日)
      武田晴信が
      諏訪頼重と弟の
      諏訪頼高を甲府に送り
      甲斐東光寺に幽閉
      8月31日
     (天文十一年七月二十一日)
      諏訪頼重が弟の
      諏訪頼高とともに
      甲斐東光寺で自刃
      諏訪氏滅亡
      9月19日
     (天文十一年八月十日)
      織田信秀が
      三河
      小豆坂で
      今川義元を破る
     (小豆坂の戦い(1回目))
      第一次
      月山富田城の戦い
 ↓↑    ↓↑
 アマゾン(亜馬孫・亜馬森・亜馬生・Amazonas)
 の
 「秘境の人びと」かもだが・・・
 「自覚」も無いカモ・・・
 「自覚」以前に「自覚」のしようも無い「自然体」だから・・・
 個々のイキモノは自然との共生、生存期間は短い・・・
 短い生存期間は命を繋ぐ時間である・・・
 それが生き物の宿命である・・・
 「霑体塗足(テンタイトソク)の野良仕事・国語斉語」
 「辛い労働の様子
  身体を濡らし
  足に泥を塗る様に
  田畑で仕事をすること」・・・「辛い労働」の自覚無し?
 イノチ短し、コイセよ乙女・・・
 生存葛藤・・・
 ヨメ(嫁)のテキはアマ(姑)かも・・・
a
 ↓↑
 雨との戦い
 水との戦い
 水の灌漑
 水を閉じ込める
 水の動きを封じ込める
 ミズにマケル・・・銅鐸の水流紋・・・を割る・・・?
                  洪水・暴雨の抑制
          銅鏡の直弧文・・・を割る・・・?
                 日照り・旱魃の抑制
 ・・・???・・・飢饉・・・
 錮=金+固
   金+囗+古
   金+囗+十+口
   コ
   かたい
   ながわずらい
   ふさぐ
   塞(ふさ)ぐ
   熔解金属で隙間を塞(ふさ)ぐ
   閉じ込める
   かたい=固・堅固(ケンゴ)・・・建子・建拠
   なが患い・長期間、治らない病気
   禁錮・禁固
 ↓↑
 禁錮
 自由刑に
 作業義務等区分を設けている法制度において
 作業義務を科さない刑罰より短期拘留刑
 ↓↑
 禁止・軟禁・拘置(拘禁・監禁)・禁城・失禁
 襟・開襟
 ↓↑
 禁錮
 政治犯や過失犯に科されるもの
 懲役
 破廉恥罪
 殺人、窃盗など
 道徳的に非難されるべき動機により行われる犯罪
 に対して科されるもの・・・
 ↓↑
 失禁
 「漏れ」の
 オランダ語
 「lekheid」の蘭方医の訳語
 「禁=ふさぐ・とどめる」
 「失禁=とどめそこなう」
 ↓↑
 襟
 開襟(カイキン)
 襟元(えりもと)
 襟裳岬(えりもみさき)
 襟(えり)を正(ただ)す
 襟=えり=衿=衤(衣)+今
 ↓↑
 禁=木+木(十八十八)
    +示(二亅八)・・・示=三脚の神棚?
 示=祭壇、祭卓の形
   禁=祭卓を置き、神を祀る地域
 ↓↑
 禁=林(並び立つ二本の木)・・・囃子・速し・八香具師
   +
   示=「並び立つ二本の木」
        と
       「神に生贄をささげる台」
 禁
 禁忌
 忌(い)み(心身を清浄に保ち
     穢(けがれ)避けて行動する事)
 ↓↑
 禁止
 とどめる・差し止める
 「NG(no good)」・・・「New Guy」
         「Nigeria(ナイジェリア
          尼日利亜・尼日利亞・奈及利亞)」
 「NG=禁句」
 タブー(taboo)
 be under taboo.
 Among those tribesmen speech is taboo
                while hunting...
 前もって注意する事・注意の言葉
          ・厳禁(言禁?・現禁・現金?)
 ↓↑
 禁裏
 御所(天皇・天子の居所)
 門ごとに番所を設け、衛兵で人の通行、進入を
 とどめる領域
 ↓↑
 監禁(confinement・カァンファィンマァントゥ)
   幽閉・監禁(状態)
   お産の床につくこと=出産・分娩
   営倉への監禁
   抑留・拘束
   制限・掣肘・束縛・限定
   禁足・足止め・足留め
   入所・分娩
   勾留・収監・拘置・禁固
   幽囚・幽閉
   confined・・・not free to move about
   captive
   人質・俘虜・刑徒・受刑者・囚人・囚徒
   捕虜・獄囚・繋囚・罪囚・虜囚
   captivation
   とりこ・萌え・魅了状態・魅惑状態
   素晴らしく変わった何かに対する
   非常に好みである感覚
   a feeling of great liking
    for something wonderful
    and unusual
 ・・・カンキン=換金・官金・桿菌・韓金武?
   ↓↑
  「札幌市三丁目食堂事件(2008年発覚)」
  「新安塩田奴隷労働事件(2014年2月6日発覚)」
 ・・・???・・・
 ↓↑
 檻禁
 「鳥獣を飼う檻(おり)」・・・鳥籠・獣小屋?
  ↓↑
  by 「ふりがな文庫」
 「明治大正美人追憶」 (新字新仮名)・長谷川時雨(著)
 「赤ひげ診療譚」(新字新仮名)・狂女の話・三度目の正直
         山本周五郎(著)
 ↓↑
 禁卒
 牢屋・監獄・・・獄女?
 ↓↑
 禁
 杯(酒を飲むのに使う小さな器)を置く台
 注意の言葉
 ↓↑
 禁方
 ひそか、秘密
 ↓↑
 禁呪
 のろい
 まじない
ーー↓↑ーー
 ???・・・頼みの綱も切れる・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「水到魚行」・時がたてば成る様になる?・・・「水到渠成」・蘇軾・答秦太虚書?

2019-10-17 17:13:02 | 古事記字源
 楕円でも円満・・・八咫鏡・・・円周率再考
 八=ノ+乀=ノ+丶=8⇔∞
 咫=尺+只=尸+乀=口+ハ+口+ハ
   「咫=中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也」
   「周代の尺で八寸を咫という」

 鏡=金+立+日+儿
 円周率=π=3,1415=「円周÷直径(二半径)」=円周の直径に対する比
    =「円周の長さ」は「直径の長さ」の何倍か?
   π = 3.14159
      3+1+4+1+5+9=14+9=23
            ・・・2+3=5⇔伍・語・吾(ゴ・あれ)
                いつ=伍・何時・壱・溢・乙
                   ウぅ(中国語)
       全数字を「正の整数」として
            加算し
           「基数=0~9の整数」にする
   π = 3.1415
      3+1+4+1+5=14・・・1+4=五⇔伍・吾(ゴ・あれ)
   π = 3.14
      3+1+4=8=八=ハ・・・捌(ハチ・さばく)
    參=ム+ム+ム+𠆢+彡
      三っの横嶋(ム)が会合する彡(痕・爪痕)
     壱=十+一+冖+匕=壹=十+一+冖+豆
      肆=镸+聿・・・肆⇔髟・镹・髪
        髠髯髽髭髧髤鬐髢髿髦髲鬋
        镸=匚+=+ム
        镸=Γ+=+一+ム
        镸=Γ+≡+ム・・・・Γ=厂
     ・・・镸=長・・・長⇔辰=≡+丿+レ+丶+乀
                   辰=厂+一+𧘇( xian)
                   辰=厂+亠+𧘇
                  ・・・衣=亠+丿+𠄌+乀+丿
ーーーーー
 「安全」・・・?・・・「危険」・・・?
  安=宀+女
  全=𠆢+王=人+王
    ・・・安全とは
      「宀」と「𠆢or人」に
       守られた
      「女王」
      「女王蜂」・「女王蟻」・「卑弥呼」
        王⇔玉
       ・・・数珠・腕輪・首飾り
          釧(くしろ)=古代の装飾品で腕輪
          万葉集
          振田向(ふるのたむけ)が
          筑紫国に赴任する際に詠んだ
         「吾妹子(わぎもこ)は
          釧(くしろ)にあらなむ
          左手の 我が奥の手に
          まきて去(い)なまし」
          歌から釧などの腕輪は
          左手首に巻くのが
          一般的だった・・・?
          釧=金+川・・・釧⇔訓
            セン
            うでわ・くしろ
            腕にはめる飾りの輪
            くしろ・ひじまき・たまき
            腕釧(ワンセン)
            ブレスレット(bracelet)
 ↓↑
 裏字作重下「𧘇」=裏字として「𧘇」を下に重ね作る
 裏書(うらがき)
 法律用語・紙の裏に書かれた文字・文章を指す
 ↓↑
 「表=亠+土+𧘇」・・・音の土(ド)の𧘇・・・氏?
 「裏=亠+里+𧘇」・・・音の里(リ)の𧘇・・・氏?
 ↓↑
 「亠+𧘇」=衣=衣服の襟元(えりもと)
            襟=衤+禁・・・「衣」を禁じるって?
              衤+林+示
              衤+木+木+示
              キン・えり・むね
              衣服の前えり
              着物の前えり
              胸・心のうち
              心中・思い
              建物の南
 ↓↑
 「袋(有袋・郵袋)
  装(舗装)
  裂(分裂)」
 「亠+口+  𧘇=哀」・・・哀悼
 「亠+中+  𧘇=衷」・・・折衷
 「亠+保+  𧘇=褒」・・・褒美
 「亠+口+一+ 𧘇=衰」・・・衰退
 ↓↑
 𧘇
 𧘇的意思
 𧘇什(十)么(何)意思・・・么……(麼・末)接尾語
              这么・多么・怎么
              歌詞の口調をととのえる
 𧘇 的读(読・讀)音
 𧘇的解释(釋・釈)・・・解釈
 𧘇字的意思
 𧘇字什(十)么(何)意思
 汉(漢)字𧘇的意思
 𧘇字念什(十)么(何)
 𧘇怎()么(何)读・・・怎么都好=なんでもいい
             怎么=何故・如何(どう)
                奈何(いかん)
             怎=乍+心
ーーーーー
     ・・・镸=長・・・長の始点は点=・○
        镸円(楕円)の原型は円
           円の中心から
           左右横軸、上下縦軸に
           引っ張った形態
        镸+肀+二
        镸+肀+一+一
           丨+一+一+一+一+厶+聿
           丨+一+一+一+一+厶+肀+二
           丨+一+一+一+一+厶+肀+一+一
    円周=3,14x8=25,12・・・・2+5+1+2=10・・・1+0=1
      =3,1415x8=25,132・・2+5+1+3+2=13・・・1+3=4
      =24.8÷8=3,1
      =24.9÷8=3,1125
      =25.0÷8=3.125
      =25.1÷8=3.1375≒3.14・・・3+1+4=8=八=捌(さばく)
            3.1375・・・3+1+3+7+5=19
                    ・・・1+9=10(壱拾・足)
           人の足=1フィート
           漢字=一呎=one foot
           足=フィート・フット(feet・foot)
           1フィート=0.3048 メートル
           1フィート=12インチ
           3フィート=1ヤード
 ↓↑
 楕円=Daen=長円=卵型
 oval
 ellipse=iˈlips・エリプス・イリプス
 ↓↑ 
 ditch=ディッチ
    =みぞ・溝・渠・漊・瀆・涜・畎
     渠=洰+木
 ↓↑↓↑  氵+巨+木
       キョ
       おおきい
       かしら
       かれ
       なんぞ
       みぞ
       掘り割り・地面を掘った水路・小川
       大きい・広い
       かしら・親分
       かれ・三人称の代名詞
      「なんぞ・いずくんぞ」と読み
       疑問や反語の助字
       水到渠成
      「水至りて渠成る
      (蘇軾・答秦太虚書)」
        軾=車+式
          車+弋+工
          ショク
          しきみ
          車の前部についている横木
          横木に摑(捉)まり
          敬礼をすること
         「水到魚行」
          ・・・時がたてば成る様になる・・・?
       ⇔巨勢(こせ)氏
           許勢・許世・居勢
           己西・既洒
           大和国高市郡巨勢郷
          (奈良県御所市古瀬)
           を本拠とした古代豪族
           巨勢至信(こせ ゆきのぶ)
           江戸時代中期の旗本
           巨勢忠善(ただよし)の嫡男
           官位は従五位下
           伊豆守、縫殿頭
           至信の縁戚
           浄円院=彼女は徳川吉宗の母
               至信の伯母
           旗本巨勢氏
           至信の父
           忠善の代から
           紀州徳川家に仕え始め


           巨勢 至忠(こせ ゆきただ)
           土岐朝澄の子
           巨勢至信の婿養子
           官位は従五位下
           伊豆守
           日向守
           宝暦三年(1753年)
           定火消
           布衣(ほい)の着用許可
           旗本の礼装
           武家官位の最下層(六位)
           定火消(じょうびけし)
           江戸中定火之番
 ↓↑  ↓↑
    漊・瀆・涜・畎
    漊=氵+婁・・・婁=娄(ル・ロウ)
            鞴・送風器・ふいごう
            吹子・吹革
            吹影鏤塵(スイエイロウジン)
            たたら=踏鞴・蹈鞴
            たたら= 鑪・多多良・多田羅
    漊=氵+串+女
           𧰃=豆+婁=通䝁正音勞野豆也
             二𧰃郎侯反𧰃豆也𧯲俗音
      婁・娄(ル・ロウ・つなぐ・つながれる
          ウシ=牛をつなぐ
          ひく・むなしい・から
          中空・空洞)
      婁=二十八宿
        西方白虎・第二宿
        挹婁(ユウロウ)
        中国古代の外満州・沿海州付近にいた
        北方民族
        靺鞨(マッカツ)
        三世紀前半
        夫余の支配を脱した
 ↓↑  ↓↑ ↓↑  ↓↑
      ルソー=婁騒・魯叟・蘆騒=るそー
      Jean-JacquesRousseau
      (ジャン・ジャック・ルソー)
      仏人・啓蒙思想家・文学者
      (1712~1778)
      「民約訳解」著作
  瀆=氵+士+買・・・水の士のカイ物
             買=罒(網)+目+ハ
                 編  女の人
    涜=氵+売(女)・・水を拾う壱の冖の儿
       冒涜=冒瀆=ボウトク
            =貶める行為発言
             不敬
             氵=さんずい
              =纂隋・簒隋・篹隋
                隋=隋書・随所
       比売=比女⇔姫⇔「壱與・壹與」
               卑弥呼の宗女
                   瘦女
                   瘦得皮包骨
    畎=田+犬=甽=田+川(巛)
          異体字「圳=𤰕=甽=𤱶」
      ケン・テイ・キョウ
      みぞ
      田畑の間を流れる細い水路
      谷川・小川
      畎畝(ケンポ)
      田の「あぜ」と畑の「うね」
 ↓↑  ↓↑
 偻=的繁体字。亦作「軁」・・・偻⇔倭
   驼背=佝偻・・・・・稲穂垂れの曲がり
             禾穂垂れの曲がり
             のぎ(芒)
             穀物の穂先の毛
   泛指身体弯曲
   使身体弯曲
   表示恭敬・・・・・・お辞儀・挨拶のオジギ
   泛指弯曲
   屈曲・僂數
   迅速・立刻
   僂
   儸
   偻=僂
   脊背弯曲=伛~(弯腰驼背)
   迅速=不能~指(不能迅速指出来)
   其它字義(义)
    它=宀+匕=へび・タ・ダ=蛇
   偻=僂
   干練(练)=机灵=賢い
         灵=異体字「靈・㚑・霊・霛」
      指縁林或盗賊的部下、仆从(倒従(從))
   佝=僂
ーーーーー
 廃妃尹氏(はいひいんし、ペビユンシ)
 景泰五年閏六月一日
 (1455年7月15日)
  ~
 成化十八年八月十六日
 (1482年8月29日)
 李氏朝鮮
 第九代国王
 成宗の2人目の王妃
 第十代国王
 燕山君の生母
 本貫は咸安
 尹起畎(尹起畝)・・・・・畎=ケン=猟犬
 と
 申氏(申叔舟の従妹)・・・申=さる=猿
 の娘
 燕山君の在位中の
 1504年に復位
 斉献王后(チェホンワンフ)と追号
 1506年
 中宗反正の後に
 再び廃位・・・???
 美しい容姿で
 成宗の寵愛を受けた
 成化十年(1474年)
 成宗の最初の王妃
 恭恵王后崩御
 妊娠中の尹氏は
 王妃に冊封された
 4ヶ月後
 元子(燕山君)を出産
 成化十三年(1477年)
 尹氏は砒素を隠していたことが発覚
 他の後宮を毒殺しようとした
 嫌疑がかけられ
 降格されそうになったが
 成宗の取り計らいで免れた
 尹氏のもとを訪れた成宗は
 尹氏の母が残していった箱に
 呪詛の文が書かれた書を発見し
 成化十五年(1479年)
 成宗は
 尹氏を廃位し
 王妃から
 嬪(ピン、正一品。側室の最上位)に降格した
 三年後
 成宗が尹氏のもとを訪れた際
 尹氏は
 嫉妬で
 成宗の顔を
 爪で引っ掻くという不敬を犯した
 これを知った
 大妃や妃の強い要求により
 成宗は尹氏を廃妃、宮廷から追放
 尹氏の素行不良により
 成化十八年(1482年)八月
 成宗は
 廃妃尹氏に
 賜薬を下した
 ↓↑
 尹氏の
 廃妃と賜死を巡って
 両班家、貧家の出身の
 尹氏を快く思わなかった
 太后と後宮の妃妾たちの妬みに遭い
 謀略により憤死した・・・説
 尹氏の
 墓碑は建てなかったが
 成宗は世子の将来を考慮し
 「尹氏之墓」という墓碑銘を与えた
 成宗は自分の
 死後100年間は
 廃妃問題に関して論じないよう遺言
 燕山君は後に
 尹氏の死の経緯を知り
 甲子士禍へ・・・
 ↓↑
 甲子士禍(コウシシカ)
 燕山君の独裁政治の粛清事件
 士林派
 国王に反対する
 勲旧派の一部も
 弾圧
 ↓↑
 燕山君は
 1498年(燕山君四年)
 「戊午士禍」
 によって
 士林派を一掃し
 奢侈な生活
 重税を課し
 官吏の功臣田の削減
 ↓↑
 燕山君は
 1503年(燕山君九年)頃
 狂動が増し
 1504年(燕山君十年)
 外戚を中心とした宮中派
 と
 議政府によった府中派
 との対立を利用し
 権力の掌握を狙った側近の
 任士洪と
 宦官(内侍)の
 金子猿が・・・・金子の猿
         金の子の猿・・・猿女?
 燕山君に
 生母(廃妃)尹氏の賜死の経緯を
 告げ口し、亡き母の遺品を見せた
 燕山君は逆上し
 賜死にかかわった関係者の
 すべての調査と処罰を命じた・・・SK国状況?
 7ヶ月以上にわたる
 疑惑の追及が行なわれ
 勲旧派
 士林派
 を問わず
 賜死事件に関連した要人が
 死刑、流刑
 貴人鄭氏
 貴人厳氏
 の2人は
 燕山君に殺害
 勲旧派の巨頭
 韓明澮
 もこの時
 「剖棺斬屍」・・・死体を棺から引き出し斬刑に処すこと
 に処された
 生母尹氏の賜死を実行した
 燕山君の祖母
 仁粹大王大妃も
 燕山君から虐待を受け死去
 ↓↑
 国王自身の「恐怖政治」は
 開国以来の
 王権と臣権の関係に重大な影響をもたらし
 朝鮮王朝史上
 最初の臣下による
 政変を引き起こした
 燕山君は
 1506年(燕山君十二年)9月2日
 朴元宗
 柳順汀
 らによる
 宮廷クーデターにより
 王位を剥奪
 3ヵ月後に流刑先の
 江華島で死亡・・・
 ↓↑
 1494年
 6歳で
 晋城大君(チンソンデグン)に冊封
 ↓↑
 1506年9月2日
 勲旧派の
 朴元宗
 成希顔
 柳順汀
 らがクーデターによって
 燕山君を廃位、追放し
 18歳の
 晋城大君
 を擁立
 ↓↑
 「獄中花」・・・「獄女(オクニョ)→玉女」?
 中宗
 李氏朝鮮の
 第十一代国王
 (在位
  1506年9月2日~1544年11月14日)
 諱は懌(ヨク)
 諡は恭僖徽文昭武欽仁誠孝大王
   中宗恭僖大王
 第九代
 成宗の次男
 第十代
 燕山君の異母弟
 ↓↑
 1510年
 側近の
 朴元宗が死去
 「三浦の乱」
 北方からは
 女真族の侵入
 ↓↑
 38年2ヶ月在位した後
 1544年11月14日
 長男の
 仁宗に譲位し
 翌日56歳で死去
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「乙巳士禍」
 by 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ↓↑
 乙巳士禍(ウルササファ)
 1545年
 李氏朝鮮の
 明宗時代
 明宗の外戚
 尹元衡(文定王后・尹氏の弟)・・・文+定
 らによる
 鳳城君
 を推戴しようとした
 反対勢力
 先代
 仁宗(明宗の異母兄)外戚の
 尹任
 と
 彼に登用された
 士林
 らの粛清事件
 ↓↑
 1544年11月
 中宗が死去
 世子が29歳で即位
 仁宗は生母が産褥で生後直ぐに死去し
 継妃であった
 文定王后に育てられた
 文定王后の実子で
 仁宗の異母弟
 慶源大君(明宗)は
 十一歳
 ↓↑
 中宗の晩年
 仁宗の伯父
 尹任
 の率いる
 大尹派
 と
 文定王后の次弟
 尹元衡を中心とする
 小尹派
 とが対立して
 仁宗の即位により
 大尹派が優位となった
 ↓↑
 仁宗
 短い在位期間中
 「己卯士禍」で
 被害にあった
 趙光祖ら士林派の名誉回復をはかり
 自らも
 道学政治を標榜し
 士林派の登用を推進
 が、即位後9か月足らずで
 原因不明の急病で死去
 急死について
 継母
 文定王后による
 殺害説が囁かれてきた・・・
 ↓↑
 仁宗
 の死によって
 幼い国王
 明宗
 と
 生母
 文定王后(垂簾政治)
 に擁護された
 小尹派の中心人物
 尹元衡は
 策略で
 尹任、柳灌、柳仁淑
 らの
 大尹派の
 首領を自決に追い込み
 彼らに追随した
 士林派の
 官僚たちを配流
 ↓↑
 政権を掌握した
 尹元衡は
 1547年
 「良才駅壁書獄」
 を起こし
 先の事件で生き残った
 良識派の
 士林勢力をも一掃し
 権力を独占
 ↓↑
 尹元衡
 は
 国王の外戚として
 文定王后
 存命中は
 栄華を極めた
 文定王后の死により
 妾
 鄭蘭貞とともに政権を追われ
 自害
 ・・・「鄭蘭貞」・・・「半島美人」!!
 ・・・「鄭蘭貞」の配下使用人も全員忠義モノ・・・?
 鄭蘭貞 (チョン・ナンジョン・てい・らんてい)
 ?~嘉靖四十四年 (1565年11月13日)
 朝鮮の身分制度を覆そうとした聖女
 ・・・パク・チュミ・・・
 (朴周美・1972年10月5日)・・・
           交通事故・2012年10月23日夜
 壬子(壬 癸)正財・偏財 絶⇔壬辰
 己酉(庚 辛)比肩・食神長生⇔庚戌
 己巳(戊庚丙)  ・印綬帝旺⇔丁巳
  戌亥 大運2012年3月(39歳) 乙巳 偏官
 庚午(丙 丁)傷官・偏印建禄⇔丙午
 ↓↑
 「李之菡(イ・ジハム)」
         ・・・菡萏(カンタン)
            中国語でハス(蓮)
            大分県大分市西部の地名
           「菡萏」と表記
            菡萏港 - 大分県大分市
            大分港の旧称
            菡萏湾 - 大分県にある
            別府湾の旧称
  (1517~1578)
 (中宗十二年~宣祖十一年)
  朝鮮時代中期の学者・博学多才
 「李之菡(イ・ジハム)」
 妻の父
 李呈琅は
 「良才駅壁書事件」・・・良才駅で政権批判の張り紙(壁書)が発見
            「上では大統領が
             下では奸臣が権力を占めているから
             国が滅びてしまう」・・・?
 に巻き込まれ処刑
 ↓↑
 土亭是
 李之菡
 的外號
 李是
 高麗
 忠臣
 牧隱李穡的
 第6代玄孫
 1517年
 出生
 在忠清道的
 保寧。
 他十四歲的
 時候就失去了父親
 是長兄教會
 他
 讀書寫字的。
 成家後
 他拜師
 於
 自然哲學家
 徐敬德門下
 學習力學
 醫學
 數學
 天文和地理
 等
 各個領域的知
 ↓↑
 乙卯倭変
 1555年
 倭寇が
 全羅南道の
 康津
 珍島
 に侵入、略奪
 ↓↑
 1544年
 蛇梁鎮倭変
 朝鮮で
 倭人の来往を禁止
 対馬島主の
 謝罪
 通交再開許可願いを受け入れ
 1547年
 丁未約条
 倭人の交易を許可
 約条は倭人に対する統制を強化
 倭人は朝鮮との貿易で規制され
 倭寇は
 日本全域が戦乱状態で
 貿易事情も悪く
 明の沿海と朝鮮の沿海地方で
 略奪行為
 1555年5月
 倭寇は船七十余隻で
 全羅道の南海岸に侵入
 城を包囲
 長興、康津、霊岩一帯を横行
 朝鮮は
 倭寇討伐隊を全羅道に急派
 節度使・元績
 長興府使・韓温
 などが戦死
 霊岩郡守・李徳堅が捕虜になる
 ↓↑
 朝廷は
 戸曹判書・李浚慶を都巡察使
      南致薫を防御使
 に任命し、討伐隊を再び派遣
 彼らが倭寇を職滅すると
 対馬島との貿易関係悪化
 立場が苦しくなった対馬島主は
 朝鮮を略奪し蛮行に出た
 倭寇の首を切ってきて謝罪
 歳遣船の増加を願った
 朝鮮では
 対馬島の生活必需品を支援するため
 食料事情などを考慮し
 歳遣船五隻を許可した
 が
 倭寇の侵入は減らなかった
 豊臣秀吉
 日本統一
 朝鮮に
 大規模な戦争を敢行
 「壬辰倭乱」
 以後
 朝鮮と日本の
 両国間の貿易は中断・・・???
 「悪女・獄女」・・・ドラマの結末は・・・
ーーーーー
 人種、種族、民族に関係なく
 ・・・ヤッタ方は事実をトボケテ忘れる・・・?
 ・・・ヤラレタ方は事実を誇張して忘れない・・・?
 ・・・みんな、ボケればヘイワ・・・カモ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島原大変、肥後迷惑・・・揣摩葉等太編、卑語眀和煦(盟和句)・・・?

2019-10-14 21:21:20 | 古事記字源
 外周・周囲・周辺・円周・・・楕円(橢円)・アーモンド
 ↓↑
 ラグビー・・・楕円=ダエン=橢円・・・橢=木+隋・・・記紀・隋王朝

 二〇十九年二〇時三十五分
 ・・・日本(21) VS(7)スコットランド・・・

 やったァァァ~ッ!!!
 二〇十九年二一時四〇分
 日本(28) VS(21)スコットランド・・・
 十月、日の本壊滅は経済ではなく・・・
 颱風・堤防決壊・大洪水・・・大災害・・・
ーーーーー
 ラグビーボールの形

  楕円
 円を縦方向に(横方向に)伸ばしたもの
 楕円(だえん・橢円・ellipse)
 平面上のある2定点からの
 距離の和が
 一定となるような
 点の集合から作られる曲線
 基準となる2定点を焦点
 円錐曲線の一種
 ↓↑
 中国語で
 楕円の「楕」は
 「木の切り株」の意
 「木の切り口」の 形から名けられた
 日本では
 田畑の実際の形から
 「飯櫃」
 「平卵形」などと呼ばれていた
 関孝和は
 「側円」と呼んだ
 江戸時代には
 「側円」と呼ばれ
 明治になって
 「楕円」
 と呼ばれるようになった・・・明治の所産
 ↓↑
 台風の渦の目の移動は「楕円形」・・・?
 ↓↑
 回転楕円体(spheroid)
 楕円の
 長軸または短軸を
 回転軸として得られる回転体
 3径のうち
 2径が等しい楕円体
 ↓↑
 回転楕円体
 「地球の形」を
 近似するのに用いられる
 回転楕円体を
 地球楕円体 (Earth ellipsoid)
 と呼ぶ
 様々な地球楕円体のうち
 個々の測地系が準拠すべき
 地球楕円体を
 特に
 準拠楕円体 (reference ellipsoid)
 と呼ぶ。
 ↓↑
 3径のうち等しい
 2径の半径を赤道半径
 残りの1つを極半径
 元の楕円の2径のうち
 回転軸となった半径が
 極半径
 他方が
 赤道半径である
 ↓↑
 赤道半径のほうが長い
 短軸が回転軸となった回転楕円体を
 扁球・扁楕円体・扁平楕円体
 (oblate, oblate spheroid)
  という
 極半径のほうが長い
 長軸が回転軸となった回転楕円体を
 長球・長楕円体・扁長楕円体
 (prolate, prolate spheroid)
 という。
 ↓↑
 赤道半径
 と
 極半径が
 等しい回転楕円体は
 球である
 球は
 円を
 その直径を回転軸とした回転体で
 3径が
 全て等しい楕円体である
 ↓↑
 回転楕円体の表面を
 回転楕円面
 という
 ↓↑

 「金烏玉兎
 (キンウギョクト)」・・・金の加羅州
              多万(太満・多萬・但馬・丸・圓)の
              鵜(鸕・雨・武・胡・宇)の
              詐欺(詐偽・佐義・左記・鷺)
 カラス(烏・鴉・鵶・雅・Crow)
 鳥類カラス科・カラス属・Corvu
 ↓↑
 ウサギ
 (兎・兔・rabbit・hare(ヘア)
      bunny・coney・cony)
 ↓↑
 アーモンド(Almond)
 ↓↑     嗚呼、問答?
       嗚呼、水主?
 ↓↑     ↓↑
   もんど(主水)
      「もいとり(水取)」の音変化
      「主水司 (もんどのつかさ) 」の略
       主水司(シュスイシ)
       主水=かこ= 水主( かこ )
       水夫⇔海士・海人・海女・海部
 ↓↑     ↓↑
       万葉仮名
      「阿麻=あま
         =白水郎
          白水郎=中国の
      地名「白水」?の潜水夫
          白水=熊本県北東部
          南阿蘇村東部の旧村域
          阿蘇山の火口原の南郷谷にある
          1889年=明治二十二年=己丑年
          白川村・吉田村・両併村
          一関村・中松村
          の5村が合体して
         「白水村」が発足
          海士・海人・海部・海女
          泉郎=白+水+良+邑(阝)
          漁人・魚師
         =蜑=延+虫
       水主町(かこまち)
       城下町・港町に所在する地名
      「1889年=明治二十二年=己丑年」2月11日
       大日本帝国憲法
       旧皇室典範
       衆議院議員選挙法公布
       万歳三唱が始る
       森有礼文相が刺殺
       日本 (新聞)創刊(陸羯南)
       5月15日
       大槻文彦「言海 (第一冊)」発刊
       10月7日
       海軍旗章条例(旭日旗が軍艦旗となる)
 ↓↑     ↓↑
 バラ科サクラ(桜・櫻・咲良)属の落葉高木
 及びこの果実の種から作る
 ↓↑
 ナッツ(nuts・豆・まめ)・・・α+豆⇔壱=壹⇔臺
 古くは
 ヘントウ(扁桃)と呼ばれ
 ↓↑ ・・・扁(かたよる)
     =戶(一尸)+冊
      始めの屍の書冊
      戶+冂+卄
      戸+冂+卄
      戶+冂+一+丨+丨
      戸+冂+一+丨+丨
      ヘン
      ひらたい
      ふだ(札)
      門の上や部屋に
      かかげる横長のふだ
      横額
      うすくて平べったい
      ちいさい・扁舟(ヘンシュウ)
      漢字を構成する左側の部分=偏
 ↓↑    桃=十+八+兆し
 アンズ(杏=木+口)
 モモ(桃=木+兆)
 ウメ(梅=木+毎=十八𠂉毋)
 の近縁種
 梅などに似た果実をつける
 果肉は薄く食用にならないが
 種子の殻を取り除いた
 仁の部分が食用
 「生アーモンド」となる
 アーモンドの訛った
 アメンドウ・・・編め務如何?
 また
 ハタンキョウ(巴旦杏)とも呼ばれる
 スモモもハタンキョウと呼ばれ
 混同が生じる
 ↓↑
 ラッカセイ(落花生・peanut・groundnut)
 マメ(豆)亜科ラッカセイ属の一年草
 食用にされる種子は別名
 ナンキンマメ(南京豆)・ピーナッツ

ーーーーー
 circumference=sərkʌ́mfərəns・sərˈkəm・fər・əns
↓↑       səˈkʌm.fər.əns・sɚˈkʌm.fɚ.əns
         サァ(シェ)ーカムファ  レンス
         作雅(詞廻)化務符蛙(丫)聯諏?
         作蛙(詞廻)化務符蛙(丫)聯諏?
         サァ(ル)カァンファ ラァンス
↓↑     ↓↑
         諏=言+取・・・諏訪
           言+耳+又
           シュ
           ス
           とう(問う・当)
           はかる(測・計・衡)
           問う・訊ねる・尋ねる
           質ねる
           相談する
         訪=言+方
           ホウ
           おとずれる・・・音ズレる
           訪問・来訪
 ↓↑        ↓↑
 外周・周囲・円周・周辺
 the outside edge of an area
  or
 object that is round or curved,
  or
 the length of this edge
 the distance around a circle
↓↑
 諏訪・すわ
 朝廷は
 諏訪神社の
 建御名方神(たけみなかたのかみ)
 の神威を恐れ
 諏訪神領の自治を認めていた
 諏訪の地名の由来
 長野県の方言
 すわ=谷や湿地
    「沢」から転じた?・・・諏倭(諏和)
    「洲羽(すは・古事記)」
    「すわ大変」
    「須波」・「須芳」・・・「諏倭」・・・諏輪・・・

ーーーーー
 倭史の爪痕・・・「鷲(わし)」の
         「爪(つめ)」は
         「厶(私・邪・横島・横縞・與湖島)」がある
         「瓜(うり)」とは異なる・・・?
 歴史に残る
 長野県の自然災害
 諏訪湖=断層湖
     北緯36度02分
     東経138度05分
 天竜川(一級河川)水系の一部
 釜無川と笛吹川の合流点より下流を富士川
 七ツ釜は
 全面氷結しても
 湖底の源泉が
 湖上に7ヵ所の穴を穿ったもの
 ↓↑
 長野県の自然災害
 「暴れ天竜」
 天竜川洪水
 ↓↑
 伝承
 夢枕に立つ
 くらがり沢の大蛇(箕輪町三日町)
 澄心寺の
 黙仙和尚の夢枕に
 妙齢の美女に化身した
 くらがり沢の大蛇が立ち
 天に昇るために
 山から天竜川へ移動し
 千年住まなければならないと言った。
 大蛇は
 澄心寺や下の田畑村人には
 決して被害を与えないと誓い
 沢をくだって通させてくれと
 一生のお願いをして帰った。
 夢からさめた和尚は
 くらがり沢の入り口に
 石を伏せ読経を唱えて大蛇を封じ込めた。
 その1週間後
 大蛇は荒れ狂って
 南沢へ抜け出したので
 澄心寺は壁をぶち抜かれ
 三百六十畳の畳の上に
 五尺から九尺の
 甘酒のような泥がなだれ込み
 下に続く田畑も大きな被害を受けた。
 ↓↑
 理兵衛堤防
 江戸時代
 前沢村の名主
 松村理兵衛忠次が
 度重なる天竜川の水害から
 田島を護るために
 私財をなげうち
 尾張から石工を呼んで
 堤防工事を始め
 工事中に何度も水害に見舞われ
 至難を極めたが
 理兵衛の孫の三代に渡り
 58年間と3万両もの莫大な費用をかけて
 堤防が完成した。
 平成18年7月
 豪雨の際、洪水の跡に
 理兵衛堤防の石積が発見された。
 ↓↑
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=mcafeess1&p= 長野県の歴史的災害
ーーーーー
  島原大変・・・揣摩(しま・志摩・四万・史真)葉等太編?
 (しまばらたいへん)
  肥後迷惑・・・卑語(飛語・蜚語・鄙語・庇護)眀和煦(盟和句)?
 (ひごめいわく)   眀和 1764年~1772年
               後桜町天皇、後桃園天皇
               江戸幕府将軍は徳川家治
             煦=日+句+烈火(灬)
               翼覆嫗煦(ヨクフ-ウク)
               親が子を、政治家が人民を
               男が女を慈しみ
               愛することをいう
              「嫗煦」は暖めて育てること
               親鳥が雛や卵を翼で覆って
               暖め育てることにたとえ
 1792年5月21日
 (寛政四年四月一日
    壬子
    清王朝 乾隆五十七年
    フランス革命暦
    I年
    葡萄月1日
    グレゴリオ暦1792年9月22日
    I年
    雪月11日)
    4月20日
    フランスがオーストリアに宣戦布告
    フランス革命戦争勃発
    4月22日
    フランス革命戦争
    ワシントン米大統領中立宣言
    6月1日
    米国ケンタッキー(Commonwealth of Kentucky)
    が15番目の州となる
    ケンタッキーの語源・・・懸(建・兼)
                立通
                奇異(紀伊・記意)?
    先住
    チェロキー族の・・・・・知恵路忌諱(記意)?
    「暗い血まみれの大地」
    「暗い血塗られた土地」
    「Kain-tuck-ee(Ganda-giga'i)」
    イロコイ族の・・・・色恋・色濃い・意賂故意?
    「平原」を指す言葉・・・・併言・源平の文字の順逆
    8月10日
    フランス革命
    ルイ16世が拘束・幽閉、王権停止
    9月21日
    フランス革命
    第一共和政樹立
 ↓↑  ↓↑
    5月21日(寛政四年4月1日)
    雲仙岳が噴火(島原大変肥後迷惑)
 ↓↑  ↓↑
    12月11日(寛政4年10月28日)
    蝦夷国松前藩
    第八代藩主
    松前道広の隠退により
    第九代
    松前章広が襲封
    ロシア使節
 ↓↑  ラクスマンが日本来訪
 肥前国
 島原(長崎県)で発生した
 雲仙岳の
 火山性地震
 その後の
 眉山の・・・「眉輪=目弱」王・・・真由話王?
        円大大臣(つぶらおみ)
        円(エン・まる・ゑん・Yen・まどか)
        丸いこと・丸いもの・丸印
        圓(エン・ウォン・通貨名)
 山体崩壊(島原大変)・・・三対崩壊・纂体法界?
 それに起因する
 津波が
 島原
 対岸の
 肥後国(熊本県)を襲った(肥後迷惑)
 新月
 大潮
 であった
 山体崩壊開始から終了まで
 180秒程度・・・?
 ↓↑
 第一段階(前駆地震群)
 1791年(寛政三年)11月ごろ
 雲仙岳西側で有感地震が多発
 震源が徐々に
 普賢岳に向かった
 ↓↑
 第二段階(普賢祠前の噴火-新焼溶岩の流出)
 1792年2月10日(寛政四年一月十八日)
 普賢岳で
 噴火
 溶岩流
 火山ガスの噴出
 溶岩は2か月掛けて2キロメートル
 千本木と呼ばれたまで流れた
 穴迫谷(あなさこたに)
 と呼ばれる山中の谷を埋めた
 ↓↑
 第三段階(三月朔地震群-今村の地下水位上昇)
 1792年4月1日(寛政四年三月一日)
 から1週間ほど地震が群発
 普賢岳から
 火が噴き
 吹石岩が降り注ぎ
 眉岳・天狗岳(708メートル)
 に落石し、地割れが起こった
 その後
 地震は
 島原の近くに震源を移し地震が続いた
 4月21日
 島原近辺での地震活動活発
 ↓↑
 第四段階(四月朔地震-眉山山体崩壊)
 5月14日までに群発地震は収まったが
 5月21日の夜、2度の強い地震
 眉山の南側部分が大きく崩れ
 大量の土砂が
 島原城下を通り有明海へと一気に流れ込んだ
 崩壊前には
 楠平で地下水の異常な上昇
 眉山崩壊の原因
 眉山の火山活動か
 雲仙岳の
 火山性地震によって誘発されたのか
 定かではない
 ↓↑
 第五段階(続く地震と湧水変化)
 崩壊後
 上の原に
 自噴井が生じた
 眉山には
 「六筋の堅割」が生じ泥水が噴出
 六月朔日
 普賢岳山頂で再噴火
 地震の度に
 眉山が2次崩壊
 ↓↑
 崩壊原因
 諸説あり、未解明
 火山爆発説は否定
 ↓↑
 by
https://ja.wikipedia.org/wiki/島原大変肥後迷惑
ーーーーー
 ・・・???・・・自然災害は諦めろ、ラグビーは諦めるなッ!
 理不尽な暴力は許すな・・・ウラメ・・・?
 理尽な暴力は行使して自己防衛をハカレ・・・?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円行・円仁・円載・円珍・円融・・月の裏側・・・かぐや姫(モナリザ)?

2019-10-12 16:24:21 | 古事記字源
 圓=囗+員・ツブラオミ=圓大臣以降の「圓+α」の人名
 ↓↑  ↓↑
 ハ鏡=捌鏡=Ⅷミラー(Ⅷ mirror )=Broken bronze mirror
 ハ鏡=破鏡=壊されたカガミ=Broken copper mirror=破鏡
 は鏡=「波・葉・歯・刃・派・ha」の「カガミ」
    ・・・八咫鏡(やたのかがみ)
     Yata no Kagami (the eight-span mirror; one of the Imperial regalia)
    壊されたカガミ(かがみ=鑑・各務・加賀見・香我美)
                鑑=歴史物語=大鑑・今鑑・水鑑・増鑑
    日本の八咫鏡は円周8咫、すなわち径2尺という意味である・・・?
    The Japanese Yata no Kagami
     (the eight-span mirror; one of the Imperial regalia)
    has 8 ata of circumference,
    in other words,
    the diameter of the mirror is 2 shaku (23.04 centimeters).
    (by ejje.weblio.jp/content/八咫鏡
      Weblio 辞書 > 英和辞典・和英辞典)
 ↓↑  ↓↑     ↓↑
 「咫(シ、zhǐ) 」=古代の長さの単位
 「中婦人手長八寸、謂之咫・周尺也」
  『説文解字(九、尺部「咫」)』
 「周代の尺で8寸を咫という」
  ・・一尺=八寸=咫=尺+只=尺+口+ハ・・・ハ≠八
  只=ロハ=ろは=ただ・それのみ・それだけ
  只管打坐=雑念を捨てて
       脇目(わきめ)も振(ふら)ず
       座禅を組むこと
      「只管」はひたすら、一心に
      「打坐」は座禅
 「尺」・・・尺=尸(シ・しかばね・かばね)
         乀(フツ・左上から右下に揺れ動く・振れ動く)   
 「周制、寸・尺・咫・尋・常・仞
  諸度量、皆以人之体為法」
 ↓↑
  「一束(ひとつか)」
 片手の握りこぶし1つ分の幅
 「束の間」
 ↓↑
 「一咫(ひとあた)」
 手の平の付け根から中指の先端までの長さ
 親指と中指とを開いた長さとほぼ同じ
 ↓↑
 「フィート」
 30.48cm
 足の爪先(つま先)から
 踵(かかと・くびす・きびす)まで
 ↓↑
 「尺(しゃく)」
 30.3cm
 「尺」=手の親指と人差指を広げた形
     親指の先から中指の先までの長さ
 ↓↑
 日本
 「あた-る」=動詞「あつ(当)・あてる」
        を名詞化したもの
        手を開いて測ることを意味
        手を開いたときの
        中指の先から
        親指の先までの長さを
        「咫」とし
        尺の元々の定義と同じ
 ↓↑
 「日本書紀」では「咫」と記録
 「古事 記」では「尺」と記録(八尺鏡)
 「八咫鏡」、「八咫烏⇔八咫の太陽(日=○=円)」
 「八咫」・・・咫=尺+只
 ↓↑
 「あた=さか」
 「八尺瓊勾玉・・・八尺の胎児の目
          鳴門の渦の穴(窪・凹)
          颱風の渦の穴(窪・凹)
         「摺り鉢・擂り鉢」の形
        「碾き臼(碓)・挽き臼(碓)」
            小碓命・   大碓命
            小=ハ+亅   大=一+人
        「搗き臼・突き臼」
        「付き烏頭・月卯州(宇須・宇受)」
 ↓↑         烏帽子(えぼし)・山伏・烏天狗
 (やさかにのまがたま)」
  八逆 児の勾玉?
  耶(邪・乎)佐賀児の曲魂?
 ↓↑
 「尺=あた=さか」
 「八咫鏡」
 ↓↑
 『説文解字』にいう
 「周」を
 「円周」と解釈し
 「咫=円周の単位」で
 「円周率=約 3.14」 であり
 「円周率=約 3.2」に近似とすると
 「径 一 尺」の
  円の
 「円周=3.2 尺」となり
  これを
 「四 咫」とした・・・という説?
  日本の
 「八咫鏡」は
 「円周 八 咫」?・・・2.547x3.14=7.997
 すなわち
 「径 二 尺」という意味・・・?
    2.547x3.14=7.997≒円周 八 咫
 ↓↑
 「一尺=八寸」⇔「二尺=十六寸」
 ↓↑
 直径が 2cm の円周を求める
 円周率は 3.14
 公式
 「円周=直径×円周率」
 「円周= 2 × 3.14=6.28(cm)
        ・・・六月 弐拾八日?
           陸解通弐足捌比?
 ↓↑
 直径が 2.5cm の円周を求める
 円周率は 3.14
 円周= 2.5 × 3.14=7.85≒円周 八 咫
     7.85=七(漆)点(典)八(捌)五(伍)
 ↓↑
 「後漢の尺=23.04cm」
  ・・一尺=八寸=23.04÷8=2.88
       一寸≒2.88≒3
  直径一尺=八寸=23x3.14=72.22cm
       72.22=七拾弐点弐拾弐
      漆(うるし)拾う二典拾う弐(に)
 ↓↑
 「八咫鏡」は
 「直径 46cm」・・ 46x3.14=144.44cm          
  前後の
 「円鏡」を指し
  福岡県糸島市の
  平原遺跡から
 「五面」
  の大型
 「内行花文鏡」
  が出土・・・???

    銅=copper=カッパ(河童・合羽・喝破・Κ)=copper
     =銅=銅 ・ 赤銅色 ・ 銅貨 ・ 銅器 ・ 大釜・・・大蝦蟇・大鎌
     =銅=原子番号29の元素・元素記号は Cu
        周期表では金、銀と同じく
        11族に属する遷移金属
    和銅(ニギアカガネ)=秩父で銅塊が発見され朝廷に献上
               改元
    708年(戊申)~715(乙卯)年までの期間
    天皇は元明女帝(阿閉)
    和銅五年(壬子)一月 太安萬侶「古事記」完成、撰上
 ↓↑  ↓↑  
    和銅元(戊申)年改元
    慶雲五年一月十一日
   (ユリウス暦708/1/28)
     二月
     平城の地に新都造営詔
     十月、伊勢神宮に平城宮造営を告
    和銅元(戊申)年五月
     和同開珎鋳造。
    和銅三(庚戌)年三月
     藤原京から平城京に遷都
     藤原氏、興福寺の造営を発願
    和銅四(辛亥)年十月
     蓄銭叙位令
    和銅五(壬子)年一月
     太安万侶「古事記」完成、撰上
    和銅五(壬子) 出羽国を建てる・・・出葉句爾?
    和銅六(癸丑)年四月三日
     丹後国・・・単語句爾
     美作国・・・「みまさか=見真逆」句爾
     大隅国・・・「大墨・大澄・大須見」句爾
    和銅六(癸丑)年五月
     諸国に「風土記」編纂を勅
     郡・郷名に好字付与の勅
    和銅七(甲寅)年六月
     首皇子(聖武天皇)の立太子
     九月
     元明天皇譲位
     氷高内親王(元正天皇)即位
    和銅八(乙卯)年九月二日
   (ユリウス暦715年10月3日)
     霊亀に改元

 圓=囗+員=円=冂+丄
   囗+口+貝
   エン
   まるい
   つぶらか
   まどか
   まろやか
   まるい形・円形
   角のないさま
   つぶら
   まるくて可愛らしいさま
   まったし・完全な
   欠けているところがない
   日本の貨幣単位
   えん・そのあたり一帯
   ↓↑
   人名読み・名のり
   かず・つぶら・のぶ
   まど・まどか
   まる・みつ
ーー↓↑ーー
 円滑洒脱(えんかつしゃだつ)
  問題を起こすことなく
  物事を順調に処理すること
 ↓↑
 円孔方木(えんこうほうぼく)
  物事が食い違っていて
  上手く噛み合わないこと
 ↓↑
 円首方足(えんしゅほうそく)
 人間
 「円首」は丸い頭
 「方足」は四角い足
  天と頭はどちらも丸く
  大地と足はどちらも四角い
  人と天地が似ている
  類義語
 円頭方足(えんとうほうそく)
 円顱方趾(えんろほうし)
 「円顱」は丸い頭
 「方趾」は四角い足
 方趾円顱(ほうしえんろ)
 ↓↑
 円頂黒衣(えんちょうこくい)
 僧侶の姿
 「円頂」は髪を剃って丸めた頭
 「黒衣」は墨で染めた僧侶の服、僧衣
 ↓↑
 円転滑脱(えんてんかつだつ)
  物事を要領よく処理していく様子
  言葉遣いや行動が自在で
  相手の感情を刺激せずに応対し
  争い事を起こさないこと
 「円転」は角立ってなく、滑らかに転がる意
  物事が停滞することなく進むことのたとえ
 「滑脱」は滞ることなく
  状況に合わせて自在に変化するという意
  失敗や間違いのない応対
 ↓↑
 円転自在(えんてんじざい)
  言葉や行動を思うように
  淀みなく行われること
 「円転」は淀みなく動くこと
 ↓↑
 円頓止観(えんどんしかん)
  人格を完成した完璧な悟りの境地
  すべての物事を完全に備え
  雑念がなく
  直ちに悟りに到る境地
  すべての存在が
  そのまま真実の理法に
  かなうことを正しく観察すること
  仏教の天台宗で
  「漸次止観」
  「不定止観」と合わせ
  「三種止観」と呼ばれる
  類義語 摩訶止観
 ↓↑
 円融三諦(えんにゅうさんだい)
  仏教
  空、仮、中
  の三つの心理が
  それぞれの立場を保ちながら
  互いに溶け合っている状態
  「円融」はお互いに融合しているが
  それぞれ立場を保ちつつ
  妨げになっていないこと
 「三諦」は空、仮、中の三つの真理
  天台宗が説く三つの真理
  全てのものには
  実体が存在しないという「空」
  全てのものは
  因縁によって存在するという「仮」
  それら二つを超越して存在している
 「中」のこと
 ↓↑
 円木警枕(えんぼくけいちん)
  苦労しながらも力を尽くして
  勉学に励むこと。
 「円木」は丸太。
 「警枕」は深く寝入ることを防ぐための枕
  枕を転がりやすい丸太にし
  深く眠り込むと目が覚めるようにし
  寝る間を惜しんで
  勉学に励むという意
  宋の
  司馬光が丸太を枕にして勉学に励んだ故事。
  出典『資治通鑑(後梁紀)』
 ↓↑
 円満具足(えんまんぐそく)
 何一つ欠ける事なく、満ち足りていること
 「円満」
 「具足」
 どちらも不足することなく
 十分に備わっているという意
 ↓↑
 円融滑脱(えんゆうかつだつ)
  物事を要領よく処理していく様子
  言葉遣いや行動が自在で
  相手の感情を刺激せずに応対し
  争い事を起こさないこと
  失敗や間違いのない応対をすること
 ↓↑
 円顱方址(えんろほうし)
 円顱方趾(えんろほうし)
 ↓↑
 水随方円(すいずいほうえん)
 民の善悪は
 政治を行うものによって感化される
 人は環境や人間関係次第で
 善悪のどちらにも感化されるということ
 「随」は従うこと
 「方円」は四角いものと円いもの
 水は容器の形に従って
 四角にでも円にでもなるという意
 出典 『韓非子(外儲説・左上)』
 ↓↑
 智円行方(ちえんこうほう)
  さまざまな深い知識があり
  規律正しいこと
 「智円」はさまざまな知識
 「行方」は行いが正しく、礼儀正しいこと
 『淮南子(主術訓)』
 『文子(微明)』
 ↓↑
 破鏡重円(はきょうじゅうえん)
 ↓↑         銅鏡の反射面は
           白銀色or黄金色の金属光沢を呈していた
           直孤文鏡
           日本独自の銅鏡
           新山古墳から3面の出土
           図像は内行花文鏡を基に
           四葉座型の鈕座を除いて
           全ての図像を
           直線と弧で象ったもの
           鈕座の周囲に内行花文を八葉巡らせ
           その外周を幾何学的文様が巡らせてある
          「京師」=都の鏡づくり師
      ・・・月=肉=ジク=字句破壊の裏側
         素文縁直弧文鏡
         破鏡・・・銅鏡破片?
         奈良県桜井茶臼山古墳から
         銅鏡の破片が多数出土

 ↓↑       ↓↑
      東京産経
      2017.11.7 09:15
      1世紀後半頃の
      中国で作られたとみられる
      銅鏡の破片が
      島根県出雲市の弥生時代(2世紀頃)の
      集落遺跡から見つかり
      同市文化財課が6日発表した
      意図的に割られた
     「破鏡」とみられ
      弥生時代の遺構から中国製鏡が出土したのは
      島根県内では初めて
      銅鏡片は5・3センチ×1・8センチで
      文様の特徴から後漢時代(1世紀後半頃)の
      中国大陸で作られた
     「内行(ないこう)花文鏡(かもんきょう)」。
      周辺で同様の破片が見つかっていないことから
      別の場所で
      意図的に割られ
      2世紀頃(弥生時代後期前半)に
      この集落へ持ち込まれたとみられる
      同課では
      本来は直径15センチ前後の鏡だったと推定
      1枚の鏡を割った鏡の破片(破鏡(はきょう))

 ↓↑    ↓↑
 一度別れた夫婦が
 また一緒になること
 離散していた夫婦がまた会うこと
 割れた円い鏡が
 元の円い鏡に戻るという意
 徐徳は戦乱の中で
 鏡を二つに割って
 後に再会するために
 妻と一つずつ持って離
 散し
 再会できたという故事
 出典 『太平記』一六六引『本事詩』
 ↓↑
 福徳円満(ふくとくえんまん)
  様々なものに恵まれ
  何一つ不満がないこと
 「福徳」は幸福と財産があって
  不自由しないこと。
 ↓↑
  方址円顱(ほうしえんろ)
  方趾円顱(ほうしえんろ)
 ↓↑
 方底円蓋(ほうていえんがい)
  物事が上手くかみ合わないこと
 「方」は四角形。
 「円」は円形。
  底が四角形の容器に
    円形の蓋
 出典 『顔氏家訓(兄弟)』
 ↓↑
 老成円熟(ろうせいえんじゅく)
  経験が豊富で
  人格や技能が十分に熟練していること
 「老成」は多くの経験と、物事に長けていること
 「円熟」は人格や技能が熟練していること
 ↓↑
 挨拶より円札
 あまり円きはまろびやすし
 食後の一睡、万病円
 大団円
 水は方円の器に随う
ーー↓↑ーー
 満月・・・月の女神アルテミス
 月の裏側・・・?
 六本指・・・かぐや姫(モナリザ)・秀吉・・・?
ーー↓↑ーー
 円行(えんぎょう)
 延暦十八年(799年)
 ~
 仁寿二年三月六日(852年3月29日)
 真言宗の僧
 出身は京都
 入唐八家
 (最澄・空海・常暁
  円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)
 の一人
 元興寺
 歳栄に師事し
 華厳宗の僧として
 得度・受戒
 823年(弘仁十四年)
 空海から
 金剛界・胎蔵界両部の大法を受け
 杲隣(ごうりん)から
 灌頂を受けた
 実恵の推挙により
 入唐請益僧(にっとうしょうやくそう)
 838年(承和五年)
 円仁・円載・常暁らと唐に渡った
 青龍寺
 義真から法を受け
 839年(承和六年)
 帰国し「請来目録」を奉った
 後
 勅命により
 山城国
 霊巌寺を開創
 天王寺の初代別当に任じられた
 播磨国
 太山寺の開祖
ーー↓↑ーー
 円仁(えんにん)
 延暦十三年(794年)
 ~
 貞観六年一月十四日(864年2月24日)
 第三代天台座主
 慈覚大師(じかくだいし)
 入唐八家
 (最澄・空海・常暁
  円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)
 の一人
 下野国の生まれ
 出自は
 壬生氏
 ↓↑
 下野国
 安蘇山・・・?
 裾野脇の湖畔
 みかもノ山の
 越奈良の須(美加保の関、みかもの崎)
 壬生氏の子として生まれた
 9歳で大慈寺で修行
 大慈寺の師
 広智は
 鑑真の直弟子
 道忠の弟子で
 多くの弟子を
 最澄に師事させていた
 ↓↑
 壬生寺
 (下都賀郡壬生町大師町)
 美加保ノ関
 (栃木市藤岡町三鴨の都賀字館・佐野市越名)
 安蘇山
 麓手洗窪
 (安蘇郡下津原・栃木市岩舟町下津原)
 などの説・・・
 美可母ノ山
 ↓↑
 円仁ゆかりの
 安蘇の川原
 美加保ノ関を沼越しに眺める名所
 安蘇山の麓、手洗窪
 ↓↑
 大同三(808年)
 15歳
 広智に連れられ
 比叡山延暦寺に上り
 最澄に師事
 奈良仏教の反撃
 真言密教の興隆
 という二重の障壁の中で
 天台宗
 最澄が止観を学ばせた
 弟子10人のうち
 師の代講
 を任せられた
 ↓↑
 弘仁五年(814年)
 言試(国家試験)に合格
 翌年21歳で得度(出家)
 弘仁七年(816年)
 23歳で三戒壇の一つ
 東大寺で
 具足戒(小乗250戒)
 を受け
 この年
 最澄の東国巡遊に従って
 故郷下野を訪れる
 弘仁八年(817年)三月六日
 大乗戒を
 教授師として諸弟子に授け
 自らも大乗戒を受ける
 弘仁十三年(822年)
 29歳で最澄から
 一心三観の妙義を授けられた
 ↓↑
 承和二年(836年)
 1回目の渡航失敗
 翌承和三年(837年)
 2回目の渡航も失敗
 承和五年(838年)六月十三日
 博多津を出港
 『入唐求法巡礼行記』をこの日から記録
 志賀島から
 揚州東梁豊村まで
 8日間で渡海
 「四つの船」のうち1艘は遭難
 円仁の船はコントロールが利かず
 渚に乗り上げ
 船は全壊での上陸
 『行記』838年(開成四年)七月二日条)
 ↓↑
 上陸日
 唐の開成4年7月2日
 日本の承和5年7月2日
 と日付が一致・・・
 ↓↑
 在唐新羅人社会
 山東半島の新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅人社会の助けを借りて
 唐残留
 長安への求法
 五台山から徒歩53日間
 大興善寺の
 元政和尚から灌頂を受け
 金剛界大法を授き
 青竜寺の義真からも灌頂を受け
 胎蔵界・盧遮那経大法と
 蘇悉地大法を授く
 金剛界曼荼羅を長安の絵師
 王恵に代価6千文で描かせる
 描かせていた曼荼羅が完成する
 (『行記』840年(開成5年)12月22日条)。
 ↓↑
 唐朝に帰国を百余度も願い出るが拒否される
 入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子
 惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)
 サンスクリット語を学び
 仏典を多数書写
 842年(会昌2年)10月
 「会昌の廃仏」に遭い
 外国人僧の国外追放で帰国(会昌5年2月)
 強制的に還俗させられ
 再度剃髪したのは帰国直前
 多くの長安住人の送別を受け
 送別人の多くは
 唐高官の仏教徒
 李元佐のほか僧侶及び長安在留の新羅人たち
 107日間、山東半島の新羅人の町・赤山まで歩いて戻った
 この際、
 新羅人の唐役人にして
 張宝高の部下の将
 張詠が
 円仁のために
 唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが
 密告に遭い、この船では帰れなくなった
 ↓↑
  「円仁が無事生きている」
 日本に伝わっていた
 比叡山から弟子の
 性海が
 円仁を迎えに唐にやってき
 師と再会
 楚州の
 新羅人約語(通訳)
 劉慎言に帰国の便船探しを頼み
 彼の見つけた新羅商人
 金珍の貿易船に便乗して帰国
 円仁は
 劉慎言に
 沙金弐両と大坂腰帯を贈った
 朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅
 博多津に到着
 鴻臚館に入った
 (『行記』承和14年(847年)9月19日条)
 日本政府は
 円仁を無事連れ帰ってきた
 金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し
 9年6ヶ月に及んだ日記
 『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の記述を終えている
 (『行記』承和14年(847年)12月14日条)。54歳
 9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間
 書き綴った日記が
 『入唐求法巡礼行記』
 時の皇帝
 武宗による仏教弾圧である
 「会昌の廃仏」を伝え
 ライシャワーの研究により
 日本でも著名になり
 欧米でも知られるようになる
 帰国後
 目黒不動の
 瀧泉寺
 山形市にある
 立石寺
 松島の
 瑞巌寺を開いた・・・
 慈覚大師円仁が
 開山したり再興したりしたと伝わる寺は
 関東に209寺
 東北に331寺余
 浅草の浅草寺もそのひとつ(
 このほか
 北海道にも開基伝承が存在する
 有珠善光寺
 ↓↑
 後に
 円仁派は山門派と称された
 円珍は寺門派となり
 両者は長期にわたり対立関係になった
 ↓↑
 仁寿四年(854年)四月三日
 円仁は61歳で
 第3代延暦寺座主に任命された
ーー↓↑ーー
 円珍(常用漢字)
 圓珍(旧字体)
 圓珎(古文書、古記録表記)
 ↓↑
 円珍(えんちん)
 弘仁五年三月十五日
 (814年4月8日)
 ~
 寛平三年十月二十九日
 (891年12月4日)
 天台宗の僧
 天台寺門宗(寺門派)の宗祖
 諡号は智証大師(智證大師)
 入唐八家
 (最澄・空海・常暁
  円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)
 の一人
 ↓↑
 弘仁五年(814年)
 讃岐国(香川県)
 金倉郷に誕生
 多度郡
 弘田郷の豪族
 佐伯一門
 俗姓は和気
 字は遠塵
 空海(弘法大師)の
 甥(もしくは姪の息子)
 生誕地は
 善通寺付近
 15歳で比叡山に登り
 義真に師事
 12年間の籠山行
 ↓↑
 承和十二年(845年)
 役行者の後を慕い
 大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼
 修験道の発展に寄与
 承和十三年(846年)
 延暦寺の学頭
 仁寿三年(853年)
 新羅商人の船で入唐
 途中暴風で
 台湾に漂着
 ↓↑
 天安二年(858年)
 唐商人の船で帰国
 帰国後しばらく
 金倉寺に住み、寺の整備
 後
 比叡山
 山王院に住し
 貞観十年(868年)
 延暦寺
 第五代座主
 園城寺(三井寺)を賜り
 伝法灌頂の道場とした
 比叡山を山門派が占拠し
 園城寺は
 寺門派の拠点となった
 寛平三年(891年)入寂、享年78歳
ーー↓↑ーー
 円載(えんさい)
 生年不詳~元慶元年(877年)
 平安時代前期の
 天台宗の僧
 出身は大和国
 ↓↑
 日本天台宗の祖
 最澄に師事
 838年(承和五年)
 天台座主
 円澄
 の天台宗義に関する
 疑問50条を携えて
 唐に渡った
 天台山
 広修・維蠲(いけん)の
 「唐決」を得て弟子の
 仁好(にんこう)
 に託して日本に送った
 その後も唐に残り学識を持って
 宣宗の帰依を受け
 855年(斉衡二年)
 円珍とともに
 長安
 青龍寺法全(はっぜん)から灌頂を受けた
 この間
 日本の朝廷から2度にわたり
 黄金の送金を受けた
 864年(貞観六年)
 真如法親王(高岳親王)
 宗叡
 が長安に到着
 在唐30余年になる
 円載の手配により
 長安西明寺に案内された
 ↓↑
 877年(元慶元年)
 日本へ帰る途中
 船が難破
 遭難死
 ↓↑
 「破戒僧」
 唐に滞在している間
 破戒悪行
 円珍「行歴抄」
 円載との確執が描写
 ↓↑
 円載は
 唐滞在中に
 会昌の廃仏に遭遇
 他の多くの僧と同様に
 強制的に還俗させられ
 妻子も持った
 これが
 「破戒悪行」
 として日本に伝わった・・・
 同時期に唐に滞在していた
 円仁も同様に還俗させられた
 円仁が
 再度剃髪したのは帰国する直前のことで
 円仁は
 円載とちがって
 無事帰国
 ↓↑
 円融・圓結
 エン・イン
 ↓↑
 円融
 仏語
 それぞれの事物が
 その立場を保ちながら一体であり
 互いにとけ合って
 障りのないこと
 ↓↑
 円融天皇
 959年4月12日
 〈天徳三年三月二日〉
 ~
 991年3月1日
 〈正暦二年二月十二日〉
 第64代天皇
 在位
 969年9月27日
 〈安和2年8月13日〉
 ~
 984年9月24日
 〈永観2年8月27日〉)
  諱は守平(もりひら)
 村上天皇の第五皇子
 母は右大臣藤原師輔の娘
 中宮安子
 冷泉天皇の同母弟
 中宮安子
 所生の3番目の皇子
 ・・・参考原文は
 「ウィッキペデア」・・・
ーーーーー
 ???・・・
 ホウケイ・□■・・・エンケイ・○●・・・
 サンカクケイ△▼・・・V・・・
 ・・・形象・・・「ハ・丷」・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする