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コジキジゲン

十年マエ & 一年マエのブログ日記の己の記録

2024-09-13 08:16:11 | 古事記字源
 2024年9月13日7時・金曜日

 2024年 干支41 甲辰(乙・癸・戊)年
 9  月 干支10 癸酉(庚・ ・辛)月
 13 日 干支17 庚辰(乙・癸・戊)日

 十年マエの記録・ブログ日記
 2016-02-25
 古事記字源
 をダレかが読んでくれたらしい・・・
 2016~17~18~19~20~21~22~23~2024
 9年前+10年前=19年前
 ・・・随分と経ったと思うが・・・
 昨日の様であるカナ・・・
 ↓↑
 「倭、自ら太伯(呉の始祖)の後裔」・・・
       伯=イ+白
      太安万侶(おほのやすまろ)
      多安万侶
      父
      多 品治(おお の ほんじ)
               翻字・本字    
      ↓↑
      小野妹子=蘇因高
           蘇我⇔因縁⇔高句麗
          ⇔和珥の臣等の始祖
      父を敏達天皇の息子の
      春日皇子(かすが)
       ・・・葉留比廣(応・横)字
      近江の下級豪
      母方の祖父は
      高句麗の渡来人・・・
      子供
      小野 広人・・廣人⇔廣神天皇
      小野 毛人(えみし)・蝦夷
               蘇我蝦夷

      小野 毛野(けぬ)・・蝦夷の野
                 野=里+予
            遣新羅使(筑紫大弐)
      子
      小野 永見(ながみ・エイケン)
            陸奥介・征夷副将軍
           「石上 宅嗣」と親交
           (いそのかみ の やかつぐ)
      末裔
      七世
      小野 篁(たかむら)

      小野 葛絵

      小野 好古
      小野 道風
      小野 小町

      推古天皇十五年(607年)
      通訳の
     「鞍作福利」
      隋に派遣され隨地で
     「蘇因高」・・・・・・蘇我氏?     
      と呼称
      推古天皇十六年(608年)四月
      隋の使臣
     「裴世清」を伴って帰国
      隋の皇帝
      煬帝からの返書を百済で紛失
      九月
      裴世清の帰国伴い
      大使として隋に派遣
      学生の
      福因、恵明、玄理、大国
      学問僧の
      日文、請安、慧隠、広斉
      ら八名とともに国書を携えて
      隨地に赴き
      推古十七年(609年)九月帰国
 ↓↑
 太白=太白(タイハク)=金星
 宵の明星
 暁の明星
 明けの明星=啓明(ケイメイ)
 宵 の明星=長庚(チョウコウ)
 「太白」
 「李白」の字(あざな)
 701年(長安元年)
 ~
 762年10月22日
 (宝応元年九月三十日)
 出自
 東魯
 or
 隴西郡
 成紀県(甘粛省天水市秦安県)
 or
 西域の非漢人の出自
 唐代の詩人
 742年(天宝元年)
 元丹丘の尽力により
 玄宗の妹で女道士
 玉真公主(持盈法師)の推薦で
 玄宗と謁見
 翰林院に入り玄宗に仕える
 楊貴妃を牡丹に比喩し
 「清平調詞」三首作詩
 「阿倍仲麻呂(晁衡・朝衡)」
 と交友
 744年
 宮廷を去る
 753年
 前年に
 「阿倍仲麻呂」
 帰国途中
 彼の遭難死去の誤報を聞き
 「晁卿衡を哭す」を詠んで
 彼の死を悼んだ
 「采石磯(安徽省馬鞍山市雨山区)」
 船に乗って酒に酔い
 水面に映る月を捉えようとして
 船から転落、溺死した伝説
 実際には
 当塗県にて病死
 「采石磯」が水神信仰の土地で
 李白は水神と結びつけられ
 台北市龍山寺に
 「水仙尊王・水神」
 の従神の1人として祀られている
 太白=太い絹糸
   =白砂糖
   =足の太陰脾経の
    原穴(つぼ=腧・経穴)
    急病が改善するツボ
    太白を押すと痛い時の原因
    夏バテ・貧血・痛風
    消化器系の不調に効果的
   =日本固有種の
    オオシマザクラを基に
    日本原産の栽培品種の
    桜(さくら)
   =櫻=木+嬰=桜花=オウカ
            =欧化・謳歌・黄化
       (嬰=貝+貝+女)
        嬰児=エイジ=英字・英治
          英国のAlphabet?
ーーーーーー
 ・・・???
 「日下茂平(茂兵衛)」
 くさか・もへい(もへえ)
 茂平
 江戸時代中期頃に活躍した
 「義賊」、「土佐のねずみ小僧」
 忍者
 坂本龍馬の祖父
 「才谷屋六代
  の
  八郎兵衛直益」の書いた
 「巡水日記」にも記録
 庄屋の屋敷へ奉公
 庄屋の娘と相愛の仲となるが
 庄屋の激しい怒りにふれて
 屋敷を追い出され
 猿田洞で天狗(仙人)に会い
 佐川市之丞
 とともに修業
 茂平らは
 近郷、高知城下の
 豪商・豪農から
 金品や米などをかすめとり
 貧しい人々にわけあたえた・・・
 市之丞とともに
 高知城に盗み入ったとき
 酒宴用の酒を呑み
 熟睡して捕まった
 処刑寸前に
 茂平は「鼠」
 市之丞は「鳶」
 なって逃亡
 茂平
 文化文政の頃
 日高村
 沖名
 石田
 に生まれた
ーー↓↑ーー
 ・・・???・・・
 日下 數馬(数馬)・・・
 日下 房元(くさか・ふさもと)
 ?~1809(文化六)以降
 通称 数馬(かずま)
    庄次郎(しょうじろう)
 出身地:江戸
 小栗忠清の実子
   忠高の義弟
 小栗 忠順(ただまさ)
     の義理の叔父
 ↓↑
 日下 義雄(くさか よしお)
 嘉永四年12月25日
 (1852年1月16日)
  ~
 大正12年(1923年)3月18日
      大運1915年5月(63歳)甲午印綬
 辛 亥(戊甲壬)偏財・印綬 胎⇔癸亥偏官
 辛┏丑(癸辛己)偏財・偏財 墓⇔乙卯食神
 丁┏丑(癸辛己)  ・偏財 墓⇔庚寅正財
 丁┗未(丁乙己)比肩・偏印冠帯⇔癸未偏官
  申酉空亡
 ↓↑
 政治家・実業家
 正四位・勲二等
 会津藩の侍医
 石田 龍玄(常雄)の長男・・・
 幼名 五郎
 初名 石田伍助
 弟  石田和助
    白虎隊二番士中組の1人
    飯盛山で自刃
 妻  水野忠精の娘
 藩校・日新館で学び
 鳥羽・伏見の戦いに従軍
 会津戦争で
 大鳥圭介らと行動
 落城前に会津を脱出
 箱館戦争に加わり
 捕虜となり
 増上寺で謹慎の時に
 石田義雄と名乗る
 赦免され
 会津出身を隠すため
 「日下義雄」
 と改名し
 長州藩
 「日下」家の養子になった
 明治4年(1871年)
 「井上馨」
 の知遇を得て
 彼の推挙で
 岩倉欧米使節団に同行し
 アメリカに留学
 帰国後
 ヨーロッパを視察
 ロンドンで経済学を研究
 日本に帰国後
 内務省などに勤務
 太政官権大書記官などを歴任
 一等駅逓官
 1886年(明治19年)2月25日
 長崎県令(7月19日より知事)
 同郷の官吏で
 神保修理の実弟
 北原雅長を抜擢し
 選挙で
 初代長崎市長として当選
 構想していた長崎市の水道事業を完成
 赴任した年に
 清国
 水兵暴動事件
 で苦慮
 中島川上流中川郷の地に
 吉野桜数千本を植えて夜桜の名所とした
 保健衛生上の観点から
 長崎市およびその周辺の
 土葬を禁止
 1889年(明治22年)12月26日
 辞職
 1892年(明治25年)8月20日
 福島県知事
 1895年(明治28年)7月16日
 海外経験がかわれ
 弁理公使(外国大使)
 1897年(明治30年)
 渋沢栄一
 などの実業家の協力や地元の資本家らと
 岩越鉄道株式会社を設立
 多数の
 一口出資者も集め
 民間資本独力で
 1899年(明治32年)7月15日
 郡山と会津若松間を
 1904年(明治37年)
 喜多方まで開通
 第一銀行常務取締役
 民間の役員を歴任
 1902年(明治35年)8月
 第7回衆議院議員総選挙
 福島県郡部区から立候補し
 衆議院議員に初当選
 その後落選するも
 1912年(明治45年)5月
 第11回衆議院議員総選挙
 福島県若松市区から立候補
 再度当選
 衆議院議員
 通算で2期務めた
 会津会会員
 稚松会賛助員
 墓所は谷中霊園
 日下の墓域には
 戊辰戦争後に
 民政局員を斬殺し
(束松事件)
 獄死した
 井深元治の墓があったが
 立体埋蔵施設に改葬され
 たため現存しない
 ↓↑
 日下 敏夫(くさか としお)
 1904年(明治37年)6月28日
 ~
 1999年(平成11年)8月

       大運1997年7月(93歳)庚辰印綬
                 害
 甲辰(乙癸戊)傷官・正官 養⇔己卯偏官
 庚午(丙 丁)印綬・偏財 絶⇔壬申劫財
 癸巳(戊庚丙)  ・正財 胎⇔己亥偏官冲
 己未(丁乙己)偏官・偏官 墓⇔辛未偏印
  午未空亡
 ↓↑
 徳島県
 板野郡
 松茂村
 日本の海軍軍人
 中佐
 太平洋戦争の期間
 潜水艦艦長
 交通破壊戦に戦果
 ↓↑
 「那珂」、駆逐隊、「三日月」
 砲術長を経て
 「呂65」乗組みが
 潜水艦歴の始まり
 1931年(昭和6年)
 大尉に進級
 水雷学校高等科学生を履修
 日下は「伊57」航海長を経て
 潜水艦水雷長養成課程
 潜水学校
 乙種に進んだ
 潜水艦水雷長
 先任将校として
 潜水艦長を補佐し
 潜航作業を指揮する配置
 日下は
 「伊24・伊68・伊2」
 の三艦で水雷長を歴任
 内野信二などを補佐
 1939年(昭和14年)3月
 少佐に進級
 機雷敷設潜水艦
 「伊121」潜水艦長に補され
 潜水学校甲種学生
 課程は潜水艦長を養成
 半年の期間で
 戦術、航海、兵器など
 潜水艦長としての学識、力量を身につけ
 卒業後
 「呂58」潜水艦長を経て
 L四型二等潜水艦
 「呂63」の艦長として
 太平洋戦争の開戦
 ↓↑
「ホーネット」を
 発艦するドーリットル空襲部隊
「呂63潜水艦長」は
 旧式潜水艦で
 内南洋の警備にあたる
 第四艦隊(井上成美司令長官)
 第七潜水戦隊(大西新蔵司令官)
 に属す
 第三十三潜水隊の一艦
 僚艦の潜水艦長に
 軍令部で潜水艦作戦を担当の
 藤森康男などがいた
 真珠湾攻撃の際
 僚艦とともに
 ハウランド島の監視
 島は
 米海軍が
 ハワイから
 南太平洋へ進出する際の
 中継基地で
 1942年(昭和17年)3月
 第三潜水戦隊(三輪茂義司令官)
 第十一潜水隊所属
 「伊174」潜水艦長
 に転じた
 ↓↑
 伊174潜水艦長
 4月15日
 南方に出撃
 18日
 東京方面が爆撃を受け
 日下は
 米空母の追撃を命じられた
 日本海軍潜水艦部隊は
 敵部隊を発見することはできず
 日下は
 「第一岩手丸」を発見
 「第一岩手丸」は
 日本に接近を図る
 敵部隊に備えて配置された
 監視艇隊の一隻
 米部隊に発見され
 機銃掃射によって損害を受けていた
 日下は艇員を救助し
 「木曾」に送り届けた
 第三潜水戦隊
 27日まで
 哨戒配備
 三輪司令官は病気のため
 河野千万城と交代
 第三潜水戦隊は
 ミッドウェー海戦に参戦
 海戦中は哨戒線の変更を繰り返したが
 単独任務に就いた
 「伊168」(田辺弥八艦長)が
 「ヨークタウン」を撃沈
 「伊174」
 は南方で敵増援遮断に従い
 11月
 呉に帰還
 ↓↑
 12月1日
 新海大型
 「伊180」艤装員長に補され
 竣工後に
 初代艦長に就任
 「伊180」は
 第三潜水戦隊
 (駒沢克己司令官)所属の
 第二十二潜水隊に編入
 1943年(昭和18年)4月
 豪州東沿岸で
 交通破壊戦
 「伊180」
 を率いて
 シドニー、ブリスベン間にあり
 2隻(計4376t)を撃沈
 2隻(7013t)を撃破
 コロンバンガラ島沖海戦で
 撃沈された
 「神通」の乗員21名を救助
 潜水艦輸送
 8月4日
 ラエへの輸送に成功
 ↓↑
 9月
 「伊26」潜水艦長
 「伊26」は
 「サラトガ」雷撃
 「ジュノー」撃沈
 第八潜水戦隊(市岡寿司令官])
 に編入
 印度洋、アラビア海
 での交通破壊戦に従事
 印度洋方面での作戦で
 10月28日
 「ロバート・T・ホーク」(7176t)
 12月31日
 「トーンズ」(8054t)
 各撃破
 1944年(昭和19年)1月1日
 「アルバート・ギャランチン」(7176t)
 撃沈
 アラビア海作戦
 3月13日
 「コリアー」(8298t)
 3月21日
 「グレナ」(8117t)
 各撃沈
 3月29日
 「リチャード・ホベイ」(7176t)
 撃破
 このほか
 印度国内に工作員を潜入作戦に従事
 この工作員は
 「光機関」
 が養成した印度人による
 印度独立、内部工作
 3回にわたって実施
 2回を日下の「伊26」が担当
 日下は印度の陸地近くに接近し
 工作員18名を潜入させた
 第八潜水戦隊の先任参謀
 井浦祥二郎は
 成功の理由に
 日下の有能さも挙げた
 5月
 呉に帰還後
 サイパン島への輸送を命じられた
 マリアナ沖海戦によって
 空母戦力を喪失した
 日本海軍は
 マリアナ諸島の戦力増強を図り
 「伊26」は
 サイパンに向かったが
 航海途上で目的地はグアム島に変更
 7月9日
 武器弾薬の輸送に成功
 この輸送作戦には
 4隻の潜水艦が従事したが
 成功したのは
 日下の「伊26」のみ
 「伊26」
 はさらに
 テニアン島からの搭乗員収容を命じられたが
 すでに連合国軍の重囲にあり
 収容することはできなかった
 日下は
 サイパン島陥落
 テニアン陥落寸前という時点での
 命令について
 海軍上層部を批判
 ↓↑
 伊400潜水艦長
 潜水艦の未経験者が多く
 日下は基礎訓練を繰り返し
 8月に退艦
 「伊400」潜水艦
 艤装員長に補された
 「伊400」は
 常備排水量5223tという
 軽巡洋艦並みの巨艦で
 燃料補給をせずに
 日本から世界中のあらゆる地点まで
 往復可能な航続力
 水上攻撃機「晴嵐」
 を3機搭載し航空偵察能力を有していた
 同型艦「伊401」(南部伸清艦長)
 のほか
 「伊13」、「伊14」
 と第一潜水隊を構成し
 有泉龍之助司令のもとで訓練が実施
 第一潜水隊は
 晴嵐10機をもって
 パナマ運河を特攻によって
 破壊することを目的としていた
 沖縄戦がはじまり
 攻撃目標は
 ウルシー環礁に在泊する
 機動部隊に変更
 作戦の実施予定日は
 1945年(昭和20年)8月17日
 作戦名は嵐作戦
 作戦部隊は
 潜水艦部隊、航空部隊を総称し
 神龍特別攻撃隊と名付けられた
 日下は
 7月23日
 大湊を出撃
 ウルシー環礁へ向かった
 作戦行動で
 「伊13」は出撃早々に消息を絶ち
 新婚の先任将校夫人は自殺
 「伊400」は8月14日に
 ウルシー環礁付近に到達
 「伊401」との会同を図っている最中に
 日本のポツダム宣言受諾を
 意味する電報を受け取った
 日下は水雷長の進言を容れ
 部下に戦争終結を知らせた
 「伊400」乗員は特攻を前に
 日本敗戦に直面
 その後の行動は冷静で
 日下は無線封鎖を実施し
 迂回航路をとって帰還
 米海軍部隊に拿捕され
 軍艦旗が星条旗に代わった
 ↓↑
 戦後
 印度洋方面での
 潜水艦部隊による
 連合国船員殺害事件について
 BC級戦犯に問われ
 重労働5年の判決
 この事件では
 印度洋での交通破壊戦に従った
 海軍関係者
 小松輝久、三戸寿、市岡寿、井浦祥二郎
 潜水艦長などが逮捕、起訴
 連合艦隊司令長官
 豊田副武の戦犯訴追の一因ともなった
 日下はこの件に関し
 「一点やましいところはない、無実だ」
 と自らの潔白を述べた
 日下は獄中でキリスト教に帰依
 日下を中心に
 「伊400」乗員は戦後も長く交際を続けた
 1947年(昭和22年)
 公職追放仮指定となった
 ↓↑
 収監中の
 日下を訪ねるものはなく
 日下は斉藤の来訪を喜んだ
 (『一海軍士官の太平洋戦争』)
 ↓↑
・・・単なる「同音・同姓」のカンジるだけれど・・・
 「ヒのモト」
 カ・キ・ク・ケ・コ
 さ・し・す・せ・そ
 ↓↑
 か・き・く・け・こ
 シ・シ・シ・シ・シ
ーーーーー
 ↓↑
 文字ヶ関村・・・歎異抄・・・タリキホンガン?
 ↓↑
 高 史明 氏
 1932年 1月17日
 ~
 2023年 7月15日
     大運2015年7月(83歳)壬辰正官
                害 
 辛未(丁乙己)偏財・偏印冠帯⇔癸卯偏官
  冲己=食神
 辛丑(癸辛己)偏財・偏財 墓⇔己未食神
 丁丑(癸辛己)  ・偏財 墓⇔甲戌印綬
 丙午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔庚午正財
  申酉空亡
 ↓↑
 悪人正機
 悟ったところで
 ダレも救われない・・・
 生きている「人間」にとって
 「活殺」が日常である・・・
 悟った後が問題だ・・・
 「ぬすむな」
 「うそつくな」
 「ころすな」
 「さべつするな」
 ↓↑
 「ぬすむ為」に
 「ウソ」をつき
 「サベツ」して
 「コロす=命をぬすむ=イノチを奪う」・・・
 ↓↑
 で、「どうするの」・・・
 「生きている人間」にとっては
 「ムリ」・・・
 「命題の人間」にとって
 「願望=絶望」・・・
 「人間=人々=从=したがう
    =従う・從う・随う・遵う・順う・倭」?
 「人間=人々=从」
  は支配階級に従って
  生存しているヒトビト=倭」?
  ↓↑
 「隨=したがう=順=倭」・・・?
    ・・・源 順(したごう)
       平安時代中期の貴族・歌人・学者
       嵯峨源氏、大納言・源 定の曾孫
       左馬允・源 挙(こぞる)の次男
       官位は従五位上
       能登守
       ・・・能登ジシンを守る?
       梨壺(ナシ臺=つぼ)の五人の一人
            臺=ダイ=台=ム+口
       三十六歌仙の一人
    20歳代
    日本最初の
    分類体辞典
    『和名類聚抄』編纂
    『万葉集』
    の訓点作業
    『後撰和歌集』
    の撰集作業に参加
    ↓↑
    「あめつちのうた四十八首」
    という和歌48首を詠んで
    私家集
    『源    順
    (みなもとのしたがおう)集』
    に収録され
    和歌の内容を
    春・夏・秋・冬・思・恋
    の構成としてそれぞれ
    8首
    合わせて
    48首
    が収められている
    ↓↑
  あめ つち ほし そら やま かは みね たに
  天  地  星   空  山  川  峰  谷
    ↓↑
  くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ
  雲  霧  室  苔  人  犬   上  末
    ↓↑
  ゆわ さる おふせよ えのえを なれゐて
  硫黄 猿 吝伏施与 得能重乎 為例得出(氐)?
    ↓↑
  あめ つち ほし そら 
  阿女 都千 保之 曽

 里女之訛説也 此誦為勝?
 「大為爾」=大為爾の歌
      (たゐにのうた)
  天禄元年(970年)
 「源 為憲」
  が著した
 『口遊(くちずさみ)』
  の中に
 「謂 之 借名    文字
 (これを 借名〈かな〉文字と謂ふ)」
  という但し書きを最後に付け加えて記録
    ↓↑
  大為爾伊天 奈従武和礼遠曽 支美女須土
  田井に出で  菜摘む 我 をぞ  君 召すと
    ↓↑
  安佐 利 比由久 也末 之 呂 乃 宇知 恵倍留
  あさ り ひゆく やま し ろ の うち ゑへる
  求〈あさ〉り
追ひ行く 山 城 の うち 酔へる
    ↓↑
  古良 毛波 保 世与 衣 不弥 加計奴
こら もは ほ せよ え ふね かけぬ
子等 藻は 干 せよ え 舟 繋けぬ
  ・・??・・・ 
    ↓↑
    安和二年(969年)の
   「安和の変」以後の官途に影響を与えた
    あんなあ~
    行 名蛙
    案 奈亜
    編む柰倦
  ↓
  倭の訓=やまと・したがう
 〔漢書、地理志下〕
 「樂浪(らくらう)中に
  倭人りれて百餘國と爲る」
 〔魏略〕
 「倭は帶方東南の大中に在り。
  山島に依りて國を爲す」
 「其の語を聞くに
  自ら太伯(呉の始祖)の後なりと謂ふ」
 〔後漢書、光武帝紀下〕
 「倭奴國」
  ↓↑
  倭(ワ)=訓義は
       したがう・低い姿勢
       倭遅は、はるかに連なるさま
       中国による古称で呼称
       倭(ワ)=やまと
  ↓↑
  邑阿自(オウアジ)=日下部氏の祖・・・
 「邑阿自(オウアジ)」
 が「名前」ですか・・・?
 今現代に生きているボクにとっては
 とても
 「名前」とは思えないが・・・
 ムラのクマにおのずから
      (自=己=よこしま)
       小野事加羅(漢・韓・隨・唐)?
 参照、参考は
 ボクの記事
 2023-09-18
 「古事記字源」・・・

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仏陀は「帝国主義」を嫌う&「悪行独裁国家主義」も・・・?

2024-09-12 22:44:44 | 古事記字源
 仏陀は
 「帝国主義」を嫌う
 &
 「悪行独裁主義」も・・・

 ↓↑
 「明治維新帝国主義」には
 不都合な「お釈迦様の教え」・・・
 お釈迦ではなく
 弟子たちが
 記録した「お経のサトリ」カモ・・・
 ナンデもカンデも
 弟子たちは
 「お釈迦」のセイにした
 釈迦が
 「覚った・悟った・サトッタ」
 とされるのは
 「自然界・人間界」の
 「生命存続存在」の
 「エゴ=自我=セルフっ種」・・・
 生命体自体の生命活動の
 「根源的な様態」であった・・・からカモ
 釈迦のサトリは
 宇宙の中での
 「限定プロセス変化の存在」
 「生命体の個的過程存在=限定的生命活動自体」
 であって
 それ故の
 「社会的人間」としての
 「倫理・道徳・法律」を
 マモるか、ドウかの
 「是非」としての
 「個々人のそれら選択の意識的生き方」
 であって
 「社会的人間秩序」の
 「善悪」の
 「自由選択」
 「利他⇔利己=自己」
 の葛藤と選択結果の行為である
  ↓↑
 人間個々人の
 「意思⇔意志⇔遺志」
  ↓↑
 「アラヤシキ」
  蛙等椰子記???
  ↓↑
 「阿頼耶識(アラヤシキ・ālaya-vijñāna)」
  瑜伽行派独自の概念
  個人存在の根本にある
  無意識の「識(viññāṇa)」
  アーラヤ識
  眼識・耳識・鼻識・舌識・身識
 (視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)
  意識
  末那識(ミナシキ)
     ・・・~であると見做す認識(概念)?
  阿頼耶識(アラヤシキ)
     ・・・無意識
     ・・・既に脳ミソの記憶領域存在する意識
  の8つの識
  最深層に位置する
  ↓↑
 「阿頼耶識」・・・・・・・・「阿蘇哉詞記」?
                 屋敷
  サンスクリット語の
 「ālaya」の音写と
 「vijñāna」の意訳「識」
  との合成語
 ālaya=住居・場所の意・・・「阿蘇哉始基」?
     その場に
     一切諸法を生ずる
     種子を内蔵している
    「蔵識」・・・・・・・「倉敷・句等史記」?
     とも漢字訳される
    「無没識(ムモツシキ)」
     とも訳される
    「ālaya」の類音語
    「alaya」に由来する異形語
     旧訳
    「阿羅耶識=阿梨耶識(アリヤシキ)」
    「蔵識(藏識)=無没識(ムモツシキ)」
     とも漢字訳し
    「頼耶識=頼耶等」
     と略されることもある・・・
 ↓↑
 セルフィッシュ (Selfish)
 「わがままな・利己的な・自分本位の」
 「利己的・自分勝手」
 「自分の利益や欲求を優先し
  他人のことを考慮しない態度や行動」
 「我が儘・身侭・我まま・身まま
  気任・利己的・我侭
  身勝手・自分勝手
  気任せ・得手勝手
  主観的
  手前勝手・手前みそ」
 「a selfish attitude [motive]」
  利己的な態度・動機
  叙述的用法の形容詞
 「+ of+ (代) 名 (+ to do)」
 「+ to do」
  selfishly 副詞
  selfishness 名詞
 ↓↑
 明治
 維新
 政府の
 周りが
 「侵略主義者」だらけの「国際国家」環境・・・
 「国家」として生き延びるには
 「お釈迦様の教え」ではニッチもサッチも・・・
 「帝国主義」には「帝国主義」・・・
 まずは
 「帝国組織」としての
 「富国強兵」であるが
 「意識」も
 「仏の慈悲(字比)」などとは云ってられない
 では日本人の「神道」は好戦主義だったのか・・・
 「日本神道」は「自然主義」である・・・
 根源は
 「生きる為の自然崇拝=畏敬崇拝」である
 ・・・
 現実は
 「弱肉強食・食物連鎖」の頂点の「人間社会」であり
 「自然災害」への懼れ慄きと
 「自然恩恵」への感謝、感激である・・・
 ↓↑
 プーチンン&シュウキンペイ
 の時代遅れな
 「国家間の侵略強奪=国家EGOとしての共同幻想」
 「戦国時代的戦争観=独裁的扇動者の国家戦争観」・・・
 そもそも
 「生命体本質」の
 「EGOの共同幻想」としての扇動拡散・・・
  エゴ⇔重語・得語・亜語・慧語・餌護・・・?
 ↓↑
 廃 仏 毀釈 (廢佛毀釋・排仏棄釈)
 ハイブツキシャク
 仏教を廃すること
 「廃仏」=仏法を廃し
 「毀釈」=釈迦(仏陀)の教えを棄却
 ↓↑
 日本
 近代化を目指す日本仏教
 国から寺院への
 財産分与
 民間宗教としての再出発・・・信教の自由化?
 ↓↑
 『日本書紀』
 仏教公伝
 552年(欽明天皇十三年)
 『元興寺縁起』
 538年
 崇仏派 蘇我氏・・・・ワれヨミがえる?
 vs
 廃仏派 物部氏・中臣氏の争い
 物部守屋の敗死
 ↓↑
 厩戸皇子(聖徳太子)・・・仏教の不理解
 仏教受容確定・・・・・・仏教誤認識ママの受容
 ↓↑
 神仏習合(シンブツシュウゴウ)
 本地垂迹(ホンチスイジャク)
 ↓↑
 日本土着の神祇信仰(神道)
 と
 仏教信仰(日本仏教)の融合
 統一信仰体系として再構成された宗教観
 ↓↑
 鎌倉仏教の発展・浸透
 朝廷と仏教寺院の対立
 戦国時代
 1571年(元亀二年)
 織田信長による
   ・・・彼の一族は「法華経の宗徒」だった
 比叡山焼打ち
 江戸時代前・中期以降
 学問としての
 儒学・国学・神道学などの立場から
 神仏習合を見直し
 神仏分離を目指す動向
 会津藩主
 保科正之
 山崎闇斎
 吉川惟足
 などを重用し
 正之の宗教政策に影響
 会津藩
 神仏分離推進
 1666年(寛文六年)
 水戸藩
 岡山藩
 で寺院破却
 朱子学者
 水戸藩主
 徳川光圀
 は領内寺院の半数を破却
 ↓↑
 幕末期
 水戸学(文献史学)によって
 神仏分離し
 神道を尊重
 尊皇攘夷派の
 水戸藩主
 徳川斉昭
 は
 弘道館を建て
 領内の廃仏棄釈を推進
 天保年間
 水戸藩は
 防衛整備近代化の
 一環(大砲の新造)とし
 寺院から梵鐘・仏具を供出させ
 多くの寺院整理
 ↓↑
 徳川斉昭は
 藩内の寺院に対し
 金銅仏
 梵鐘
 などの金属製の仏具を供出させ
 それを海防のための
 大砲鋳造の原料に充てる政策を実施
 これに対し
 仏教を冒涜しているとの批判
 斉昭は
 「方広寺大仏(京の大仏)を
  鋳潰して銭貨にした」
 ことを先例に挙げ
 自身の政策も
 国防上必要な政策であると弁明
 ↓↑
 明治初期
 慶応四年三月十三日(1868年4月5日)
 「神仏分離令」
 「神仏判然令」
 と通称される
 太政官布告
 明治三年一月三日(1870年2月3日)
 詔書「大教宣布」
 仏教による国民負担の軽減策が出された・・・
 当初は
 神道と仏教の分離が目的の行政改革
 仏教排斥を意図したものではなかったが
 結果として長年
 仏教に圧迫されてきた
 神職者たちによって
 廃仏運動が惹起され
 平田派国学者の
 神職や民衆によって
 仏像や仏具が破棄され
 廃仏毀釈運動が全国的に波及
 黒船来航以来の西欧列強の外圧による
 水戸学や平田派国学の発展
 仏教国教化権益や僧侶特権への反感
 地方官が寺院財産の収公を狙った
 政治・文化の近代化
 信教の自由
 政治的理由
 による
 廃仏毀釈運動
 政府は
 「社人僧侶共粗暴の行為勿らしむ」ことと
 「神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではない」
 との注意を改めて喚起
 明治四年(1871年)頃に終息
 正月五日(1871年2月23日)
 太政官布告で
 寺社領上知令が布告
 境内を除き
 寺や神社の領地を
 国が調査・確定
 ↓↑
 平安時代 以降
 本地垂迹説
 or
 反本地垂迹説
 などが起こり
 明治維新政府の
 「神仏分離」政策まで
 日本人の間に広く浸透・・・
 ↓↑
 インド
 イスラム教国ゴール朝のインド侵入
 13世紀初頭
 イスラム教徒による廃仏
 ヴィクラマシーラ寺院は破壊
 数万の仏教徒が虐殺
 インド仏教は
 1600年の歴史を終えて滅亡
 ↓↑
 中国
 3世紀以来
 「廃仏」の動き
 唐の
 「韓愈」
 宋以後の
 「朱子学派」の
 「廃仏論」が影響力をもった
 「三武一宗の法難」
 ↓↑
 「廃仏事件」
 北魏の
 太武帝(在位 423年~452年)
 「太平真君」年間
  扇動者
  崔浩(北魏の司徒)
  寇謙之(道士)
 ↓↑
 北周の
 武帝(在位 560年~578年)
 「建徳」年間
  扇動者
  衛元嵩(還俗僧)
  張賓(道士)
  道教、仏教、両方ともに弾圧しながら
  通道観という施設を新設し
  仏教・道教を研究させた
 ↓↑
 唐の
 武宗(在位 840年~846年)
 「会昌」年間
  道教を保護し仏教を弾圧
 「会昌の廃仏」
  扇動者
  李徳裕(唐の左僕射)
  趙帰真(道士)
 「韓愈」
 ↓↑
 後周の
 世宗(在位 954年~959年)
 「顕徳」年間
 ↓↑
 寺院の
 破壊
 財産の没収
 僧の還俗
 ↓↑
 後周の
 世宗
 寺院の財産を没収
 国家公認得度僧制度によらず
 勝手に得度した
 私度僧
 脱税目的で僧籍を取る「偽濫僧」を
 還俗させて税を課した
 財政改善の経済政策
 銅(貨幣の材料)
 鉄(武器の材料)
 という金属を中心とした物資を
 仏寺中の仏像や梵鐘などを鋳物にし
 銅銭発行
 武器製造
 ↓↑
 軍事で
 出家し
 軍籍から離脱する者が大量に出た
 五胡十六国時代
 仏教の影響力で
 北斉の史官
 魏収は
 寺3万
 僧尼200万
 ↓↑
 お釈迦様は戦わないが
 なりゆきまかせ主義者だったかも・・・
 ↓↑
 ツヅクかも
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大仏像の銅銭への改鋳還元・廢佛毀釋=ハイブツキシャク=排仏棄釈

2024-09-11 22:23:25 | 古事記字源
 「ニッポンのあけボノ」・・・ブロンズ像の銅銭への改鋳?
 ホトケも商(あいない)の「交換(価値)物=銅銭」となり、使用価値に化ける・・・
 ・・・「米不足」・・・ダレかが「蓄蔵」・・・クニらしい・・・
  ↓↑

 「坂本の根使主
   之
  讒言」・・・サカモトってダレ?
  ↓↑
 「久坂(日下・草香・草薙)」
  vs
 「坂本」・・・
 「押木珠縵・立縵・磐木縵」?
ーー
 前回からのつづき・・・
  2018-03-03
 「古事記字源」の
 名前、「苗字」に拘って再考・・・クリカエシ
ーー
 「坂本龍馬の甥、養嗣子
  坂本直寛の孫は
  山岳画家の
  坂本直行(1906~1982)
  通称、チョッコウ
  釧路生まれ
  坂本家
  八代目当主
  北大
  農学部入学後
  1936年から
  十勝管内
  広尾町に入植
  1965年から札幌市に居住
  ↓↑
  北海道
  坂本龍馬記念館が
  函館市に設立され
  北海道に渡った
  坂本家子孫の
  史料を展示」・・・
ー↓↑ー
 カーリング女子
 「LS北見」の
 北海道
 北見市
 常呂(ところ)地区
 と
 高知県
 高岡郡
 佐川町
 は姉妹町村
 2月25日
 「常呂っ子が頑張った」
 と多くの町民が祝福・・・
 ↓↑
 明治時代
 佐川町から
 旧-常呂町に多くの人が移住
 1988年
 両町は姉妹町協定を締結
 2006年
 合併で
 北見市となった後も
 佐川町内の物産展で
 毎年
 常呂の海産品を販売・・・
ーー
 「坂本龍馬」と関係
 もあるらしい、し・・・
 「古事記」
 「安康天皇
 (履中天皇二年?
  ~
  安康天皇三年八月九日)
  第二十代天皇
 (在位
  允恭天皇四十二年十二月十四日
  ~
  安康天皇三年八月九日)
  穴穂天皇・穴穂皇子(あなほのみこ)
  中国の
  『宋書・梁書』に記される
  『倭の五王中の倭王-興』
  に比定」
  されている人物・・・
  「日本史の中の事件」
  「大日下大王暗殺事件」
  に絡んでいる「坂本」・・・?
  「根使主(ネノオミ)」・・・
 「坂本」・・・
 「押木珠縵」
 「立縵」
 「磐木縵」・・・
 「願物(ねがいものは・ガンブツ)
  雖(虽+隹・いえども・たとい~でも・スイ)
  輕賤(かるき、いやしき
     ケイセン⇔罫線・桂川
     景戦・キンセン⇔謹撰・勤撰)
  納(おさめるを・ノウ)
  爲
  信契(信用の契約・密約)」・・・
  勤皇・・・密書?
ー↓↑ーー
 北海道
 広尾郡
 広尾町
 町名由来
 アイヌ語の
 「ピロロ(陰になったところ)」
 「ピ・オロ(石があるところ)」
 「ピルイ・ペツ(砥石の川)」
 「ピラ・オロ(崖のところ)」
 などの諸説・・・
 「ピ=石」・・・「ルイ=砥ぐ=石+氏+一」
            氐(テイ)=て=弖
 「ピラ=崖=崕=厓=厂=がけ⇔垳・掛け」?
 「ビラ=比良・平・villa」
 「ヒラ=平・比良・片・扁」
 「ヘラ=篦・箆・平良・Hera」
 隣接自治体
 広尾郡大樹町・・・ひろい尻尾・大木
 浦河郡浦河町・・・浦賀
 様似郡様似町・・・様似(さまに)
          サマニはアイヌ語の
         「サマムニ・サムンニ
          =倒れ木」
         「エサマン-ペッ
          =カワウソ(川獺)の川」
          などの諸説・・・
 幌泉郡えりも町・・・襟裳=衣+林+示+龸+口+衣
            裳=異体字は「常」
 學=𦥯+子
  =学=⺍+冖
  =斈=文+子
    =亠+乂+了+一
   𦥯⇔⺍+冖
ーー
 ・・・ナゼ、「何子」なんだか・・・?
 「韓子・妹子・馬子・鎌子」・・・
 「子」は「シ・ス」なのか
 「こ・ね・み」なのか・・・「中臣鎌子」?
 「子=了(おわり)+一(はじめ)」・・・始終・終始
 異体字
 「仔・𠙭・𡐫・㜽・𡿹・𢀇・𢀈・𢀉・𧆰」
 ⺌(小)=光=⺌+兀(ゴツ・ゴチ・はげ)
     =「⸌ + ﺍ + ⸍」・・・ハを ﺍ で分ける?
 ⺍(ツ)=單→単・嚴→厳
      營→営・螢→蛍
      巢→巣
      擧→挙・譽→誉
      學→学・覺→覚
  「⺌(小)」は
  「⺍(ツ)」とは別の部首
  「ⲽ・Ⲽ」・・・「川=Ⲽ・ⲷ・Ⲷ」

  子+肉=育=「ㄊ」+月・・・
 「ㄊ」は「子」の上下左右反転・・・?
  子≠孑 孑孒孓 「ぼうふら(孑孑)」≠「ふたご(孖)」
      孕孞孠孧孨孑
  子=ねずみ
  鼠=臼+𠄌+;+𠄌+;+𠄌
    臼+𠄌+冫+𠄌+冫+𠄌
   異体字
   「䑕・𠏙・𣆎・𣆨・𦥩・鼡」・・・
   鼡=ツ+几+二+l
   鼠⇔竄
   竄=穴+鼠=宀+八+𦥑+𠄌+冫+𠄌+冫+乚
     ↓↑
     鼠=ねずみの歯(臼)
       水滴(冫冫)
       爪
       乚=尾・・・
     水掻き=蹼=足+菐
        =口+龰+菐
        =足+业+䒑+夫
        =口+龰+业+䒑+夫
         みずかき・ホク・ボク
         水鳥などの足の
         指間にある薄い膜
 ↓↑
   𦥯=𦥑(E+∃=∈+ヨ=キョク・キク
       ꓰ・ꓱ
       𠀉+爻+ヨ=臼+爻
     丘=𠀉+𐌠
       斤+_
     兵=丘+ハ
      =𠀉+𐌠+ハ
       斤+一+ハ
    𦥑
     両手で抱える意・拱(こまねく)
     臾⇔人を両手でhugする・・・?
     臾=ひきとめる・しばらく・わずか
       ユ・ヨウ
       須臾(シュユ)
       すすめる・そそのかす
       縦臾(ショウユ)
       hugged・huging
       抱き締める
       hug⇔hub=中心・中枢・中核
            軸(じく)
    +
    𦥑⇔臼=ウスとは別字
    +
    爻(「メ(め)・乄(示)・〆(しめる)」+「乂=刈」)
    +
    冖(わ・ベキ・ミャク)
    +
   子(了一⇔終始)・・・移鼠=キリスト
              未艶=マリア
↓↑
   伝授場所(学校)
   𦥑=異体字は
     匊(すくう・キク)⇔一掬・匊水
       救 う 規矩
   舉=挙(あげる・キョ)⇔検挙・挙手
     裒(ほめる・ホウ)⇔褒賞・褒美
 ↓↑
 「中臣鎌子」
 ↓↑
 欽明天皇朝で
 物部尾輿と共に
 排仏を行った
 「中臣鎌子」とは
 別人の「中臣鎌子」・・・?・・・廃仏毀釈
 後
 中臣 鎌足
 と改名
 臨終の大織冠とともに藤原姓を賜った
 「藤原氏の祖」として
 「藤原鎌足」
 「子」・「足」は・・・敬称語尾・・・?
 「鎌子」の由来
 「鎌をくわえた白い狐が現れ
  生まれた子の足元に置いた」
 ・・・鎌=金+兼
    子=一+了=始終(シジュウ)
         =終始(シュウシ)
          史拾 秋鳥子・愁子・修史
 ・・・「金春秋=武烈王=新羅王」・・・
     生き物の時期は「春始~秋終」・・・
立春~晩秋
ーー
 賤=貝+戔・・・素戔男尊=素戔嗚尊=須佐之男
          戔(そこなう・セン・サン)
          戔=戈+戈=戋=㦮
   いやしい・セン・身分が低い
   下賤
   対語は貴
   いやしむ・さげすむ・賤侮
   やすい・値段がやすい
   しず・まずしい・そまつな
   賤女
   貴賤(キセン)・下賤( ゲセン)
   卑賤(ヒセン)・微賤(ビセン)
   貧賤(ヒンセン)
   賤(あや)しい・賤(いや)しい・賤(しず)
ーー
 元年春二月戊辰朔
 天皇    =安康天皇は
 爲
 大泊瀬皇子 =大泊瀬皇子=雄略天皇
 欲聘    =聘=耳+由+丂
        丂=一+㇉=曲がったモノ
          とう・たずねる・おとずれる
          めす・礼をつくして招く
          めとる
          ヘイ
          贈り物を持って人を訪問する
          聘物・聘問・使聘・来聘
          礼を尽くして人を招く
          聘礼・招聘・礼聘
 大草香皇子 =大草香皇子
 妹
 幡梭皇女  =幡梭皇女(ハタビノヒメミコ)を
 則
 遣
 「坂本」臣 =「坂本」の臣
 祖
 「根使主」 =根使主(ネノオミ)
         シシュ=詞趣
 請於
 大草香皇子
  曰
 「願得
  幡梭皇女
  以欲配  =配偶者
  大泊瀬皇子」
 爰
 大草香皇子
 對言
 「僕頃
  患重病、
  不得愈
  譬如
  物積船
  以待潮者。
  然死之命也
  何足惜乎。
  但以
  妹
  幡梭皇女 =若日下姫
  之孤   =孤(孤独・身寄り無き人)
  而
  不能
  易死耳。
  今陛下
  不嫌
  其醜
  將     =まさに
  滿荇菜之數 =荇菜(オニナメ)
        水草のアサザのごとく
        宮廷での女性の数に
        加えてくださるならば
  是甚之
  大恩也
  何辭命辱。 どうして命令を
  故
  欲呈丹心
  捧私
  寶名
  押木珠縵
     押木珠縵(オシキのタマカズラ)
  一云、立縵。立縵(タチカズラ)・・・
  釧(くしろ)=腕輪?・・・櫛の賂(呂)
  又云、    釧路=句詞賂=久代
  磐木縵。  磐木縵(イワキのカズラ)
  附所
  使臣
  根使主
  而
  敢奉獻、
  願物
  雖
  輕賤  =軽=ケイ・キン=金・錦
  納
  爲
  信契。」
 ↓↑
 於是、
 根使主、
 見
 押木珠縵、  押木  珠縵
      (オシキノタマカズラ)
 感
 其
 麗美、
 以爲
 盜
 爲
 己寶、
 則
 詐
 之奏
 天皇曰
 「大草香皇子
  者
  不奉命、
  乃謂
  臣曰
  『其雖   同族といえども
   同族、
   豈    どうして
   以
   吾妹、  吾の妹を
   得爲
   妻耶。』」妻と為し得ようや(耶)
 既而、
 留縵
 入己
 而
 不獻。
 於是、
 天皇
 信
 根使主
 之
 讒言、
 則
 大怒之、
 起兵、
 圍
 大草香皇子
 之
 家而
 殺之。
 ↓↑
 「確(たしか・カク)」
 と
 「碓(うす・タイ)」
 の違いは
 「宀」がアルか、ナイかである
 しかも
 「宀=ヽ+冖」
 なのか、単なる
 「冖」で、
 「隹」の「イ」の部分の
 「ノ」が「冖」から突き出た漢字なのか・・・
 構成された「隹」の分解部首も
 細かく観れば
 「イ+圭」
 「イ+亠+主」
 「イ+`+王」
 「イ+士+土」
 「ノ+l+`+一+三+l」
 「ノ+l+十+二+丄」
 「ノ+l+`+干+二」
 「ノ+l+」
ーー
 「碓=うす=舂(三人臼)=臼」
 ・・・
   ユリ-ウス-カエサル
   ユリウス
   ユーリウス(Julius、Ivlivs)
   古代ローマの氏族名・ユリウス氏族
   ユリウス1世 (ローマ教皇)
   ユリウス2世 (ローマ教皇)
   ユリウス3 世 (ローマ教皇)
   ドイツの諸侯
   ユリウス
   (ブラウンシュヴァイク
   =ヴォルフェンビュッテル公)
  ↓↑
  ゼ-ウス=Ζε-ύς=Ze-us
  アキレ-ウス
  ↓↑
 「小碓尊(おうすのみこと・ヲウスのミコト)
  小碓王(おうすのみこ)
  亦の名
  日本童男(やまとおぐな)+
  後の名
  日本武尊(やまとたけるのみこと)
  日本武皇子(やまとたけるのみこ)
  (日本書紀) 
.  小碓命(おうすのみこと・ヲウスのミコト)
  亦の名
  倭男具那命(やまとおぐなのみこと)
  倭男具那王(やまとおぐなのみこ)
  (古事記)
 ↓↑
 碓=石(いし)+隹(とり)=石うす
 ↓↑
 日本童男=やまとおぐな
     =倭  男具那
 倭=イ+禾(ノ十八)+女
 男=田+力
 具=目+一+八
 那=異体字は
  「𨙻・哪・挪・㖠・𢑽・𣟎・𨚉・𨚗・郍」
   分解は
  「刀+二+阝(阜)・尹+阝(阜)」
 王=一+十+一
  =干+一
  =三+l
ーー
 碍(さーまたげる・ガイ)・碍子(ガイシ)
 磑(いしうす・ガイ)=石+豈
           =硙=石+山+己
   ひきうす
   うす・石臼・ひき臼
   磑磑(ガイガイ)=堅いさま
      高く積み重なるさま
 礙(さまたげる・ギ)
 確(たしか・カク)
 磯(いそ・キ・ギ)
 礒(ギ)=石+義
 硅(ケイ)
 碣(カツ)
 研(とぐ・ケン)
 硯(すずり・)
 矼(いしばし・コウ)=石+工
   かたい
   とびいし
   水中の飛び石
   誠実なさま・まじめなさま
   比謝矼 (ヒジャバシ
       沖縄県中頭郡読谷村)
 硬(かたい・コウ)
 磽(ショウ)
 礦(コウ)
 矻(はたらく・コツ)=石+乞
   矻矻(コツコツ)=はたらく
      努力するさま・勤め励むさま
     =兀兀(コツコツ)
 砂(すな・サ)
 磋(サ)
 砕(くだく・サイ)
 砥(テイ)=石+氐
 磁(ジ)
 砠(ソ)
 硝(ショウ)
 礁(ショウ)
 砌(いしきり・)
 碩(ケツ)
 磧(セキ)
 磚(セン)
 礎(ソ)
 碓(うす・タイ)・・・小碓命
 砧(つち)
 碪(ジン)
 碇(いかり・テイ)
 碾(うす・テン)
 磴(トウ)
 礑(トウ)
 破(やぶる・ハ)
 碚(バイ)
 硲(コク)
 砒(ヒ)・砒素(ヒソ)
 碑(ヒ)
 砲(ホウ)・鉄砲・大砲・短砲・砲丸
 磅(ボウ)
 碼(メ)・・・瑪瑙
 硫(オウ)・硫黄
 礪(レイ)・牡蠣(かき)
 礫(つぶて・レキ)
 碌(ロク)
 碗(ワン)・・・
 「磯(キ・いそ・岸辺)」と
 「礒(ギ・いそ・地面や川底にある固い物質)」
 ・・・「ムシ+α」・・・
ーー
 宦官は
 「肉体の欠損で宮廷の後宮の管理人となる」
 官吏は
 「科挙の合格で宮廷の記録の管理人となる」
 宮廷内外の
 「行政官僚」に就くコトは
 生活の安定・保障があった?・・・
ーーーーー
 礪=石+厲(厂萬)
   あらと
   刃物をみがく砥石(といし)
   きめのあらいもの
   とぐ・みがく・はげむ
   礪=砺
   砥礪(シレイ)
   砥=きめの細かい砥石
   礪=きめの荒い砥石
     砥石(といし)・・・問い詞(史・偲)
     砥磨(シマ)・・・・揣摩・島・縞
     磨礪(マレイ)・・・眞例
     トイで鋭くすること・問い・訪い・土肥
     人を錬磨すること・・練磨・錬磨
 ↓↑
 丰=豐
   ゆたか・富む・みちる
   よく実る・とよ
   ホウ
   草木が盛んに茂る=丰(豐)
   豊=異体字は豐(旧字体)
     丰(豊の簡体字ではない)
   豊≠豐
  「禮=示+豊・礼=示+乚=レイ・ライ」
  「耕・耒」の
  「丯(さんらん・カイ)」
   とは別字
  「丯=しるし・標表・標示」という字は
  「豐」の
  「丰=ゆたか・みめよい・しげる
     ホウ・フ・フウ・ブ」
   とは別字
 ↓↑
 危=厃+卩(割符・セツ・セチ)
   厃+㔾=あぶない・キ
   厃=あおぐ・たるき・のき
     セン・ギ・エン
 犯=犭+㔾=おかす・よこしま・ハン
  「犯」の旁
  「危」の右下部は
  「卩(わりふ・セツ・セチ)」の変形
  「㔾」は人が跪(ひざまず)く姿の形象?
  「節の卩」とは別源だが後に混同された
   ・・・犯行、犯人の「おかす」なら
   「㔾」=「邪(よこしま)・ム=私=己」
   で、渦の様にマルまった「蛇=巳」である
  ・・・「㔾(跪)⇔己⇔巳」で、
     「卩」は「叩(たた)く」である
     「命=亼(集・あつまって)
        口(口ぐちを)
        卩(割り合わせる)
        or
        𠆢(屋根の下・家の中)
        一(初めての)
        叩かれ⇔口+卩(口で呼吸・泣く)
 氾=氵+㔾=泛
   氾濫・氾愛・氾論
   氾=ひろがる・水があふれ広がる
     あまねく広がる・ひろい
     ハン
 ・・・前回、「閼伽(アカ)」を調べたが・・・
 閼伽(アカ)=功徳水
 閼伽棚(アカだな)=仏に献(獻・ささげる)台
           仏壇、神棚
           神仏に供物を奉げる台・棚」
 「閼=門+於
    門+方+仒
    門+方+人+丶
    ア
    アツ
    エン
    さえぎる・ふさぐ
    とどめる=遏
    遏=辶+曷
      辶+日+匃
      辶+日+勹+亾
      辶+日+勹+∟+人」
   「閼氏(エンシ・アツシ)」は
   「匈奴(キョウド)」の
   「単于(ゼンウ)」の妻の称号
   遏悪揚善(アツアクヨウゼン)
  「曷=日+勹+∟+人」
     カツ
     いずくんぞ
     いつ
     なに
     なんぞ
    「どうして~か」
    「どうして~であろうか」
     と疑問・反語の意
    「なに」と読み、物事を問う意
    「いつか」と読み
    「いつ・いつになったら」
     などと時を問う意
   渴=渇
    =氵+曷
     氵+日+匃
     氵+日+勹+亾
     氵+日+勹+人
     カツ
     ケツ
     かわく・のどがかわいて水を欲しがる
     飲料、生活水の渇望
     かわき・のどのかわき
     涸れる=かれる・水がかれる
     水が尽きてなくなる
     渇水・渇望
   葛=艹+曷
     艸+曷
     カツ
     くず
     かずら
     かたびら
     つづら
     くず・くずかずら
     かたびら・くずぬの
     日本語
     かずら・つづら・つる草の総称
     かずらの
     つる(蔓)で作った
     はこ(函・凾・匣・箱)
     葛城王=欽明天皇の皇子
         母 蘇我稲目の娘の
         小姉君

     葛城皇子=中大兄皇子=天智天皇
     葛城皇子(かずらきのみこ)
     中大兄皇子
     天智天皇=舒明天皇の子
          母 宝(財)皇女
            皇極=斉明天

     葛城王=橘宿禰諸兄
     橘諸兄(葛城王)・橘氏

     葛城氏の始祖
     葛城襲津彦(そつひこ)
     『古事記』
     武内宿禰(孝元天皇の曾孫)
     の子の1人
     玉手臣・的臣(いくはのおみ)
     などの祖
     母は葛城国造の
     荒田彦の娘
     葛比売
     襲津彦以降の氏人としては
     葦田宿禰・玉田宿禰
     円大臣・蟻臣
     玉田宿禰については
     『日本書紀』
     允恭紀に
     襲津彦の孫
     雄略紀では子
     円大臣についても
     『公卿補任』
     は玉田宿禰の子
     『紀氏家牒』
     には葦田宿禰の子
     とし
     矛盾している

     神功皇后の母
     葛城
     高顙媛も葛城系の支族始祖とする記述
     等もある・・・
     『聖徳太子伝暦』
     聖徳太子が
     葛城寺を
    「蘇我葛木臣」
     に賜った
 ↓↑
 儋=イ+刀+乛+ノ+儿+言
   儋耳(タンジ・センニ・ゼンジ)
       儋=イ+厃(刀厂)
          +八(儿)+言(辛口)
               辞=舌+辛
               言=亠+二+口
          儋=擔⇔担
          何(にな)ふなり
          人に従ひ
          袪を聲とす
 ↓↑
 メルクリ-ウス(マーキュリー・メルキュール
        ヘルメース)
 ウーラヌス(ウラヌス・カエルス
       ユーラナス・カイルス
       ウーラノス)
 プロメーテ-ウス(Προμηθεύς
         Promētheús
         pro.mɛː.tʰeú̯s)
ーーーーーー
 ・・・廃仏毀釈は次回に・・・???
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「ニッポンのあけボノ」・・・『緋色の研究』・・・?

2024-09-10 17:30:42 | 古事記字源
 『緋色の研究』
 ・・・???・・・

 ケンリョクはダレのモノ?
ーーーーー
 『緋色の研究』
 ・・・???・・・
  緋=糸+非
    幺+小+非
    幺+亅+ハ+非
    ヒ
    あか
    あけ
    ひいろ
    濃くて明るい赤色
    あか色のきぬ(絹)
    真紅色
    深紅色=スカーレット
    紫緋紋綾(シヒモンリョウ)
  ↓↑
  閼伽(アカ・みず)
     供養される水・功徳水
            クドクスイ
            句読 推?
  淦=カン・コン
    あか・舟の底にたまった水
    中国の川の名・淦水(カンスイ)
  銅=ドウ・あか
  垢=あか・ク・コウ
    けがれ(穢)・はじ(恥・辱)
    よごれ(汚)
  亜科
  ↓↑
 「亜=亞=ア=丫=阿=蛙」
  亜=ー+口+ll+_
  亞=𠄠+
  亚=一+业
    𠄠+‖+丷
    一+丷+‖+一
      业=業
   =ア
   つぐ
   つぎ
   はふり
   次位・二番目
   あいむこ
   姉妹の婿(むこ)同士を呼ぶときの呼称
   近い・仲間・同類・たぐい
   はふり=葬祭の儀礼を司る官職名
   祝(はふり)=罪やけがれを
          放 (はふ) り
          清める意
          斎・・・斎藤?
          神社に属す職の
          神主・禰宜 (ねぎ)
          巫女(みこ)・巫覡(かんなぎ)
   動詞 「はぶる(葬)」の 連用形の名詞化
   死者の遺体を「ほうむる」こと・埋めまつること
  カソウ・・・twoか・・・
  次第
  物事が行われる際の一定の順序
  今まで経過してきた状態・なりゆき
  物事の、そうなるに至った理由
  わけ・事情・経緯
 「次第」
  物事の成り行きや経過
 「次」
  すぐ後に続くこと
  一段劣るもの
  the second
  problem of secondary
  another・・・アナザー・・・亜名佐倦?
 「第」
  段階を経て並ぶ順序
  ものごとが整理されている様子
  亜⇔次・・・第二番目からのモノ
  ↓↑
  亜科 
 亜種
  ↓↑
 「亜細亜(アジア)の曙(あけぼの)」
 ↓↑
 山中 峯太郎(やまなか みねたろう)
 1885年(明治18年)12月15日
 ~
 1966年(昭和41年)4月28日)
     大運1958年7月(72歳)⇔庚辰・偏官
 乙┏酉(庚 辛)劫財・偏官 胎⇔丙午・食神
 戊┏子(壬 癸)偏財・偏印沐浴⇔壬辰・偏印
 甲┗辰(乙癸戊)  ・劫財 衰⇔丁巳・傷官
 乙┗丑(癸辛己)劫財・印綬冠帯⇔辛丑・正官
   寅卯空亡
 ↓↑
 陸軍軍人・小説家・翻訳家
 陸士19期・陸大退校(25期相当)
 最終階級 陸軍歩兵中尉(依願免官)
 ペンネーム
 山中未成・大窪逸人
 石上欣哉・三条信子
 ↓↑
 大阪府の呉服商
 馬淵浅太郎(旧・彦根藩士)の次男
 幼少時に
 陸軍一等軍医(大尉相当官)
 「山中恒斎」の婿養子となり
 娘の「みゆき」を娶った
 ↓↑
 「東條英機(陸士17期)」
 と同じ原隊で
 同じ時期に近歩三で隊附勤務
 1941年(昭和16年)
 「東條」が陸軍大臣に就任し
 「山中」は「東條」の「私的顧問」となり
 1942年(昭和17年)
 『東條首相声明録 一億の陣頭に立ちて』
 の訓示や演説をまとめた
 明治43年12月
 陸大入校(25期)
 大正元年12月
 「東条」陸大入校(27期)
 「山中」が2年早く入校
 ↓↑
 「山中」が陸大に入校した翌年
 1911年(明治44年)
 「辛亥革命」
 1913年(大正2年)7月
 辛亥革命後
 孫文から政権を奪った
 「袁世凱」
 の専制に反対する
 青年将校たち(清国留学生)によって
 第二革命が起こされた
 ↓↑
 山中は
 1917年(大正6年)
 陸軍を辞め
 9月
 東京朝日新聞記者となる
 ↓↑
 辛亥革命
 第三革命にも関与
 「中央公論」
 「東方時論」
 「新小説」
 などに評論や読み物、小説を発表
 ↓↑
 1917年
 「淡路丸偽電事件」
 の首謀者として逮捕された
 1919年出獄後
 宗教的告白
 『我れ爾を救ふ』出版
 「婦人倶楽部」
 「主婦之友」
 などの婦人雑誌に
 家庭小説や宗教小説を執筆
 倶楽部雑誌
 少年少女雑誌
 でも活躍
 1927年(昭和2年)
 「少年倶楽部」に登場
 1930年
 『敵中横断三百里』
 戦後に
 監督 森 一生
 脚本 黒澤 明
 「日露戦争勝利の秘史
  敵中横断三百里」
 として映画化
 『亜細亜の曙』
 『大東の鉄人』
 本郷義昭シリーズを執筆
 ↓↑
 戦後は公職追放
 『実録・アジアの曙』
 など自伝的回想を発表
 ↓↑
 名探偵ホームズ全集
 ポプラ社が
 海外の
 推理小説(探偵小説)・冒険小説を
 少年少女向けに翻案した
 叢書『世界名作探偵文庫』を企画し
 1953年(昭和28年)
 シャーロック・ホームズシリーズ
 などの執筆を山中に依頼
 本叢書の執筆陣は
 江戸川乱歩
 南洋一郎
 らが参加
 1954年(昭和29年)
 『世界名作探偵文庫』刊行開始
 第1回配本の3巻は
 山中による
 第1巻『深夜の謎』(『緋色の研究』)
 第2巻『恐怖の谷』
 第3巻『怪盗の宝』(『四つの署名』)
 第4巻『魔人博士』(サックス・ローマー著)
 第5巻『灰色の怪人』(バロネス・オルツィ著)
 が刊行
 ↓↑
 ホームズものを
 1956年(昭和31年)末までに完結
 『名探偵ホームズ全集』として独立させ
 全20巻の叢書として完結
 ↓↑
 『我れ爾を救ふ』全6冊(1920.11~1922.3)
 『自舒伝 否』 覚醒社書店(1921.10)
 『敵中横断三百里』 少年倶楽部(1930.4~9)
 『亜細亜の曙』 少年倶楽部(1931.1~1932.11)
 『大東の鉄人』 少年倶楽部(1932.8~1933.12)
 『万国の王城』 少女倶楽部(1931.6~1932.12)
 『見えない飛行機』 幼年倶楽部(1935.4~1936.3)
 『世界無敵弾』 幼年倶楽部(1936.4~1937.7)
 『覚(ボダイ)に生きる』 二見書房(1941.11)
 『決戦小説・神兵奇兵』 機械化 (雑誌)(1943.11)
 『実録・アジアの曙』 文藝春秋(1962.2~10)
 『実録・アジアの曙 第三革命の真相』
          文藝春秋新社(1963.11)
 「名探偵ホームズ全集」(全20巻)
          ポプラ社・1956年~1957年
・・・↓↑・・・
 「ニッポンのあけボノ」・・・?
  ↓↑
 「坂本の根使主
   之
  讒言」・・・サカモトってダレ?
  ↓↑
 「久坂(日下・草香・草薙)」
  vs
 「坂本」・・・
 「押木珠縵・立縵・磐木縵」?
ーーーーー
 つづく・・・
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「チンピラ(bully=ブリィ)」・・・ジィジィ?

2024-09-09 22:24:43 | 古事記字源
 前回からのツヅキだけれど・・・
 ↓↑
 大谷翔平さんが8日(日本時間9日)
 ガーディアンズ戦で
 「1番・DH」で先発出場
 5回に46号ホームラン
 46本塁打&46盗塁に到達
 「日本ハム」も勝った
 「コンサドーレ」も勝ったけれど・・・
  ↓↑

 「チンピラ(bully=ブリィ)」・・・
 コンピュータの
 「中央日報」の記事の
 「日本語」訳が・・・
 「bully=チンピラ」?
  ↓↑
 大友克洋氏の漫画
 「童夢」の「チンピラジジイ」・・・?
  で、
 「中央日報」って、ドッチなんだか?
  ↓↑
 「中央日報(チュンアンイルボ)」
 「韓国の朝鮮語の日刊新聞(朝刊)」
  1965年創刊
  出典 ウイッキペデア
  ↓↑
 「中央日報(チュウオウニッポウ)」
  中華民国の国民党の機関紙
  1928年創刊
  台湾の最古の新聞・・・
  出典 ブリタニカ国際大百科事
 ↓↑
 「記事」は
 米情報機関トップが
 ロシアのプーチン大統領を
 「bully(ブリィ)」
 呼ばわり
 その日本語訳(中央日報)を
 「チンピラ(bully)」・・・と訓読・・・
 辞典には
 いじめっ子・がき大将・ごろつき
 自分より弱い者に
 イジメを繰り返すヤツ
 とあったが・・・
 ↓↑
 チンピラの語源
 子供のスリ
 子供(悪ガキ)を嘲って云う
 「ちんぺら」⇔「チンピラ」
 ちん=劣る
 ぴら=下っ端(平・ぺら)
 前漢の策士
 「陳平」のような
 不品行な胡散臭さい人物を罵る呼称・・・説
 日本語
 不良少年・非行少年・くず・ごろつき
 与太郎・よた
 ↓↑
 ・・・
 楚の
 恵王は
 父君を助けてもらった恩に報いるため
 この鎛鐘を鋳造し
 曾(随)国・・・・・曾=隨
 もこの手厚い贈り物を
 もっとも目立つ場所に置き
 楚国に敬意を示した・・・
 ↓↑
 古代中国は楽器を
 「八音」と総称
 楽器を作る材料によって

 金(𠆢+王+ハ)、石(丆+口)、土(十+一)
 革(廿+中+一)、絲(幺+ハ+亅)、木(十+八)
 匏(夸+包)、竹(𠂉+丨+𠂉+亅)

 八種に分類
 金は鐘のような銅、鉄で鋳造
 石は磬のような玉石製
 土は壎のような陶製
 革は太鼓のような皮革が材料
 絲は琴のように弦を使う楽器
 木は梆子という拍子木
 匏は笙のような瓢箪で作ったもの
 竹は竹笛
 ↓↑
 古典『尚書』
 「撃石拊石、
  百獣率舞
 (石を打ち鳴らせば・・・石=丆+口
  百獣が踊り出す)」
 山西省
 襄汾陶寺
 夏県東下馮で
 4000年前の
 「石磬」出土
 河南省安陽で出土した
 3000余年前の
 商(殷=元の倭)代の
 「大磬」
 虎の装飾が施された楽器が
 各地で出土
 「陶壎」
 浙江(セッコウショウ)省
 余姚河・・・余(あまり)+姚(女+兆)+河
 姆渡・・・・姆(女+母)が渡る
 で出土した
 7000年前に作られた「一つ穴の陶壎」
 壎の雛形
 西安の
 半坡・・・半(なかば・ハン)の坡(つつみ)
 で出土した
 6000年前の
 陶壎は
 上部と下部に一つずつ穴
 「三和音」・・・纂和(倭)音?
 を出せる
 商(殷=元の倭)代
  ・・・商(倭・あきない=殷)の代
 陶壎は5つの穴
 7音階の曲を演奏できた
 骨の楽器
 河南省
 舞陽では
 8000年前の
 鶴の足の骨で作った
 25本の笛が出土
 3本はそれぞれ5穴、6穴、8穴で
 ほかに七穴の笛が三本あり
 5音、6音、7音の音階の曲を吹くことができる
 河南省
 浙川・・・・・浙(氵+扌+斤)+川(かわ・セン)
 周代の骨を組んで作った
 5本の簫が発見
 13本の鶴の足の骨を組んで作った
 簫は楽曲を奏することができる
 商(殷=元の倭)・周時代
 鐘は楽器、礼器として
 中央王朝や各諸侯国で大流行
 編鐘の場合
 商代では3個から5個しかなかったが
 周代は9個から13個に増えた
 戦国時代はさらに
 1セット61個に増加し
 「曾侯乙」
 のいた小国でも
 1セット64個の
 編鐘を鋳造
 ↓↑
 周代の音楽
 当時の
 礼楽制度と密接な関係
 西周時代
 天子から各諸侯、公卿、大夫、士
 に至るまで
 宗法制度や身分制度を維持し
 自らの身分、地位、権力を誇示するために
 祭祀、会盟、宴会、冠婚葬祭
 出陣の儀式に合わせ
 音楽を演奏し、舞踊も添えた
 身分によって
 演奏する曲目や踊りの種類が異なり
 音楽隊、舞踊団の規模、人数は厳格に区別され
 それを破ることは許されなかった
 周代
 音楽を重んじ
 礼制を厳格に実施
 専門の楽士
 地位の低い弾き手、踊り手のほか
 貴族の子どもも
 13歳から・・・十三歳?
 「大司楽」という
 専用の音楽学校に入る決まりがあり
 詩の朗読、音楽、舞踊の修行を
 義務付けられていた
 重要な国家行事の儀式で
 音楽、舞踊を演じるため
 その後
 東周王朝の国力が衰微し
 諸侯間の紛争が起き
 「礼節と音楽の崩壊」によって
 社会、思想、文化が華々しく解放され
 百家争鳴の発展期を迎え
 「曾侯乙」
 のような
 小国の諸侯でも
 大規模で、精美な
 編鐘を作ることができた?
 ・・・楚から贈られたモノ
 長江流域の
 高度な音楽水準を反映・・・
 ↓↑
 青銅尊盤・・・尊(みこと)=樽(たる=足る)
          命      多留・墫
 尊は酒を入れる容器
 盤は水や氷を入れる容器
 酒を冷やしたり
 暖めたりするのに使用
 尊と盤の全体に施された
 繊細で複雑な立体的な模様は
 絡んでいる無数の
 龍と蛇
 尊盤には派手な
 装飾が施され
 交錯する
 龍と蛇の文様は
 はっきりしており
 独立しながらも
 一体感を感じられ
 先秦時代に作られた
 もっとも複雑で
 もっとも精美な
 青銅礼器
 詳しく研究した学者は
 「失蝋法」
 によって作られたと推定
 失蝋法は
 まず
 蝋で模型を作る
 次に
 蝋の模型の外側に
 石英砂のような
 耐火材を付け
 陰干しにした後
 この模型を焼く
 蝋は熱で溶けるが
 「陰模」
 と呼ばれる
 殻は残る
 この
 「陰模」
 に熔かした銅を流し込んで
 冷やせば
 青銅器を鋳造することができる・・・
ーーーーー
 「古代中国の技術」
 これらの
 「知識と技術」
 は
 中心的文明、文化、同心円の中心点から
 波及して
 周辺国の遠方に遺った・・・???
 ・・・「波紋は遠方に到達する」・・・
 「古いモノは辺境に遺る」
 のが鉄則である・・・
 ナンオク萬年前に消滅した
 「恒星爆発の光」
 を今、現在、ボクたちはミテイル・・・
 だが、今現在は
 その光の「実体は存在」しない
 2024年終わった
 「パリ・オリンピック」
 からナニを
 眞名毘、ナニをナスベキか・・・

 交換価値か、使用価値か・・・訥値・・・
 2018-02-28 23:05
 古事記字源
ーーーーー
 黹=?
 黹=业+㡀(小冂小)
  业+八+l+木+亅
   业+丷+l+木+亅
   业+l+米+亅
   並ぶ棒・八方位の鉤
       磁石・指南
       事跡・至難
   㡀(小冂小)
   =业+小(亅+八)+冂+小(亅+八)
   =业+亅+八+冂+亅+八
 ↓↑
 黹=ぬいとり・チ
   刺繍・縫う
   『康熙字典』
   「黹」字中央を「ハ」形
   下部内部の左払いと点を
   上の横画、
   中央の縦画から離している
   中国の新字形では「ハ」形を
   「逆ハ字」の
    「丷」形
  「曽=ソ=曾=曽」⇔ソ+田+日(曰)
   ↓↑ 曽=丷+田(口十)+日(曰)
   ↓↑ 曾=八+口+小(亅八)+日(曰)
   左払いと点を
   上の横画
   中央の縦画とくっつけ
  「弊・幣」・・・弊社・貨幣
   の左上の偏旁と統一
  「黹=針と糸による
     衣服や布の縫いとり・刺繍
    『説文解字』は
     㡀=「幣」の左上の字
          破れた衣の意
       「丵(叢から・・・
          叢業(ソウギョウ)
          叢書=ソウショ
            =草書=平仮名
          取を除いた部分の字
          草むら)
          楷書=木+比+白(ノ+曰)
       の会意文字・・・?
  楷=カイノキ(楷樹・楷の木
         学名=Pistacia chinensis)
    ウルシ(漆=七)科
    カイノキ属の落葉 高木・・・高木の神
    ウルシ科の
    ピスタチオとは同属近縁
    別名
    カイジュ
    ランシンボク(爛心木)
    トネリ(舎人・倌)バ
    ハゼノキ(櫨の木)
    ナンバンハゼ(南蛮櫨)
    クシノキ(櫛の木)
   ・・・「业+㡀(小冂小)=业+l+米+亅」
       业=‖+䒑
       ‖+丷+_+ハ+亅+冂+ハ+亅
 ↓↑
 业=業=业+䒑+未(十ーl𠆢)
     ・・・个(カ・コ)
        个=箇・個・ケ
     接尾語の助数詞
     数える
     数(數)詞
     娄=婁=毌(貫)+中+女
         □+十+中+女(く+ノ+ー)
   (わざ・なりわい・さが
    ギョウ・ゴウ)
    わざ=技・伎・和座・倆・態・芸
    なりわい=生業
    さが=性・佐賀・嵯峨・礒
    礒=石+義
      いわ・いわお
      岩石のつき出るさま
      いそ(磯)
      石の多い波打ちぎわ
      石=丆+口
      で出来た漢字の
      字通部通の意味はナニ?
      碍・磑・礙・確
      磯・礒・硅・碣
      研・硯・矼・硬
      磽・礦・矻・砂
      磋・砕・砥・磁
      砠・硝・礁・砌
      碩・磧・磚・礎
      碓・砧・碪・碇
      碾・磴・礑・破
      碚・硲・砒・碑
      砲・磅・碼・硫
      礪・礫・碌・碗・・・
  「磯」と「礒」・・・
  「ムシ+α」・・・
  「蟣(虱)≠蟻(ギ・螘=虫+豈)
       ≠蜂(むらがる)
     丮=手に握る
       甲金文象
       一人跪坐或屈身
       兩手前伸
       有所
       握持之形
       本義、是握持(說文)
   「持也、象、手有所丮據也」
   「礙=石+疑(うたがう)」なのに
    さまたげる・止める・ガイ・ゲ
    じゃまする・妨げる・距てる・限る・遮る
    障礙・阻礙・妨礙・無礙 (ムゲ) 」
   ・・・高圧電線の
   「碍子=礙子」
   ・・・「石+疑(うたがう)」が
      「石+㝵(とく・うる・える)」
       ・・・?
   「碍=石+旦+寸=石+㝵
     =石+日+一+寸=石+㝵」
   「碍子=ガイシ=凱之・外史・外資」
   「メダル取ったどゥッ!」
    常呂町・・・
  ↓↑
 「経済界」に
 「渋沢栄一」氏はいるんだろうか
    ・・・そもそも、無理か・・・
 「大磯の総理大臣」の限界・・・
   ↓↑   
  「磯」=岸辺から川の流れに突き出した岩
      水が岩に激突する
  「礒」=石+義・・・イシの意義・異義
      碕礒(キギ)
      碕=石+奇(一人可)
      岩石の様子の形容詞?
      磯=石+幾・・・幾何(學)の形(象)
        石の数、幾ら、多い海岸・・・
      石=いし=意思・意志・遺志
           医師・遺子=磐
      魔方陣=河図洛書
ーーーーー
 歸藏図    連山図   周易先天図
 6 1 8    8 7 3   2 1 5
 7 5 3    5    4   3    6
 2 9 4    6 2 1   4 7 8
ーーーーー
     「石邉・石辺・石濱・石浜」
  beach=ビーチ=砂邉・砂辺・砂濱・砂浜
     「磯部・礒部」
  coast=大陸・大きな島などの
      海岸・沿岸・海辺・岸壁・岩浜
  shore=海・湖・大きな川の岸
      海岸・湖畔・河岸・川淵・川縁
      ・・・shore≠shoes≠boots
      ショーン(Sean,Shaun,Shawn)
   ・・・show・背負う
      アイルランド系の男性名
      ヨハネのアイルランド語
      ↓↑
      ヨハネ(イオアン)の黙示録?
      Ἀποκάλυψις Ἰωάννου
      Apocalypsis Iōannis
      アポカリュプシス
      ラテン語revēlātiō
     (暴露、すっぱ抜き)に由来する
      Revelation
      ↓↑      
      英語化はシェーン(Shane)
  court=royal court・朝廷・宮廷
  court=法廷・司法機関・裁判所・裁判機関
  coat =防寒用のコート・外套・上着
      暴漢・傍観・坊間・棒間
  ↓↑
    「岩壁・岸壁」≠「城壁」
     rampart=城壁
     ラテン語 moenia
     フランス語 muraille
     英語 defensive wall
     a castle wall・the town walls
     セルウィウス城壁
     ラテン語: Murus Servii Tullii
     イタリア語: Mura serviane
     紀元前4世紀初
     ローマを取り囲んでいた防御用城壁
     壁の高さは最高で10m
     基部の幅は3.6m前後
     全周は11km
     16の大門
 ↓↑
 bi⇔ビィ=彌・備・尾・靡・飛・眉・鼻
 vi⇔ヴィ=毘⇔毘古(彦・侎子・侎児
            侎個=ビコ)
       侎=ビ・ミ・いつくしむ
         人は米国
       个=個・箇・ケ
     ヒコ(彦=彥・比古・日子・毘古)
          彥=文+厂+彡
     ヒメ(姫=姬=姬󠄁=女+巨+¦)
          匚+ ﺍ +コ+¦
            匚+口+¦
 ↓↑    ↓↑
 磐 余(れ)彦(書紀)
 伊波礼(レ)毘古(古事記)
     ↓↑
         余(ヨ)=𠆢+禾⇔礼(レイ)
      奈(ナ・ナイ)=大+示=柰
   柰(りんご・いかん)=木+示=ダイ
  林檎=りんご=蘋果(ヒンカ)=艹+歩+頁
       庚午年一月一日
        ~
       神武天皇
       七十六年
         三月
        十一日
      百二十七歳・1+2+7=10=拾・足
      百(もも・桃・髀・腿)念 漆
 ↓↑    ↓↑
     彌⇔弥・  弭・㣆・镾・婗
       爾=尓・耳=璽・弓=镸=女
     彌生(三月・march)・彌陀・彌勒
     備⇔吉備真備・警備・装備・準備
       備前・備中・備後
     尾張・尻尾・参尾・九尾・牛尾
     靡=なびく・したがう・ビ
       風や水の流れに従い
       ゆらめくように横に動く
       靡然
       おごる・おごり・ぜいたく
       はなやか
       奢靡(シャビ)・猗靡 (イビ)
       ただれる
       ち(散)る・ちらす
       ほろびる・ほろぼす
       萎靡(イビ)・淫靡(インビ)
       侈靡(シビ)・奢靡(シャビ)
       風靡(フウビ)
     會稽
     之
     東與
     儋耳
       儋=イ+厃(刀厂)
          +八(儿)+言(辛口)
               辞=舌+辛
               言=亠+二+口
          儋=擔⇔担
          何(にな)ふなり
          人に従ひ
          袪を聲とす
     袪=人+厂(崖)+八(拡)+言
       譫=くどくどとモノを言うこと
         たわごと・愚痴・妄言
         皇后・皇太子の家事役人
         袪事(センジ)
       膽=胆=きも・タン・胆汁
       儋=甕(かめ)、荷物をかつぐ意
         二石(50Kg)の重さ
         譫=言+袪=セン
       儋=になう・にたい・こがめ
         タン・セン・ゼン
       憺=忄+袪
         覃(タン・深い壺)に通じ
         深いの意
         深い心の意
         心やすらか、おだやか
         深く悩む・苦悩の意
         恬憺(テンタン)
         惨憺(サンタン)
         苦心  惨憺
 ↓↑  ↓↑
     相近
     都
     於-「邪靡堆」
     則
     魏志
     所
     謂-「邪馬臺」-者也
    (隋書・卷八一東夷傳-俀国伝)
       邪靡堆=邪馬臺
        靡 = 馬台
         堆=  臺
     飛⇔飛騨・ひだ=日田・肥田
     眉⇔眉輪王子=目弱輪
       葛城 円(かつらぎ の つぶら)
       日本書紀
       都夫良意富美(つぶらのおほみ)
       古事記    圓・螺良・粒良
 ↓↑  鼻⇔鼻祖=須佐之男
 「bi-」?・・・「ビットコイン(bitcoin)は
 ↓↑      公共トランザクションログを
         利用している
         オープンソース プロトコル
         に基づく
         Peer to Peer型の
 ↓↑      決済網、暗号通貨」・・・?
 連結詞
 二回(twice)・二つ(two)
 bifacial・biplane
 化学で「・・・の2倍を有する」
    「重~ bio-の異形」
 重・・・「bichromate」
 生物で「二・双・重・両・bipinnate」
 「bimonthly」のような形は
 「二か月に一度」
 「一か月に二度」
 の両方の意味
 ↓↑  ↓↑
     丵=茂る生草・鍼灸、刺青のハリ
     並(ならぶ・ヘイ)=䒑+业⇔並立・並行
     晋(すすむ・シン)=一+业+日(曰)
  「易に曰く、明、地上に出づるは㬜(晋)(易経)
     㬜=臸+日(曰)⇔「臸=至+至」
       至(一のムは十の一)が並ぶ「至」
       初めの「ム=横島」に重位置
             横島←阿蘇山→横島
ーーーーー
 ツヅク・・・かも・・・
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