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「山上憶良」は「本当」に「奈良」時代のヒトなのか?

2024-09-07 16:23:09 | 古事記字源
 「山上憶良」は
 「奈(柰)良」時代のヒトではない・・・?

 於=方+仒
   方+𠆢(人)+丶+丶・・・
   亠+勹+𠆢(人)+丶+丶
     勹=ノ+𠃌
 オ・ヨ
 置き字
 訓読で読まず
 置いてあるように見える文字
 置き字
 語句と語句の関係を示したり
 断定・完了などの文法的な機能を持つが
 訓読の場合にその文法的機能を
 送り仮名によって示し
 読みの対象から外され字
 「於・于・乎・而・焉・矣」
 の6字

 「於・于・乎・而・焉・矣・兮」
 の7字

 而( ジ)=丆+⺵
     語句と語句の接続
     順接 ~て・~して・そして
        しこうして
     逆接 ~ども・しかれども
 於( ヲ)=
     場所・対象・比較・受身動作
     前置詞 ~に対して
     
 于( ウ)=丁+一
 乎( コ)=ノ+丷+一+亅
     比較の前置詞
     比較対象を表す語の後に送り仮名
     ~よりも~
 焉(エン)=正+ㄣ+ー+灬・・・丏=蘋=柰=奈
     正と鳥の会意・・・马=馬
     断定・完了・などの語気を表す
    「焉」は文末に置かれ
     直前の語に対して
     断定・完了などの
     ~なり
     の助動詞を付ける

 兮(ケイ)=八+丂
     韻文の句中や句末に置かれ
     詩のリズムを整える語
     文法的な機能はない
     
 矣(イ)=ム+矢
    ム+𠂉+一+人
     断定・完了・意志などの語気を表す
    「矣」』は文末に置かれ
     直前の語に対して
     断定の意味で
     直前の語に
     ~なり
     断定の助動詞を付ける
     古代中国語
     「了・已」の完了の意味

     完了の語気を表す場合
     直前の語に
     ~り
     完了の助動詞を付ける

     意志の語気を表す場合
     直前の語に
     ~ん
     意志の助動詞を付ける

 「於」の草書体の偏が
     片仮名の「オ」
     草書体が
     平仮名の「お」
     になった・・・
 於=扵=扌+仒
   仒=𠆢+丶+丶
     ・・・「〻=〃=々・⺈・同」
 於=方+仒
   方+人+丶+丶
   亠+勹+人+丶+丶
   オ・ヨ
   おいて
   おける
   時刻や場所などを表す
   ああ・感嘆の声
   仒・扵・㫇=於+¬
  おいて・おける
  時間や場所を表す
  ああ・嘆息・感嘆の声
 「於乎(ああ)」
  類語
  烏(ヲ・ウ・からす)・かぁ、かぁ、カァ
  嗚(オ・なく)・・・鳴く
  於いて(おいて)
  於ける(おける)
  於転婆(オテンバ)
  ↓↑
  森鴎外の子供たちの名前」
  於(オト)・・・
  ↓↑
  於菟(長男)・をと
  茉莉(長女)・まり
  杏奴(次女)・あんぬ
  不律(二男)・ふり
  類 (三男)・るい
ーーーーー↓↑ーー
     於いて
  山  上   憶 良
 (やまのうえの おくら)
         憶=忄+意
  奈良時代初期の貴族・歌人
  名は ↓↑
 「山  於   億 良」とも記される・・・?
  サン     億=イ+意
     於=方+𠆢+〻
     自棄(やけ)
  姓  臣
  官位 従五位下
     筑前守
 「春日」氏の一族
  皇別氏族の
 「山上氏(山上臣)」
  の出自
 「山上」氏の祖は
 「山上健豆」
 ・・・健(すこやか)な豆(まめ)?
    ↓↑
 健=亻+建=徤=彳+建
   亻+廴+聿
   亻+廴+肀+二
   亻+廴+肀+一+一
   ケン・ゴン
   すこやか・挙げる・貪る
   したたか
   徤=彳+建
   健󠄁(旧字体)
   𨺇(同字)
   𭸠(同字)
   徤(俗字)
   ↓↑
   建健揵湕腱旔楗毽煡犍
   睷键䊕踺鍵㯬鞬䭈騝鰎
 ↓↑
 山上の名称
 大和国
 添上郡
 山辺郷の地名に由来
 山於=やまのえ
 とも記録
 経歴
 大宝元年(701年)
 第八次
 遣唐使
 少録
 に任命
 大宝二年(702年)
 唐に渡航
 儒教や仏教などを研鑽
 冠位は無位
 大宝
 遣唐使の
 執節使
 「粟田 真人」
 が同族の
 「山上憶良」
 を引き立てた・・・
 和銅七年(714年)
 正六位下~従五位下に叙爵
 霊亀二年(716年)
 伯耆(ほうき)守
 養老五年(721年)
 佐為王・・・橘 佐為(たちばな の さい)
 ↓↑    賜姓皇族・貴族
       初名 佐為王
       従四位下
       美努王(三野王)の子
       官位
       正四位下・中宮大夫
       天平年間初頭
       風流侍従の一人の
       「狭井王」と同一人物・・・?
       佐為流の始祖
       主君
       元明天皇→元正天皇→聖武天皇
       氏族
       橘宿禰→橘朝臣
       ↓↑
       父 美努王
         県犬養東人・・・?
       母 県犬養三千代=橘三千代
       ↓↑
       壬申の乱で
       県犬養大侶が
       大海人皇子(天武天皇)に近侍
       天武天皇十三年(684年)
       宿禰姓を賜った・・・
       豪族女性の出仕年齢が
       15歳前後で
       三千代も同年に
       命婦として宮中に仕えた・・・
       和銅元年(708年)十一月
       即位直後の
       元明天皇から
      「橘宿禰」姓を賜った
       養老五年(721年)五月
       元明太上天皇の
       病平癒祈念で仏門に入った
       天智天皇の娘で
       草壁皇子の妻の
      「阿閇皇女(元明天皇)」
       に出仕した・・・
       敏達天皇系皇親
      「美努王」
       に嫁し
       葛城王(橘諸兄)
       佐為王(橘佐為)
       牟漏女王
       を生む
       天武天皇十三年(684年)
       第一子
       葛城王を出生
      「軽皇子(文武天皇)」
       の乳母・・・
       美努王とは離別
      「藤原不比等」
       の後妻となって
      「安宿媛()」
      「多比能」
       を生んだ
      「不比等」は
       持統天皇三年(689年)
       直広肆・判事
       持統天皇十年(696年)
      「高市皇子」死去し
       政権中枢に参画
       文武天皇元年(697年)八月
      「不比等」の娘
      「宮子」
      「文武天皇」夫人となり
       藤原朝臣姓が
       不比等とその子孫に限定
       栄達の背景に
      「阿閇皇女」
       の信頼を受けた
      「三千代」の存在
 ↓↑ーーーー↓↑ーーー
  慶雲四年(707年)七月壬午
  阿閇皇女(元明天皇)即位
  和銅元年(708年)十一月
  大嘗祭
  「不比等」は右大臣
  「葛城王」上奏文に
  癸未(25日)の御宴で
  「三千代」は
  元明天皇~天武天皇の代から仕え
  「橘宿禰」の姓を賜り
  橘氏の祖となった
  三千代は改姓後も
  県犬養一族に属し続けてた
  大宝元年の年記を持つ
  「道代」木簡
  大宝三年の年記を持つ木簡群に
  「三千代」木簡が出土
  橘姓への改姓と同時に
  「道代」~「三千代」に改名・・・
  同年5月
  前夫の「美努王」が死去
  養老元年(717年)
  従三位
  霊亀元年(715年)時点
  従四位・尚侍・・・
  霊亀二年(716年)
  娘の
 「安宿(光明皇后)」媛が
  皇太子
 「首(聖武天皇)」の后となり
  県犬養唐の娘の
 「広刀自」も后となった
 「首」の即位後
  孫娘にあたる
 「橘古那可智」が后となった
  養老四年(720年)
  夫の「不比等」が死去
  養老五年(721年)
  正三位
  元明天皇の危篤に際し出家
  733年(天平五年)一月十一日
  薨去
  12月28日
  従一位
  760年(天平宝字四年)八月七日
  正一位
  大夫人の称号を贈られた
  伝橘夫人念持仏(法隆寺)
 『万葉集』巻十九
  神護四年(727年)
  光明子に皇子誕生
  三千代が詠んだ
  県犬飼養命婦の和歌が収録
 ↓↑ーーーー↓↑ーーー
       兄弟
       諸兄・佐為・牟漏女王
       異父兄弟
       光明皇后
       藤原多比能
       子
       広足・文成・綿裳・御笠
       宮子・古那可智・真都我
 ↓↑     真姪
「山上憶良」は
 佐為王
 紀男人
 らと共に
 東宮・首皇子(聖武天皇)
 の侍講
 東宮に侍す
 神亀三年(726年)頃
 筑前守
 神亀五年(728年)頃まで
 大宰帥
 大宰府に着任の
 「大伴旅人」
 と共に
 筑紫歌壇を形成
 天平四年(732年)頃
 筑前守任期を終えて帰京
 天平五年(733年)六月
 「老身に病を重ね
  年を経て辛苦しみ
  また
  児等を思ふ歌」
 「藤原八束」
 が見舞いに遣わせた
 「河辺東人」
 に対して
 「沈痾る時の歌」
 を詠む
 ・・・病死・・・
 「山上船主」
 を憶良の子とする・・・説
 ↓↑
 仏教や儒教の思想に傾倒し
 死や貧、老、病
 など
 社会的な矛盾を観察し歌った
 重税に喘ぐ農民や
 防人に取られる夫を見守る妻
 家族への愛情
 農民の貧しさ
 弱者を観察した歌を多数詠んだ
 当時としては
 異色の社会派歌人・・・
 抒情的な感情描写
 自分の感情も詠み込んだ
 『貧窮問答歌』
 『子を思ふ歌』
 『万葉集』には78首が撰ばれ
 大伴家持
 柿本人麻呂
 山部赤人
 らと共に
 奈良時代を代表する歌人
 『新古今和歌集』(1首)以下の
 勅撰和歌集に5首が採録・・・?
 ↓↑
 「億(オク)=亿=イ+乙」
  億=亻+意
    亻+音+心
    亻+立+日+心
    ・・・憶=忄(心)+意(立+曰+心)
         忄=リッシン弁
           立 身 弁?
    「山上憶良」? 
 元来は
 「胸いっぱいに・・・胸⇔頭
             脳髄
             脳味噌・脳神経
  考えられるだけ・・・・認識思考機能
  考える」
 という意味
 これが
 「考えられるだけ
  考えることのできる
  大数」
 ↓↑
 命数法(Numeral system
     system of numeration)
 数を名付ける法
 与えられた数を表わすための
 一連の方式・規則・対応
 数値を表すときの
 数詞の体系
 言語により異なる
 1桁の数値では
 「四の次」を表す数詞(5)
     日本語では「五」
     英語では "five"(ファイブ)
     独語では "fünf"
   ラテン語では "quinque"
 「十進数」における
 「十の四乗」を表す数(10,000=10⁴)
      日本語では「一万」
       英語では"ten thousand"
          (テン・サウザンド
            十 千)
 これらの組み合わせにより
 任意の数値を表すことができる
 言語により
 同じ数値命数法のうち
 数字を用いて
 数を表す方法を
 「記数法」という
 ↓↑
 命数
 「一」や「三」など
 自然数を表す数詞
 「零」など無を表す数詞
 「百」や「千」など
 何かの
 「冪乗」を表す数詞
 ↓↑
 位取り
 十進法が多いが
 十進法に
 囚われる必要は無く
 十二進法
 二十進法
 十を超える数で
 十進法から独立している数詞として
 ↓↑
 十二を意味する
 "dozen"(ダース)
 "打"(→zh:打)
 百四十四を意味する
 "gross"(グロス)=12²
 千七百二十八を意味する
 "great gross"=12³
 ↓↑
 二十を意味する
 "score"(スコア)=20
 や
 "vingt"(フランス語)
 "廿(ジュウ)"=20(にじゅう)
 "kal"(マヤ数詞)
 四百を意味する
 "bak"=20²=400
 八千を意味する
 "pic"=20³=8000
 ↓↑
 大数の命数法
 小数の命数法
 ↓↑
 大数の命数法
 万進法系の命数法
 中国に由来する
 漢数字の
 数詞の大数
 一、十、百、千、万(萬)、億、兆、京、…
 ↓↑
 算術書
 後漢の
 「徐岳」の
 『数術記遺』
 北周の
 「甄鸞」の
 『五経算術』
 大数の単位が記されている
 ↓↑
 当時は
 「載」までで
 「𥝱」は
 「秭」で
 日本の
 『塵劫記』
 で字形が変化した
 万より
 大きい数詞の示す値には
 3種類あり、統一されていなかった
 下数、中数、上数
 である
 ↓↑
 当初は
  万(10⁴)を区切りとして
 十万(10⁵)
 百万(10⁶)
 千万(10⁷)
 まで表していた
 これとは別に
 万から1桁ごとに
 億(10⁵)
 兆(10⁶)
 と名付けていた
 これを
 「下数(かすう)」
 と呼ぶ
 ↓↑
 漢代中
 上数(ジョウスウ)
 が文献に記載され始め
 数詞が表す位の2乗が
 次の数詞となる
 万万が億(10⁸)
 であるのは今日と同じで
 次は
 億億が兆(10¹⁶)
 兆兆が京(10³²)
 となるが
 数学書では用いられていない・・・
 ↓↑
 その後
 千万の次を
 億とし
 十億(10⁹)
 百億(10¹⁰)
 と続けていく方法が考案
 これを中数(チュウスウ)というが
 初期の数学書で
 中数は万万(10⁸)倍ごとに
 新たな名称をつける方式であった
 千億(10¹¹)
 万億(10¹²)
 十万億(10¹³)
 と続き
 億の万万倍を
 兆(10¹⁶)
 兆の万万倍を
 京(10²⁴)
 これを万万進
 後に
 万倍ごと
 万万を億
 万億を兆(10¹²)
 とする
 万進(マンシン)
 万進法(マンシンホウ)
 に移行した
 ↓↑
 元の
 「朱世傑」
 による
 「算学啓蒙」
 で初めて
 「極」以上の単位
 (恒河沙以上は仏教由来の名称)
 が加わったが
 当時
 「不可思議」の上は
 「無量大数」ではなく
 「無量数」であり
 明の
 「程大位」による
 「算法統宗」
 でも同様
 「極」以上の単位は基本的に
 中数(万進・万万進)のみで使われ
 下数
 上数で使われることはなかったが
 日本の
 『塵劫記』初版で
 「極」以下を
 下数としており
 「極は10¹⁵」
 ↓↑
 日本
 1627年(寛永四年)
 『塵劫記』
 初版において初めて大きな数が登場
 「極」以下が下数
 「恒河沙」以上を
 万万進の
 中数(恒河沙=10²³
    阿僧祇=10³¹
    那由他=10³⁹
    不可思議=10⁴⁷)
 ↓↑
 1631年(寛永八年)版
 「極」以下が
 万進(恒河沙以上は万万進のまま)
 に改められ
 算学啓蒙・算法統宗
 にあった
 「不可思議」の上の
 「無量数」も
 「無量大数」
 という名称として組み込まれた
 ↓↑
 1634年(寛永十一年)版
 すべて
 「万進」に統一され
 今日でも万進だけが使用
 ↓↑
 読み方
  1 0000=一万
 983 6703=九百八十三万 六千七百三
     (きゅうひゃく
        はちじゅうさんまん
            ろくせん
            ななひゃくさん)
 20 3652 1801
 二十億 三千六百五十二万 千八百一
 (にじゅうおく
     さんぜんろっぴゃく
         ごじゅうにまん
         せんはっぴゃくいち)
 アラビア数字が使われる場合
 英語のように
 3桁ごとに
 コンマが入れられる
 アラビア数字と
 漢数字が同時に使われる場合は
 1万以下の数字について
 アラビア数字の書き方が使われる場合がある
 (25,000,000を
    2,500万と表記)
 ↓↑
 大きな数字が
 漢字で表記されるとき
 ほとんどの場合で
 ゼロが省かれる
 ↓↑
 4002
 は
 ゼロを表す中国語での
 「四千零二」ではなく
 「四千二」と表記
 決算書を読み上げる場合
 読まない桁は
 「飛び・飛んで」で示される
 「よんせんに」の代わりに
 「よんせんとびに」
 「よんせんとんでに」
 ↓↑
 中国
 近代まで
 万万進と万進が混用
 メートル法の接頭語の
 メガ(10⁶)に
 「兆」
 (下数における 10⁶)
 の字をあてたため、混乱
 今日
 「億」は中数の 10⁸
 「兆」は下数の 10⁶
 「兆」より「億」の方が大きい
 ↓↑
 日本の
 兆(10¹²)は「万億」
 京以上については
 10¹⁶は「万万億」
    「億億」
 ↓↑
 台湾(植民地時代)
 朝鮮半島(併合時)
 日本の命数法(万進)が導入
 兆は 10¹² であるが
 京以上の命数は用いられていない
 ↓↑
 ベトナム
 西洋式に3桁ずつ
 新しい名称が使われるが
 10⁶を「triệu」(兆)
 10⁹を「tỷ」(秭)
 これは下数
 ↓↑
『塵劫記』での命数

 大和言葉(和語)命数法
 名称 数
 ひとつ (ひ) 1(一)
 ふたつ (ふ) 2(二)
 みっつ (み) 3(三)
 よっつ (よ) 4(四)
 いつつ (い) 5(五)
 むっつ (む) 6(六)
 ななつ (な) 7(七)
 やっつ (や) 8(八)
 ここのつ(こ) 9(九)
 とお  (と) 10(十)
 もも  (も) 100(百)
 ち        1,000(千)
 よろず (ろ)   10,000(万)
 ら       100,000(十万)
 ね      1,000,000(百万)
 し      10,000,000(千万)
 き     100,000,000(一億)

 指数表記(exponential notation)
 る 10⁹ (十億)
 ゆ 10¹⁰(百億)
 ゐ 10¹¹(千億)
 つ 10¹²(一兆)
 わ 10¹³(十兆)
 ぬ 10¹⁴(百兆)
 そ 10¹⁵(千兆)
 を 10¹⁶(一京)
 た 10¹⁷(十京)
 は 10¹⁸(百京)
 く 10¹⁹(千京)
 め 10²⁰(一垓)
 か 10²¹(十垓)
 う 10²²(百垓)
 お 10²³(千垓)
 ゑ 10²⁴(一𥝱)
 に 10²⁵(十𥝱)
 さ 10²⁶(百𥝱)
 り 10²⁷(千𥝱)
 へ 10²⁸(一穣)
 て 10²⁹(十穣)
 の 10³⁰(百穣)
 ま 10³¹(千穣)
 す 10³²(一溝)
 あ 10³³(十溝)
 せ 10³⁴(百溝)
 え 10³⁵(千溝)
 ほ 10³⁶(一澗)
 れ 10³⁷(十澗)
 け 10³⁸(百澗)
 ↓↑
 「想像も出来ないほどの
  大きな数」
 の意味となった
 「億」は「万」の
 次の単位となった
 本来の
 「胸いっぱいに
  考えられるだけ考える」
 という意味は
 「億」の
 「亻」を
 「忄 (りっしんべん)」
 に置き換えた
 「憶」に充てられた・・・記憶?
 「忄+乞(𠂉+乙)」・・・記忔
   ・・・乞食=コツジキ・コジキ=古事記
 「忔=喜ぶ・厭う
    いとう・嫌う・キツ・ギツ」
 「忄+乙」・・・
 「忆=忄+乙
   =おもう・おぼえる
    ヨク・オク
    ざまざまなことに
    思いを馳(は)せる
    おぼえる・忘れずに覚えている
    心に留める」・・・
  ↓↑
 「曾・侯・乙・随」などの
 「漢字」の?・・・
ーーーーー
 ・・・つづく・・・
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